「クリーピー 偽りの隣人」 隣人や 昭和も遠くに なりにけり
黒沢清は「メジャーな原作を(ちょっと黒沢清風の味付けをして)手堅く映像化する監督」になってしまったんだろうか。
西島秀俊と香川照之のコンビというのも
「ホラホラ、あの『ダブル・フェイス』の、『MOZU』のコンビですよ」
とでもいいたげなプロデューサーの顔が目に浮かぶし、なんとなく、黒沢清が自分で「撮りたいっ」と思って撮ることにした企画じゃない臭が漂う。
元刑事で犯罪心理学を教える大学教授(というのもどうかと思うが)西島秀俊が、大学の同僚に言われて興味を持ち調べていた「一家三人失踪」事件(娘が1人残っている)に、刑事時代の部下(東出昌大)も興味を持っていた。
大学の同僚、元の部下と三人でその事件を調べていると、
「アレ?コレって最近ウチの近所で起きてるトラブルと似てね?」
と言うハナシ。
この、「アレ?コレって、、、」の部分は、過去の事件の謎さ加減もあってスゴく面白い。
最初は誰も気がつかないが、観客には一目瞭然、以前の事件の家の並びが、西島秀俊の現在の立地とそっくりなところとか、ゾクゾクする(よく見つけたなぁ、、、)。
そして、元部下の東出昌大が、いつの間にか行方不明になっていたことを知らされるあたりまでは、「ア、コレ、傑作、、、」と思ったのだが、、、
残念ながら、後半ドンドンドンドンドンドングダグダになっていきます。
前半からチラチラその存在を示唆されていた、地下室の全容が明らかになったあたりで、もう、残念極まりない脱力感を味わう事になる。
イヤイヤイヤイヤイヤ、いつこんな広大な防音装置付きの地下室作ったのよ。
コレ、一回上モノ取っ払って工事しなきゃダメでしょ。
それとも元々地下室のある家を狙ってるの?
前の家にも地下室はあったの?
あと香川照之が使ってるクスリはなんなの?シャブなの?ヘロインなの?
香川照之はどうやって手に入れてるの?
過去に香川照之に支配されてきたヒトビトは、クスリの虜になっただけなの?それとも香川照之になんらかのカリスマ性があるの?
全く納得行かない。
あと、ココは肝心なところだと思うが、西島秀俊の妻(竹内結子)が、西島秀俊に何らかの不満を持っている描写を入れておいてくれないと、あんなに香川照之を気味悪がっていた竹内結子が、アッサリ軍門に下っていることがあまりにも唐突である。
これら全てを納得させられる演技を香川照之がしていればいいのだが、今、この手のファナティックな役をヤラせればダントツに巧い香川照之で無理なら、やっぱり誰でも無理なんだと思う。
アレほど周到に事を進めてきた香川照之がラストに取る行動も唐突にアホすぎるし、もう、ある時点からこの映画は完全に崩壊しているのだ。
ずいぶん昔のハナシだが、崔洋一監督は金子修介監督の「ガメラ2 レギオン襲来」を評して
「日本人の外国人恐怖はよく描けてる」
と言っていた。
このでんでいえば、「クリーピー 偽りの隣人」は現代人の隣人恐怖を描いているのだろう。
親の代から隣人同士、味噌醤油の貸し借りをしていた時代は既に遠く、現代では戸建て住宅でも隣がナニをしているのか全く分からないし、分かりたくもない。出来れば全く没交渉に過ごしたいが、そんなときこそ「今こそ地域コミュニティの復活を」などと叫ぶ奴がいたりして、もう、鬱陶しくてしょうがないのである。
この映画でも問題の香川照之の家を挟んだもう一軒隣の主は、引っ越しの挨拶に行っても近所付き合いを明白に拒んでくる。そしてこの家はこの映画の中で特に問題のある家ではないのだ。
つまりはそういうことだろう。
別にちっとも関係を持ちたくはないが、好むと好まざるとにかかわらず、関係を持たざるを得なくなる(こともある)隣人と言う存在自体が、現代人にとって恐怖の的なのだ。
その辺を描こうとしたのだとすれば、香川照之の「理不尽な設定の不気味さ」も、理解出来そうな気もする。
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