「孤狼の血」 仁義どころか正義まである戦い
正直、「仁義なき戦い」をやっておるですが、、、
当時のニュース映像をモンタージュするオープニングなど、今にもディンドンディンドン♪とあの、「仁義なき」のテーマが聞こえてきそうである。
また、開巻早々、
「ちょっとした殺人刑じゃの」
などと「仁義なき」の名セリフも飛び出し、もう、完全に「仁義なき戦い」ごっこをやってますよ、と声高らかに宣言している。
さらに、「仁義なき戦い」出演者の中で最大の映画マニアである山城新伍が「ああ、ロベルト・ロッセリーニをやっているんだな、、、」と思ったという、群衆の中に突っ込むカメラワーク。
あるいは、その山城新伍と千葉真一のキャラクターを合成したような竹野内豊のキレっぷりや、石橋蓮司の、意識してやってるのかわからない程度のギリギリの金子信雄のマネ、等こちとら「仁義なき」マニアの琴線をいちいちくすぐってくる。
でも主人公がヤクザじゃなくて刑事じゃないかって?
ノープロブレム。
ちゃんと刑事が主人公の「仁義なき」の姉妹作、「県警対組織暴力」があるではないか!
そう、現場のデカと警察上層部がそれぞれ別の対抗組織とくっついてるとか、本作は「県警対組織暴力」をネタにしたと思しき部分もある。
どうせどっちも笠松和夫脚本、深作欣二演出、菅原文太主演の「実録モノ」なので、もう、その辺は混然一体としてる。
まあ、役所広司なら何やらせてもどうせそれなりにキメてくれるだろう、とか、とりあえずスケジュールとギャラの折り合いのつくイケメンってことで松坂桃李クンが呼ばれたっぽいとか(ココこそ白石組の綾野剛か山田孝之ではないのか)、なんでMEGUMIも真木よう子も乳出さないんだ当然出すだろとか、キャスティングが安易な気もするが、なかなかどうして、ほぼ、「あの雰囲気」を出すのに成功しているような気もする。
安易じゃないキャスティングとしては、巷間、中村倫也のキレキレ三下っぷりが評判だが、ワタクシ空中さんは音尾琢真のスケベ準幹部っぷりに痺れた。今どきちゃんとした役者さんでこんなヤクザ顔のヒトいるんだねぇ、、、
「孤狼の血」という映画全体が、このヒトの「カッコ良くないヤクザ顔」のおかげで、ヤクザ映画としてビシッと締まった感じすらある。
暴力描写の具体性においては、「仁義なき」すら超える気すらする。
豚の肛門から糞が出てくる瞬間を捉えた映画、という意味では、「ピンクフラミンゴ」級の狂気をにじませているかもしれない。
ところが、ですね、この映画、最後の1/4で、急に「正義について」の映画になってしまう。
この瞬間、ワタクシ空中さんの体からプシュウ〜〜〜ッと音を立ててこの映画に対する興味が抜けていくのを感じた。
言っておきますが、ですね。
「仁義なき戦い」に「正義」なんてものは一切出てこない。
正義どころか仁義さえ失われた世界のハナシだ。
「県警対組織暴力」も、正義に絶望した者たちのハナシである。
だからこそ面白いのだ。
だからこそ実録モノなのだ。
実録モノとは、ソレまでの任侠の世界で正義を貫いていた(ソレによってひどい目にあってきた)主人公を様式美を持って描くことを否定して、この世に正義もクソもアルもんかい!!と叩きつけたジャンルである。
東映実録モノの世界と、正義の味方のハナシは到底接合しないのだ。
ソレに原作者も脚本家も監督もプロデューサーも誰も気づかないとは何事であろう。
役所広司くらいは気づいて欲しかったと思う。
どうしても「正義も仁義も失われた世界で正義を貫こうするオトコ」を描きたいのなら、わざわざ前半で「仁義なき」ごっこをする必要はない。
それなりの描き方があるだろう。
散々「仁義なき」ごっこで客を釣っておいて、「実は正義のハナシでした」と言うのは虫が良すぎるのではないか。
でもその「仁義なき」ごっこがケッコウ面白いんだよなぁ、、、
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