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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「日本で一番悪い奴ら」 実話ピカレスク・ロマン

 「凶悪」の成功で、「あ、オレって実録モノじゃん!」と思ったであろう白石和彌監督の3作目。

 とは言うものの、同じ犯罪実録モノでも、一応だいぶ雰囲気は変えてきている。
 「凶悪」がサイコホラーだとしたら、「日本で一番悪い奴ら」はピカレスク・ロマンなのだ。
 映画が世の中に与える影響として良いことか悪いことは別にして、この映画の中盤までは、確かに悪漢が世の中を出し抜いて成功していく痛快さがある。イヤイヤイヤ、警官が世の中出し抜いてどうするよ!というツッコミも込みで。

 

 東直己氏の著作でも散々語られてきた北海道県県警における「日本警察史上最悪の不祥事」、稲葉事件を、張本人の稲葉圭昭自身が著した本が原作。

 

 綾野剛はワタクシ空中さん的には「新宿スワン」以来のハマリ役。やっぱり綾野剛には単純バカが似合う。

 柔道しか能のなかった若者が、先輩刑事に仕込まれて、ある意味「正義のため」と信じて悪事に手を染めていく。やがて金やオンナ、そして友情(コレ重要)に溺れ、正義と悪の区別がつかなくなっていく、、、

 就職当時の筋肉バカな感じから、チョーシに乗ってイケイケな感じ、さらには破滅感まで、一人のオトコの様々な局面を演じきって間然とするところがない綾野剛の振り切れっぷりは気持ちいいほど。

 

 演技陣では他にデニスの行雄ちゃんがトンデモ無いリアリティで中村獅童やピエール瀧を超えているのが目につく。ホント、得な外見だなぁ、、、

 

 ただ、演出面であまり映画的な興奮を感じるシーンが無かったのは残念。
 特に、道警への怒りを表現したいのか、官僚主義の弊害を描きたいのか、人間の持つ普遍的な愚かしさを描きたいのか、ハッキリしない(もちろんそのどれでもない可能性もある)。
 その辺の腰の座らなさと、綾野剛のハマり方のせいで、必然的にピカレスク・ロマンになってしまうのだと思うワタクシ空中さんであった。

JUGEMテーマ:映画

at 21:36, 空中禁煙者, 邦画

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「九龍猟奇殺人事件」 コレ、遺族は激怒するんじゃないの?と言う実話の映画化

 WOWOWで放映+ブルーレイ発売に合わせてミもフタもない邦題を付けられてしまったが、原題は「踏血尋梅」、英語タイトルは「Port of Call」である。
 「踏血」は劇中「鑑識」だか「検死」と字幕が入っていたようなきがするが、尋梅はなんだかわからない。「死体に聞け」ということだろうか。
 Port of Callは成句で「立ち寄り点」である。主人公の少女が中国本土から香港にやってきて、やがて黄泉の国へ旅立ってしまったことを指して、「香港は立ち寄り点に過ぎなかった」ということだろうか。

 

 とはいえ実際に起きた猟奇殺人事件が元になっているので、ミもフタもない邦題もしょうがないと言えばしょうがない。
 どの辺が猟奇的かというと、被害者の遺体をバラバラにして、捨てきれなかった肉を九龍城の肉屋に並べた、と言うのだ。
 「八仙飯店事件」の再来か!と香港中を震撼させたが、映画は「八仙飯店之人肉饅頭」のような猟奇趣味主体の映画にはなっていない(アレはアレで大好きですが)。

 

 撮影のクリストファー・ドイルによる美しい映像と、時間軸を徹底的にバラした構成により、どちらかと言うとアート寄りの映画になっている(ただし、犯人役のマイケル・ニンは写真で見る実際の犯人にクリソツでちょっと笑う。もしかすると香港人は恐怖するかもしれない)。

 

 離婚した母に連れられて本土から香港に出てきた16歳の少女。学校に馴染めずモデルを夢見て事務所に所属するが、スカウトに回されてしまい、やがて援助交際に手を染め始める。
 そんなときに客として出会った29歳のトラック運転手。
 少女の孤独と男の孤独が共鳴してしまい、、、
 と言うハナシ。

 

 おそらく、脚本・監督のフィリップ・ユンはこの事件の被害者と加害者の二人になんらかのロマンを見てしまったのだろう。キーワードは「孤独」だ。

 

 犯人は早々に自首しているので、犯人探しの興味はない。
 代わりに、事件の担当になった妻に逃げられてショボクレた刑事にアーロン・クォックを配して、丹念に二人に「孤独」を追う。
 いつもバリッとした二枚目のイメージのアーロン・クォックを白髪頭にデカメガネ、実用本位のダサいベストの疲れた刑事にして、上から目線になるのを避けている。
 つまり、彼もまた「孤独」なのだ。

 

 トンデモ無いグロ描写があったりして、バランスを取ってもいるが、映画全体としてみた時、「実話」の扱い方がコレで問題ないのか、という気もする。
 いくらなんでもセンチメンタリズムに振りすぎているのではないか。
 例えば、遺族はこの映画を見て激怒するのではないか。
 そういう意味では、日本では無理な映画だなぁ、、、という気もする。

 

 同時に、コレだと殺した理由は説明できても、その後の遺体損壊の理由が判らない。
 フィリップ・ユンが幻視したロマンを映画化するのはいいが、その後はグロい映像見せて「ハイ、コレでいいでしょ。グロいの見たかったんでしょ」と言う態度は、観客をナメているのではないか。

 

 しかし、アーロン・クォックの扱いといい、初監督作にして全てをぶっちぎってやりたいことをやったフィリップ・ユンの度胸には、今後を期待してしまうが。

JUGEMテーマ:映画

at 20:00, 空中禁煙者, アジア

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「ヴィジット」 予算が減らされたらPOVに限る。

 シャマラン監督、過去2作で大予算映画を大コケさせたせいで、全く予算が使えなくなっているのかもしれない。
 低予算と言えばホラー、低予算ホラーと言えばPOVと言うわけで、POVのホラーに挑戦してます。つ-か、せざるを得なかったのかもしれない。

 

 しかし腐ってもシャマラン。コレはやられましたね。
 シャマラン監督といえば、
丁寧な演出でジャンル映画をひっくり返す
ですが、今回も堂々とやってます。
「POVによる低予算ホラー」
を見事にひっくり返してます。

 

 15年前に駆け落ちして以来、一度も両親と連絡を取っていないキャスリン。
 彼女は既にオトコには逃げられていたが、二人の子供を懸命に育てて「普通のシングルマザー」になっていた。
 そんなある日、彼女のフェイスブックを見た両親から連絡があり、せめて孫二人だけでも会いたいから、休み中に一週間泊まりに来させろと言う。
 自分が新しい恋人とリゾートデートするチャンスと見たキャスリンは15歳のベッカと13歳のタイラーの姉弟を送り出すが、初めてあったお爺ちゃんとお婆ちゃん、なんだか少しヘンなんですけど、、、と言うハナシ。

 

 相変わらずうまいなぁと思うのは、例えば、二人が列車に乗って旅をしていると、姉のベッカがカメラを持って撮影しているのを見て(ベッカは映画監督を目指しているらしく、いつもカメラを手に撮影をしている。そうじゃないとPOVにならないし)、車掌が
「ワタシはムカシ演劇をしていたんだよ」
とかいって延々なんかの芝居のセリフを披露するシーンだ。
 このシーンだけならどうということもないが、このあと、姉弟が祖父母宅についてから、重要なヒントを二人に与える人物がいるのだが、この人物がまたしてもベッカがカメラを構えているのを見て、
「映画かい?僕は昔演劇をやっていたんだ」
とほざいて延々なんかのセリフを披露しだすのだ。
 この、「昔演劇やってた」カブせによって、観客は(姉弟も)重要なヒントを見逃してしまう。
 観客は
「ああ、コイツはシャマラン監督の『天丼』のために出てきたんだな、、、」
と思ってしまうのだ。

 

 そうやって慎重に張られた伏線の果てに来る種明かしの瞬間、ワタクシ空中さんは例によって全く予想がついておらず、思わず「アアア!!」と声を出してしまいました。相変わらず作者の仕掛けた罠にハマりやすくてスイマセン。
 これ、予想が付くヒトいるのかなぁ、、、
 いるんだろうなぁ、、、

 

 シャマラン監督は「シックス・センス」でジョエル・ハーレイ・オスメントくんという逸材を見出したが、今回の弟役、エド・オクセンボールドくんもトンデモ無い逸材の予感がする。
 姉が映画監督志望なら弟はラッパー志望であり、劇中何度か中途半端なラップを披露するが、そのヌケヌケとした度胸はただ事ではない。
 ラスト近くに見せるブチ切れたアクションシーンと共に、子供のくせにたいした役者度胸である。
 願わくば、オスメントくんのような末路を辿らないことを、、、

 

JUGEMテーマ:映画

at 20:27, 空中禁煙者, 洋画

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「ジュラシック・ワールド」 「ジュラシック・パーク」-SF+アクション

 シリーズ映画というものは三部作で一巡しちゃって、4作目あたりで最初に戻りたくなるものなかもしれない。
 ほとんどリメイクと言ってもいいくらい1作目の「ジュラシック・パーク」と同じである。

 

 そんな訳で、逆に1作目との違いを思い出していくと、この映画のことが判るかもしれない。

 

 一作目は一応マイクル・クライトン原作のマジメなSFであり、「純粋科学の否定」とか、「自然をナメるな」とかシリアスなメッセージが横溢してたりしていたし、作品全体を覆うテーマは当時流行りだったカオス理論だったりする。

 

 なにしろ主人公(古生物学者、サム・ニール)もヒロイン(古植物学者、ローラ・ダーン)も科学者である。
 ハイテク=悪、過去から学ぶ科学=善という図式が、なんとなく、ある。

 

 4作目ともなるとそういうシリアスな部分はすっかり抜け落ちて(ちょっとはある)、よりエンターテインメントとして純化されている様である。
 なにしろ主人公は元軍人(クリス・プラット)で、ヒロインはパークの管理責任者(ブライス・ダラス・ハワード)だ。
 ブライス・ダラス・ハワードは一応科学者という設定なのだが、劇中科学者らしいことはまるでせず、管理者として汲々としている。

 

 エンターテインメントとして純化された分、サスペンス描写やアクションが増えている、
 暴走したハイブリッド恐竜と討伐部隊の対決の緊迫感(と絶望感)など、一作目にはなかった要素だろう。

 

 もうひとつ、一作目と比して明らかな美点がある。

 いくつかギャグが効いている箇所があるのだ。

「手を握り合ってね」といわれ弟だけが手を出す、とか、管制室の若い二人の恋模様とか、なんか妙に生臭いというか、人間臭い笑いどころがあって、ちゃんと効いている。

 コレはスピルバーグ演出ではあまり見られないことだ。
 コリン・トレヴォロウ監督の功績なのだろう。

 スピルバーグ監督、自作のリメイク(のような続編)の演出を他人に任せたせいで、はからずも自らの欠点をさらけ出してしまったのかもしれない。

 

 ラストの暴走ハイブリッド恐竜への対処法など、よく考えられていて視覚的迫力も充分(ちゃんと伏線が引いてあるのも感心した)、監督二作目とは信じられないくらい良く出来てる。「スター・ウォーズ エピソード9」の監督に決まっていたのに降りてしまったのはちょっと残念。

 このシリーズの最大の魅力は、やはり「動く恐竜」にあると思う。CGと判っていても、生き生きと動く恐竜たちの映像には、未だにちょっとドキドキする。
 特に人間と一緒に写り込んでいるとドキドキ感が増すのだが、その辺の見せ方にもうちょっと工夫というかしつこさが欲しかった恨みもある。
やはり「空間の演出」は難しいのだろうな、と思うが、モササウルスのド迫力にだけは、正直ちょっとチビリました。

JUGEMテーマ:映画

at 23:51, 空中禁煙者, 洋画

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「怒り」 この原作を映画化することの難しさから逃げている

 映画はまず、殺人事件の現場検証から始まる。

 

 そして唐突に、東京、千葉、沖縄の三カ所に現れた、3人の素性の知れないオトコ達と、その周辺ののヒトビトの人生を描き出す。

 

 テンションの高いエリートサラリーマンではあるが、ゲイであることを隠そうともしない妻夫木聡が引っ掛けた翳のある青年綾野剛。

 

 家出中に歌舞伎町の風俗店で働いてボロボロになっている娘、宮崎あおいを救い出した父親、渡辺謙のトコロで最近働き出した松山ケンイチ。

 

 身持ちが悪くオトコと問題を起こした母親と沖縄に逃げてきた広瀬すずが、家の近くの無人島で出会った森山未來。

 

 映画はこの三人の周辺を並行して描き、観客は

「ああ、この三人の中の1人が冒頭の殺人事件の犯人なんだな、、、」

と判っていく仕組みになっている。

 

 3人のウチの1人が犯人なら、残りの二人はなんなんだと言うことになるが、コレは

「犯人に間違われたヒト」

である。

 コレもまたひとつの殺人事件に狂わされた人生ということだろう。

 

 で、ですね、この3つのストーリーを平行して描く手腕に、ホトホト関心しましたね。
 ちょっと「クラウド アトラス」を思い出した。
 セリフや効果音のぶら下がりを多用して別の空間に飛ぶ。
 それぞれのストーリーのちょっとした共通項を媒介にして(帽子とか)ジャンプする。

 

 どれかひとつのカットでもひっこ抜くとガラガラと音を立てて崩れ落ちそうなほど精緻な構造物であるかのように、微塵も乱れること無く3つのストーリーを描ききった手腕には恐れ入った。

 

 役者の演技を引き出したという意味でもスゴい。
 渡辺謙のような超大物や、松山ケンイチ、森山未來といったクセ者俳優のみならず、広瀬すずやオキナワの少年のような新人まで、リアリティのない演技をしている奴が1人もいないのだ。

 宮崎あおいが出ると、だいたい宮崎あおいの巧さだけが目立ってあとは目立たなくなる気がするが、それすら感じさせない。

 

 巷間ブッキーの熱いゲイっぷりが話題になっているが、ブッキーは元々コレくらい出来るだろう。
 それより池脇千鶴の堂に入ったおばさんぶりと、ラストにワンシーンだけ出てくる高畑充希の繊細な芝居に舌を巻いた。

 

 と、さんざん持ち上げたので、安心して苦言を呈しますが、この映画はほぼ致命的と言ってもいい構造上の欠陥を抱えてるのね。
 世の中には読んで面白かったからと言って映画にしてはいけない小説もあるわけで、このハナシは優れた小説になったとしても映画にしてはいけない、っていうかほんらい映画にはならないハナシだと思う。

 

 日本の3ヶ所で繰り広げられる、良い話ではあるが比較的地味なハナシを観客が興味を持って観ていられるのは、3人のうち誰が犯人なのかと言う興味で引っ張られているからだろう。
 従って、この映画は構造的に誰が犯人であるかは最後まで伏せられていなくてはならないのだ。
 小説であればコレを隠すのは簡単だが、映画で役者演じるとなると、コレは格段に難しくなる。

 

 犯行シーンで犯人の顔をカメラワークでごまかしているのはいい。コレは映画として当然の手法だ。
 しかし整形手術後の防犯カメラ映像やモンタージュ写真になるともうイケない。

 

 ネタバレになるので3人の素性の知れないオトコを演じる役者を記号化してA,B,Cとすると、防犯カメラ映像はA、モンタージュ写真はBの役者を使っていて、犯人は実はCが演じるオトコなのである。
 つまり映像を使って観客をミスリードしている。
 コレはダメなのではないか。

 

 細かいことを言うと、防犯カメラの映像はAの周辺の人物が、モンタージュはBの周辺の人物がそれぞれテレビを通して知る、と言うカタチで提示される。

 コレはつまり犯人はA(B)なのではないか、不安に思っている人物の目にはA(B)に見えるものだ、という演出のようにも思える。

 もし、Aが防犯カメラの映像を演じる時、監督に「なぜ犯人じゃない僕がこのシーンを演じるんですか?」と訊いたとしたら、そんなようなことを言ってそうな気がする。

 

 しかしそれならそれで、A、B、C三人でそれぞれ防犯カメラのシーンを撮っておいて、それぞれの周辺の人物がA、B、Cによる防犯カメラ映像を見る、という演出もありえたのでないか。

 当然、モンタージュ写真も同じことをすればいい(つかコレ、ネタバレになってね?)。

 

 さらに言えば、この映画は犯人の内面を描くことが許されない。犯罪者にふさわしい内実など描いてしまえばすぐに誰が犯人がわかってしまうからだ。
 しかるにこの映画のタイトルは「怒り」であり、犯行現場には「怒」の文字が血文字で残されていた。
 犯人の怒りが重要なテーマであることは明らかなのだが、何にそんなに怒っているかは、「構造的に」描くことが許されない。
 コレを「吉田修一の『怒り』」の映画化、として発表するのはマズイのではないか。

 

 李相日監督の作品に関しては、前作「許されざる者」に関しても「コレは映画にしちゃダメなんじゃ、、、」と思った。
イーストウッド作品にしても、吉田修一作品にしても、観て(読んで)感動したから映画にしていいというものではない。或いは無理そうなものを敢えて映画化するなら相当な工夫が必要なはずである。

 

 描写力がトンデモ無いレベルに達しているのにとても残念。「悪人」の成功で錬成な判断力を失っているのでは無いことを望みます。

JUGEMテーマ:映画

at 01:32, 空中禁煙者, 邦画

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