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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「ゼロ・グラビティ」 タイトルは「Inertia」にすべき

 デ・パルマの「ミッション・トゥ・マーズ」で1エピソードに過ぎなかったネタを、13年間蓄積された技術と、データを駆使して延々とやっている。
 が、この13年間で一番変わったのは特撮技術やアイデアではなく、「ミッション・トゥ・マーズ」ではSFの一環としてやっていたことが、「リアル」な出来事として描かられるようになった、ということだろう。

 結果、「SFだから」という逃げや遊びの許されない、リアルでアクチュアルな出来事として、90分の出来事を90分かけて描いているわけだが、この、ほぼ、リアルタイムという手法も含めて、映画というよりは、ディズニーランドのアトラクションのようなものになっている。
 なんかこの映画の印象に一番近いのって、「キャプテンEO」とか「ビジョナリアム」じゃない?

 90分の出来事を徹底的に突き詰めて90分かけて描いた考証力には恐れ入る。90分かけてなんとか生き延びる方法を考えて実行しなければならないのだから当然とも言えるが、一応起きること全てが面白いのはさすが。
 このワンシチュエーションで一本の映画になる!と見抜いた慧眼もスゴいが、恐らく相当数のアイデアを取捨選択しているのであろう。

 例えば、やっとの思いでたどり着いたロシアの宇宙ステーションの中で火災が起き、消火器で消化液を噴出させると、反作用で後ろに飛ばされてしまう。
 次にこの宇宙ステーションを脱出するとき、彼女(サンドラ・ブロックね)はこのことを覚えていて、宇宙空間を移動する推力として消火器を利用するのだ。
 そしてこのことに関する説明は一切ない。
 後ろに飛ばされた事実と、推力として使う事実が、あくまでも事実として淡々と描かれるだけだ。説明過多病にかかった日本の映画監(以下略

 原題は「ゼログラビティ」ではなく、ただの「Gravity」なのだが、最後の最後のラストカットで、なぜ「ゼログラビティ」ではなくただの「Gravity」なのか判るようになっている。
 ただ、全編を通して、最も恐ろしいのは、無重力と言うよりは、慣性の法則である。
 無重力、真空下の慣性の法則が、かくも凶暴なものだとは。
 我々は重力と大気に守られた穏健な世界に生きているのだということを思い知らせてくれる映画でもあります。
JUGEMテーマ:映画

at 19:44, 空中禁煙者, 洋画

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「キマイラ 10 鬼骨変」 多神論世界のカエル男

 前にも書いたが、夢枕獏氏はある時期から油が抜けてしまい、昔のとてつもない熱量は取り戻せないのではないか、と言う説がある。
 一方で、夢枕獏氏は延々と終わらない長〜〜〜いハナシばっかり書いているヒトだというイメージもある。
 が、コレは誤解であり、終わった長〜〜〜いハナシもちゃんといっぱいあるのである。
 例えば、「涅槃の王」と「荒野に獣慟哭す」と「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」は見事な大団円を迎えた夢枕獏氏の三大長編であると言いたい。
 この三作品はどれも最後の一行の読んだ時に立ち上がって拍手したいほどの大団円であった(まあ、たいてい電車の中なので立ってはいるんですが)。

 しかし、30年弱に渡って期待した「サイコダイバー・シリーズ」のラストは、「なにコレ、、、」というものであった。
三大長編の内最後に加護に完結した「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」は2004年の完結であり、「サイコダイバー・シリーズ」は2010年だ。
 つまり、この6年の間に、夢枕獏氏は、何かを失ってしまったのだ。

 実際、獏氏のインタビュー等を読んでも、「当初の構想とは違うエンディングになった」と言う発言を複数回しているようである。

 しょうがないのかもしれない。獏氏ももう63歳である。20代30代の頃なら「あと20年30年かけても終わらせる!」と意気込めるだろうが、60代ではとてもそんな勇気は出ないだろう。取り敢えず終わらせよう、、、と思うのも無理は無いのかもしれない。

 割りを食ったのは、20年かけて続けてきてまだ終わっていない大長編である。
 「サイコダイバー・シリーズ」に並んで最初期から獏氏を支えてきた「キマイラ」シリーズも、そんな「終わりそこねた」作品の一つだ。

 獏氏はこの作品に関しても「当初の構想とは違うラストを用意している」と言っている。
 多分、「ま、しょうがないかな、、、」と言うラストを迎えるのだろうな、と思う。

 とは言え、まだ終わってはいない。
 恐らくは迎えるであろうグダグダなラストから逆算されるほど、ひどい巻にはなっていない。

 獏氏の長編の特徴に「やたら回想シーンが長い」と「途中で気になった脇役に入れ込み過ぎる」がある。
 「キマイラ」シリーズはちょっと前に単行本数巻にわたる「やたら長い回想シーン」を終えたところであり、この巻は「気になった脇役に入れ込んでいる」回である。
 しかも、ありとあらゆる小説史上、もっとも主役にふさわしくないオトコ、菊地良二。
 チビで、アバタだらけのカエルのような外見のオトコ。頭も良くなく、ロクに口も聞けず、父親に殴られながら育ったオトコ。ただ、ケンカに勝ちたいという執念だけを頼りに生きているオトコ。獏氏はいま、このオトコに入れ込んで、このオトコを描写している時だけ、筆に熱がこもっている。

 そして、「サイコダイバー・シリーズ」と同じく、登場人物が増えすぎて「多神論世界」のようになっていく作品世界の中で、菊地良二も神の仲間入りしていくようである。

 ソレはまるで、獏氏が影響を受けたと言って憚らない「ウルフガイ」シリーズで、人格低劣残虐無比なCIAの殺し屋、西城恵が多神論世界の神のようなっていったのを思わせる。

 違うのは、西城恵が完成された大人の殺人マシーンであった事に対し、菊地良二はまだ未完成であり、「青春を謳歌することを禁じられた」青春まっただ中の高校生である、ということであり、ソコがまたなんとも夢枕獏らしいなぁ、、、と思うのであった。
JUGEMテーマ:小説全般

at 23:10, 空中禁煙者, 書籍

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「殺人の告白」 Too MuchなK-ムービー

  氣志團の綾小路翔がDJオズマとしてデビューした頃、K−ポップの特徴を「Too Much感」と表現していた。普通ならそれだけで一曲作ってしまうようなアイデアが、二つも三つも詰め込まれていると言うのだ。
これは、そんな言葉を思い出させる「Too Much」なK−ムービー(今作った造語です)。

 17年前に時効になった連続殺人の犯人が名乗りでて、自伝を出版すればベストセラー、あまりの二枚目ぶりに熱狂的女性ファンが続出、一躍時代の寵児になったが、17年前、追跡中に犯人に口を切り裂かれた担当刑事は、この騒動をニガニガしい目で見ていた、、、
 と言うハナシ。

 取り敢えず、このアイデアは素晴らしい、と思った。一見、グダグダになりそうなこのプロットが、けっこうキレイに着地するのだ。
 「あ。ヤラレた、、、」という感じ。
 けっこうヒントは出していて、決してアンフェアではないのに、コロっとヤラれた。
 まあ、何度も書いてますが、ワタクシ空中さんは映画製作者の作戦には引っかかりやすいお手軽な脳ミソの持ち主なので、誰でも心地良くダマされるわけではない、と思いますが。

 告白者役のパク・シフの涼しげな二枚目ぶりも、刑事役のチェ・ジェヨンのしぶといデカ振りも良い。ドラマ部分の演出も、背後に絶望を湛えながらも(どうせ被害者は全員死んでいるのだ)緊迫感満ちていて見事。

 という訳で、これだけだったら「傑作!」と手放しで褒められるんだけどねぇ、、、

 なにが「Too Much」かというと、ところどころブチ込まれるアクションシーンがToo Muchです。
 もっとも、冒頭の、17年前にあと一歩のところでチェ・ジェヨンが犯人を取り逃がす追撃シーンの激しさには目を瞠った。
 このくらいならシリアスなドラマ部分に対するスパイスとして十分な出来である。

 問題は、中盤にある、被害者遺族が告白者を拉致しようとするシーンだろう。
 高速道路上で数台のクルマの上を行ったり来たりする遺族と犯人と警察三つ巴の戦いは、ジャッキー映画を超える激しさで、まあ、ここだけ意識してハッキリとスラップスティックコメディをやっている。
 17年前の連続殺人事件の被害者遺族たちは、犯人に対する復讐を果たすために、日頃から寄り集まって決意を新たにしている、という設定で、この遺族たちのシーンは全体的にコメディ風に作ってある。
 遺族たちをコメディ風に描く、と言うのもどうかと思うが、このシリアスなドラマに平然とコメディをブチ込んでくるToo Much感が、韓流というものなのだろう。ワタクシ空中さんは、正直言って違和感に困ったが。

 厳密に言うとおかしなところはある。殺人の時効は日本と同じく(当時)15年なのに、なぜ告白は17年後なのか、とか。コレはおそらくストーリー上の都合と犯人の事情がごっちゃになってしまっている。

 しかし、全体としてみると、圧倒的な「ヤラれた」感が味わえる(当社比)、サスペンス映画の佳品ではあります。
JUGEMテーマ:映画

at 20:41, 空中禁煙者, アジア

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「暗殺者グレイマン」 主人公設定が読者からもグレイ

  「グレイマン」は主人公のニックネーム。身を隠すのが得意で決して居所を知られないことからそう呼ばれている。グレイマンは同時に殺し屋の世界で「おそらく今現在世界最高の殺し屋であろう」と言われる、元CIAの凄腕ヒットマンである。

 冒頭、そのグレイマンがイキナリ「正義のヒト」であることを示す描写があって、たまらなく不安になってしまった。

 アクション小説の主人公が正義の味方であってもいい。ソレはふつうのコトだ。
 一方、世界最高の殺し屋を主人公にした小説があってもいい。コレも過去に例はいくらでもある。
 しかし、世界最高の殺し屋が正義のヒト、と言うのはどうだろう。
 コレは通常われわれ一般市民の職業倫理に照らして著しく無理があると言わざるを得ない。
 ヒトを殺すことを生業にして世界最高にまで上り詰めることと、正義のヒトであることの間には、普通の人間には超えられない心理的障壁がある。

 例えば、ロバート・ラドラムはこの障壁を乗り越えるために、記憶喪失という手を使ったわけだ。洗脳されて殺人ロボットと化しても、記憶を失うことによって、逆にもともとの人間らしさが戻ってくる。
 コレなら納得できる。

 残念がら「暗殺者グレイマン」にはこの工夫が見られず、単に「リアリティがない」で終わりになってしまいかねない。

 前半、主人公の計画が、ことごとく失敗するのは良いと思った。主人公の行動はバカではなく、ナルホド手練の暗殺者だと思わせるものであるにもかかわらず、様々な事情で失敗し、ひどい目に合う。コレがリアリティというものだろう。
 ところが、ひどい目に合わせすぎたせいで、ハナシがたち行かなくなってしまい、後半に入って救世主が二人もあらわれる。ヤレヤレ、、、

 まあ、正直言って第一巻であり、すでに邦訳が後3冊もでている。もしかするとその中で、なぜグレイマンが殺し屋という職業と正義を両立できるのか明かされるのかもしれない。なぜ最優秀であるにもかかわらずCIAをクビになって、あまつさえ「発見し次第射殺」命令が出ているのかも明らかになっていないし。
 が、そもそも次巻を読むつもりにならなければ無意味だ。

 イヤ、二人目の救世主は若く美しい女性で(「ジェイソン・ボーンシリーズ」で言えばマリーみたいなものか)、彼女がまた出てくるのかどうか気になって読んじゃうのかなぁ、、、
JUGEMテーマ:小説全般

at 20:25, 空中禁煙者, 書籍

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「永遠の0」 探偵!戦中美談スクープ

  ワタクシ空中さんは「探偵ナイトスクープ」が大好きなので、なんとなく、この「永遠の0」は「探偵ナイトスクープ」の傑作エピソード「レイテ島からのハガキ」が元になっているのだろうと思っていた(万一知らない人のために言っておくと、百田尚樹氏は「探偵ナイトスクープ」のメイン作家なのだ)。
 が、今調べてみると、「永遠の0」の初出は2006年で、「レイテ島からのハガキ」の放送は2011年である。無関係だったわけだが、逆に「レイテ島からのからのハガキ」を百田尚樹氏はどういう思いで観たのか興味が湧いてくる。

 祖母の死をきっかけに、今生きている祖父(夏八木勲)が実の祖父ではなく、自分たちの母が生まれたあと再婚した相手だと知った姉弟が、太平洋戦争中戦地で亡くなったという実の祖父の人となりを調べ始める、と言うハナシ。

 主体的に調べたいのはフリーライターの姉(吹石一恵)なのだが、司法浪人の弟(三浦春馬)はどうせ暇だろうというので半ば無理やり付き合わされる。

 で、ですね。
 二人で生前の祖父の戦友たち(平幹二朗とか)を訪ねると、もう、祖父の評判は散々なのである。「あんな卑怯な奴はいない」と。で、弟は嫌気が差して、「もう、こんなことは止めたい」と言い出すのだ。
 ところが、次にあった人物(橋爪功)に、「あんな立派なヒトはいない」と言われると、急に「オレ、もっとおじいちゃんのこと知りたい」などと言い出すのだ。

 ココでもう、ワタクシ空中さんは心底ウンザリしてしまった。
 貶されると止めたくなって、褒められると急に知りたくなる。
 そりゃそうだろうけどさ、、、

 この映画は要するにこの手のヒネリのない解りやすさで出来ている。
 そう言えば、ああ、監督は「三丁目の夕日」の山崎貴だったな、などと想い出す。

 巷間この映画は「特攻隊を美化している」「イヤ否定してる」と話題になっているが、百田氏は、「特攻隊を断固否定した」と言っている。
 ナルホド確かに「大日本帝国海軍による作戦」としての特攻隊は否定されている。特攻隊に選ばれる青(少)年達の恐怖と苦悩も描いている。
 しかし、主人公(岡田准一)の最後の選択は、結局自己犠牲としての特攻を美化してしまっているように思える。
それは軍部による作戦としてではなく、個人の選択としてではあるが、特攻という行為を美化したことには代わりはない。

 ココは両陣営で絶対に相容れないところだろう。
 百田氏はおそらく「自己犠牲の何が悪い!家族や若者を守るための自己犠牲が美しくないというのか!!」といきり立つだろう。
 しかし一方で、「特攻隊員による自己犠牲」を描くことで、自己犠牲の美しさを特攻の美しさへと密やかにスライドさせているのではないか、と疑わざるをえない。

 百田氏が三浦春馬の単純さや、岡田准一による美意識のスライドを、わざと企んでやっているのか、それともただ単にそういうヒトなのかはよく解らない。
 しかし、本稿を書いている直前に、やしきたかじん氏の伝記をめぐる騒動があり、「ああ、相当利にさといヒトなんだろうな、、、」とは思う。

 本来は山崎貴に帰すべき問題を、すっかり百田尚樹にかぶせてしまっているが、山崎貴がそういう問題を真剣に考えているとは思えなかったりもする。
 ワタクシ空中さんにとって山崎貴は、「特撮が映える過去」を舞台にして後はなるべく分かりやすく描けばいいと思ってるヒト、であって、今回も洋上で動いている空母を撮って窓の内側でヒトが動いているカット等を見ると、ああ、日本の特撮も「スターシップ・トゥルーパーズ」には追いついたのかなぁ、、、などと思うのであった。
JUGEMテーマ:映画

at 20:41, 空中禁煙者, 邦画

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