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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「シン・ゴジラ」 虚構は現実を駆逐する。

 古来より、怪獣映画の主人公をどこに置くかというのは、製作者たちのアタマを悩ませてきた問題ではある。

 例えば。

 

1.主人公である以上、ヒーローっぽい職業で無くてはならない。
2.怪獣をめぐる騒動を最初から最後まで目撃できる立場で無くてはならない。
3.多少はロマンスなんかも期待できる立ち位置であって欲しい。

 

などの条件を満たすべきである、と考えられてきたが、実はコレはかなり難しいのだ。

 

 ウルトラシリーズのように怪獣の襲来が日常的である世界では、怪獣対策の専門家、と言う職業を措定し、そこに主人公を置いてしまえば上記1.〜3.の条件を簡単に満たせるが、単発作品である映画では、「怪獣対策の専門家がいる世界」をいきなり措定するのはなかなか難しい。釈由美子の奴とかあったけど、まあ、子供向けか、怪獣映画ヲタ向けにならざるを得ない。

 

 しかるに本作はどうであろうか。
 こともあろうに主人公は「当選二期目の若手国会議員」である。
 ナンだそれは。
 上記の3条件を、ことごとく、徹底的に無視してかかっている。

 

 コレはつまりコレまでの60年余に及び培われてきた怪獣映画の文脈をアッサリと破棄するということであろう。

 いや、庵野氏はもっと大胆に、自らを「未だかつて一度も怪獣映画を観たことがない人間」「怪獣映画が存在しない世界で初めて怪獣映画を作ろうとしている人間」として措定し、その上でもう一度「怪獣映画とは何か」を構想する、と言う思考実験をしているのだ。

 

 本作は、そのような意味で、ゴジラ第一作のオマージュたり得ているのだろう。
 ゴジラ第一作の製作者たちも、当然「怪獣映画が存在しない世界で、初めて怪獣映画を作ろうと」したヒト達な訳だ。

 

 実を言うと、「未だかつて一度も怪獣映画を観がコトがない人間」がゴジラ映画を作る、と言う試みは、過去にも一度ある。
 北村龍平の「ゴジラ・ファイナル・ウォーズ」だ。
 コレは現実に北村龍平自身が「怪獣映画を一度も観たことがない」と言う事実によって実現されている。
 しかし、「怪獣映画を一度も観たことがない人間」が、なんとか観たこともない怪獣映画になんとか寄せようとする、と言うなんとも中途半端な結果になってしまい、やはり、ムチャなコンセプトを実現するためには、本人の自覚が大事なのだな、と思わせる。

 

 本作は一応、庵野秀明脚本・総監督、樋口真嗣監督、ということになっているが、実際に受ける印象では、庵野秀明氏が通常の怪獣映画における監督、樋口真嗣氏は特技監督という位置づけだったのではないかと思わせる。

 映画の冒頭から、とにかく大量の情報を伝えるために登場人物全員がやたら早口に喋りまくって演技もクソもない、というコンセプチュアルな演出は、いかにも庵野秀明の自信を伺わせるではないか。

 

 ただ、同じ樋口真嗣氏の演出になる「進撃の巨人」に続いて登場の、石原さとみのすっ頓狂な芝居だけが、樋口真嗣らしさを感じさせる。

 

 主人公を危機管理意識の高い国会議員にして、彼を「巨大不明生物特設災害対策本部(略して『巨災対』)」を組織させる、というのは、庵野秀明氏の思考実験の結果得られた最大限「リアル」な設定なのだろう。
 前半のリアルな設定と展開は、登場人物全員が無意味かつ無機的に早口、という演出さえ飲み込んでしまえば、素晴らしい。
 時折差し込まれる3.11の幻影とともに、観るものを「破滅の予感」に打ち震わせる。

 

 そう、この映画は、通常の怪獣映画のような「蕩尽の快感」より、「破滅の恐怖」に振れていると言う意味でも、オリジナルゴジラに近い。

 しかし、破滅して終わり、というわけにも行かないのも、映画の宿命である。
 主人公もせっかく「巨災対」を作ったし、やっぱ対策しなきゃならないのだ。
 まあ、ココから映画は急にリアルさを失い始めるのは仕方のないところか。

 

 アイデア満載のゴジラ対策も、素晴らしいものもあれば、ほぼ、笑っちゃうものもある。
 高層ビルを使ったアイデアは、素晴らしいと思った。ちょっと村上龍の「半島を出よ」を思い出す。
 しかし、電車を使ったアイデアは、「オマエ『○○線○○』言いたいだけちゃうんか」というようなもんである。

 

 なにしろ「現実対虚構」である。
 現実が負けて徐々に虚構に侵食されていく様を描いた映画として、間然とするところがないと思うのでありました。

JUGEMテーマ:映画

at 01:11, 空中禁煙者, 邦画

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「殺されたミンジュ」 今日もマ・ドンソクはヒトを殴る。

評価:
キム・ギドク,キム・ギドク,キム・ギドク,キム・ギドク
¥ 3,175

 開巻いきなり、少女が殺される。拉致されてアジトで、とかではなく、 ただ、路上で捕まって、アッサリ殺されてしまう。
 この冒頭から次の、恋人と別れたオトコが謎の集団に拉致されて拷問され、「5月9日」の自分の行状を書かされて開放されるまでのシークエンスの激しさ、テンポの良さには圧倒される。
「ああ、スゲぇ映画が始まったぞ、、、」
と言う期待に身を打ち震わせるに充分。

 

 そして映画は基本的には謎の集団にオトコが拉致されて拷問される、の繰り返しになり、そのフォーマットの中で、ある程度イロイロなことが判ってくる。
 次々に拉致されるオトコ達は実は冒頭で少女を殺した犯人グループであること。
 謎の集団は専門的な集団ではなく、実はリーダー(TVシリーズ「バッド・ガイズ」のマ・ドンソク)に雇われただけの一般市民の集まりであること。
 ここまでが設定の問題であり、仮に第一段階としておこう。

 

 第二段階として、双方のグループ個々のメンバーの事情が描かれる。
 犯人グループも犯罪者集団というよりは「上司の命令に従っただけ」の組織人(国家情報院の工作員と言ったところか)であり、それぞれ家庭を持っていて、自分の職業を家族に明かせず苦しんでいること。
 謎の集団はそれぞれが「抑圧された一般人」であり、日常では犯人グループ以上に苦しんでいる。DVオトコと暮らしていたり、客にいじめられるウェイターであったり、高圧的な社長のもとで働いていたり。

 

 ココでこの映画の恐ろしく前衛的な趣向が明らかになる。
 謎の集団の面々を抑圧するヒトビトの役は全部、最初に拉致拷問された犯人グループの1人、キム・ヨンミンが演じているのである。
 最初はコレが分からず、時間の経過が判らないせいもあり、開放された工作員がやがてDVオトコになってたまたま謎の集団の紅一点と暮らしているのかと思った。

 

 同時に映画の表現はどんどん象徴的になり、通常のサスペンス映画の枠組みを大きく離れている。
 イヤ、普通の映画であることを自己否定し始めると言うべきか。

 

 殺された少女の名はタイトルに有る通り、ミンジュであり、コレは韓国語で「民主」の意味だそうである。
 つまり、この映画は「(韓国の)民主主義は殺された」と訴えているのだ。

 謎の集団は少女を殺した理由を犯人グループの黒幕を拷問して白状させようとするが、最後までわからない。
 つまり、マクガフィンかと思いきや、さにあらず。
 少女が殺された理由は判らないが、民主主義が殺された理由は、実は映画の中で繰り返し描かれている。
 そしてそれはミンジュを殺した犯人グループのみならず、犯人グループを追い詰める謎の集団を通じても描かれているのだ。
 キム・ヨンミンが1人8役演じることで、単純な善悪の構図をくるりとひっくり返してしまう。

 謎の集団のリーダー、マ・ドンソクはおそらく韓国一、いやアジア一、もしかすると世界一ヒトを殴るのが似合う役者で、本作でも殴りまくっているが、映画の中でもヒトを殴る(かつて殴っていた)ことがテーマと結びついてくるあたり、ああ、やっぱりキム・ギドク監督もこのヒトは「ヒトを殴る」と言う行為のアイコン足りうると思っているのだなぁ、、、と言う感じ。

 

 全体的に脚本も撮影も、悪くいえば粗雑、良く言えば即興的な映画である。
 幾つかのアイデアや、個々のシーンの演出力は見事であり、キム・ギドク監督の映画作家としての底力を感じさせるが、言いたいことを伝えるのにこの手法でよかったのどうかの判断は難しい。
 この方が監督の怒りを叩きつける様な効果があるような気もするが、もっとじっくり描いて欲しかったような気もする。

 ある映画が良い映画であるかどうかの基準が、「その監督の他の映画(次回作)も観たくなるかどうか」だとすれば、ワタクシ空中さんは他の映画も観てみたくなりました。
 が、もうひとつの基準、「その映画を繰り返し何度も観たいか」で言えば、別に二度観たくはない。
  そんな映画でしょうか。

 :映画

at 01:17, 空中禁煙者, アジア

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「スーサイド・スクワッド」 盛りだくさんの退屈さ

 アメコミ物は苦手なんだからよせばいいのにと思うんだが、たまたま「デッド・プール」が面白かったので試しにもう一本観てみたら案の定後悔した一本。

 

 ひとことで言うと、「盛りだくさんすぎて退屈」。コレに尽きる。
 もう、途中から全てがどうでもいい。

 デッド・プールと同じく深刻ブラないお笑いDCコミックモノなのだが、違いはやはりキャラクターの多寡としか言いようがない。

 

 要するにアメコミ(DCコミックって言うの?)のファンが、
「嗚呼!ハーレイ・クインが!デッド・ショットが!カタナが!!!!!」
とか言って盛り上がるための映画で、そもそもDCコミックの世界を知らないヒトは、もう、観てもしょうがないです。

 しかし不思議な世界だなぁ、、、
 まあ、「スーパーマンが死んだ後の世界」を舞台にしてる、とか、「善玉も悪玉もバットマンの動向を気にしてる」とかは、まあ、いい。どう考えても早晩破綻するであろう設定をなんで一応守ろうとするのか、とかいろいろ疑問はあるが、その辺はまあ、日本で言えば、ウルトラ兄弟の設定を固めようとすればするほど破綻していくようなもんだろう。

 だけどさぁ、、、キャラクターのレベルが違いすぎね?
 スクワッド側のメインキャラのデッド・ショットってただスゴく射撃が上手いヒト、キャプテン・ブーメランはただスゴくブーメランが上手いヒト、ハーレイ・クインに至っては単にアタマのおかしくなった女医だ。
 対する敵役のエンチャントレスはあーた、古代の神様ですよ、神様。
 しかも弟付き。
 んなもん敵うわけない。


 仲間のパイロキネシスや蛇人間ならともかく、只の人間で神様に対抗できると思っている部隊の創設者や隊長がナニを考えているのか理解出来ない。

 そして、この謎を謎と思わないものだけが、アメコミを楽しむ権利を持っているのだろう。
 ハッキリ言って無理です。

JUGEMテーマ:映画

at 21:07, 空中禁煙者, 洋画

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「誘拐捜査」 誘拐実話シリーズ第三弾

 あ!中国映画にアンディ・ラウが出てる!と思ったら「香港から来た映画スター」の役だった。なるほど。

 

 この映画が、傑作が生まれることが多いとされる「誘拐映画」にあえて一石を投じる価値があるとすれば、まさに「誘拐されるのが映画スター」だという点にあるだろう。

 しかし舞台は中国北京のこととて、被害者が映画スターであることは、あまり捜査や事件の展開に影響を与えない。富や名声があまり影響力を持たない、という極めて共産主義的な理由なのか、むしろ情報と富の偏在という上手く行っていない共産主義に特有の事情なのか分からない。

 

 しかし、どこか意識の中で「映画スター=立派なヒト」という公式が成立しているのか、単に実在の被害者に考慮しているのか分からないが、誘拐されたアンディ・ラウは、終始椅子に縛り付けられていて身動きできない状況であるにかかわらず、ヒーローである。

 

 ともに誘拐された一般人を励ます。
 誘拐犯のリーダーが外出すると、下っ端を説得にかかる。
 しまいにゃ歌まで歌って大サービスである。

 

 この役は実際は呉若甫というヒトで、日本では全く知られていないが、中国では主演作がいくつもある大スターらしい。エンドクレジットのバックでこのヒトらしき人物がステージで歌っている模様も映るので、歌がうまいことも踏まえてアンディ・ラウに歌わせているのだろう。

 

 この映画で意外なのは、中国警察の意外な有能さだ。
 わずかな手がかりをもとにテキパキと手を打って、どんどん犯人に迫っていく。
 中国共産党のもとで警察がこんなに有能なわけはないと思うが、我々にうかがい知れない地殻変動が(いい意味で)始まっているのかもしれない。

 

 さて、アンディ・ラウ演じるヒロイックな被害者、意外なほど有能な中国警察、と揃えておいて、実はこの映画の主役はワン・チエンユエン演じる犯人グループのリーダーである(もちろんピリングのトップはアンディ・ラウだけど)。
 この、粗暴で、無慈悲で、それでいて陽性で、どこか屈折して、と言う複雑な人間性を表現したワン・チエンユエンなる役者さんのしたたかさは素晴らしいと思った。
 アンディ・ラウがほとんど動けない以上、このヒトの屈折した演技がなければ途中で退屈していたかもしれない。

 

 この役は比較的早めに(中国警察の有能さゆえに)捕まってしまい、あとは警察との条件闘争を繰り広げるのだが、自分の圧倒的に不利な状況に全く臆すること無く、取調官と丁々発止の駆け引きを続けた挙句、最後の望みは「恋人に会いたい」なんて、泣かせるではないか。

 

 何度も言うがこの映画は実在する映画スター呉若甫誘拐事件を元にしていて、つまりアンディ・ラウは呉若甫の役を演じている、ということになるのだが、この犯人グループのリーダーは、アンディ・ラウに向かって「『ゴッド・ギャンブラー』に出てたくせに」とか、刑事向かって「チョウ・ユンファかと思ってた」とか言いやがる(アンディ・ラウは「ゴッド・ギャンブラー」でチョウ・ユンファの弟子の役なのだ)。
 これ、どうもワン・チエンユエンのアドリブじゃないかと思うがどうだろう。

JUGEMテーマ:映画

at 20:35, 空中禁煙者, アジア

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