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中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「エクス・マキナ」 ほぼ、ソノヤ・ミズノの映画

 世界最大の検索エンジン運営会社に勤めるケイレブは、社内の懸賞に当選して、「誰も会ったことのないカリスマ社長の自宅に一週間招かれる」と言う栄光に浴する。

 

 そんなもんどこが嬉しいのかと思うだろうが、なにしろ「大統領でも会えない」と言われるほどの、天才、カリスマ、大富豪なのだ。

喜び勇んで「ヘリコプターで2時間以上社長の敷地の中」を飛んで大邸宅にたどり着いたケイレブだったが、実は懸賞のハナシはウソで、社長は最初から優秀で若く独身の男性社員であるケイレブを、ある目的のために呼び寄せたのだった。

 

 ある目的とは「チューリングテスト」。
 

 機械をを人間と対話させて、人間が機械と見破るかどうかで、機械がAIになったかどうか見破る、というテストだが、社長が用意したAI、エヴァは顔こそ人間だが、顔面以外は機械丸出しで、人間とは間違えようがない。
 そこで、若い女性型のAIであるエヴァと、ケイレブの間に恋愛感情が芽生えるかどうかで、チューリングテストにしよう、というハナシ。

 

 ね。
 コレは上手いよね。
 ちゃんとリアル目のSFにもなってるし、恋愛映画としても成立する。

 

 で、ここから衝撃のラストまで、脚本はすごくよく出来てると思う。

 AIを巡る哲学的な会話から、社長がAIを作りながら「何故」検索エンジンの会社をやっているかについての衝撃的な事実の開示まで、さすが手練の脚本家だなと思わせる。

 

 しかしですね。
 この映画、ひとつ致命的な誤算があるよね。

 

 社長がハウスメイドとして使ってるエヴァの一つ前のAIであるキョウコの存在である。
 この、キョウコ役のソノヤ・ミズノが美しすぎる。

 

 エヴァ役のアリシア・ヴィキャンデルも、顔面だけ人間であとは機械部分が丸見えの段階では美しいが、皮肉なことに皮膚と髪と服をまとって人間らしい格好になると、「なんかショボいな、、、」という印象。

 

 それに対してソノヤ・ミズノは終始完璧な美しさ。
 さらに、ちょっとだけダンスを踊るシーンが有るのだが、このダンスがまた素晴らしすぎ。
 30秒ほどのシーンだが、最初の2秒で、

「あ!このヒトのダンススゴい!!」
とわかってしまう。

 

 ダンスとはつまり芸術である。
 眼の前で堂々と芸術を創作している奴がいるのに、チューリングテストとはなんとバカな話だろう。
 人間以外の誰に芸術を作れるというのだ。

 

 調べてみると、ソノヤ・ミズノはなんとロイヤル・バレエ学校出身のダンサーであった。
 そらスゴいはずだわ。

 

 せっかくソノヤ・ミズノが出てくれたのだから、ダンスも撮っとこうくらいのつもりで入れたのかもしれないが、ほとんど映画全体をぶち壊す誤算であった。

 

 せめて人間に化けたアリシア・ヴィキャンデルがソノヤ・ミズノを上回る美しさだったら、、、と思わざるを得ない。

JUGEMテーマ:映画

at 01:44, 空中禁煙者, 洋画

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「メッセージ」 「タコ入りばかうけ」が世界を変える

 まず、よくこんなハナシをVFX満載の大予算SF映画にしたな、と思うのである。

 それともイマドキCGのおかげでこの程度はたいした予算をかけずに出来るのであろうか。

 

 原作は有名な短編SF小説だが、コレは非常に形而上学的なハナシであり、小説自体の構成もはなはだメタフィクショナル、というか文章自体がSFのアイデアを表現しているような厄介なハナシなのだ。
 そんなものを映像化してどうするのか、と思う。

 

 全体的に落ち着いた、ある意味暗い、と言ってもいいペースの映画であり、決して原作をバカにする、というか原作のいいところだけパクっちゃえばいいや、というナメた映画化ではないことは十分伝わる。

 

 さらに言えば、ヘプタポッド(宇宙人をこの映画ではこう呼ぶのね)の「文字」を映像化してそれらしく見えているのは、素晴らしいことだと思う。

 決して「原作乗っかり企画」ではなく(そもそも原作自体SFファン以外にはほとんど知られていないだろう)、プロデューサーだか監督だか脚本家の誰かが、

 

「コレは映画にしてもイケる!」

 

という、勝算というか確信があって、映画化しているのだな、という意気込みは伝わる。

 

 多分、この映画の評価は、前半から頻出している主人公と娘との関わりを描くシーンを、大胆と感じるか、訳がわからないと感じるかで、この映画の評価は分かれるのだろう。

 

 ところで、ですね。
 ワタクシ空中さんはこの映画を見て、原作小説の長さと映画化、という問題にもう一度考えさせられましたね。

 通常、(映画サイドから見た場合)長編小説よりも短編小説のほうが、映画化に適している、と思われている。

 長編小説を映画化すると、どうしてもダイジェスト的にならざるを得なく、それよりは短編を脚本家なり監督なりが膨らませたほうが傑作映画になる可能性が高い、というのだ。

 

 しかしこの論理は、もう何十年も短編小説を読むヒトが減り続けており、原作小説のネームバリューを当て込んで映画化しようとすると、どうしても長編小説に頼らざるを得ない、という現象により、ほぼ、無効になっているようでもある。 

 しかし本作の原作は短編であり、その意味では「映画化の原作は短編小説有利」の法則に則っているようにも思える。

 

 しかし本作は、図らずも「短編有利の法則」が、意外にもSFにはあてはまらない場合があることを露呈してしまっているようでもある。

 

 SFの必要条件の一つに、「ストーリーの始まりと終わりでは世界の(人類の)あり様が変わっている」というものがある。
 長編SFでは世界のあり様が徐々に変っていく様か、変わった後の有り様か、その両方が描かれている。
 コレに対して、世界のあり様が変わる瞬間を描いているのが短編SFであると、大雑把に言えば、言える。

 

 本作の原作はまさに「世界のあり様が変わる瞬間」を描いていて、その後に来る大混乱は示唆するにとどめられている。

 

 しかし。
 翻って長編映画で「瞬間を描く」だけ、と言うのは難しい。「世界のあり様」が変わった後の大混乱をも描いた映画と同じ金を払った観客は、物足りなさを感じるかもしれない。

 本作はそこから逃れるために、若干、その後の世界を描いているが、そのせいで逆に「世界のあり様」の変化が、中途半端になってしまっている。
 世界はもっと大混乱に陥るはずなのだ。

 

 それは、「あなたの人生」が変わるだけ「の物語」ではすまないだろう。

JUGEMテーマ:映画

at 23:30, 空中禁煙者, 洋画

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「おじいちゃんはデブゴン」 ユン・ピョウ見せ場無い、、、

 若いヒトには「デブゴン」ってなんだよってハナシだろう。

 

 昔、ブルース・リーに憧れていたサモ・ハンは、ブルース・リー映画へのオマージュに満ちた「燃えよデブゴン」と言う映画を作り、コレが大ヒットしたために、70年代末から80年代初頭にかけて、サモ・ハン主演の映画は全て「燃えよデブゴン なんちゃらかんちゃら」と言う邦題をつけて「放映」されたのだ。

 

 そう、テレビ放映時のハナシではある。
 映画公開時の邦題が違っても、テレビ放映時には「燃えよデブゴン」なのだ。当時のサモ・ハンの人気がうかがい知れる。

 そしてこの映画は、ちょっとだけその頃を知るものの心の琴線に触れる作りになっていたりする。

 

 一人暮らしの孤独なオトコ(実はムチャクチャつおい)が、近所に住む顔見知りの少女のためにアバレる、という、つまりは「レオン」フォーマットのハナシ。

 同じ「レオン」フォーマットの「アジョシ」のウォン・ビンが、自分の仕事のせいで妻が殺される、と言うくらい過去を背負っていたように、サモ・ハンもムッチャクチャ暗い過去を背負っている。
ちょっと、一本の映画の主人公の「過去」としては暗すぎるのではないかというくらい暗い。普通はこれだけで一本の映画にするだろ。

 

 そして、この暗い過去が関係しているのかどうか、サモ・ハン演じる元軍人(要人警護に当たっていた超エリート)ディンは若年性認知症(まだ66歳なので若年性と言っていいだろう)を患い、全ての記憶が曖昧になっていく、と言う設定。

この、サモ・ハンがナニを覚えていてナニを覚えていないのか、が観客にとっても曖昧な設定と、周囲にサモ・ハンに協力的(サモ・ハンの正体を知らないにもかかわらず)な人物を数人配したせいで、映画全体が、なんとなくボンヤリ、フンワリした印象になっている。

 

 そして、この、ボンヤリ、フンワリした雰囲気を、突如サモ・ハンの見せる超絶アクションが春の雷鳴のごとく切り裂く、と言う趣向になっている。

 

 サモ・ハンと言えば、デブのくせに飛ぶ、というのがウリだったが、さすがによる年波には勝てず飛んではいない。
 しかし、元要人警護のプロらしく、接近戦に特化した戦術で、向かってくる敵を関節技でボッキボキにしてしまう。

 その描写の激しさは、「困ったおじいちゃんを描くホームドラマ」だと思って観ていたヒトがいたら、思わずチビってしまうのではないかと思われる程である。

 中国の国境の町にたむろするチンピラだろうと、その背後に控えるロシアン・マフィアだろうと委細構わず骨折りまくって不具者を大量生産していくさまは、さすが老いてもサモ・ハン・キンポーと頭が下がる。

 

 サモ・ハンと心を通わせる少女のどうしょうもないダメ父になんとアンディ・ラウ。
 サモ・ハンのハナシを聴いてやる地元の警察署長にな、な、なんとユン・ピョウ。
 要するにサモ・ハン20年ぶりの監督作品を盛り上げようと皆協力しているのだろう。

 

 なかでもユン・ピョウがほぼワンカットなのに対し、アンディ・ラウは全編に渡ってダメ人間ぶりを晒し続ける。
 よく引き受けたなぁ、、、と思ったが、よく見るとアンディ・ラウは制作にも噛んでいた。

 要はサモ・ハンのために一肌脱いだのだろう。
 アンディ・ラウ、オットコ前だねえ、、、

JUGEMテーマ:映画

at 20:00, 空中禁煙者, アジア

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