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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「孤狼の血」 仁義どころか正義まである戦い

 正直、「仁義なき戦い」をやっておるですが、、、

 

 当時のニュース映像をモンタージュするオープニングなど、今にもディンドンディンドン♪とあの、「仁義なき」のテーマが聞こえてきそうである。
 また、開巻早々、
「ちょっとした殺人刑じゃの」
などと「仁義なき」の名セリフも飛び出し、もう、完全に「仁義なき戦い」ごっこをやってますよ、と声高らかに宣言している。

 

 さらに、「仁義なき戦い」出演者の中で最大の映画マニアである山城新伍が「ああ、ロベルト・ロッセリーニをやっているんだな、、、」と思ったという、群衆の中に突っ込むカメラワーク。
 あるいは、その山城新伍と千葉真一のキャラクターを合成したような竹野内豊のキレっぷりや、石橋蓮司の、意識してやってるのかわからない程度のギリギリの金子信雄のマネ、等こちとら「仁義なき」マニアの琴線をいちいちくすぐってくる。

 

 でも主人公がヤクザじゃなくて刑事じゃないかって?
 ノープロブレム。
 ちゃんと刑事が主人公の「仁義なき」の姉妹作、「県警対組織暴力」があるではないか!
 そう、現場のデカと警察上層部がそれぞれ別の対抗組織とくっついてるとか、本作は「県警対組織暴力」をネタにしたと思しき部分もある。
 どうせどっちも笠松和夫脚本、深作欣二演出、菅原文太主演の「実録モノ」なので、もう、その辺は混然一体としてる。

 

 まあ、役所広司なら何やらせてもどうせそれなりにキメてくれるだろう、とか、とりあえずスケジュールとギャラの折り合いのつくイケメンってことで松坂桃李クンが呼ばれたっぽいとか(ココこそ白石組の綾野剛か山田孝之ではないのか)、なんでMEGUMIも真木よう子も乳出さないんだ当然出すだろとか、キャスティングが安易な気もするが、なかなかどうして、ほぼ、「あの雰囲気」を出すのに成功しているような気もする。

 安易じゃないキャスティングとしては、巷間、中村倫也のキレキレ三下っぷりが評判だが、ワタクシ空中さんは音尾琢真のスケベ準幹部っぷりに痺れた。今どきちゃんとした役者さんでこんなヤクザ顔のヒトいるんだねぇ、、、
 「孤狼の血」という映画全体が、このヒトの「カッコ良くないヤクザ顔」のおかげで、ヤクザ映画としてビシッと締まった感じすらある。

 

 暴力描写の具体性においては、「仁義なき」すら超える気すらする。
 豚の肛門から糞が出てくる瞬間を捉えた映画、という意味では、「ピンクフラミンゴ」級の狂気をにじませているかもしれない。

 

 

 ところが、ですね、この映画、最後の1/4で、急に「正義について」の映画になってしまう。
 この瞬間、ワタクシ空中さんの体からプシュウ〜〜〜ッと音を立ててこの映画に対する興味が抜けていくのを感じた。

 

 言っておきますが、ですね。
 「仁義なき戦い」に「正義」なんてものは一切出てこない。
 正義どころか仁義さえ失われた世界のハナシだ。
 「県警対組織暴力」も、正義に絶望した者たちのハナシである。

 

 だからこそ面白いのだ。
 だからこそ実録モノなのだ。

 

 実録モノとは、ソレまでの任侠の世界で正義を貫いていた(ソレによってひどい目にあってきた)主人公を様式美を持って描くことを否定して、この世に正義もクソもアルもんかい!!と叩きつけたジャンルである。

 東映実録モノの世界と、正義の味方のハナシは到底接合しないのだ。

 

 ソレに原作者も脚本家も監督もプロデューサーも誰も気づかないとは何事であろう。
 役所広司くらいは気づいて欲しかったと思う。

 

 どうしても「正義も仁義も失われた世界で正義を貫こうするオトコ」を描きたいのなら、わざわざ前半で「仁義なき」ごっこをする必要はない。
 それなりの描き方があるだろう。

 散々「仁義なき」ごっこで客を釣っておいて、「実は正義のハナシでした」と言うのは虫が良すぎるのではないか。

 

 でもその「仁義なき」ごっこがケッコウ面白いんだよなぁ、、、

JUGEMテーマ:映画

at 20:25, 空中禁煙者, 邦画

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「密偵」 ソン・ガンホ先生のガチの日本語が聞ける

 日韓併合時代、韓国人ながら日帝の警察官として働くソン・ガンホ先生は、上司である鶴見辰吾に、レジスタンス組織「義烈団」の情報を取ってくるように命じられる。
 ガンホ先生は義烈団実行部隊のリーダー、コン・ユに接触して情報を得ようとするが、一方でコン・ユはガンホ先生に民族の自覚を取り戻してもらい、なんとか二重スパイとして取り込もうとする、、、
 というハナシ。

 

 やっぱりコレはかなわないな、と思うのは、ソン・ガンホ先生の内面の描き方に切れ目がないことだ。
 そもそも、ガンホ先生が日本の警察に協力している時点で、ガンホ先生が(少なくともその時点では)「コレが韓国民衆のためにも良いんだ」と思って仕事してるのか、面従腹背なのか分からない。
 コン・ユに接触したときも、日本警察を裏切るつもりで接触しているのか、ホントに情報を得ようとしているのか、分からない。

が、「確実にガンホ先生の心は動いている」のだ。
 それだけは分かる。

 

 どこでどれくらい心の針が揺れているのかはわからない。
 だが確実に揺れている。

 

 逆に、義烈団に協力していても、いずれ逮捕するために油断させているだけのような気もする。

 そしておそらく重要なのは、ガンホ先生演ずる警察官ジュンチュル本人が分かっていないことだ。

 

 迷っているのではない。
 分かっていないのだ。

 

 自分でもなぜこんな行動を取るのか、自分はこの後どうする積もりなのか、分かっていないオトコを、分かっていないオトコとして、そのくせ威厳だけは保とうとして、分かってるふりをするオトコとして、そのまま描いている。

 

 コレはスゴイと思った。
 演出プランとしても度胸がいると思うが、この複雑な難役を演じきったガンホ先生には頭が下がる。

 

 しかし、やがて「その時」はやって来る。
 ガンホ先生がついに決意するときが。

 

 ジュンチュルが行動するとき、観客は初めてジュンチュルが決断していたことを知る。
 おそらくは、ジュンチュル自身、その時はじめて知るのだ。

 

 心優しきテロリストのサブリーダーにコン・ユ。「新感染」とはうってかわった熱い善人振り。
 そしてどういうわけか「新感染」に続いて列車の中で死にそうな目に合うハナシ。

 

 イ・ビョンホンが義烈団団長の役でチラッと出ている。
 友情出演的な顔見世興行で、なんとか演技力でレジスタンスのリーダー役をこなそうとしてるが、あんま似合ってない。
 やっぱりイ・ビョンホンはまだまだ最前線で暴れてもらわないと、、、

JUGEMテーマ:映画

at 01:33, 空中禁煙者, アジア

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「グレイテスト・ショーマン」 ミュージカル版「フリークス」

 えーっとですね、これは19世紀末に実在したアメリカの興行師、P・T・パーナムの生涯を映画化したミュージカル映画です。
 スコアは「ラ・ラ・ランド」と同じ作詞作曲コンビ。「ラ・ラ・ランド」以上に「熱い」曲を聞かせてくれる。
 そして主演はヒュー・ジャックマン。その相棒に「ハイスクール・ミュージカル」のザック・エフロン。その他デンゼイヤだのキアラ・セトルだの、歌って踊れるヒトが大挙して出演してます。
 つまり、ミュージカルとしての出来は「ラ・ラ・ランド」より全然上。
 ちょっとだけ、往年のハリウッド映画のようなワクワク感が楽しめます。

 

 で、ですね。

 今ではすっかり映画大好き中年(初老説あり)がまだ映画大好き少年だった頃、一部マニアな映画好き(サブカル好きと言っても良いかもしれない)の間で密やかに語られる一本の映画があった。

 

 その映画の名は「フリークス」。
 トッド・ブラウニング監督作。

 

 この映画の何がそんなにマニア受けしたのかというとですね、この映画、なんと、ホンモノの身体障碍者(英語でいうとフリークスね)が大挙して出演しているということなのよ。
 要は見世物小屋のハナシなのである。

 重度の身体障碍者ばかりを集めた見世物小屋。

 現在ではとても許されない興行形態だが、当時は当たり前のようにあったらしい。
 いや、現在では許されないどころか、当時でもこの映画は「不道徳」とされ、イギリスでは30年間上映禁止の憂き目にあったそうである。
 さらに当時映画監督としての評価をある程度固めていたトッド・ブラウニングはコレ一発でキャリアが破綻してしまう。
 それほどヤヴァい映画なのである。

 

 それでもこの映画がカルト映画として評価されているのは、フリークスたちが自分たちを騙して命さえ奪おうとした「健常者」に、一致団結して「ある嵐の晩に」復讐を果たす、という勧善懲悪ストーリーであり、ある意味フリークスの「魂の解放」を謳い上げているからでもあるだろう。
 一方ではシャム双生児の姉妹の片方にキスするともう一方が顔を赤らめる、など、極めて卑賤かつ不道徳な興味に訴えるための映画でもあるのだが。

 

 そして、今、何より重要なのは、ですね、この「フリークス」、実はこの「グレイテストショーマン」の舞台となっている、P・T・バーナムのサーカスがモデルなのである。
 その証拠に、「フリークス」に出ているフリークたちの殆どは、バーナムサーカスからの借り物だ。
 つまり、ミュージカル映画「グレイテストショーマン」は、あの、おどろおどろしいカルト映画「フリークス」の上に成り立っているのだ。

 

 そう考えると、「グレイテストショーマン」はなんか欺瞞に満ちているなぁ、という気もしている。
 例えば「グレイテストショーマン」で言うところの「ショー」とは、ヒュー・ジャックマンを中心とした歌って踊るブロードウェイのレヴューのような内容だが、そんな訳はない。
 実際はもっと静的な、おどろおどろしい、猟奇的で、不道徳なものだったはずだ。

 挙句の果てに、ヒュー・ジャックマンがオペラ歌手の興行に同行する間、よそから引き抜いてきた演出家、ザック・エフロンがヒュー・ジャックマンの代わりにショーの中心で歌って踊りやがる。
 演出家じゃなかったのかよっ!!

 

 さらに言えば「障碍者を見世物にしよう」と言い出すのが、パーナムの無垢な娘に設定されている、というのも欺瞞の匂いがする。
 「大人が障碍者を金儲けの道具にしようとしたんじゃないよ。無垢な少女の発想だよ」ということだろうか。

 

 劇中、パーナムがサーカスを離れてオペラ歌手の興行で大成功を収めた際、上流階級のヒトビトを集めて大規模なパーティーが行われるが、フリークスたちも我が事のように喜んでパーティーに参加しようとするが、なんとパーナムによって拒否されてしまう。
 このシーンはやはり全編の白眉だろう。
 この後のフリークスたちの絶望と怒りは、このシーンに続くフリークスたちの怒りのパフォーマンスと曲の良さによってビンビン伝わってくる。
 一瞬、この映画の欺瞞が、真実へと突き抜けそうだ。
 しかしこのパフォーマンスもまた、パーナムの復権への伏線へと回収されてしまうのだが、、、

 

 ワタクシ空中さんは、冒頭に書いたようにこの映画のミュージカルとしてのパフォーマンスと、伝記映画としての面白さを評価する。
 しかし、この映画を純粋に楽しめたとしたら、この映画に潜む数々の欺瞞を、ご自分の中でどう対象化されているのか、よくわからない。

 そして、ついでに言えば、この難しいテーマに敢えて挑戦した理由自体がよくわからない。
 障碍者たちの魂の解放を、ヒュー・ジャックマンのミュージカルスターとしての実力を借りて表現しようとしたんだろうか。

 ワタクシ空中さんにはどうにも対象化出来ない映画であった。
 そして、自分の中でうまく対象化出来ないことと、面白い面白くないは、また別だったりするから、難しい、、、

JUGEMテーマ:映画

at 20:58, 空中禁煙者, 洋画

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「亜人」 超高密度の脚本に脱帽

 正直言って「踊る大捜査線」の本広克行がこんなタイトな映画を作るとは(作れるとは)思わなかった。
 全くまいどまいど本筋をドライブするのに必要あるんだかないんだか分からない(まあ、ないんだが)エピソードばっかりグダグダ繰り広げやがってからに、映画は長い目のTVシリーズの一本ちゃうぞコラ、と言うようなもんである(コレはまあ、「SPEC」シリーズの堤カントクにも言えることだが)。
 しかるにこのタイトさは何事であろう。

 

 やっぱり脚本が良いのかなぁ、、、などと思って調べると、二人いる脚本家はどちらもアニメをメインなフィールドとして活躍しているヒトであった。
 特に瀬古浩司氏は、子供と一緒に観ていて第一話のあまりの高密度、急展開にワタクシ空中さんのド肝を抜いた、驚異のスチームパンクアニメ「甲鉄城のカバネリ」の脚本家であった。

 なるほどねぇ、、、

 おそらくは相当長大かつ複雑、超ハードにして超アグレッシブな原作の設定を、グダグダした説明なしに映像の力でガシガシ納得させてどんどんハナシを前に進める手腕には恐れ入る(正直、中盤になってから「ああ、そういうことなのね、、、」と思う展開もあるが)。

 

 「無限の住人」と同じく「何故か身体が再生される」人間を軸にしたハナシなのだが、さて、もし「死なない(死んでも再生される)」人間がいるとしたら、どういう利用価値があるでしょう。
 日本政府はなんと、彼らを監禁してありとあらゆる人体実験を試みているのである。あらゆる新薬、あらゆる毒ガスの効果を彼らを使って調べているのだ。
 したがって、彼らは何回も死ぬ。
 どうせ生き返るし。
 彼らは、死の苦しみを何度も何度も味わっている。
 人生に対してなんの希望もなく。

 

 逃げ出さないかって?
 大丈夫。
 手足をちょん切っちゃえばよろしい。
 どうせ死んだら生えてくる。

 

 今、一番自由でアグレッシブで不道徳なフィクションジャンルはコミックだと思い知らされざるを得ない、超ハードな設定ではないか。

 

 そう、同じ不死を扱っていても、「無限の住人」と違うのは、「亜人」では「怪我は治らない」ということだ。
 完全に死んだときだけ、全てが一瞬で回復する。

 

 「無限の住人」のレビューでワタクシ空中さんは

『万次自身が「切り落としてもスグ再生する」と言う自らの利点を「前提とした」戦略を取るところまでは行っていない』

と書いたが、なんと、本作ではそれをやっている。
 長年に渡る実験動物生活で狂気にとりつかれた亜人テロリスト佐藤(綾野剛)は、自らの「死から一瞬で再生する」という利点を最大限活かした戦略を取る。
 戦闘に不利になるような負傷を負うと、あっさり自分の頭を銃で吹き飛ばして一瞬で再生するのだ。
 さらにこの論理を敷衍して、あっと驚く離れ業を演じてみせる。
 コレには驚いた。
 ある条件だけを設定して、そこから何を得られるか、徹底的に思考実験を繰り返した跡が見える、驚異の脚本(原作)だと思う。

 

 残念なのはこの超高密度な脚本に見合ったアクション演出が出来ているかどうかだが、、、
 やっぱりそこは本広克行じゃ無理だよな、、、
 一応観ていてイライラするような出来ではなく、テンポよく繋いではいるが、「迫力ある画作り」みたいな意味では、邦画界にももっと上手いヒトいるんだけどなぁ、、、と思っちゃう。
 コレもまた日本映画界のプロデューサー不足の弊害なのかな、、、

 

 全体的に、複雑な設定の役柄を課せられた佐藤健と、どれだけ狂気を表現できるかを楽しんでいる綾野剛の演技合戦としても観れる。

 しかし、一番驚いたのは川栄だ。
 「めちゃイケ」で「バカのセンター」に認定され「嘘だろーーがっ!!」などと吠えていた頃の川栄から、誰が今の彼女を想像できたろう。
 アクションは流石に要所要所吹き替えを使っているが、コレも複雑な過去を背負った少女を演じ切っている。 
 いい映画に出会ったね。

JUGEMテーマ:映画

at 01:15, 空中禁煙者, 邦画

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