「64-ロクヨン-後編」 前後編にしたほうが儲かるの?
県警捜査一課が、14年前の事件のそっくりな誘拐事件を、同一犯と思っているのか、模倣犯と思っているのか、或いは判断がつかずに悩んでいるのか、解らないのは、まあ、いい。主人公の佐藤浩市が、今は捜一を離れ広報官だからだ。
しかし、捜査一課長である三浦友和(コレも年齢的にどうかと思うけどなぁ、、、)が「我々はロクヨンの捜査をしている!」と言うのはずるいと思う。
結局、何故捜一が第二の誘拐事件の真相に気づいているのか、描かれないからだ。
特に、事件全体の焦点となる「幸田メモ」の主である幸田を見失っている描写があるだけに、ミステリーとして不誠実と言われても仕方ない。
さらに言えば犯人グループは被害者の長女のどうやって知ったのかとか、そもそも犯人グループは「64」と同様の事件を起こしてナニがしたかったのか、とか、描写不足が多すぎて、どうでも良くなっている。
イヤ、正直なトコロ、瀬々監督も、佐藤浩市の演説の後は、どうでもいいのではないか。
ラスト近くの、被害者の次女が永瀬正敏の工場を訪れるシーンあたりからラストに至るまで、展開の脈絡が掴めず、素人が編集したような映像になってしまっている。
自分がやりたこと終わっちゃった後、いくらなんでもテンション下がり過ぎではないか。
後はまあ、映画としてというより原作上の問題かもしれないが、前半、ひき逃げ事件の加害者の実名を警察が発表するかどうかで、県警広報室と記者クラブが大揉めに揉めているシーンが有る。
原作者の横山秀夫氏が県警の記者クラブ詰めの記者だった頃は、記者クラブ詰めと言えば新聞記者の花形だったかもしれないが、今は警察発表を垂れ流すだけのヒトたち、と言うイメージが有り、このシーンでの記者クラブの面々がなんだかバカにしか見えないのは困りものだ。
警察が発表しないんだったら、自分たちで調べればいいのに、と思ってしまう。多分、警察が正式発表しないうちにスッパ抜くと記者クラブから除名されるとかなんとかあるんだろうが。
なんかもう、アラ探ししてるだけになってきたが、最後にもうひとつ。
前編のエントリーで書いた4.主人公の娘の失踪、について。
娘の引きこもり→失踪の原因は、容姿が美人である母親(夏川結衣)に似ず、父親似であること苦にして、と説明されているが、肝心の娘の容姿については、激しい動きと長い髪で必死に隠して逃げている。
映画としてはココ逃げちゃダメでしょ。特殊メイクでもなんでもして、観客が「ああ、これじゃあなぁ、、、」とある程度娘に同情できるようにしないと。
或いは全然似てないのに少女特有の不安定さがそう思わせている、解るようにするとか。
ココを逃げるくらいなら、娘のエピソード自体切るべき。
全体的に、瀬々監督としては佐藤浩市の演説周りだけやれれば良かったのに、ショーバイ的な要請で前後編にまで引き伸ばしたのかな、と言う感じすらある。
いや、それならまだ、コレでいいと思って作ってるよりは、救いがあるかなぁ、、、
JUGEMテーマ:映画