「聖書神話の解読―世界を知るための豊かな物語」 神話とは、象徴の積み重ねである説
読んでいてふと思い出しのは、フィリップ・K・ディックの「ヴァリス」であった。
例えば、
「魚はイエス・キリストの象徴である」
と主張する書物に出会ったのは、「ヴァリス」に続いて二回目である。
違いは、本書においては、
「なぜ魚がイエス・キリストの象徴足り得るのか」
に関する記述があることだ。
そして本書は、「ヴァリス」と同じく、「全てに象徴を見出してしまう男」のハナシのようでもある。
タイトルは「神話の解読」となっているが、作者にとって神話とは、象徴の大系のようでもある。
そしてもうひとつ、本書における注目すべき主張は、「福音書の記述(つまりイエスの生涯)は、旧約で予言されている」ということだろう。
イエスの生涯における幾つかのエピソードは、旧約にその祖型を持つ。
福音書の記述者達は当然、「イエスの生涯は旧約に於いて予言されていた!!」と言いたいわけで、作者は「福音書の記述達は『イエスの生涯は旧約に於いて予言されていた』と思わせようとしている」と言いたいわけである。
しかし我々読者は、「本当に福音書の記述が『イエスの生涯が旧約に於いて予言されていた』と思わせたいと思っている」かどうかさえ解らない。
つまり我々読者は、
1.事実、イエスの生涯は旧約に於いて予言されていた。
2.福音書の記述者が権威付けのために予言されていたように書いている。
3.そもそも福音書の記述者は「予言されていた」などと思わせようとしておらず、「本書の作者が」そう思っているだけ。
の、どれだか分からない。
なんとなく、作者が旧約の中からイエスの行動に似た箇所を見つけて、
「ハイ、コレも予見されてたー!!」
と言っているのではないか、と言う疑いが拭いきれない。
ひとつには、今の我々から見て「イエスの行動を予言した箇所」が、散在していて、今ひとつ体系的に予言しているように見えないことがある。
やはり新書という枠の中で旧約と新約の象徴性を一気に扱いながら、このような大きなテーマに説得力をもたせるのは難しいのだろう。
作者にはできれば、イエスの生涯の予型性と言うテーマだけでじっくり一冊書いて、読者に信じさせて欲しいと思う。
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