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中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「無限の住人」 「再生する身体」という戦略

 えーっとですね、コレ、過去に何回も書いてる気がしますが、小林信彦氏の提示した「シーゲル祭り」と言う概念があります、と。
 も、メンド臭いんで前回この「シーゲル祭り」に言及した部分をまるごと貼りますが、

 

『小林信彦氏は、往年のアクション映画の名匠、ドン・シーゲルの手法に「シーゲル祭り」と名前をつけていた。(だいたいどんな映画でもラストに向けてエスカレートしていくものだが)アクション映画のアクションというものは、なだらかなエスカレーションではいけない。どこかで、それまでのエスカレーションから予想される暴力を、量的にも質的にもはるかに上回る爆発が必要なのだ。
ドン・シーゲルはその辺が解っていて、必ず爆発的なエスカレーションを用意していた。コレを評して「シーゲル祭り」と名前をつけたわけだ。
もっとも、何事も言うは易く行うは難し、「シーゲル祭り」もいざやろうと思うと結構大変であることは想像に難くない。「予想を上回る」と言っても、下手に上回りすぎると、ただ「ハァ?」となって終わりである(この「ハァ?」感を逆手に取ったのが三池崇史の「Dead or Alive」だろう)。』

 

 となっております。
 で、この「無限の住人」こそ問題の三池崇史監督作品なわけだが、、、

 

 三池崇史といえば上でも書いたように、「シーゲル祭り」をさえ逆手に取って、「三池祭り」とでも言いたくなるような映画史上に残るウルトラCを演じたヒトである。
 が、本作のラストでナニかが「量的にも質的にもはるかに上回」っているのかというと、ですね、まあ、「人数」がはるかに上回っています。

 

 イヤ、人数て、、、

 量的にってそういうことじゃないんだよな、、、

 

 ラストはキムタクと杉咲花ちゃんと、それまではこの二人の敵だった福士蒼汰クンが一時的に共闘して公儀の捕り手300人と切り結ぶわけです。
 わけですが、そりゃ若山富三郎先生だの萬屋錦ちゃんだのが300人切るんなら期待もするし見てられるけどさ、いくらキムタクが元剣道部で時代劇で剣豪役経験も豊富と言っても、無理でしょ。
 ましてや花ちゃんや福士蒼汰クンはシロートであって、シロートが延々チャンバラやって見せられるものになるほどチャンバラは甘くないのよ。
 萬屋錦ちゃんだって吉岡一門70人がせいぜいではないか。

 

 世界のクロサワは「椿三十郎」において、映画の中盤で三船敏郎に、40秒で30人斬り殺すという驚異の大殺戮を演じさせる。このシーンはほんとに怖くて、御船の味方の若侍たちも正直チビっていて前作「用心棒」に比べるとユーモアが多いこの映画において、「ああ、中盤でここまでやったら、あとは最後までドラマで繋ぐんだろうな、、、」などと観客はこの大虐殺のあと、一瞬油断してしまう。

 ところがクロサワは、ラスト近くの数十秒、一対一の対決で、あっという間に観客のド肝抜いてしまうのだ。
 極言すればたった一瞬の殺陣で、その後の映画史の「対決シーン」を一変させてしまう「クロサワ祭り」を観客に叩きつけてくるのだ。

 

 「質的にはるかに上回る」というのはこういうことであって、ただダラダラ人数だけ増やせばいいというものではない。

 

 とはいうものの、この映画、ラストで「あ〜あ、やっちゃった、、、」と思わせるまでは思ったよりイイです、、、(どっちなんだよ!!)

 キムタクは昔から「ナニをやってもキムタク」と批判されることが多いが、ワタクシ空中さんは、「ナニをやってもキムタク」でもいいではないか、と思う。
 スターとはそういうものだ。
 クリント・イーストウッドだってジャッキー・チェンだって、ナニをやってもクリント・イーストウッド、ナニをやってもジャッキー・チェンではないか。

 

 ワタクシ空中さんは、主人公の万次をキムタクなりに自分のものにしていると思う。
 主人公の万次が「ああ、この主人公は照れ隠しにぶっきらぼうなこと言う(キムタクみたいな)奴なんだな」と思わせることに成功している。

 

 そして本作は、剣豪俳優のいなくなった時代の殺陣に「不死のオトコ」というギミックを持ち込んで一石を投じてもいる。

 正直言ってワタクシ空中さんは本作におけるキムタクの殺陣をそんなに評価しないが、「損傷した箇所を自分で切り落としてしまう」という戦略が使えることによって、通常より見応えのあるチャンバラを実現しているのだ。
 例えば手が矢で地面に縫い留められれば、自ら手を切断して再生を待てば良いのだ。戦いに不利になった手や足を自ら切断する様は、確かにハッとする。

 

 残念ながら、万次自身が「切り落としてもスグ再生する」と言う自らの利点を「前提とした」戦略を取るところまでは行っていないが、もともと万次自身とんでもない剣豪の設定とはいえ、敵キャラが到底人間とは思えないバケモノばっかりななか、どうにか万次が勝ち続ける契機としては十分機能している。

 

 まあ、総集編的にならざるを得ないので、個々のキャラのドラマが薄くなっているのはしょうがない。
 戸田恵梨香とか栗山千明とかビックリするような贅沢な女優陣を使って殆どなんのために出てきたのわからない。
 ただ、原作ファンへの言い訳のためだけに出てきてるわけで、どうせブツブツの総集編なんだから、もっと刈り込んじゃえばいいのに、と思うのは原作読んでないからなんだろうが、映画ってそうゆうもんでしょ。

 

 ただ、市原隼人だけはキャリアを代表するようなハイテンション演技で印象を残す。
 杉咲花ちゃんはまだ可憐さとひたむきさの間でフラフラしてる感じ。うまく演技をつけて両方同時に表現できるようにしてほしいもんだが、多分、三池さんはそういうの興味ないんだろう。

 

 三池監督の興味をそそったのはおそらく「再生される身体」と言うギミックを使ったチャンバラだけで、それ以外はいつものやっつけ仕事。
 まあ、そういうヒトなんだからしょうがないかなぁ、、、

JUGEMテーマ:映画

at 04:59, 空中禁煙者, 邦画

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「イエス・キリストは実在したのか?」 答え:実在したけど、あんまり重要じゃない。

 邦題がくだらない。
 もちろん「ナザレのイエス」は実在する。そんなことは問題になっていない。
 邦題の力点は「キリスト」にかかっているのだろう。
 「ナザレのイエス」は「キリスト」、つまり救世主だったのか、と。
 救済者としてのイエスは実在したのか、と。

 

 原題は「Zealot ナザレのイエスの生涯とその時代」で、Zealotについては本書の記述も曖昧で良くわからない。
 普通「熱心党」と訳される事が多い「ゼロテ党」と言うのがイエスの時代のイスラエルにはいたが、著者は「イエスはゼロテ党ではなかった」と言っているのだ。
 熱心党ではなかったが熱心党と同じくらい熱心だった、くらいの意味だろうか。

 

 が。

 

 そんなことはどうでもいい。

 本書は、ワタクシ空中さんが長年キリスト教徒に抱いてきた疑問に対するヒントを与えてくれそうな、ある意味画期的な書籍であった。

 

 ではその、ワタクシ空中さんが長年キリスト教徒に抱いてきた疑問、とは何か。

 

 それは、

 なぜキリスト教徒はキリストの「教え」にちょっとも従わないのか。

ということだ。

 

 イエスは言っている。
 「もし、あなたが完全になりたいのなら、帰って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

「富めるものが神の国の門を通るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」(空中さん注:ラクダはアラム語の「網」の誤約説あり)

 

 コレらの言説をもとにして、イエスはつまり原始共産主義者だったと言うことも可能である。
 ヨハネ教団とはすなわち原始共産コミューンだったということも可能である。
 つまるところ、イエスの教えに最も忠実な人間とはマルクスであり、共産主義とはキリスト教の鬼っ子である、ということも可能である。

 

 いや、共産主義うんぬんのハナシは忘れてくれ。
 そこまで言わなくていい。

 

 しかし、コレらのイエスの言説からは、少なくとも、

 

1.イエスは貧しきものが好きである。
2.イエスは富めるものが嫌いである。

 

 この二つは明らかだろう。

 しかるに現代のキリスト教徒たちは、イッコーに貧しくなろうとはしない。
 帰って持ち物を売り払ったりしない。
 聖書に書いてあることはすべて真実である、とする福音主義者ですら、イッコーに私有財産を捨てようとはしない。
 むしろ自分たちの財産を守ってくれる奴に投票さえする。

 

 ナンだコレは。
 なぜイエスの教えを守らないのだ。
 全世界のキリスト教徒を標榜するヒトたちは、全財産をワタクシ空中さんにクレ、今スグ。

 

 理由は簡単だ。
 貧乏がイヤなのだ。
 贅沢がしたいのだ。

 

 神の国なんて、贅沢の楽しさに比べたら、大したことはないのだろう。
 しかし、できれば贅沢もして神の国にも行きたいから、キリスト教徒を標榜するのはやめないのだろう。

 彼らが富めるものであり続けてもキリスト教徒でありたがる理由はわかるが、わからないのは、

 

 なぜそれでいいと思っているのか。

 

 だ。

 

 そして、なぜそれでいいと思っているのか、のヒントを、本書を読んで得たのだ。

 もっとも、その理由が本書に書いてあるわけではない。あくまでもヒントを得た、というだけである。
 したがって、これから先に書くことは、ほぼワタクシ空中さんの勝手な妄想である。
 そんなわけで、以下の文章中のワタクシ空中さんの妄想と、本書に書かれていることを区別するために、本書に書かれていることは『』で括っておくことにする。

 

 えーっとですね。
 旧約聖書、というものがありますね。
 コレは、一応キリスト教の聖典ということになっているが、トーラーと呼ばれるほぼ同じものが、ユダヤ教の経典にもなっている。
 つまり、もともとユダヤ教の経典を、キリスト教徒が勝手に「旧い契約」とかいって、自分たちの聖典にもしているのである。

 

 で、ですね。

 この、旧約聖書に出てくる神様というのは、もう、「そこに住んでる異教徒を皆殺しにしてその地をイスラエルの民のものにせよ」とか言ってるわけです。
 ユダヤ教徒以外にはたまったもんじゃない。

 ところが、コレが一応普遍宗教であり、世界中のなにびとも信仰していいことになってるキリスト教の聖典にもなっているのは、まずいのではないか、と。

 

 コレに対するキリスト教側からの回答は、

「まあまあ、いいじゃないですか、アレはなにぶん、旧い契約なもんで、、、
新しい契約ではそんな事ないですよ?
でも、一応同じ神様なんで昔のことも抑えておこうかな、的な、、、」

 

 という感じだろう。

 

 この辺は、まあ、常識の部類だろう。
 キリスト教徒は日曜学校で旧約聖書を読むたびにこう思っているのだろう。

 

 そして、本書を読んでわかったのは、おそらく新約聖書の内部でもコレにた対立が起こっている、ということだ。
 その対立は、一応

 

福音書VSパウロの神学

 

 と単純化できるだろう。

 実は新約聖書は、『パウロの神学中心に編纂されている』。

 イエスの死後、初期キリスト教徒は、イエスの弟、『義人ヤコブ』を中心にエルサレムで活動していたが、ローマにいたパウロは、義人ヤコブ率いる初期キリスト教団と激しく対立していた。

 イエスの死後信徒となったパウロの神学は、生前のイエスと活動をともにしていた直弟子であるヤコブやペテロの神学から見れば『突拍子もない』ものであったからだ。

 なにしろ『パウロは生前のイエスに全く興味がない』。
 じゃあなにに興味があるのかというと、イエスが十字架刑にかかって亡くなったこと、及び死後、パウロの前に顕現したイエスの言葉のみである。

 

 ココで注意してほしいのは、イエスは死後、復活という形で直弟子や家族の前に顕現していて、コレは当然、複数の人間が目撃している(事になっている)。
 しかし、パウロの前に顕現したイエスは、あくまでパウロしか見ていない。
 にもかかわらず、パウロにとってはそれが全てなのだ。

 いや、だからこそというべきなのかもしれない。
 パウロにとってはあまり生前のイエスを重視されると立つ瀬がないではないか。ここはあくまで自らの前に顕現したイエスのみが重要であるとしなければ。

 

 そして、ここが何より重要なのだが、パウロが布教しようとしていた、イスラエル以外のヒトビト(つまり、ローマ帝国のヒトビト)にとっては、パウロの神学のほうが受け入れやすかった。
 生前のイエス及びその直弟子の段階では、イエスの神学はあくまでユダヤ人のためのものである。『イエスは異教徒の救済にはほとんど興味がなかった』。

 コレではイスラエル以外に住む非ユダヤ人には訴求しないではないか。
 ここはひとつ、なにがなんでもイエスはユダヤ人以外にも門戸を広げた、ということにしおかないと、ホラ、いろいろアレじゃん?みたいな。

 

そして、パウロとはまさに、この『義人ヤコブ』率いるガチガチのイスラエル人キリスト教徒と、ユダヤ人以外(主に当時の宗主であるローマ帝国のヒトビト)を結ぶのにふさわしい、「ヘレニスト」と呼ばれる層の出身であった。

 

 『ヘレニストとは、離散ユダヤ人がから生まれた、主要言語はギリシャ語を話すユダヤ人であった』

 

 コレが同時に「新約聖書」が「何故か」ギリシャ語で書かれていることの理由なのだ。
 新約聖書は最初からイエスと言語を共にしていたアラム語圏やヘブライ語圏のヒトビトのためには書かれていない。
 最初からギリシャ語を話すローマ人向けに書かれているのだ。
 イヤ、あえてギリシャ語を選ばなくても、パウロの神学に従った物語を書こうとすれば、ギリシャ語になるのが自然なのだ。

 

 ちなにみ、なぜ新約聖書がイエスが使っていたアラム語や、イスラエルの標準言語であるヘブライ語ではなく、ギリシャ語なのか、というのもワタクシ空中さんにとって長年の疑問であったが、コレも本書によって解決したわけだ。

 

 結局の所、実際のイエスの生涯と、新約聖書には、パウロというフィルターを通した断絶があるのだ。
 そして、この断絶があるからこそ、キリスト教は普遍宗教なり得たのだろう。

 したがって、現在の(新約聖書を拠り所とする)キリスト教徒は、イエスがナニを言っていたとしても、あまり重要視していないのだろう。

 

 問題は、パウロの神学であり、「イエスは原罪を背負って十字架にかけられた」という信念なのだ。

 

 当たり前の話だが、ワタクシ空中さんのような浅学非才が本書の価値を十全に理解したとは言わない。
 本書にはもっと面白いことが書いてあり、ワタクシ空中さんはその一部を勝手読みした結果を元に自分の疑問を晴らす役に立てたに過ぎない。
 多分、10年後にまた読んだら、また新たな疑問を晴らしてくれるのでは、と思わせる、良書だと思います。

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 21:00, 空中禁煙者, 書籍

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「ほんとにあった!呪いのビデオ 74」 史上最大のオープンエンド!

 コレも前から何度も言ってることですが、「不可解なもの」の出現の瞬間を、カメラワークで誤魔化しているパターンが多すぎる。

 一瞬、カメラが振れて、戻ってくると写っている。
 一瞬視界が塞がれ、塞いでいたものがどくと写っている。

 

 ああいうとき、「不可解なもの」はどういうふうに出現してるのかねぇ、、、
 パッと突然そこに現れるんだろうか。
 ジワ〜っとにじみ出てくるんだろうか。

 

「山道」
 またウェラブルカメラ系。
 マウンテンバイクで山道を延々と走るが、バランスを崩して倒れてしまい、崖を転がり落ちる。
 倒れていると、「不可解なもの」がもの凄い勢いで接近してくる、、、

 下手をすると失笑モノだが、「不可解なもの」が手で這いずってくるのは、下半身がないからではないか、と思わせる手の込んだ演出と、中村氏の、「人里離れたこのような地では、我々の想像もつかないことが、、、」的なナレーションに救われている。

 

「積載車」
 事故車を運ぶレッカー車。「事故車」というところがいかにもなんか出そう、、、

 

 とは言うものの、事故車の陸送車の運転手が、眠気を防ぐために自分が陸送する様子をネットに流している、というのはいかがなものか、と思う。
ネットはオマエの眠気覚ましのためにあるんじゃないから。

 

 予想通り助手席になんか出るわけですが、例によって顔がハッキリ写っている。なんか丸すぎるオンナの顔が。
 全体はカラーなのにこのオンナだけモノクロに見えるのも、逃げと言えば逃げ、気の利いた演出といえば演出。
 一瞬、投稿者の手がカメラを覆い隠し、手をどけたときにはそこに存在している、毎度おなじみの展開も、逃げと言えば逃げ、演出といえば演出。

 

「ドッキリ」
 TV番組のドッキリ企画の最中に(というか番組のために撮影した映像に)、不可解なものが写っている、というメンド臭いネタ。
 佐野マリアという、一応ググればちゃんとタレントして名前が出てくるヒトを巻き込んでいるの新味かなぁ、、、
 そこで燃え尽きちゃって他になにもない気がする。

 

「シリーズ監視カメラ 二階の和室」
 ニューメディアもの。

 世の中の監視カメラには、録画メディアに有線で繋がず無線で飛ばしているタイプのものがある。しかし、なぜかパスワードを設定していないために、周囲にダダ漏れになっていたりする。
 そしてさらにそういうダダ漏れ映像を集めたサイトがネット上に存在する。

 コレはそんな中の一本を見た奴からの投稿。

 

 監視カメラというと屋外にある印象だが、なぜか屋内、しかも無人の和室を写し続けるカメラ。
 終始無人なので、基本ナニも起こらないのだが、やがてふすまに不思議な影が、、、
 人間の影のようだが、結構大胆に形が変わる。
 ちょっと71巻の「停電」を思わせる。
 福田氏のことだから、ナニかの伏線なんだろうか。

 

 このサイト、なんとダダ漏れ映像の出どころまでちゃんと出ているのである。
 当然、スタッフは突撃する。

 結構な高級住宅街で、上品な婦人が対応に出てくる。

 

 ワタクシ空中さんは、この婦人の言を聞いて、ちょっと驚いた。
 驚愕の展開と言ってもいいのではないか。
 まさかこうなるとは、、、

 71巻の「かくれんぼ」に次ぐ、「奇妙な味」の作品と言っていいだろう。

 

「カメラ機能」
 コレもニューメディアもの。なにしろスマホのいわゆる「ライブフォト」機能がないと成立しない。
 イヤ、成立するか、、、

 

 要するに写真にオレンジの光のスジが入り込んでいるので、前後のコマを確認してみたら、オンナの顔が写っていた、と。
 なんでこんなに真面目な顔して正面向いて写ってるのか、ちょっと不思議。

 

「おくりもの」
 まあ、三ヶ月に渡ってつきあわされたわけですが、結果的にほん呪始まって以来の問題作になりましたね。
 前回までにさんざっぱら撒き散らされた伏線が一切、徹底的に、もう、ほんとにイッコも回収されまいまま終わる、という単に「ほん呪」の歴史に限らずありとあらゆるフィクション(まあ、のフィクションでもドキュメンタリーでもいいけど)の歴史に追いて前代未聞の終わり方と言っていいのではないか。

 

 なんかオープンエンドとか「謎のレベルが大幅に一段上がって終わる」的なパターンのつもりなのかなぁ、、、

 

 えーっと、前回、「そうだ!モッカになればいいんだ!」とか言ってベランダから飛び降りた女子小学生の映像ありましたね。今回、あの飛び降りた小学生の元同級生、という女子中学生Kさんが出てきます。 
 Kさんの証言によると、元同級生はRちゃんという名前であり、やはり彼女は亡くなっている。
 そして亡くなったあと、問題の映像はRちゃんをイジメた同級生たちの携帯に送られて、それを見た同級生たちが一斉にパニックに陥り、教室や廊下でのたうち回りながら苦しんでいた。
 ココで、中村氏のナレーションが入る。

「しかし、そこには、、、絶対に許されない矛盾が存在していた、、、」

 つまり、少女Rが亡くなっているのなら、自分が死ぬときの映像を送りつけることは出来ない。

 一体誰が同級生たちに映像を送ったのか、、、

 

 さらに、Kさんは驚愕すべきことを言い出す。
 Kさんはなんと、この「おくりもの」シリーズに、Rちゃんのお母さんに似たヒトが出ている、と言う。
 そしてそれは、そもそものすべての発端、磯崎家の妻、薫さんなのだと、、、

 

ええええええええええーーーーーーーー???!!!

 

 すべての元凶が薫さんだとすると、茂氏と悦子さんが謎のキスしてて、茂氏が「おくりものをもらった」って言ってたってハナシはどうなるわけ?
 この時点までは悦子さん発信だったはずのハナシが逆転してない?

 

 さらに、委員会はこの時点で致命的なミスを犯していると思う。
 Kさんへのインタビューは73巻の予告に出てきているのである。
 ということは、Kさんが72巻を見て73巻の予告に出てくるまで一ヶ月以下ということになってしまう。

Kさんが72巻を見る。
△曚鷦委員会に連絡を取る。
Kさんのインタビュー映像を撮る。
な埆犬垢襦
イ修梁召離┘團宗璽匹發垢戮栃埆犬鮟えて完パケにする。
Ε泪好拭爾鮴擇襦
Д廛譽垢垢襦
┘僖奪院璽献鵐阿垢襦
卸に流れる。
小売店(レンタル屋)に流れる。

 

 コレがすべて一ヶ月で終わる訳がない。
 正直言ってΔ△燭蠅濃間切れではないか?

 

 川居女子はわざわざKさんに市販品は顔にモザイクが掛かっていることを指摘して、「雰囲気が似ているってことですか?」と確認し、その後に手持ちのPC(タブレットだったかな?)に入っていたモザイク無しの映像を見せて、間違いなくRちゃんのお母さんであることを確認しているのである。
 Kさんが市販品を、つまり一般に流通して以降の72巻を見て「似ている」と発言していることは間違いがないのだ。

 

 もう、ボロボロですな。
 由美ちゃんの吐瀉物から発見された蜂の幼虫のハナシも、寒ちゃんが聞いた「母体を手に入れた」と言う声についても全部スルー。
 いやはや恐れ入った。
 ラストの「納品後に入ってきた映像」にしても、「納品後」でリアリティを出してるつもりかもしれないが、かえってタイミング良すぎである。

 

 なにかその辺の「時間的な整合性」みたいなことは、もう、気にしないことにしたのだろうか。
一応、『一般視聴者からの投稿』ということになっているのだから、もうちょっと気にしてほしいなぁ、、、

 

 あと、舞木ちゃん。
 監督をこっそり物陰に呼び出して、小声で「寒ちゃん、処女なんです、、、」とか言っても無駄だから。
 撮影されて全国で発売されてるから。

 

 まさか、舞木ちゃんには、「ココ、カットして下さいね」と頼まれていたのに、カントクが勝手に公開した、とでも言うのだろうか、、、

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 21:03, 空中禁煙者, 邦画

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「ほんとにあった!呪いのビデオ 73」 驚異の新人演出補、舞木ひと美登場!

 この巻を観ていて思ったんだが、このシリーズの裏テーマの一つは、「この世ならざるものは嫉妬深い」だな、と思う。
 このシリーズに出会う前、ワタクシ空中さんは、もし幽霊というものが姿を現すとしたら、その幽霊側からの理由は、

 

・恨みを晴らしたい。
・何事か伝えたい。
・単純に恐怖を与えたい。

 

くらいかな、と思っていた。
 が、「ほん呪」シリーズで多いのは、

 

・楽しそうなので見に来た。
・仲間に入りたかった。
・羨ましかったので邪魔しに来た。

 

このパターンである気がする。

 「ほん呪」以前に幽霊出現の原因をこのパターンで考えたことがなく、コレは「ほん呪」発信の新しい認識なのかな、などと思う。

 

 「サプライズ」
 パパの誕生日をサプライズ演出で祝うべく、ケーキを用意し、部屋の電気を消してパパの帰宅を待つ母娘。
 パパが帰ってきて、玄関へ向かう途中カメラが洗面所に向くとそこには「この世ならざるもの」の姿が、、、

 

 この映像を撮影した時点で、実はこのアパートの下の部屋で女性が孤独死しているのが発見されたという。
 女性は、楽しそうな一家団欒風景が羨ましかった、とでも言うのだろうか、、、
 というのだが、別にサプライズ関係無いよね。このエピソードのラスト、つまりタイトル前に、この「この世ならざるもの」の姿に母娘の歌う「はっぴばーすでーとぅーゆー、、、」を被せたかっただけだと思う。

 

「夏合宿」
 女子中学生の合宿風景。
 フツーに合宿の宿舎で夜女子中学が執り行うであろう風景を写しているが、突然、別の部屋から先輩が訪ねてきて、
「この部屋から『助けて〜』って聞こえてくるんだけど大丈夫?」
とのたまう。
 このとき、何故か先輩は左足をキレイに曲げて一本足で立っている。

 この「合宿」とやらがなんの部活の合宿だか分からない(彼女たちがよく踊っているのでダンス部かなと思っていたが)のだが、先輩の立ち方を見ると、野球部で、先輩は一本足打法の名手なのかもしれない。

 

 やがてカメラが押し入れを写すと、不気味な顔が二つ、こちらを覗いていた、、、

 この二つの顔がなんか密着しすぎ。
 幽霊は実体がないからかまわないっちゃかまわないけど、体の部分重なり合っちゃってるのかな、、、

 

「民宿」
 先輩と温泉旅行しているときに、先輩が泊まった民宿の部屋で撮った映像に、その部屋で首を吊った白骨死体が混ざり込んでしまう。
 そして先輩は、白骨死体が着ていた服から見て、この死体は投稿者だ、と言い出す。

 

 先輩と温泉旅行。

 

 つまりこの二人はゲイなのだろう。取材に応じた投稿者はこけしと山崎邦正のハーフみたいなルックスで髪も染めてるし、問題の服もワタクシ空中さんの感覚ではゲイっぽい。

 

 スタッフは当然シリーズの過去にあった「奇怪な未来」とその続編「奇怪な過去」を思い出す。
 「委員会はこの問題を追い続ける」と言うが、多分、作品になるのは投稿者が亡くなってからだろう。

 

「花火の上」
 ドローンで上から撮影した花火大会。

 

 「ははー、花火って上から見るとこう見えるのねー、、、」
 などと感心していると、いきなり「手」がドローンを掴んで引きずり下ろす。

 

 この映像インパクトにはちょっと感心した。
 あんな上空に一体誰の(何の)手が、、、

 

「シリーズ監視カメラ 復元」
 深夜のオフィスで男女二人が残業していると、突然火の手が上がる。
 原因は全く不明。

 

 コレはやはり「男女」というところがポイントでしょう。
 この二人は当然デキていて、「不可解なもの」が嫉妬に狂って放火、というパターンであると思われる。
 映像の中、男性があくまで女性のみを気遣って安全に避難させようとしてるあたりが特に腹が立ったんだと思う。

 

「おくりもの 中編」
 えーっと、この、ほん呪の長編モノは、油断してると延々あらすじを書きたくなるんで、敢えて大幅にハショリます。

 この巻で重要なのは、前作で出てきた「モッカイナレ」は「もう一回なれ」ではなく、「モッカになれ」であることを新人スタッフ寒ちゃん(カワイイ)が突き止めたこと。ここで「魔術堂のKATOR氏」なる人物が登場して、モッカとはサンスクリット語で人間が完全に解脱した状態、つまり「死」のことである、と解説すること(KATOR氏の解説では音声を消されているが、多分、オウム真理教でいわゆる「ポア」と同じである、と言っていると思われる)、さらに委員会は失踪中の悦子さんの母親の許可を得て、悦子さんの部屋を探索し、悦子さんのパソコンから「モッカ」と名付けられた動画を発見すること、などであろうか(長いわ!)。

 KATOR氏とはまたいかにも怪しげだが、現行の制作陣のひとり、寺内康太郎の一味らしい。

 

 そして、悦子さんのPCから発見された動画は、ある意味ヤヴァい。
 川居女史ですら「これ、公開できませんよね」と言っているが、当然、ヘーキで公開してしまうのだ。

 

 動画は、8才の少女がカメラに向かって延々と語り、最終的には窓を開けて外のベランダから飛び降りてしまう、というものだ。
 ココまでワンカット。

 

 どうってこと無いと言えばどうってこと無いが、ヤヴァいと言えばヤヴァイ。
 8才の少女の自殺動画なのである。

 語る内容は主に自分をイジメていたクラスメート達やそれをほったらかした教師たちへの恨み言である。
 そして少女は最終的に「そうだ!みんなモッカになればいいんだ!まずアタシがモッカになるね」と言って飛び降りてしまうのである。

 

 まがりなりにも8才の少女を巻き込んで、延々と分けのわからない思想を語らせた挙げ句、死を選ぶ、という動画。
 なんとなく、ヤラセだったら許されるものではない、という気がする。

 

 フィクションなら許される。
 ドキュメンタリーだったら許されるもクソもないが公開が許されない。
 ヤラセだったら許されない。

 

 結局、この辺を曖昧にしたままヒリヒリした感じを持続しつつ浮遊し続けるのが、ほん呪シリーズの魅力なのかなぁ、、、

 

 現在、磯崎茂氏と悦子さんの二人が失踪しており、その行方を追うために演出補が3人増強されている。
 特に、20代女性のくせに初登場の場面でくわえタバコ、自ら「アタシ常識無いんで」とのたまう舞木ひと美嬢はなにかやらかしてくれそうな期待をもたせる。

 

 中編のラストは、委員会による磯崎家の監視下、娘の由美ちゃんが包丁を持ち出したので慌てて止めに入った寒ちゃん(カワイイ)が包丁を持ったままの由美ちゃんと揉み合いになり、倒れて起き上がらない、と言うもの。
 寒ちゃん(カワイイ)、辞めちゃうんじゃないの?

 

 そろそろ新体制の色が分かってきたかなぁ、、、

 

「サプライズ」と「夏合宿」は今までどおり割とハッキリ顔が写っている。

 

 そして前作のウェアラブルカメラに続いて今回はドローンを使用している。

 つまり、
”垈腸鬚覆發里隆蕕鬟魯奪リ表現する。
⊃靴渓椶離瓮妊アが好き。
 といったところがすぐ挙げられるだろう。

 

 もう一つ、菊池体制が徹底的に追求していた「禍々しさ」はすっかり影を潜め、「奇妙な味」みたいなものを追求しているような気がする。

 さらに、福田体制らしく、演出補が増えて、演出補の生き様、みたいなものが表現されるようになっている。菊池時代にも散々「演出補イジリ」はあったが、寒ちゃん(カワイイ)と舞木の描き方は、他人にイジられるのではなく、自ら身をもってナニかを証明していく、という迫力がある。

 

 まさか、そのうち舞木ひと美が演出に昇格する時代が来る、とでも言うのだろうか、、、

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「ほんとにあった!呪いのビデオ 72」 もう、川居尚美さんのためのシリーズなんじゃ、、、

「ベランダ」
 小学生が自宅のベランダに鳥の巣を作って、野生の鳥が住み着くかどうか実験中。
 なにしろ観察実験なので、カメラを回してる。
 で、野生の鳥が住み着いて卵を生んだらしいので、小学生が慌てて巣の中を観察しようとすると、カメラが動いてベランダの外を写す。
 と、そこには謎の男の顔が、、、

 

 この顔が、なんというか、表情のある、リアルな生きている人間の顔で、明らかに何らかの意志を持ってこっちを見ている。
 前作に続いて、「不可解な現象の顔をハッキリ写す」今のスタッフのスタンスが、一発目から如実に出たなぁ、という感じ。

 

「伝説の自主映画」
 20年前にある大学の映画サークルが撮った映像。
 そういえば今のスタッフってなんか自主映画のノリがあるなぁ、、、
 一度撮影したものの、山の中で登場人物のひとりが隠れて、他の登場人物のキスシーンを覗いてるカットに、なんか不気味なものが写ってるんで、撮り直して差し替えたものの、差し替えの前の映像が発見されたっていうのね。
 まあ、それはいいんだけどさ、どうやって撮り直したかって言うと、当時監督が不気味なものが写ってる現場にもう一回行ったら、首吊り死体があったっていうのね。
 で、監督は、なんと、その首吊り死体を動かしてもう一回撮影したっていうんだけど、、、

 

 無利でしょ。

 

 首吊り死体触りたくないでしょ。
 

 首吊り死体っつったらアレだよ?首なんかビローンと伸びて〇〇○垂れ流しで舌が口から、、、いや、もういいか。
 そんなもんヨッコラショって抱えて枝からおろしてエッチラオッチラ運ぶくらいなら、場所ズラして撮ればいいじゃん。
 んなもんどうせ山の中だし。

 

 肝心の不気味なものも言われないと分からないレベル。よく気づいたなとしか言いようがない。

 

「曲がり角」
 ウェアラブルカメラを手に入れて、嬉しくなって舞い上がって自転車走行中に撮影しまくる投稿者。
 曲がり角を曲がると、突然「髪の長いオンナ」の姿が、、、
 慌てて急ブレーキをかけてオンナの無事を確認しようとすると、すでに姿はない。
 曲がり角には自販機が置いてあって、曲がる前にこのオンナの姿が見えないのはある意味当然なのだが、コマ送りで再生すると、 

 自販機の先の標識のポールを起点に姿を現しているのがわかる。
 このオンナは凄くリアルに存在していて、実在系の一種だな、と思うが、こういう「この世ならざるもの」にカメラの視点を意識した動きをされると、個人的にはちょっと萎える。

 

 最後にこのオンナはもう一度姿を現し、さっきは見えなかった顔をハッキリ見せる。
 例によってこのスタッフは顔の造形にただならぬこだわりを見せる。

 

「存在しない友達」
 廃墟モノ。
 廃墟を探検するにあたって、二人組みがそれぞれカメラを持ってスマホで連絡を撮りながら別々に行動する、と言うのが新しい。
 BがAに呼ばれてどんどん移動するが、指定された場所にAはいない。
「どこだよ〜」と後ろを振り向くとそこには「存在しない友達」が、、、  
 Aのカメラには当然、Bを呼ぶ声は入っていないのである。
 面白いアイデアと思うが、別に怖くはない。
 なんか工夫すれば怖くなったような気もするんだけど、、、

 

「シリーズ監視カメラ 野菜泥棒」
 野菜を育てているビニールハウスに仕掛けられた野菜泥棒用の監視カメラ。
 カメラが突如倒れると、やたらデカイ手足の長いオンナがユラユラ揺れている。

 中村義洋氏のナレーションによって近所に神社があり、このビニールハウスは霊道になっている、という説明があるが、だったらなぜこのオンナがただ突っ立ってユラユラ揺れているのか判らない。

 

 ほん呪伝統の「無意味にユラユラ揺れるオンナ」シリーズの一遍。
 さらに、霊「道」だっつってんのになぜ移動しないで突っ立っているのかも謎。

 

「おくりもの」
 夫の同僚磯崎さんの自宅で子供連れでパーティー(っつっても子供は親の家飲みにつきあわされてるだけだけど)中、夫の同僚が突然錯乱。
 手に包丁まで持って妻に詰め寄る。
 慌てて大人たちが止めるが、ここで一瞬、磯崎氏の顔が不気味な顔に変化している、、、

 

 ここでも「顔」だ。
 やはり今のスタッフは「顔」にたいして相当なこだわりがある。

 

 このあと磯崎氏がスタッフ(新人女性演出補寒川女子。通称サムちゃん。地味にカワイイ)に怪我を負わせたり、失踪したり、今度は娘の由美ちゃんの様子がおかしくなったり、夫婦それぞれに浮気の疑いがあったり、毎度おなじみの騒ぎがイロイロ起こります。

 重要なのは磯崎氏の後輩の女性が最近電車のホームから落ちて亡くなっていること、亡くなった女性には磯崎氏と仲のいい後輩女性に対するいじめ疑惑があったこと、そして「なぜか」全然別の投稿者から、その女性がホームに「落とされる」前後の映像が投稿されてくることくらいか。

 この投稿映像には磯崎氏と「キスしていた」と言われる女性、悦子さんが駅のホームで「磯崎氏と同じように」錯乱する様が写っていて、やっぱり途中で顔が変わり、その顔は磯崎氏の変わった顔と同じなのである。

 そしてホームで錯乱する悦子さんは盛んに「モッカイナレ!モッカイナレ!」と口にしていて、スタッフが磯崎氏が錯乱した映像を再度確認すると、磯崎氏も「モッカイナレ!」と繰り返していたのであった、、、
 というところで、次回送り、

 

 まあ、既視感満載ですわ。
 新味はまったくない。
 新人のサムちゃんくらい。
 いかにも福田陽平好みの地味で無口でなんかあっても文句言わずに淡々と働くちょっとかわいい女子っていう。
 そう、第一期福田陽平政権時代の中晶子女子をちょっと思わせるのね。
 中ちゃん、どーしてるのかねぇ、、、


 71巻の「かくれんぼ」のような、現体制の個性を感じさせる作品はなかったが、やはり、「顔」に関するこだわり感じさせるエピソードが多い。

 

 まさか、変化があまり感じられないのは、今のほん呪を支えているのは、実は川居尚美嬢だからだ、とでもいうのだろうか、、、

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