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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「クラウド アトラス」 一番エラいのは編集したヒト

 19世紀から文明崩壊の106年後の世界まで、時代も場所も違う6つのストーリーを3時間に収めた映画。

 6つのストーリーを、「マトリックス」シリーズのウォシャウスキー姉弟と「ザ・バンク/堕ちた巨像」のトム・ティクヴァが、それぞれ3つずつ演出している。
 このやり方が功を奏したのか、手を抜いたエピソードがなく、どれひとつとってもそれなりの中編映画として通用しそう。
 6つのエピソードの時代と舞台を一応挙げておくと、

1.1849年の南太平洋航海中の奴隷売買船
2.1931年のスコットランド
3.1973年のサンフランシスコ
4.2012年のイングランド
5.2144年のネオ・ソウル
6.2321年の文明崩壊後の世界

 となっており、この内1.5.6.がウォシャウスキー姉弟、2.3.4.がトム・ティクヴァの担当らしい。
 コレはつまり特撮の必要なエピソードはウォシャウスキー姉弟、必要ないエピソード(現代に近い)はトム・ティクヴァ、と言うことだろう。まあ、適材適所を考えればそうなるだろう。

 個々のエピソードは前後にゆる〜い繋がりがあり、1.の主人公の日記を2.の主人公が読んでいたり、4.の主人公の自伝の映画化を5.の主人公が観ていたりする。
 さらに、それぞれの時代の全然別の人物として複数回出演している役者が何人もいて、トム・ハンクスとハル・ベリーは全てのエピソードに登場する。
 さらにさらに、ストーリーは全エピソードとも、一応、「圧制者に反逆する個人」を描いたハナシになっている、と言えなくもない。

 しかし極端なことを言うとそんなことはどうでもいい。
 この映画で一番スゴいのは、その編集である。
 各エピソードを誰が演出したのかは判った。
 じゃあ、一体誰が編集したのか、と言いたい。

 この映画には原作があって、原作では各エピソードをそれぞれ二つに分け、1’→2’→3’→4’→5’→6’→6’’→5’’→4’’→3’’→2’’→1’’と並べているだけだ。6’と6’’は繋がってるじゃねーかとお思いだろうが、ココで上下巻が分かれてる、という訳。
  しかるに映画の方はどうであろうか。

 まるで、6つのエピソードが同時に走りだしたようである。
 各エピソードを細分化してエピソード間を縦横無尽に飛び回る(ひとつのエピソード内ではだいたい、時系列順に並んでいる)が、繋ぎ目が魔術的なのだ。
 例えばあるエピソードで銃を撃つと、別のエピソードで弾が当たったりする(当然、撃ったのも当たったのも別人だが)。
 ヒッチコックのジャンプカットは時空をまたいだが、「クラウド・アトラス」のジャンプカットはストーリーすらまたぐ。
 コレこそ映画のマジックであり、映画的興奮というものだ思う。
 同じ役者が別のエピソードに別人として(人種どころか性別すら変わる)出ているのも、映画のマジックのひとつだろう。
 ジム・スタージェスとペ・ドゥナはどの時代でも惹かれ合う。ヒューゴ・ウィーヴィングはいつも悪いヒトである。さて、主役のトム・ハンクスとハル・ベリーはどうだろう、、、みたいな。

 各エピソードが毛色が違っていて(SFもあればサスペンスもあればコメディもある。ボーイズラブすらある)、しかもちゃんとそれぞれちゃんと面白いせいもあるが、全編にわたって張り巡らされたこれら映画のマジックのために、3時間全く飽きることがない。
 いや、3時間驚きの連続と言ってもいいだろう。

 こういう事はあまり言いたくないのだが、正直言って、「ミスター・ノーバディ」のパクリかな、という気もする。
 「ミスター・ノーボディ」観て「ヤラレた!!」と思ったトム・ティクヴァが、似たようなことが出来る原作を見つけて、ウォシャウスキー姉弟を引き込んだ、という気がしないでもない(ちなみに、原作レベルで言うと、ペ・ドゥナちゃんが救世主になる設定は、「エンディミオン」のパクリではないか)。

 でもいいよね。映画はパクリの集成だ。
 これから「複数のエピソードを役者使いまわして行き来する」ってジャンルが成立するかと思うと、なんか楽しみじゃないか!!
 SF界では一番最初にタイムマシンってアイデアで小説を書いたH・G・ウェルズより、「2番目に」タイムマシンを使った小説を書いたヤツのほうがエラいってコトになってる。
 タイムマシンがH・G・ウェルズ固有のアイデアではなく、誰でも使えるアイデアであることを証明したからだ。
JUGEMテーマ:映画

at 20:34, 空中禁煙者, 洋画

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「ジャッキー・コーガン」 アレゴリーが読めなくても充分面白いやい!!

 巷間この映画に関しては、既に町山智浩氏による「サブプライムローンをギャングの賭場荒らしに象徴させたアメリカ経済の話である」と言う解題が広く膾炙していて、既に定説化しているようである。
 氏の解題について詳しくはぐぐってもらえばすぐ出てくると思う。
 ワタクシ空中さんとしてもこの解題について異論はない。
 ああ、なるほどね、、、と納得した次第である。

 しかし、「それがわからないとつらいです。」と言う意見については、チョット待ってくれ、と言いたい。
 実は、ワタクシ空中さんは事前に町山氏の解題について知らず、剰え観ていても氏のおっしゃるようなアナロジーには気づかず仕舞いだったにも関わらず、この映画、かなり面白かったのだ。

 そりゃオレだって劇中延々と大統領選のTVニュース流れてるしさ、ラストでブラピが突如ジェファーソン大統領をボロカスに言う辺りで、アメリカの政治の空虚さと底辺に暮らす人民の実情を対比してたりするんだろうな、くらいは思ったが。

 コレはどうしようもないクズ白人、いわゆるホワイトトラッシュどもの繰り広げるエラくローテンションな「自然と殺し合いを含まざるをえない日常」を描いた映画なのだ。

 どうしようもないホワイトトラッシュ共は延々とくだらない会話をして、その会話から得たくだらない結論に従って行動し、その結果どうしようもなくくだらない暴力が勃発する。
 この映画はそのくり返しであり、そこがたまらなくリアルでヒリヒリとした絶望に満ちている。
 ダラダラとした会話→暴力→ダラダラとした会話→暴力の連続から生まれる絶望が、「ああ、ホワイトトラッシュの現実ってこういうもの知れないな、、、」としみじみとした絶望を観てるこちらにまで感染させるのだ。

 そしてやってくる暴力の激しさ。レイ・リオッタがボコボコにされる描写も観るものの心胆寒からしむるものがあるが、その後に来る自動車事故の激しさ美しさはどうだろう(正直言うと「ビースト・ストーカー/証人」のパクリかな、という気もするが)。
 ブラピが殺し屋としての職務を果たすシーンのクールさと言い、どうしようもない日常を無惨な暴力が切り裂いていくリズムが、やがて快感になってくるのだ。
 別にブラピが連れてきた「昔は凄腕だったがアル中で役に立たなくなってた殺し屋」が財務長官のメタファーだと気付かなくても、十分楽しめるのよ。
 今の(まあ、前々回のアメリカ大統領選の頃だけど)アメリカを実感できる映画として、ギャング映画として、「L.A.ギャングストーリー」だの「アウトロー」だのより、よっぽど面白いです。

 しかしこの映画、ネット上で評判悪いね、、、
 タランティーノのダラダラ会話がイヤじゃないヒトは楽しめると思うんだけどなぁ、、、
JUGEMテーマ:映画

at 19:59, 空中禁煙者, 洋画

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「ダイ・ハード/ラスト・デイ」 ジョン・マクレーンである必然性が無い

 前作「ダイ・ハード4.0」のレビューで「別に毎回シリーズ最高のド迫力じゃなくってもいいと思うんだよな。ちょっと、地味で渋いんだけどサスペンスは最高!みたいな回をやっとくべきだったんだと思う。」などと書いたが、なんとなくそんな感じでもある。さすがに前作を超えるムチャクチャなアクションには挑戦してません。ムチャはムチャだけど。
 但し、地味でもサスペンス最高でもない。
 ただ、前作よりは小規模なアクションをガチャガチャやってるだけ。

 て言うかコレ、もう、「ダイ・ハード」じゃなくてよくね?「ミッション・インポッシブル」でも「007」でもなんでもいいじゃん。なんでジョン・マクレーン主人公でスパイ・アクションがしたいと思ったのか全然判らん。

 前半のCGっぽくない(CGかも知んない)カーアクションはなかなか良いと思った。クルマ同士の肉弾戦、と言う感じ。しかし終盤の、特にヘリコプターを巡る攻防は、もう、ホントどうでもいい。イマドキただ、ヘリコプターに掴まって振り回されるジョン・マクレーン見せられても、スリルもなんにもない。

 映画において破壊は重要な要素だ。ただ何かが大々的に破壊されている、と言うだけで観客は快感を感じるものだ(オレみたいなアホな観客だけかも知れないが)。蕩尽の快感ってやつだ。
 しかしコレに頼るとすぐ飽きちゃうのね。もっともっとと、どんどんより過激な破壊じゃないと満足できなくなってくる。
 ところが、同じ規模の破壊でも、それなりの内実が伴っていれば満足することは可能なのね。
 その破壊に至るまで登場人物はナニを考え感じていたのか、その破壊によってどんな被害(あるいは効果)が得られるのか、どんな苦労によってその破壊に至ったのか(あるいは防げなかったのか)。これらをちゃんと描くことによって、小規模な破壊でも大破壊と同等の満足は得られるのだ。

 しかるにこの映画はどうであろうか。
 モスクワからチェルノブイリまで、ヘリで飛んで行った奴らを「クルマで追いかけて」追いついてしまうのである。その夜のうちに。
 イヤイヤ、モスクワからチェルノブイリまで1000キロメートル位あるんですけど、、、
 休みなく時速100kmで走っても10時間かかるんですけど、、、
 どう考えても夜が明けちゃうんですけど、、、
 次の夜だっていうんなら、その間ヘリで行った奴らはどうしてたんだよ、、、

 まあ、マンガなんだけど、マンガならもうちょっと笑えるギャグ入れてもらわないと、、、
 マンガである以上、ヘリが落ちようがチェルノブイリの構造物破壊しようが別にスリルもないのは当たり前だわな、、、

 ホント、CGのせいでアクション映画がどんどん「トムとジェリー」化していく。
 コレは大問題だなぁ、、、
JUGEMテーマ:映画

at 20:40, 空中禁煙者, 洋画

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「鈴蘭」 ついに到達した日本のハードボイルドミステリーの完成形

 東直己氏自身を反映したキャラであるススキノ便利屋に比べ、恐らくは東氏の理想の反映である探偵畝原を主人公としたシリーズ。

 前作「眩暈」のレビューで『「異常者頼み」を脱却し、札幌でしかありえない犯罪を描けるようになったら、多分、世界レベルのハードボイルド小説になるのではないか。』などとクソ生意気なことを書いているが、ああ、ついにやったなぁ、、、と言う感じ。

 ついに、初期の頃からオレが感じていた不満であった、やたら大事件にしたがる癖や、道警への怒りだけで練ったようなプロット、異常者頼みの展開なしで、悲しい等身大の人間たちの営みの果てに生まれる謎を解きほぐすハードボイルドをやり遂げている。
 多分、ススキノ便利屋シリーズも含めて、東直己のひとつの到達点であり、現在までのところ最高傑作だと思う。

 旧友のTVプロデューサー祖辺嶋から番組用のリサーチを頼まれた畝原は、目的地「簾舞ナチュラルパーク」で、パークの運営者早山老人を暴漢から救う。それが縁で畝原は早山老人から、自分を襲った暴漢に関する「ある疑問」の調査を依頼される。
 一方畝原はコレも旧知の「更生したヤクザ」である兼田に、行方不明になったらしい元恩師を捜してくれ、と頼まれるが、、、と言うハナシ。

 一見無関係に思われた2つの事件が実は根は同じで、、、と言うのはハードボイルドミステリーにおいては常套手段だが、本作ではこの二つの事件は別に交わらない。かと言って全く平行線のままでもない。片方の事件を調査中に別の事件のヒントを得るのだ。
 コレはある意味新機軸だな、と思った。

 引揚者(コレ、意味通じなくなりつつあるな、、、)で天涯孤独の身ながら金貸しで大金を貯めこみ今は小規模なテーマパークを運営し、ボランティアの若者に囲まれ悠々自適の早山老人。
 そのテーマパークのある山の反対側で捨て犬捨て猫とともにゴミを集めて暮らし、日中は都会にマイクロバスで出張り、街宣活動をする、精神に不安定なものを抱えた初老の嶺崎。
 高校を中退するときに必死で慰留してくれた恩師の為に命を捨てる覚悟の元ヤクザ兼田。

 彼らの共通点は「家族に恵まれなかったこと」であり、「家族ではないヒトビト」との繋がりを必死に追い求めていることだ。
 本書は「貧困ビジネス」や「ゴミ屋敷」といったアクチュアルな問題に切り込みつつ、結局は「家族」、あるいは「失われた家族」、さらにあるいは「あらかじめ失われた家族」と言うテーマの周辺を逍遥する。

 コレは畝原自身が実の娘、妻、妻の連れ子、引き取った養女の5人家族であることと無縁ではない。妻は普通血が繋がっていないが、血の繋がりがない娘でも家族になることは可能なのだ。妻の連れ子の真由は今では畝原の最大の協力者であり、養女の幸恵の成長は夫婦の最大の喜びだ。

 一時は薄氷を踏むが如き危うさだった畝原の私生活も、妻明美との結婚ですっかり落ち着いたようにみえる。しかし一見安泰に見えるのは、ココ数作畝原の敵が家族に手を出していない、という創作上の問題にすぎない。
 実は心も体も傷を負ったままの明美も、恐らくは普通の少女にはなれない幸恵の存在も、畝原に弱点をもたらしただけなのだ。

 実は主人公が家族を持てるのか、と言うのはハードボイルドミステリーにつきまとう問題だ。フィリップ・マーロウもサム・スペードもリュウ・アーチャーも家族なんかいない。
 ネオ・ハードボイルドの時代になると、マット・スカダーにもスペンサーにも家族「らしき」ヒトビトがいるが、見事に擬似家族である。

ついに日本のハードボイルドミステリーの完成形を生み出した東直己氏は、ハードボイルドミステリーの主人公が家族を持ちうるのか、と言う問題にも答えをだすのだろうか。

 ススキノ便利屋がチラッと姿を見せて畝原がそれについて辛辣な感想を述べる、と言う趣向はほとんど恒例となっているが、それ以外にも本書には懐かしいロクデナシが幾つか顔を見せる。
 やっぱり作者本人にもある程度集大成的な意図があるのかなぁ、、、
JUGEMテーマ:小説全般

at 20:12, 空中禁煙者, 書籍

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「スカイライン-征服-」 続編への前フリのような気もするが、まあ、面白くなくはないですぅ、、、

 「バトルシップ」に続いて侵略モノSF。
 但しこちらは主人公が軍人さんではなく、ただの一般市民(弱め)なので、ほぼ、戦ったりはせずに、4〜5人で隠れたり逃げたりしてるだけ。
 従ってアクションものとしてよりは、「クローバー・フィールド/HAKAISHA」とか、ゾンビ映画みたいなモンスター・パニック物として機能してる。

 監督はVFXアーティスト上がり、グレッグとコリンのストラウス兄弟。
 キャストは誰も知ってるヒト出てないし、大都会ロサンゼルスが舞台な割にはセリフのある役は10人程度と言う低予算映画なのだが、特撮はそれなりに豪華だし、為す術もなく逃げ惑うヒトビトを描くサスペンス描写もそれなりに出来てる。
 正直言ってコイツラには、この程度のコトは簡単なんだろうな、、、と思う。
 自分たちで造ったVFXの会社でCG作って合成してなんてお手のものだし、それなりの脚本があれば、売れてないけど芝居のできる新人連れてきて、ちゃんとサスペンスフルに仕上げますよ、と。
 まあ、エイリアンなんだかエイリアンの乗り物なんだかエイリアンの造った自走式の武器なんだか知らないが、ウジョウジョ動きまわってる奴らの造形はさして驚くべきものではなく、既視感満載だったりして、腕試しに作ってみた程度で、自らの監督生命をかけて、なんて真剣なものではないんだろうな、、、と言う感じ。

 ところがですね、この映画、ラスト5分で突如別の映画になります。

 「バトルシップ」の時にも書いたが、侵略モノSFで基本的に人類はエイリアンに敵わないことになっている。で、この「スカイライン 征服」でも敵わず、もう、やられる一方、ああ、人類は滅びるのね(当然、ラストで人類が滅びるSFも一杯ある)、、、と思って観ていると、突如、ひっくり返されてしまうのだ。
 いや、ひっくり返すまでは行かないか。「この後、こうやってひっくり返しますよ」と宣言して終わるのだ。

 「バトルシップ」のエントリーで、侵略モノSFで人類が生き延びる展開の典型として、「人類の手柄じゃない偶然でエイリアンが勝手に滅びる」というのを挙げたが、実はもうひとつある。
 コレは日本のコミックやアニメが好きな手で、古くは「デビルマン」辺りから使われているし、「宇宙戦艦ヤマト」もこの変種であり、最近でもアニメ等でよく使われている。

 それは、「敵の手法を取り入れる」と言う手だ。
 敵わないんだったら敵と同じ手法を取り入れれば、少なくとも敵と同等になるんじゃね?あとは根性次第で勝てるんじゃね?というある意味危険で大胆な手だ。

 この場合の「敵の手法」はテクノロジーだったり生命エネルギーだったり色々するが、この映画もそのようにして終わる。敵の手法を手に入れましたよ、と言う時点で終わるのだ。
 コレはつまり「続編作ります!」と言うことだろう。

 そして続編は「デビルマンやります!!」と言うことだろう。

 ヲイヲイ俺たち金払って前フリ観せられたのかよッ!!という気もするが、日本のマンガへ敬意を払う態度に免じて許そう。

 ところでスカイラインってナニ?次作で判るの?
JUGEMテーマ:映画

at 20:27, 空中禁煙者, 洋画

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「バトルシップ」 お笑い侵略モノSF

 古来よりSF界では、地球を侵略してきたエイリアンに対して人類は「敵わない」と言うのが定説になっている。
そりゃそうだ。
 火星だか深宇宙だかどこだか知らないが、地球までわざわざやってきた時点で、科学だかなんだか知らないがなんか優れていることは間違いない。普通に考えれば勝てるわけがない。
 じゃあ、侵略モノSFは全て人類は敗北、全滅するか征服されるかどっちかか、というとそうでもない。
世界初の侵略モノSFであるH・G・ウェルズの「宇宙戦争」の時代から、風邪のウィルスだのなんだの、別に人類の武力ではない要因でエイリアンが勝手に滅ぶ、と言う手法が確立されていて、この伝統は「宇宙戦争」のパロディである「マーズ・アタック」はもとより、「インディペンデンス・デイ」辺りまでしっかり継承されているのだ。

 そんな中、ここに米海軍が新宇宙より飛来したエイリアンを撃退する、という映画が作られたわけですが、当然無理があるわけで、結果として作った奴らは爆笑コメディのつもり、観るものによっては痛快戦争アクションと言う映画が出来ました。

 なにしろナンパ目的で閉店後のコンビニに忍び込んで結果的にコンビニ無茶苦茶にして捕まった奴が主人公である。マジメな映画になってるわけがない。
 このコンビニ泥、海軍中佐のアニキのコネでイキナリアニキが艦長やってる駆逐艦に将校として乗り込みやがる。この時点で爆笑である。
 で、ワイハ沖で日米合同訓練中にエイリアンがやってきて、なんだかんだあってアニキ死んじゃったんで自衛隊の艦長だった浅野忠信と組んでエイリアン撃退せざるを得なくなる、と。

 しかもこの映画、さんざっぱらエイリアンと激闘しておいて、コンビニ泥の結果ナンパした彼女のお父さん(海軍提督です)に結婚の許しを得に行く、と言うオチである。んなもんコメディじゃないわけあるか。

 言っておくがこの映画、バカが作ったせいで結果として爆笑巨編になってしまったいわゆる底抜け超大作ではない。ちゃんと笑えるように周到に作られた映画なのだ。
 そもそもこの映画、エイリアンは勝手にやって来たのではない。わざわざ地球側がご招待申し上げた結果、はるばるやってきたのである。にも関わらずたまたまそばにいた米海軍ドモがボンクラだったために、戦闘になってしまうのだ。

 そう、この映画のエイリアンは「侵略しに来た」悪いエイリアンとしては設定されていない。以下に証拠を並べてみよう。

・やってきた宇宙船5隻の内1隻は地球人の人工衛星と衝突し、残骸が香港に落ちて香港は多大な被害を受けるが、コレは不可抗力であり、エイリアン側にとっても損害である。
・先に手を出したのは米海軍のボンクラである。
・エイリアンは生命体と機械を識別して、生命体は攻撃しない、という描写が何度もある。
・香港に墜ちた機体は通信船であり、母星と通信不能になったために、地球にある「ご招待電波」発信機を奪おうとしているが、地球についてイキナリ「母星にナニを伝えようとしているのか」は判らない。

 お分かりであろうか。
 彼らが地球を侵略しに来た悪いエイリアンかどうかはまだわからない状態であり(生命体を破壊しないように心がけていることから考えて、ある程度平和的であることも予想される)、戦闘に陥ったのはあくまでもコンビニ泥のボンクラが血気にはやったせいなのである。
 結果として「ご招待を受けたからわざわざ出かけていった先で何故か理由もわからずタコ殴りにされる哀れなエイリアン」を描いた映画になっていて、タコ殴りにした本人はノン気に彼女のオヤジに結婚の許しを得に行くのである。
 どう考えても爆笑コントではないか。
 だいたい、70年前の戦艦の甲板をジジイどもがGメン75風におもむろに歩いてくるカットで、笑う以外どうしろというのだ。

 一体全体こんな映画を作ったのは誰だ!と思えばピーター・バーグである。
 このヒトは、FBI捜査官が事もあろうにサウジアラビアでマシンガン撃ちまくる「キングダム/見えざる敵」だの、鷲のマークを付けたスーパーヒーローがやり過ぎて世界中から嫌われる「ハンコック」だの、「一見、親米に見えながらも実はアメリカをおちょくっている」映画を撮り続けているヒトである。
 さもありなん。

 してみると、浅野忠信が日本人としては破格の良い役で出ていることを、喜んでばかりもいられないのかもしれないな、、、
JUGEMテーマ:映画

at 19:33, 空中禁煙者, 洋画

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「やがて哀しき復讐者」 文芸派香港ノワール

 とは言うものの、香港映画だからといって傑作とは限らない。
 さらに言えば、ジョニー・トー制作だからといっても傑作とは限らない。

 悪徳不動産屋のアンソニー・ウォンが、放蕩ムスメ殺されて復讐するハナシ。
 とは言うものの、別にアンソニー・ウォンが銃持って駆けずり回る訳ではない。
 実働部隊は前科者であることに苦しむ用心棒、リッチー・レン。
 リッチー・レンが捜査して、謎を解明し、追い詰め、殺す。
 どっちも「エグザイル/絆」に出ていて、まあ、ジョニー・トー組ということでしょう。
 監督は、ロー・ウィンチョン。

 リッチー・レンの復讐行は渋くてカッコイイが、やはりこの映画の主演はアンソニー・ウォンなのだろう。悪徳不動産屋の彼は、ムスメの死と復讐をキッカケに、徐々に変わっていく。不動産稼業にも情熱を失い、地上げの中止を命じる。
 しかし、全てうまく行か無いのだ。再婚した妻にも去られ、生き残った息子も離れていく。中止を命じたはずなのに、何故か地上げ業者は強硬な地上げを続け、殺されてしまう。
 すべてを失って復讐を続けても心は晴ない。

 この辺の展開は少し寓話的と言っていいほど不思議なムードを湛えている。

 観ている我々は、ムスメの誘拐事件を「強硬な地上げが原因かな」とか、「再婚した妻が黒幕かな」と思いながら観ているが、全てはどうでも良くなってしまうのだ。

 犯人グループの目的はなんだったのかすら、判らない。
 イヤ、単に金のためだろ、と言えばそのとおりなのだが、なぜアンソニー・ウォンのムスメが選ばれたのか、謎のママだ。
 ムスメの周辺に共犯者が二人いた事は事実なのだが、主犯が何故彼らと結びついたのか、判らない。
 映画の全てはアンソニー・ウォンの苦悩に収斂してゆく。

 中年のオッサンの苦悩を表現し得た映画だとは思うが、コレでこのカントクの映画を他にも観たいか、となると、正直「あ、ボクはダイジョブです、、、」と言わざるをえない。
 ノワール映画としては不完全だし、文芸映画としても物足りない。地上げ業者が「何故か意味もなく」死ぬ辺りで何かに到達しかけてるような気もするんだが、正直、その先にあるものにあんまり興味が無いです、、、
JUGEMテーマ:映画

at 20:34, 空中禁煙者, アジア

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