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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「ほんとにあった!呪いのビデオ 60」 菊池監督は探検が好き 

 なんか、もう、なんで観続けてるのか自分でもよく解らないけど、義務みたいに観続けざるをえないものってあるよね。

「もう半分」
 どういう訳か「橋の上」と言うのも霊が集まりやすい場所なのか、よく心霊スポットになるようである。橋というものがこの世とあの世を「橋渡しする」というメタファーになりうるのか、そもそも何かヤヴァイことが起きたときに一方向しか逃げ場がない、という緊迫感がそうさせるのか。

 カップルが心霊スポットと言われている橋の上で撮影していると、人間の「半分」だけに出会う、と言うとハナシ。この「半分」の映像は良く出来ている。特に、カップルがそこに人間「らしきもの」がいるのに気づいて息を呑んでいると、おもむろにこっちを向く、というのが良い。コレは最近の中では巻頭を飾るにふさわしい出色の出来と言って良いのではないか。

 ところが、その後カップルが逃げ帰ってきたクルマの窓に映るというオンナの顔が良くない。オンナの顔を黒のクレヨン一本で書いた絵を、窓外の下の方からソーっと上に上げてきたようにしか見えない。「半分」だけにしとけばいいのに、、、

「墓所」
 カメラを落としたたまたま映る位置に不思議な生首らしきものがあるが、写されているているのに気づいて恥ずかしくなったのか徐々に消えていく。
 なんか普通の顔じゃなくて、鈎鼻で黒目のない悪魔みたいな顔。
 悪魔がこんな極東の辺鄙な墓地に寝っ転がってナニしてんのかな、と思う。

「蛭子 前編」
 今回の長編作品。
 海岸での遭難事故が多い地方がある、と。
 で、遭難者が出るとダイバーが探すわけですが、特に発見率の高い宇梶さん(仮名)というダイバーさんがいる、と。
 ちなみに宇梶さんは最近娘さんをやはり、海の事故で亡くしている、と。
 仲間のダイバーが宇梶さんに遺体発見率の高い理由を聞いてみると、「蛭子様が教えてくれる」と言っている。
 蛭子様というのは別に蛭子能収さんが教えてくれる訳ではなくて、ヒルコ(蛭子)様という地元の信仰です。
 で、蛭子様を祀る洞窟が近くにあって、宇梶さんはそこに出入りしているらしい、、、

 要するに、ですね、作品中、スタッフの口からハッキリと語られることはないが、「宇梶氏は蛭子様の力を借りて娘を再生するために、水難被害者のウチの若い女性の身体の一部を集めているのでないか」というハナシです(そうでしょ?)。

 で、問題は今回の投稿者の友人の案件を含む水難事故を起こしているのは誰か、ってことですね。
 偶然なのか、宇梶さんの娘のために蛭子様が起こしているのか、それとも今までの水難事故者の霊なのか、それとも、まさか、宇梶氏自身が、、、

 ご安心ください。
 ちゃんと投稿者の手により証拠映像が残っています。
 まるで、片手を伸ばした人間の形に切り抜いた紙にクレヨンの黒一色で描いたようなピクリとも動かないシロモノに、足に触れられただけでギャアギャア叫ぶ投稿者の友人の映像が。 
 もう、まがりなりにも海に引っ張り込もうとしてるに違いないのに、ピクリとも動かず全く力強さの感じられないそのシロモノをカメラだけユラユラ動いて撮るさまは、どちらかと言うとコントのようです。

「空手大会」
 空手大会会場のロビーで友人と談笑する空手少年の肩に薄っすいペラッペラの手が後ろから伸びてくる。霊魂の手、と言うより、この世ならざるものが手の影を投影してきているのかもしれない。

「シリーズ監視カメラ 駐車場」
 心霊スポット近くの駐車場から走り去ろうとするクルマに何体もの例らしきものが吸い込まれていく。
 なぜ吸い込まれようと(着いて行こうと)するのか、なぜ何体もいるのか、よく解らない。

「風の便り」
 家飲みしてるバカ三人。話題が高校の時いじめられていて、最近自殺したらしい女子の話になると、ちゃんと彼女がやってくる。

 このエピソードは大して面白くもないが、実は重要な教訓を含んでいる。
 霊は記憶のある所にあらわれる。自分たちが呼んでいるか、もしくは自分たち自身が現出させてさえいるのかもしれない。

「ついてくる」
 心霊スポットと言えば「廃墟」「橋」とならんで「トンネル」です。
 トンネルから出てくる友人二人を撮影してると、第三の人物が付いてきます。
 菊池氏の基本的なスタンスとして、「霊的存在は(寂しいので?)付いてきたがっている」と言うのがあるのかも知れない。

「蛭子 後編」
 菊池監督の特徴がこのエピソードあたりから出てきた気もする。

 「観てるものには分かっていることを、スタッフ一同解っていないふりをする」
 「探検する」

 この二つです。
 今回、例の「蛭子様の祠のある洞窟」を探検しまくります。
 ハッキリ言ってそんな探検映像見せられたからって「呪い」と関係ないと思うんだが、もう、延々と見せるのは、やっぱり探検シーンが好きだからでしょう。
 ボケまくり、頼りない増本、逆に沈着冷静でクソ厚かましい森澤、という二人の演出補のキャラの対比が利いているせいもあって、「関係ねえょなぁ、、、」と思いながらもなんとなく観てしまう。

 やっと、なんとなく良くなってきたような気もする菊池作品であったが、なんかもっと強烈なウリがほしいなぁ、、、
JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 22:53, 空中禁煙者, 邦画

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「エクソダス 神と王」 モーゼが死にかけて悩みます。

 そんな訳で、「エクソダス 神と王」である。
 公式サイトのどこを見ても「『十戒』のリメイクである」とは書いてない。
 もしかすると作った本人たちはリメイクじゃないと主張するつもりかもしれないが、まあ、リメイクだと言われても仕方がない。
 何しろ旧約聖書では「エジプトの王」としか書いてないファラオが、ラムセス一世二世の親子である。ちゃんとネフェルタリも出てくる。「時代から言ってそうである」と主張する事も不可能ではないが、まあ、「十戒」に引きづられている。

 しかし、違うといえば大きく違う。
 聖書の解釈からして違う。
 コレ、ヘタするとユダヤ人は(キリスト教徒も)怒るんじゃなかろうか。
 あんまり怒ったというハナシも聞かないが。
 大人なんだろうか。
 それとも理解できなかったんだろうか。

 なにしろ主役がクリスチャン・ベイルである。
 リドリー・スコットで英雄譚と言えば、ラッセル・クロウでも良いはずである。
 にもかかわらず、クリスチャン・ベイルである。
 クリスチャン・ベイルと言えば、「アメリカン・サイコ」以来「バットマン」にいたるまで、、「ちょっとアタマのおかしいオトコ(アメリカン・サイコはちょっとじゃすまないが)」の役である。
 つまりはそういうことなのである。
 ある意味、フロイトの「モーゼエジプト人説」より過激な解釈をしている。

 エジプトを追放されたモーゼはシナイ山のふもとで家庭を持ち、羊飼いとして暮らしていた。
 ある大雨の日、羊を追ってシナイ山に迷い込んだモーゼは土砂崩れにあい、気を失ってしまう。
やがて目覚めたモーゼは、顔だけを出して土に埋まった状態で、「神」に会い、会話をする。

 つまり、モーゼは臨死体験で見た妄想を、神に会った体験と思い込んでいるオトコ、としても解釈できるように作られているのだ。
 モーゼ(と神)が起こした数々の奇跡についても、そのうち「いくつかは」合理的な解釈の出来る自然現象として描かれている。

 問題は「いくつかは」というところで、つまりソレ以外のいくつかは合理的説明の付かない「神の御業」として描かれている。
 単純に合理的説明を思いつかなかっただけ(まあ、難しいだろうとは思う)かも知れないし、批判を恐れたのかもしれない。
 あんまりやっていると、神の存在を否定するのかというハナシになってしまう。
 しかし、ある意味モーゼ最大の謎である
「イスラエルの民を40日間もほったらかしてシナイ山中でなにをやっていたのか」
という疑問に対して与えた答えには、「ああ、ナルホドな、、、」と思わざるを得ない。
 考えてみれば、これしかないような気もする。
 多分、少なくとも18世紀以降は、この解釈をしているヒトは一杯いるのだろう。
 おおっぴらに主張しているかどうかはともかくとして。

 チャールトン・ヘストンのモーゼは神に出会って以降は全く迷うこと無く確信に満ちていたが、クリスチャン・ベイルのモーゼは、そんな訳でやや迷っている。神がエジプト人を虐殺しまくっている事実に対して、やや怯えているようでもある。
 モーゼ自身の苦悩(と言うか神との関係)を描いているせいか、全体としてモーゼの周囲のヒトビトのドラマは薄くなっている。
 改めて、「十戒」は当時のハリウッドの好みに従った作品なのだな、と思う。

 何しろリドリー・スコットなので、「十戒」に有ったようなショボさやセットの狭さは全く感じられない。
 しかし、「十戒」も当時の観客の目には、とてつもなく豪華に映ったに違いない。
 あと60年後に観ると、この映画もショボく見えるんだろうか。
JUGEMテーマ:映画

at 02:04, 空中禁煙者, 洋画

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