smtwtfs
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
232425262728 
<< February 2014 >>
profile
recommend
マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
映画検索
カスタム検索
  
 
★の数が意味するところ
★★★★★
生涯のベスト10を塗り替える勢い
★★★★
ブルーレイがでたら買うかも
★★★
観といて損はなかったかも
★★
別に観なくてもよかったかも

金はいいから時間返せ
bk1
new entries
categories
archives
recent comment
  • 「スパイダーマンTM3」  え?え?TMってナニ?
    空中禁煙者 (01/23)
  • 「スパイダーマンTM3」  え?え?TMってナニ?
    nk (01/22)
  • 「必殺始末人」 トシちゃん渾身の殺陣が堪能できる
    空中禁煙者 (07/04)
  • 「必殺始末人」 トシちゃん渾身の殺陣が堪能できる
    台湾人 (07/03)
  • 「必殺始末人」 トシちゃん渾身の殺陣が堪能できる
    空中禁煙者 (07/02)
  • 「必殺始末人」 トシちゃん渾身の殺陣が堪能できる
    台湾人 (07/01)
  • 「ザ・ライト エクソシストの真実」 コレで実話って言われてもなぁ、、、
    空中禁煙者 (06/29)
  • 「ザ・ライト エクソシストの真実」 コレで実話って言われてもなぁ、、、
    通りすがり (06/28)
  • 「ゼロの焦点」 中島みゆきのエンディング・テーマがビックリするくらい浮いている
    通りすがり☆ミ (12/08)
  • 「必殺始末人」 トシちゃん渾身の殺陣が堪能できる
    空中禁煙者 (06/03)
recent trackback
links
mobile
qrcode
others
無料ブログ作成サービス JUGEM
search this site.

「ほんとにあった!呪いのビデオ55 」 「劇場公開」と「ドキュメンタリー」

 ネットを渉猟していて、なんとなく、この55巻がヒッソリと(?)劇場公開されているのは気がついていた。ちょっと、成立するのかな、、、などと心配にも思っていた。
 個人的には深夜にひっそり独りで観るから怖いんであって、劇場で大勢とスクリーンサイズで見るものではないと言うイメージが有る。学生時代に自主映画を作っていた経験から、劇場の恐ろしさは身に沁みている。誰か1人が笑うと、もう、その回は全てが笑いに繋がってしまう(逆に笑って欲しい時は、この「笑いのリーダー」の存在が心底ありがたかったりする)。

 そんなことはどうでもいい。

 いざ、レンタルショップで借りて観てみると、なるほど通常回とは違う、「劇場公開したんねん!」という意気込みと工夫が感じられる作りになっていた。
 歴代演出補きっての美人(2位くらいかな、、、)川居尚美嬢もいっぱい映るし。
 例によって人気「元」演出補菊池もヌケヌケと一般参加してくるし。
 時間もいつもの5割増しだし。

 しかし通常巻との最大の違いは、実はこの巻に収められたエピソードは全て繋がっている、と言うことだろう。

 開巻当初はいつもと同じように一見何の関係もないエピソードがポツリ、ポツリ、と紹介されていくが、やがて、徐々に、全てのエピソードが実は同じ背景を持った事件だ、と言うことが解っていく、、、と言う構成になっている。

 コレはコレで劇場公開するに相応しいアイデアだと思うけど、、、

 コレ、どうなん?
 この構成はマズいんじゃないの?

 このシリーズは一応「投稿されてきた映像を元に」と言うことになっていて、理の当然として投稿映像以外の部分、スタッフによる取材映像等も含めて「ドキュメンタリーである」ッて言う前提じゃないの?
 そしてもしこの作品もドキュメンタリーであるというならば、最初から
「最近送られてきたいくつかの映像とスタッフの身に起きた出来事が、取材の結果同じ背景を持っていることが判明したので、まとめて公開することにした」
 と断って始めればいいんじゃないの?

 それを敢えて通常回と同じように始める、と言うのは、ハナシが繋がっていく快感を覚えさせるためのミスリード、つまりは演出である、と言うことになり、このシリーズが構成も含めてフェイクである、と言うことを認めるコトになってしまうのではなかろうか。

 オレは過去この「ほん呪」シリーズを何回も取り上げていて、その都度大筋では好意的に評価してきたつもりだが、注意深く読んでくれているヒト(がいるとすれば)にはお解りの通り、ハッキリとは言わないまでも「ほん呪」をフェイクとして評価し、「それでも面白い」というスタンスで扱ってきた。
 特に長編作品については各時代の「構成」者(オレは事実上の脚本・監督だと思っている)の個性を認めた上で、つまりは「構成」者の作品として評価してきた。

 しかし、それもこれもあくまでも作り手側は「ドキュメンタリーですよ〜」と言う立場を守って作っていると言う前提での評価であって、コレが「ドキュメンタリー風ホラー」だと言うなら、ちょっと考え変わりますよ?と言うことだ(JUGEMUテーマも変えなきゃならん)。

  例えば一見無関係に思われた個々の出来事が実は、、、と言うプロットをドキュメンタリー風に描く、という趣向は白石晃士の「ノロイ」と同じであり、「じゃあアレと比べてどうなの?」と言う話にならざるを得ないのよ。

 正直言って今回は個々のエピソードとしても、それが同じ背景を持っていたという長編としても、平均的な出来でしか無い。
 「ほん呪」シリーズで平均的、ということは、世間に数多ある他の似たようなシリーズに比べれば大分(全然?)マシ、と言うことなのだが、シリーズの将来に不安を抱かざるを得ない。

 この手の映像作品を何作も作る、と言うのは当然無理なハナシで、ココ数作岩澤監督も苦しんでいるな、と言う印象はあった。劇場公開、と言うのがマンネリを打破するための手として有効に思えた、というのなら仕方がないが、よくよく考えて作らないと、元も子も無くしかねないのではないか。
JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 03:20, 空中禁煙者, 邦画

comments(0), trackbacks(0), pookmark

「ライジング・ドラゴン」 ジャッキーは、長所も短所も「懲りない」ところ

 「ジャッキー・チェン最後のアクション超大作」と銘打たれている。
 で、観てみると、なんと、お懐かしや20数年ぶりの「アジアの鷹」シリーズの一本であった。
 なるほどね、、、
 ジャッキー、最後のアクション映画には、アジアの鷹を選んだか、、、やっぱりお気に入りだったんだねぇ、、、

 「アジアの鷹」は1986年の「サンダーアーム/龍兄虎弟」と1990年の「プロジェクト・イーグル」でジャッキーが演じたキャラクター。
 要するにインディ・ジョーンズにヒントを得て、というか対抗するつもりで造ったトレジャーハンターキャラなのだが、インディと違うのは、学問も正義も関係ない、ただ、金のためだけに命がけでお宝を追う、守銭奴キャラにしてみました、というところ。
 本人(ジャッキーじゃなくて「アジアの鷹」本人ね)は一生懸命「金のためならなんでもする冷酷非情な守銭奴」キャラで行こうとしてるのだが、そこはそれ、ジャッキー映画のこととて、つい、情にほだされて、、、的な展開も多い、と言うシリーズだった記憶がある。

 しかしこれはある意味画期的な試みでもあったのよ。ジャッキーの代表的なシリーズ、「プロジェクトA」も「ポリス・ストーリー」もジャッキーは警察官である。正義の味方である。
 これはどういうことかというと、全てのアクションや危険なスタントの帰結には「正義」がかかっている、ということである。ジャッキー(の演じる人物)が負けるということ、或いは時計台から落ちて死ぬということは、正義が死ぬ、ということなのだ。

 多分、ジャッキーは「どうも堅苦しいな、、、」「コレ、素直に笑えないな、、、」と思ったのだろう。
 そこで守銭奴である。
 「アジアの鷹」創造の目的は、政治という軛から開放されて、エンターテインメントとしてのアクションをやりたい、ということだったろう。

 せっかくの「アジアの鷹」シリーズ第一作「サンダーアーム/龍兄虎弟」で、皮肉にもジャッキー自身が死にかけてしまい、イマイチ不発に終わってしまったのは残念だったが、続く「プロジェクト・イーグル」では、信じがたいほど危険なスタントを笑いに昇華させた傑作であった。
 「巨大風洞実験室」でのスタントはやはり映画史に残る名シーンだろう(「ポリス・ストーリー3」のムチャなスタントにも魂が震えたが、アレはやはり笑えない。まず、コレ、ダイジョブなんか、、、と思ってしまう)。

 ジャッキーが最後のアクション大作に、20数年ぶりの「アジアの鷹」を持ってきた、と言うのはつまりそういうことなのだろう。いつもの刑事や巻き込まれ型のストーリーにつきまとう悲壮感を避け、あくまでもエンターテインメントとしてのアクションを楽しんでいってよ、ということなのだと思う。

 で、まあ、だいたい(65%くらい?)、そういう映画になってます。

 ジャッキー・チェンには、同時に短所にもなっている長所がある。
 「懲りない」と言うことだ。
 懲りずに何度でもくだらない失言を繰り返す。
 何度死にかけても懲りずに危険なスタントを自らやってのける。
 今回もやってます。
 目を疑います。なんでこんな無茶するんだろう、、、
 それでいいじゃないか。
 アジアの鷹が多少軟弱になっててもいいじゃないか。
 彼の行動の目的が多少不鮮明でもいいじゃないか。
 ココには懲りないジャッキーがいる。
JUGEMテーマ:映画

at 02:55, 空中禁煙者, アジア

comments(0), trackbacks(0), pookmark

「聖書VS.世界史」 「普遍史」信者たちのこじつけっぷりがとてつもなく面白い

 「科学VS.キリスト教」と言う本が面白そうだと思って買ってみたら、あとがきに(オレは取り敢えずあとがきを読む癖がある)、「本書はこれまで筆者が公刊してきた二冊の講談社現代文庫の姉妹編であるが」の一文を発見。ゲ、、、その二冊から読まなきゃじゃん、、、(オレにはシリーズ物はちゃんと最初から読みたいと思う癖がある)

 という訳で一冊目。

 「聖書VS.世界史」と威勢のいいタイトルが付いているが、別にこの二者が戦うわけではない。特に、「世界史」側には戦う意志は全くない。
 じゃあナニが書かれているかというと、聖書側が一方的に現実をつきつけられて、もがき苦しみながらも今日我々が「世界史」であると認識しているような世界史に屈服するさまが描かれております。

 オレも本書で初めて知ったが、聖書(主に旧約)に書かれていることが即ち真実である、とする歴史を「普遍史」と呼ぶらしい。
 つまり、歴史の始まりとは要するに旧約聖書に書かれている「天地創造」であり、アダムとイブがいてその何代か後のノアの時代に洪水があって人類8人に減っちゃって、ノアの子孫の誰それがナニ民族になって、、、と言うのが真実の歴史である、と、ヨーロッパではつい18世紀頃まで信じられていたのだそうだ。

 当然、コレは最初からかなりいびつな世界観にならざるを得ない。世の中には聖書に書かれていないこともいっぱいあるからだ。そこは「聖書を基にした」想像で埋めていくわけで、今の目から見るとほとんど抱腹絶倒モノの世界観が繰り広げられていたわけだ。
 世界は大河でヨーロッパ、アジア、アフリカの3つに区切られた丸い円盤であり、周囲はオケアノスと呼ばれる海で囲まれていて(オケアノスは多分Oceanの語源だろう)、円盤の縁に近づくほど奇妙奇天烈な化け物が棲んでいる。首から上がなくて胴体に眼と口が付いてる奴とか。

 普遍史にとっては、エジプト問題と中国問題はいつも目の上のたんこぶだった。ギリシャ文明の元になったエジプトのことは当然知られていたし、中国のこともなんとなく、伝わってきていた。ところでエジプトと中国の歴史って、旧約聖書よりも古くね?という訳だ。
 これらの問題にアタマを悩まし、最終的にはこじつける当時の歴史家たちの苦闘が本書の読みどころである。

 さらに、15世紀になると大航海時代がやってくる。いよいよ聖書に書かれてないことが次々と解ってくるのだ。
 世界は丸い円盤じゃない。大陸だって三つだけじゃない。中国の文明はどうもある意味ヨーロッパ以上らしいぞ(キリスト教も知らないのに!)。辺境に化け物は棲んでない。

 それでも後2〜3世紀はこじつけた。
 ニュートンだってこじつけた。
 なんとか頑張った。

 でもダメだった、、、

 と言う、「普遍史崩壊の歴史」が本書の骨格です。

 非常に真面目な本ではありながら、

・普遍史以前の奇妙奇天烈な世界観
・普遍史信者たちの苦しいこじつけっぷり

 がとてつもなく面白い、とても楽しめる本でした。
JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 02:37, 空中禁煙者, 書籍

comments(0), trackbacks(0), pookmark

「LOOPER/ルーパー」 テーマはシリアス、演出はハードボイルドなSF映画

 小説のハードボイルドSFに良い作品は少ないが、何故か映画だとそうでもない。例えば「ブレードランナー」は明らかにハードボイルドミステリーのフォーマットに乗っかっているだろう(原作はハードボイルドと言うより、警察小説風)。実は映画のほうが、ハードボイルドと言う思想に適しているのかもしれない。

 一方、SF映画には「2001年」とか、最近では「クラウド・アトラス」みたいなシリアスなSF映画と、最近のCGに物を言わせたガチャガチャしてるだけのSFがある。
 本作「LOOPER/ルーパー」は、ブルース・ウィリスが出てるし、どうせ「サロゲート」みたいなガチャガチャしてるだけのSFだろうと思ったが、なかなかどうして、そこそこシリアスな展開とハードボイルドな演出を備えた佳作でありました。
 監督・脚本ともにライアン・ジョンソン。このヒトは過去二作でも監督・脚本を両方こなしてる。オリジナルストーリーを考えて、これだけのハードボイルドな演出力を備えてるとなると、今後注目のヒトかもしれない。

 舞台は2044年。主人公は未来から送られてきた人間を殺す、ルーパーと呼ばれる職業(まあ、殺し屋です)のオトコ。「インセプション」や「ダークナイト・ライジング」で「優しい顔して冷徹な職業人」を演じたジョセフ・ゴードン=レヴィット。

 映画の中の時代からさらに30年後、タイムマシンが発明されたが、公には使用は禁止されている。しかしある犯罪組織は秘密裏に使用して、殺したい奴を30年前に送り込んで、30年前の殺し屋に殺させている。なぜなら未来では人間はナノマシンを体内に注入されて、いつどこで誰に殺されたかすぐ判ってしまうので、事実上殺人は不可能だから。

 で、何がハードボイルドかと言ってですね、殺されるべき奴が実体化した瞬間ショットガンをぶっ放すタイミングがハードボイルド。
 誰にも見られる心配のない荒野にシートを敷いて、その前でショットガンを構えるルーパー。
顔に覆いをされ、手足を拘束された状態で座らされた被害者が、実体化した途端に間髪をいれずぶっ放す。被害者は後方へ吹っ飛ぶ。
 アーもウーも無い。
 シ、シビれる、、、

 ここまでが前提条件で、ストーリーは主人公が殺すべき相手として、30年後の自分自身が送り込まれてくるところから動き始める。
 彼は何故か顔も覆われてないし、手足も拘束されていない状態で現れる。
 彼は他の被害者と違い、ある明確な目的意識を持って、自分自身の意志で30年前に戻ってきたのだ。

 タイムトラベルSFはタイムパラドックス問題から逃れられない。「テルマエ・ロマエ」の時に、「SFファンは言い訳を求めている」と書いたが、さすがライアン・ジョンソン監督、ちゃんと解ってらっしゃる。
 ブルース・ウィリスに「タイムトラベルのハナシをするつもりはない!!複雑すぎる!!」と叫ばせてます。コレ一発でSFファンも納得。後はやりたい放題です。

 実はこの映画、過去の様々な名作の記憶を多用して成り立っている。
 例えばこの後のストーリーを聞けば、誰でも「ターミネーター」じゃん!と思うだろう。
 この映画のタイムパラドックスの扱いは、明らかに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の影響を受けている。
 他にもシーン単位で見ると、デ・パルマの「フューリー」じゃん!とか、急に「マッド・マックス」になっちゃったよ!!とか、枚挙にいとまがない。恐らくオレが気づかなかったネタも大量にあるのだろう。
 つまり、自らが映画マニアであることを隠そうとしていない。もちろん映画監督というものはフツー映画マニアだが、そのことを隠そうとするかしないかは、同じ映画マニアへの訴求の度合いが違ってくる。

 L字型の廊下がある。
 カメラはLの字の下の棒の真ん中から、Lの字の角の部分に立って、縦の棒の先にいるギャングに向かってサブマシンガンをぶっ放しているブルース・ウィリスを撮っている。
 縦の棒の先にいるギャングは取り敢えず全滅したらしく、銃撃は止む。
 が、何事かもの音がしてカメラは「180度パンして」下の棒の先に繋がっていた階段を映す。
 階段から新手のギャングが降りてくる。
 カメラは「そのまま動かずに」降りてきたギャングが(恐らくはブルース・ウィリスによって)撃ち殺されるのを映している。
 ギャングが死ぬと、カメラは再び「180度パンして」サブマシンガンを構えたブルース・ウィリスを写す。
 シ、シビれる、、、

 ちょっと工藤栄一を思い出す。
 カメラワークによるハードボイルドな演出、とはこういうことだろう。

 ブルース・ウィリスやジョセフ・ゴードン=レヴィットは、まあ、このヒト達ならこんなもん(これくらいはやってくれなきゃ)だろ、と言う程度。
 一応のヒロイン、エミリー・ブラントは、ちゃんと表現すべきことは出来ているが、もうちょっとキレイに撮ってあげて欲しいなぁ、、、と言う感じ。
 特筆すべきは謎の少年役の子。
 時によって邪悪なムードと無垢な可愛さを使い分けていて、その演技力でこの映画のテーマの成立に一役買っている。この子がただ可愛いだけだったら、全然映画のリアリティ変わっちゃってたな、と言う感じ。
 大人の役者全員、この子に食われてます。
JUGEMテーマ:映画

at 02:17, 空中禁煙者, 洋画

comments(0), trackbacks(0), pookmark

「ZOO CITY【ズー シティ】」 ショット不足で絵が繋がってない

  古来より、SFファンとハードボイルドファンは重なっている、と言う説がある。
 事実、私もそうだ。
 しかし、不思議なことに「ハードボイルドSF」と銘打たれた作品が、ほぼ、面白くない。例外は、記憶にあるかぎり平井和正の「サイボーグ・ブルース」くらいか。

 そんなわけで、久々「ハードボイルドSF」と帯にある小説。

 まあ、「ハードボイルド」は出版社が勝手に帯に書いただけで、「ノワール小説」ではあっても、「ハードボイルド」ではない。
 なにしろ主人公が微塵もハードボイルドじゃない。
 探偵役の一人称小説+暗黒街=ハードボイルドと名乗って良いって不文律でも出版会にあるのだろうか。
 一応、一見無関係に思えた二つの事件が実は繋がっていた、とか、いくつかのハードボイルドミステリーの定石を備えてはいるが。

 ほぼ、現代と区別の付かない時代の南アフリカはヨハネスブルグが舞台。
 我々の知っている世界との唯一の違いは、
「なにか大きな罪を犯した人間には、任意の一匹の動物が取り憑き、同時に特殊能力が生まれる(「HUNTER?HUNTER」の「制約と誓約」みたいなものか)」
 と言う謎の現象が生じている点。
 なぜ、いつ頃からこの現象が生じているのかは、ついに明かされない。

 そう、主人公の活躍は、この世界(に生じている不思議な現象)の謎を解き明かさないし、この世界(に生じている不思議な現象)に影響を与えない。
 これは、「ねじまき少女」等と同じく、「SF世界の普通小説」(まあ、ミステリーだけど)なのだ。

 主人公は、むかし兄を殺した罪のせいで、一匹のナマケモノに取り憑かれ、同時に紛失物とその持ち主の間に「運命の赤い糸」が見える、と言う能力を手に入れた女性、ジンジ・ディッセンバー。。
 彼女は元々ジャーナリストだったが、この能力のおかげで今は探偵まがいのことをして糊口をしのいでいる。
 ジンジは金持ちのババアに頼まれてババアがなくした指輪を探すが、二度目に訪ねた時、ババアは死んでいた、、、
 という訳で、発端もそこそこハードボイルドミステリーの雰囲気を湛えているのだが、、、

 この小説、映画風に言うと「ショット不足で絵が繋がってない」んだよね。
 例えば主人公がなんか知らんけどどっかに一生懸命移動してるなー、と思うと赤い糸を追ってたり。突然他の登場人物が何事か発言して、「ええ!コイツ一緒にいたのかよッ!!」っと驚いたり。
 何らかの効果を狙ってわざとやってるのか、作者が初心者なだけなのか判らないが、もう、読みにくくてしょうがない。
 何度途中で諦めようと思ったかわからない。
正直言って、余程のことがない限り、この作者の別の作品を読む気にならない。

 恐らく、作者が描きたいのは、SFでもハードボイルドでもなく、「ヨハネスブルグ」であり、「南アフリカ」なのだろう。
 ヨハネスブルグのヒリヒリとした現実を知る者が読めば、全てが腑に落ちるような気もする。
 逆に言うと、ヨハネスブルグを知る者が持つ問題意識をアクチュアルに共有できない者にとっては、全てが中途半端。

 「動物憑き」と言うアイデアは魅力的なだけに、同じアイデアでもう一作書いて欲しい気もするが、いかんせん、読む気がしない。
JUGEMテーマ:小説全般

at 21:46, 空中禁煙者, 書籍

comments(2), trackbacks(0), pookmark

「危険なメソッド」 クローネンバーグ好みの実話が、そこにある

 「シンクロニシティ」や「アーキタイプ」で有名なユングが、美しい女患者とセックスしまくったあげくに、師匠のフロイトと袂を分かちます。

 ある意味、地味〜な、創成期の精神分析学界の内幕モノなんだが、なにしろクローネンバーグである。
もう、どうしようもなくクローネンバーグ印の映画になっている。

 だいたい、冒頭のキーラ・ナイトレイによるヒステリー女の演技がスゴイ。もう、人間からゴリラに変わるモーフィングの途中かよッ!!って言うくらい顔が変形します。
 CG無しで(多分)。
 あの美人女優が。
 アレ、アゴ痛いと思うけどなぁ、、、
 横でクローネンバーグ監督が、「もっとアゴ出して!!もっと!!もっと!!!もっとだぁ〜〜〜!!!!」とか言ってるんでしょうねぇ、、、なんか目に浮かぶ。

 さらに、なにしろクローネンバーグ映画なので、ユング役のマイケル・ファスベンダーとキーラ・ナイトレイの変態セックスがあります。まあ、一応史実だから(キーラ・ナイトレイがやってる、のちに精神分析医になったヒステリー女に日記とか手紙が発見されたのね)、しょうがないけど。
 まあ、キーラ・ナイトレイがスパンキングされて喜ぶわけ。
 全然エロくない、なんかキモいもんを観たな、、、ッて言う感じなのも、クローネンバーグならでは。

 なにしろ史実なんで、後はあんまりハデなことは起こらない。どちらかと言うと淡々とした地味な映画です。
 ユング、その妻、ヒステリー女、フロイトの四人の心理を19世紀の風景に乗せて丁寧に描く、ある意味文芸映画ですな。

 個人的に残念だったのは、フロイトとユングの決別の原因になった、ユングのオカルトへの傾斜が掘り下げてないところ。
 一箇所、フロイトの部屋でフロイトとユングが論争するシーンで、実際に二人の目の前でシンクロニシティが起こる、と言う描写があるが。

 何故、あの優秀だったユングがオカルトに走ったのかは、すごく重要な問題で、「患者と変態セックスしてたから」「大金持ち(しかも美人)の奥さんの援助を受けてたから」とか、この映画に描かれたことだけでは納得できないよね。
 まあ、単にクロちゃんが興味が無いんだろうけど。
JUGEMテーマ:映画

at 20:45, 空中禁煙者, 洋画

comments(0), trackbacks(0), pookmark