「イコライザー」 「許されざる者」の現代版リメイク
アントワーン・フークア監督は黒人監督には珍しく、「ザ・シューター/極大射程」や「エンド・オブ・ホワイトハウス」など、白人が主演の普通のアクション映画も撮れるヒト。
しかし、ココ数年はデンゼル・ワシントンの御用監督のようになっている。
コレはその「アントワーン・フークア御用監督シリーズ」の一作目。
デンゼル・ワシントンとのコンビは2001年の「トレーニング・デイ」以来13年ぶり(2014年作品です)。
もともとは「ザ・シークレット・ハンター」という80年代アメリカのTVドラマだったらしい。
フォーマットとしては「引退した元CIAの凄腕工作員が悪い奴をやっつけて人助けする」という至ってシンプルなもの。
TV版では新聞広告を出しているという設定らしいが、映画ではそこまで行ってない。エピソード・ゼロ的なつもりなのだろう。
ところで「ザ・シークレット・ハンター」というのは日本でテレビ放映した時のタイトルで、もともとはTVシリーズのタイトルも
「The Equalizer」。
辞書的な意味だとEqualizeは「等しくする」「平等にする」となっていて、なんかどエライ大げさなハナシになっている。
なにしろ元は1時間(実質45分?)のテレビシリーズでシンプルなフォーマットである。デンゼル・ワシントンといえど、90分くらいのB級アクションになりそうだが、、、
どういうわけか全然そうなってない。
2時間10分超えの長尺を使って、なんか悠揚迫らざるペースのアクション映画になっている。
例えば。
デンゼル・ワシントン演じるマッコールさんは、現状ホームセンターで働いているのだが、若いデブの同僚が警備員の資格を取る手助けをしている。
デブのダイエットや筋力トレーニングを指導したり、デブママがひとりで切り盛りする食堂が放火にあってデブがホームマートを休んでると見るや、放火犯をボコボコにしたりする。
一方でマッコールさんを殺しにロシアからやって来たトラブルシューターの描写も延々と続く。コイツがいかに有能かつイカれた奴であるのか、コレでもかと見せつけてくる。
もう、この両者の丁寧な描写はまるで文芸作品を見せられているようである。
ただ、誤解なきように言っておくが、この映画決して退屈ではない。
アクションシーンのキレは素晴らしい。
思えば「ザ・シューター/極大射程」も「エンド・オブ・ホワイトハウス」も素晴らしかった。
前半で、ロシアン・マフィアの巣窟に素手で乗り込んで、数十秒で全員倒すシーンなど、格闘が始まる前、部屋の中に何があるかマッコールさんが探している描写を、カメラがマッコールさんの眼球に入り込んで映し出す演出や、いざ超ハードアクションが始まってからのあまりの無敵ぶりなど、おそらくマッコールさんは、この映画では神の役を振られているのだろうな、と思う。
ところでこの映画、そもそもストーリーが動き出すきっかけは、深夜のダイナーにおける、マッコールさんと、クロエ・グレース・モレッツ演じる少女娼婦の交流である。
そして、この少女との会話の中で、マッコールには死別した妻がいることが明かされる。
さらに、上記の殺戮の後、マッコールさんはボソッとひとコト、
「すまない、、、」
とのたまうのである。
コレらの事どもをまとめると、ですね、この映画はつまり、
「昔はさんざん悪いことをしてきたが、今は亡き妻の言葉を守って真面目に暮らしている男が、娼婦を守るためにもう一度暴力装置としての自分を発動させる」
というハナシである。
お気づきであろうか。
コレはつまり、クリント・イーストウッドの「許されざる者」と同じである。
ハッキリ言って、コレはデンゼル・ワシントンによる「許されざる者」のリメイクのつもりなのではあるまいか。
「許されざる者」は、キレの良いアクションのある西部劇であるとともに、クリント・イーストウッドが描き続けているテーマ、「人間と罪」を描いた、深みのある文芸作品でもあった。
コレがつまりB級アクションのような題材にも関わらず、まるで文芸作品のように人物描写が多い理由でもあるだろう。
例えばマッコールさんに、わざわざロシアからやって来たトラブルシューターの生い立ちまで語らせるのも、「人間と罪」を追求してるのだろう。
さらに言えば。
ほとんど神のような存在であるマッコールさんは、ひとつだけ神にあるまじきミスを犯している。彼とクロエ・グレース・モレッツの共通の友人がひとり死んでいるのだ。
コレもつまり、「許されざる者」におけるモーガン・フリーマンのしと対応しているのだろう。
「許されざる者」のような文芸作品として成功しているかどうかは分からない、
が、多分アカデミー賞は獲らない(まあ、獲ってない)。
しかし、ハッキリしてることはある。
デンゼル・ワシントンが、
「我、黒人のイーストウッドたらん」
とハッキリ宣言宣言したことだ。
我々はそのことを、、アントワーン・フークア監督と組んだ次作、次次作でも思い知らせることになるのであった、、、、
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