2015.01.02 Friday
「スノー・ピアサー」 雪国列車を待つキミの横で時計を気にしてる、、、
当方非才にして「グラフィックノベル」自体に接したことがないが、どういうわけか「グラフィックノベル原作」の映画はよく観る。ざっと思い出しても、「Sin City」、「ロード・トゥ・パーディション」、「300」、「オブリビオン」などといったところが頭に浮かぶ。もしかするとそうであることを知らないで観ているものもあるかも知れないが、とりあえず思い出せたものだけ並べてみると、その特徴として、「虚構がキツい」と言うことが挙げられるようだ。
「Sin City」はSFではないが、日本刀持ってヒトを殺しまくる美少女(しかも二刀流)だの、子供みたいな見かけの殺人鬼だの、なかなかのアンチリアリティだったし、「300」に至っては史実のフリをして、ペルシャ人のあまりの狂気溢れる描き方にペルシャ人の子孫イラン人は怒り狂っっていた。
まあ、要は「ノベル」とは言いながら日本の「マンガ」と同じ役割なのだろう。
どうも、いわゆる「アメコミ」のうち、テーマがシリアス(と言うか暗いと言うか)な物をグラフィック・ノベルと言っているような気もする。
そんな訳で、「スノー・ピアサー」もフランスのグラフィック・ノベルが原作になっていて、案の定虚構がキツい。
地球温暖化対策で全地球的にバラまいたお薬が効きすぎて、トンデモ無い氷河期に陥っちゃった地球。ありとあらゆる生命がほぼ絶滅して、生き残っているのは「スノー・ピアサー」と呼ばれる列車に乗り込んた少数のヒトだけ。この列車の中は厳密な身分制度があって、前へ行くほど贅沢な暮らし、後方車両はほぼ奴隷状態の虐げられたヒトビトが前方の上流階級に恨みを募らせていた、、、
と言うハナシ。
何故列車なのか、なぜ走り続けなければならないのか、何を基準に上流と下流が分かれているのか、そもそも動力はなんなのか、一切不明。それでも無理やりハナシを進める虚構のキツさがグラフィック・ノベルと言うものだろう。
過去の作品では、グラフィック・ノベルの虚構のキツさを生身の人間が違和感なく演じれるようにする工夫というものが、それなりにあったような気もする。
例えば「Sin City」では背景にモノクロの絵を持ってくるという大胆な手法を使っていた。「300」でも、あのキツい発色は、画面からリアリティを消すための工夫だろう。
が、この「スノー・ピアサー」はそういう工夫が比較的無い。比較的無いにも関わらず、ちゃんと成立してる。コレはスゴいことかもしれない。
イヤ、単にオレが「グラフィック・ノベル原作である」という情報さえ得ていれば、キツい虚構を受け入れる準備が出来てしまう、と言う慣れの問題なのだろうか。
韓国映画の傑作「殺人の追憶」のポン・ジュノ監督作品。
支配階級と非支配階級が出てくる映画の例に漏れず、この、細い列車の中で、階級闘争が行われる。下層階級から上流階級への侵攻が、列車の後方車両から前方車両へという直線的な移動とシンクロしてる。この絵的な単純さと物語の構造がシンクロしてる構造が、虚構のキツさを忘れさせる要因かもしれない。
ウソ臭い世界で繰り広げられる反乱劇が意外なほど面白い。反乱者達の目の前に立ち現れてくる上流階級のステロタイプな上流っぷりと、徐々に明かされる列車世界の秘密とで飽きさせない。
主役ではないが、主役に次ぐ重要かつ深みのある役でポン・ジュノ組のソン・ガンホ先生。「渇き」のために痩せて以来すっかり二枚目役が板についてきた。ソン・ガンホ先生の娘役で「グエムル・漢江の怪物」に続きコ・アソン。
下層階級の指導者役にお懐かしやジョン・ハート。相変わらず悲惨な死に方する役ばっかり。
ラスボスも最近はラスボス役でしか見なくなったエド・ハリス。昔はヒーローだったんだけどねぇ、、、
とりあえずこのキッツい虚構を成立させてそれなりに面白く作ったポン・ジュノは、やっぱりさすがだ。
ただ、この虚構のキツさに耐えられないヒトは当然いるはずで、そういうヒトにそっぽを向かれるのもまた覚悟すべき映画だとは思う。
JUGEMテーマ:映画
「Sin City」はSFではないが、日本刀持ってヒトを殺しまくる美少女(しかも二刀流)だの、子供みたいな見かけの殺人鬼だの、なかなかのアンチリアリティだったし、「300」に至っては史実のフリをして、ペルシャ人のあまりの狂気溢れる描き方にペルシャ人の子孫イラン人は怒り狂っっていた。
まあ、要は「ノベル」とは言いながら日本の「マンガ」と同じ役割なのだろう。
どうも、いわゆる「アメコミ」のうち、テーマがシリアス(と言うか暗いと言うか)な物をグラフィック・ノベルと言っているような気もする。
そんな訳で、「スノー・ピアサー」もフランスのグラフィック・ノベルが原作になっていて、案の定虚構がキツい。
地球温暖化対策で全地球的にバラまいたお薬が効きすぎて、トンデモ無い氷河期に陥っちゃった地球。ありとあらゆる生命がほぼ絶滅して、生き残っているのは「スノー・ピアサー」と呼ばれる列車に乗り込んた少数のヒトだけ。この列車の中は厳密な身分制度があって、前へ行くほど贅沢な暮らし、後方車両はほぼ奴隷状態の虐げられたヒトビトが前方の上流階級に恨みを募らせていた、、、
と言うハナシ。
何故列車なのか、なぜ走り続けなければならないのか、何を基準に上流と下流が分かれているのか、そもそも動力はなんなのか、一切不明。それでも無理やりハナシを進める虚構のキツさがグラフィック・ノベルと言うものだろう。
過去の作品では、グラフィック・ノベルの虚構のキツさを生身の人間が違和感なく演じれるようにする工夫というものが、それなりにあったような気もする。
例えば「Sin City」では背景にモノクロの絵を持ってくるという大胆な手法を使っていた。「300」でも、あのキツい発色は、画面からリアリティを消すための工夫だろう。
が、この「スノー・ピアサー」はそういう工夫が比較的無い。比較的無いにも関わらず、ちゃんと成立してる。コレはスゴいことかもしれない。
イヤ、単にオレが「グラフィック・ノベル原作である」という情報さえ得ていれば、キツい虚構を受け入れる準備が出来てしまう、と言う慣れの問題なのだろうか。
韓国映画の傑作「殺人の追憶」のポン・ジュノ監督作品。
支配階級と非支配階級が出てくる映画の例に漏れず、この、細い列車の中で、階級闘争が行われる。下層階級から上流階級への侵攻が、列車の後方車両から前方車両へという直線的な移動とシンクロしてる。この絵的な単純さと物語の構造がシンクロしてる構造が、虚構のキツさを忘れさせる要因かもしれない。
ウソ臭い世界で繰り広げられる反乱劇が意外なほど面白い。反乱者達の目の前に立ち現れてくる上流階級のステロタイプな上流っぷりと、徐々に明かされる列車世界の秘密とで飽きさせない。
主役ではないが、主役に次ぐ重要かつ深みのある役でポン・ジュノ組のソン・ガンホ先生。「渇き」のために痩せて以来すっかり二枚目役が板についてきた。ソン・ガンホ先生の娘役で「グエムル・漢江の怪物」に続きコ・アソン。
下層階級の指導者役にお懐かしやジョン・ハート。相変わらず悲惨な死に方する役ばっかり。
ラスボスも最近はラスボス役でしか見なくなったエド・ハリス。昔はヒーローだったんだけどねぇ、、、
とりあえずこのキッツい虚構を成立させてそれなりに面白く作ったポン・ジュノは、やっぱりさすがだ。
ただ、この虚構のキツさに耐えられないヒトは当然いるはずで、そういうヒトにそっぽを向かれるのもまた覚悟すべき映画だとは思う。
JUGEMテーマ:映画