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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「ほんとにあった!呪いのビデオ 16」 女性演出補が事件を回す:福田陽平監督時代

 福田陽平監督時代。16巻から21巻まで。画像は16巻。

 福田陽平時代を語るのは難しい。
 福田監督自体は、比類なき構成力と充分な恐がらせテクを持っているのだが、何ブン、前任者坂本一雪監督に比べて派手さに欠けるし、坂本監督が延々とネタ振りして来た「黒狐編」の処理をせざるを得なくなったり、ちょっと不利なのだ。

 福田監督登場の16巻のアタマに「引越し先で・・・」と言うエピソードがある。
 一軒家を借りて友人と3人でシェアし始めたが、ある部屋に住む友人がおかしくなってきた。引っ越した時に写したビデオをよく見たら、その部屋を写したシーンで磨りガラスに首吊死体らしきものが、、、
 と言うハナシ。
 なんか「ハア?」と言う感じ。「あー、やっぱ監督変わったらダメなのかな、、、」と言う雰囲気がプンプンする。

 が、だ。

 この巻のラストの「続・死の予告」と言うエピソード。
 これはそもそもほん呪委員会に送られてきた差出人不明のビデオなのだが、玄関内に仕掛けられたビデオに住人のオトコが延々と話しかける内容。やがてオトコは自殺を仄めかし始め、とうとう部屋の中で首を吊って死んでしまい、そのブラーンとした死体がビデオに映っているのだ。
 

 死体が映っている、と言うのは「心霊モノ」としては反則じゃないのか、とも思うが、コレ、要するにこの死体が、「引越し先で・・・」の首吊死体なのね。「引越し先で・・・」の投稿者たちは、「死の予告」で死んじゃったヒトの家に引っ越してきちゃったわけ。
 ラストのエピソードでブラーンとぶら下がった死体が、アタマのエピドードでブラーンとぶら下がってたのと同じだと気づいた時のショック。
 コレはスゴい。

 一回こういうことをやられると、全てが罠なのではないかと疑わざるを得ない。
 例えば福田監督時代に活躍した女性演出補、中晶子女子が、男性演出補もビビリ倒す「現場」にも全く無表情にガンガン踏み込んで行くキャラなのは、実は福田監督時代後半のエピソード「添付された呪い」で彼女がビビってメールを見れない事のインパクトを高めるためではないのか、とか。
  

 前任者坂本監督からどういう申し送りがあったのか解らないが(どうも無かったのでは無いかと言う気もする)、これから自分が撮ろう(?)とする「黒狐編」のプランを前に、福田監督は考えたのに違いないのである。

「コレ、弱くね、、、」

 仕方なく福田監督が考えたのは、せめて絵が持つようにと、ほん呪シリーズ史上最大の美女を演出補として活躍させることであった、、、
 とかね。
 

 この美貌の演出補、門間しのぶ女子が「黒狐編」用に連れて来られたのは多分間違いがない。ほぼ、黒狐編が完結する18巻にしか出てこないのだ。
 よくみると17巻にも演出補として名前が出ているのだが、この時はニット帽を被ってインタビューする後ろ姿だけで顔は写らない。18巻で門間しのぶ女子が同じニット帽を被っているので、「ああ、アレが、、、」と気がつく程度、と言う念の入れようだ。
 ホントに18巻だけだとあまりに露骨だからに違いない。
 コレもまた福田監督の構成力のなせる技なのだと思う。
  

 一方、怖がらせるテクニックだってナカナカのものなのだ。
 
 日常の中に「不可解なもの」が映り込んでしまった時の定石のテクニックというものがある。
 例えば映像の中のある人物が身をかがめると、その向こうに不可解なものが写り込んでいる。その人物が身を起こせば当然その不可解なものは隠れてしまうが、次に身をかがめた時、さっきまで不可解なものがいた場所にはすでに何もいなくなっているのである。
 みなさんも一度は見たことがあるだろう。不可解なもの、この世ならざるものの神出鬼没ぶりを表現する、ホラー映画などでも使われる定石のテクニックだ。
 福田監督は、この、既に我々の中にも刷り込まれてしまっている定石のテクニックを逆手に取る。

 ある人物が身をかがめるとその向こうに不可解なものが写り込んでいて、身を起こせば見えなくなる、までは一緒なのだ。我々はココで「ああ、どうせ次に身をかがめた時には消えてるんだろうな、、、」と思って観ている。
 が、福田作品においては次に身をかがめた時、不可解なものは消えるどころかその人物のすぐ後ろにまで近づいてきているのである、、、ギャーーーーーーーxっつ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 さらに20巻の「焼け残った怨霊」では実在系にも挑戦する。
 暗がりの中、カメラはだいぶ前からその存在を捉えているのだが、暗くてよく解らないので、撮影者(投稿者)もそこにとんでもないものがあることすら気がついていない。
 が、懐中電灯が偶然「それ」を捉えた時、「それ」はユラユラと浮かび上がり、コチラに向かってくるのであった、、、ギャーーーーーーーxっつ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 福田監督が露骨に実在系に挑戦したのはコレ一本だけだが、動き出すタイミングといい、動きの不気味さといい、まさに絶妙。 

 福田監督時代は、女性演出補の多さで語られることも多いが、本当に重要なのは、この時代から本格的に演出補が事件を回し始めることだと思う。

 今までの演出補はただ取材をし、たまに一方的に霊障を受けたりもしていたが、事件自体に影響を与えることはなかった。
 が、コトここに至って福田監督配下の演出補たちは、自ら事件に関与し始めるのである。

 例えば黒狐編に於いて黒狐の呪殺の儀式を阻止しようとする門間しのぶ女史。
 あるいは「誘拐」に於いて行方不明の女児に対する虐待の有無を、女児の父親に問いただし、キレられて追い回される近藤恵美女子。
 彼女たちの存在が、この後演出補という存在をシリーズの主役に押し上げたのであり、やがて演出補自身の事件が扱われる、と言う事態にまでエスカレートさせたのは間違いない。

 「黒狐編」がロクな霊現象も起きず、ただ知的障害を疑われる少年(青年?)に振り回されただけ、と言う印象のせいでやや不遇な扱いを受ける福田監督ではあったが、なかなかどうして恐怖度においてもドキュメンタリー部分の楽しさ(っつっちゃいけないんだろうけど)においても侮ることは出来ないのだ。

 まさか、演出補たちが活躍しだすのは、20巻も続けてる内に投稿作品のレベルが下がってきたからだ、とでも言うのだろうか、、、JUGEMテーマ:ノンフィクション 

at 02:08, 空中禁煙者, 邦画

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「ハンガー・ゲーム」 「バトルランナー」+「バトル・ロワイアル」です。終わり。

 ここんとこブログの絵面が怖くなってるので、ちょっと明るめのを入れてみます。
 まあ、未成年が殺し合いさせられるハナシで明るいってのもどうかと思うが。

 観始めてすぐに判るが、要するに臆面もなく「バトルランナー」+「バトル・ロワイアル」をやってます。
 コレを書いている今現在、この映画のWikipediaの「あらすじ」は、「この作品記事はあらすじの作成が望まれています。ご協力ください。」となっているが、ただヒトコト、『「バトルランナー」+「バトル・ロワイアル」』と書いておくのが一番解りやすくて正確に伝わると思うがどうか。
 こんなゲームを続けることが(民衆の娯楽以外に)一体全体なんで社会体制の維持に役立つ
のかよく解らないところも「バトル・ロワイアル」とそっくり。

 原作は大ヒットしたジュブナイルだそうで、なるほど子供なら25年前の「バトルランナー」も外国映画の「バトル・ロワイアル」も知らないだろう。
 案外、原作が大騒ぎになって一番困ってるのは作者自身かもしれないな、、、

 などとのっけからクサしまくってますが、パクリっぽいことに目を瞑ってしまえば、コレはコレで「久々に娯楽映画らしい娯楽映画を観たなぁ、、、」と言う満足感を味わえる、それなりの映画です。

 ミュージシャン役でもない、普通に良いオトナの役でレニー・クラヴィッツ(!)が出ていることでも解るように、コレは一種のお祭りなんだろうな、と思う。
 ラスボスがドナルド・サザーランドなのも、多分そういうことだろう。

 お祭りらしくとにかく金のかかった映像を、ジェニファー・ローレンスちゃんが切り裂いていく映画、としてみると、ひょっとすると傑作といってもいいかも知れない。

 「バトルランナー」や「バトル・ロワイアル」と違うのは、実際にゲームが始まるまでが長いこと(「バトルランナー」はそこそこ長いが)。事前に2週間の訓練期間があるのね。ココで参加者同士の関係や参加者と世界の関係がじっくり描かれる。
 「バトル・ロワイアル」はそういうの無しでイキナリ始まって、ゲームの中で全てを表現し得ていたからスゴかったのだとも思うが、何分ジュブナイルなので、これくらい分り易いほうがいいのかも知れない。

 下級民の棲む世界からイキナリ豪華な首都に連れて来られたジェニファー・ローレンスちゃんが、華美な文明に驚きながらもどこか「バカバカしい、、、」と感じているのを、一切のセリフや説明的な行動無しに、表情だけで表現出来ているのはスゴいと思う。やっぱりこの娘は天才なのかもしれない。

 壁一面の窓が実はテレビのモニターになっているの気づき、いろいろ切り替えている内に故郷を思わせる森林風景を捜し当て、立ち上がって眺めてしまうカットニス(ジェニファー・ローレンスちゃん)。
 このシーンもセリフはないが、故郷の風景を観て、改めてこのバカバカしい都会に送り込まれた自分のバカバカしい境遇に思いを馳せているのだ。
 ちょっと、涙が出そうになる。


 残念なことに、ゲームが始まるとジュブナイルらしいいい加減さというか、「子供だと思って舐めてっとイテコマスぞコラ」的な描写不足が目立ってしまう。

 カットニスとルーが共闘して食料の山を爆破するシーンは、二人で綿密な打ち合わせをするシーンか、ルーが地雷を避けている時に、カットニスの「上手くやってるわね、、、」的な表情を入れとくかしないと、一瞬、ルーがカットニスに罠をかけたのかと思ってしまう。
 さらに、ルーが見張りの一人をおびき出すシーンは、どうせ全員殺さなきゃならないことを考えると、意味不明である。
 いや、それを言うならそもそもなんで食料の山を爆破しなければならないのか、意味不明である。
 見せ場を作るためだけとしか思えない。
 この辺、原作ではちゃんと説明されてるんでしょうか。

 更にゲームの序盤ではピータは「プロ」達と共闘してカットニスを追い詰めようとしていたはずなのに、いつの間にかカットニスの味方になって、カットニスも何の葛藤もなく許しているのも納得行かない。
 この辺、原作で(以下略

 主催者側は結局3回もルールの変更をするのだが、コレ、よく考えると最後の一回だけでよくね?
 ラストのカットニスの「覚悟の行動」で主催者側はルールを変更せざるを得ないとしたら、最初の2回は上手く脚本を練れば無くてもイケるはず。
 主催者側が恣意的にルールを変更するんじゃ、カットニスが「覚悟の行動で主催者にひと泡吹かせた少女」としての価値が下がると思うんだが、、、
 この辺、原(以下略

 う〜ん、演出面ではカメラワークも含めてある程度上手く行ってるだけに、脚本面で引っかかりが多いのは残念。

 既に大スターでいわゆるIntroductionではないんだが、ジェニファー・ローレンスちゃんの魅力だけでも星三つ、レニクラに敬意を表して星一つオマケ。
JUGEMテーマ:映画

at 19:32, 空中禁煙者, 洋画

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「ほんとにあった!呪いのビデオ 11」 信じてなくても戦慄の映像体験:坂本一雪監督時代2

 坂本監督時代の続き。画像は11巻。

 もう一つ坂本監督が始めた新機軸は、ワタクシ空中さんが勝手に「実在系」と呼んでいるものだ。

 さて、ワタクシ空中さんはこれからみなさんにこの「実在系」なるものがどんなものか理解していただくために、喩え話をします。それはあくまで喩え話であって、実際にほん呪シリーズがそうなっている、と言うことではないので、くれぐれも誤解のないように。

 みなさんは、動画に映っている霊というと、どういうものをイメージされるだろうか。
 それは壁かどこかに映る人影でであったり、ヒトの輪郭をした白いガス状のものであったり、あるいは半透明であったり。
 おそらくは何らかの形で「平面的」なものをイメージされるのではあるまいか。

 例えば、(あくまでも例えば、ですよ)心霊映像をフェイクで作るとしたら、先に霊の映像を用意しておいて、普通の映像に合成していく、と言う手法をとられるようなもの、ではなかろうか。

 ところが、「実在系」に於いては、それを作ろうとすれば(あくまで例えば、ですよ)、霊的存在役の役者さん(職業的な役者とは限らないが)に霊的存在っぽい扮装をさせて、投稿者や投稿者の知人友人と同じ地平に立たせて撮影する、と言う手法をとっている(のではないかと思わせる)。

 ちょっと考えれば判るが、コレは一歩間違うとコントにしかならない。
 しかし、坂本監督は驚嘆すべき度胸と圧倒的な映像センスで、コレを楽々と成立させてしまう。

 11巻の「曰くの物件」、12巻の「夜の散歩」で小手調べした後、「イケる」と踏むやSpecial4の「謎の女」で大々的にフィーチャー、視聴者に驚愕の映像体験を強いる。
 さらに14巻「頭のおかしい老人」(コレはタイトルが卑怯)で、「ヘタをすればコントにしかならない」という危険を逆手に取る余裕すら見せた後、決定打ともいうべきSpecial5の「疾走!」でワタクシ空中さんのような「良くない」視聴者まで恐怖のどん底に突き落とすのであった、、、

 実は、この「実在系」の映像は、後の監督たちもほとんどチャンレンジしていない。
 記憶では次の福田陽平監督が一回、児玉和士監督が一回くらい成功させているだろうか(児玉監督はこれから派生させたような手法を編み出し、似たような効果はよくあげていたが)。
 それほどまでに難しい、危険な手法をヌケヌケと、何度となく成功させる坂本監督の度胸とセンスには脱帽せざるを得ない。

 さらにさらに。
 コレは新機軸とはいえないが、他の監督たちが扱った場合、やや拍子抜けに終わる場合が多い「音声のみ系」においても、坂本監督は阿鼻叫喚の傑作を残す。

 坂本監督の最終巻である15巻に収められた、世評も高い「ニューロシス」だ。
 この、霊的現象としてはヒステリックなババアの叱り声と子供の泣き声が聞こえるだけ、というエピソードを傑作たらしめているのは、女子高生二人とミラーハウス、と言う取り合わせの妙に尽きるだろう。

 廃墟化した遊園地を見つけた女子高生二人。二人共可愛く近所に別荘を持つと言うお金持ちらしいが、アタマはどうもたいしたことないらしく、自分たちでわざわざミラーハウスという迷路に入り込んだくせに、「迷路みた〜い」などとのたまうトッポさだ。
 彼女たちが迷路の最深部に達した時、突如件の音声が鳴り響くのだが、彼女たちは迷路ゆえの逃げ出そうとしても逃げ出せない、という不条理に直面することになる。

 昔から数々の映画監督にも愛され「上海から来た女」や「燃えよドラゴン」でも引用されたミラーハウス。
 外界からの光や同僚の姿を認め、そちらに走ってもそこにはやはり鏡があるだけ、、、と言う不条理極まる空間を活かすのに、目を閉じても聞こえてしまう声のみの霊的現象ほど効果的なものがあるだろうか、、、

 「呪いのビデオ」であるのに音声だけ、というしょぼさを、坂本監督だけは逆手にとることが出来たのであった、、、


 ホントにこの頃の坂本監督はまさにキレッキレで、他にもイッパイ遊んでいる。

 13巻のオープニングや14巻ラスト近くのやや反則気味の編集もさることながら、15巻のラストでは、ついに「演出補たちも霊障が及ぶ」と言う掟破りに手を染める(そして一旦破られた掟は、後の監督においても破られ続ける)。

 そして、狂乱の坂本監督時代は、「黒狐編」の予告で幕を閉じてしまう。
 坂本監督がどれくらいこのシリーズの仕事を続けたかったかは判らないが、少なくとも「黒狐編」は自分でケリを付けたかったに違いないと思う。

 まさか、「黒狐編」のケリを付けられなかったのは、子飼いの演出補、藤屋敷氏に霊障が降りかかったせいだ、とでも言うのだろうか、、、
JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 23:07, 空中禁煙者, 邦画

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「ほんとにあった!呪いのビデオ Special 3」 阿鼻叫喚の黄金時代到来:坂本一雪監督時代

 前任者松江監督時代に撮影を担当していた坂本一雪監督時代。Special版の3〜5と通常版11巻から15巻まで。画像はSpecial版の3から。

 ちょっと松江監督から坂本監督に交代する前後の発売タイミングを見てみよう。

 松江監督最後の巻となった10巻が発売されたのが2002年5月。
 坂本監督のデビュー作Special3が発売されたのが2002年11月
 坂本監督最初の通常版の11巻が発売されたのが2003年6月

 つまり、坂本監督になってから最初の通常版が発売されるまで、1年を要している。(ワタクシ空中さんはSpecialの3は恐らく松江監督時代の残滓ではないかと思っている)。
 通常、年に3〜4本出るほん呪シリーズにしては、異例のことだ。

 恐らく、松江監督に逃げられた後、ほん呪シリーズは存亡の危機に立たされていたのではないか。
 引き受けてくれる人材を探して続けるのか、それとももう止めてしまうのか、パル企画と親会社のブロードウェイの間で議論が繰り返されたことは想像に難くない。
 結果、ふさわしい人材が見つからなかったからなのかどうか解らないが、とりあえず(?)松江監督時代のカメラマン、坂本一雪氏を監督に昇格させて、シリーズの存続を図ることになった。

 この時坂本氏がヤル気マンマンだったのか、しかたなく引き受けたのかは解らない。
 が、結果として坂本監督はとんでもない才能を爆発させて、後々まで引き継がれるフォーマットをつくり上げると同時に、後の誰も真似の出来ない特異な手法を炸裂させて、第一期の黄金期を創りあげてしまうのであった、、、

 坂本監督は監督に昇格しても、自ら撮影も兼任していた。つまり、坂本監督はいつもカメラの後ろにいるので、中村監督や松江監督のように、自ら映り込んでインタビューしたり廃墟に突撃したり、ということが出来ない。それらは全て演出補の仕事、ということになる。
 ココで初めてシリーズのウリのひとつでもある「演出補システム」が完成されるわけである。
 

 しかも単にシステムを確立させただけではない。
 この時点ですでに、百貫デブの横田と、汚らしい超ロン毛に黒縁メガネ、ヘビースモーカー(インタビュー中でも吸っている)でいつも同じブレーカーを着て誰にでもタメ口をきく藤屋敷と言う、イヤおまえ全日本モテない男子グランプリの一位と二位をスカウトして来たんかと言いたくなるようなコンビを使って、「演出補イジリ」の芸にまで昇華させてしまう。


 しかし坂本監督においてはそんなことすら大した問題ではない。
 真にスゴいのはその恐怖映像の中身においてなのだ(ってもう、完全に監督が「作ってる」って前提でハナシしちゃってますけど)。

 私見によれば坂本監督は二つの新機軸を取り入れている。
 一つ目はワタクシ空中さんは「別に心霊要素がなくっても怖いハナシ系」と呼んでいるものだ。

 例えばSpecial4に収められた「屋根裏」と言うエピソードを見てみよう。

 事の発端は2階建てアパートの2階に住む投稿者が、どうも屋根裏から物音がするので覗いてみたら一本のビデオテープを見つけたが、再生したら「不可解な」ものが映っているのでほん呪製作委員会に送ってきた、と言うものだ。
 製作委員会は早速取材に行き、カメラ持参で覗きこんだ屋根裏で、なんとヒトが生活していた痕跡を発見してしまう(投稿者が覗いた時何故発見できなかったのか、は今は問うまい)。
 さらに取材陣はどこからともなく「その部屋の投稿者の前の住人が住んでいた時代の隣の部屋の住人」というのを見つけてきて、前の住人の様子を聴く。
 彼によると前の住人は東南アジア系の女性と住んでいたが、どうも女性は密入国らしく、移民局が来ると屋根裏に隠していたのだという(移民局が来た時に隠すぐらいで生活用品を持ち込む必用があるのか、と言う疑問もあるが、今は問うまい)。
 やがて女性だけが姿を見せなくなり、その数カ月後に男性も引っ越してしまう。
 

 ココまででもなにか「現代の闇」を感じさせるが、真に怖いものがその後に待っている。
 この辺でやっと最初に発見されたビデオの映像が紹介されるのだが、コレがなんだか解らないのだ。
 畳に直に置かれたと思しきカメラが(つまり、誰かが持っているのではない)、ランニングにブリーフ姿のオトコが体中をボリボリ掻いている姿を淡々と撮っている。
 次のカットでオトコは畳に這いつくばって何事かを指で潰しては金属製の何かのフタのようなものに集めている。
 恐らくはノミが発生していて痒いので指で潰しては集めている、ということなのだろうが、、、

 一体全体誰が何のためにこのビデオを撮っているのか解らないのだ。

 オトコにはカメラが見えている筈である。自分でブリーフ姿でノミを取っている姿を撮影したのであろうか。何のために?

 さらに言えば何故こんなものを屋根裏に隠したのか。
 実を言うとこの後霊現象らしきものも映っているのだが、もう、どうでもいい(て言うかコレ、オンナがいなくなったことを知ってるから怖いんであって、知らなかったら普通に「すりガラスの向こうにオンナがいる」だけじゃね?)。
 何か現代日本人の心の闇をザックリとえぐられたような気がする。

 あるいは同じSpecial4の「ヒッチハイク」

 単にオンナ二人でヒッチハイクしていて、同じく女二人しか乗ってないクルマだから安心して乗せてもらったら、しつこく宗教に誘われたので強引に降りた、というだけなのだが、勧誘のテクニックといい、乗っていた二人のうち一人は饒舌なのにもう一人は全く喋らない不気味さといい、コレまた「現代の闇」をつきつけられたような気がする。

 で、次はもうひとつの新機軸な訳ですが、坂本監督時代は欠くことが多くて長くなりすぎるので、二回に分けます。
 という訳で後は次回へ。JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 21:56, 空中禁煙者, 邦画

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「ほんとにあった!呪いのビデオ 8」 裏テーマは家族?:松江哲明監督時代

 「お願い!ランキング」でもお馴染み松江哲明監督時代。通常版8巻〜10巻、及びSpecial版の2。画像は8巻のもの。

 松江監督時代の作品を観てまず思うのは、
 「ああ、このヒトはこういうもの(心霊モノの仕事)が好きじゃないんだな、、、」
ということだったりする。
 「お願い!ランキング」でもお馴染みの松江監督のキャラなのかもしれないが、とにかく最初から疑ってかかっている。

 いや、疑うだけなら中村義洋氏も「一応、霊現象でない可能性も視野に入れる」くらいのスタンスではあったが、松江監督は、もう、ちょっとバカにしてるのね、取材時に見せる態度が。
 「なんでオレがこんなバカどものハナシを信じて廃墟だの山奥だの来なきゃイカンの?」
 くらいの感じがある。

 じゃあ、引き受けなきゃいいじゃないか、と思うが、松江監督には松江監督なりの思惑があったのである。このシリーズをのフォーマットを借りて、自分なりに爪痕を残してやろうと思っているのである。

 そしてその爪あとは、あまり霊現象とか恐怖とかとは関係がない。
 松江監督時代の諸作は、そう考えないとどう楽しんで良いか解らないものが多い。

 例えば松江監督最初の巻である8巻の長編、「テレビ」。
 幼い息子がテレビを観ていて突然倒れたりする。医者に見せると今後視力に影響が出るかもしれないとか言われたりする。
 そして父親は何故か、実家で観た一本の8mmフィルムのせいで息子に霊障が出た、と信じている。

 確かにそのフィルムには「不可解な」物が写ってはいるのだが、何故父親が頑なにこのフィルムが原因だと信じているのかは判らない。

 この巻のラストで、この家族とスタッフは今後について話しあうが、女性スタッフの母親をあまり心配させまいとする「経験から言って霊障はいずれ収まる事が多いのであまり気にしない方がいい」と言う不用意な発言に、母親は「無責任なことを言うな!!」とキレまくってしまう。
 「アンタ子供いるの?いないからそんな気楽なこと言えるのよ!」
 という訳だ。

 根拠のない夢みたいなことを言い立てて無関係な他人(ほん呪スタッフね)を自分たちの子供の問題に巻き込む父親。
 あくまでも現実的で子供を守るために周囲に牙を剥く母親。

 最終的にこのエピソードの印象は、心霊物というよりはやはり「ある、家族の肖像」と言う感じである。

 あるいは松江時代の最終巻となった10巻に収められてた「叔父の呪い」を見てみよう。
 このエピソードは前後編に分けられてはいないが、取材部分が異常に長く、このシリーズの中では優に長編といえる長さなのだが、心霊映像としては全く大したことがない。

 ハナシは数年前に撮ったバンドの練習風景に、投稿者が子供の頃に自殺した叔父の顔が写っており、このビデオに映っているバンド仲間が死んだのはこの叔父の呪いではないか、と言うものだ。

 投稿者は叔父が亡くなった前後の事情を叔父の兄、つまり自分の父親に問い質したいのだが、実はこの投稿者は何年も拾の父親と音信不通になっており、今もどこに住んでいるのかすら判らない、と言う。
 結局松江監督は一緒に父親を探してやり、見つかった父親とみんなで酒を飲み、親子で叔父の墓参りに行くさまをビデオに収めるのである。

 なんだそれは。

 コトここに至っては、コレが心霊モノではなく、叔父の霊を媒介にした父子の和解、家族の再生をテーマにした短編映画を作ろうとしているのは明らかだろう。
 そしてそれは自らの家族をテーマにしたドキュメンタリー映画がデビュー作である松江監督のイメージともピッタリ一致する。

 つまりはそういうことなのだろう。

 だが観る方は当然恐怖を期待して見るわけで、この松江監督の手法は全く理解を得られず(まあ、そうなるわな)、歴代監督の中で最短の通常版3巻、Special1巻のみを残して交代してしまう(まあ、松江監督自身にも「コリャ無理だな、、、」的な思いはあっただろう)。

 ところで9巻の「大学校舎」の投稿者の女性は、北村龍平監督作「VERSUS」のヒロイン、三坂知絵子ではないのか。

 まさか、東大大学院出身の女優を使ったのは、エピソード内で映る大学校舎がライバルの京大のもであることへのオマージュである、とでも言うのだろうか、、、
JUGEMテーマ:ノンフィクション 

at 02:02, 空中禁煙者, 邦画

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「ほんとにあった!呪いのビデオ Special」 マジメな心霊ビデオの確立:中村義洋監督時代

 そんな訳で全ての発端となった中村義洋・鈴木謙一監督時代。1〜7巻までとSpecial版1巻。画像はSpecial版1巻のものです。
 

 今、一生懸命アタマを働かせて、14年前の1999年にこの作品が世の中にポコンと出現したところを想像してみよう。
 この手のビデオが殆ど無かった時代に、このシリーズ一の作目が突如出現した様を想像して予想されるのは、恐らくコレはそーとー「マジメな印象」を与えるために細心の注意を払っているな、と言うことだろう。
 

 例えばテレビ番組であればスタジオにお笑い芸人やグラビアアイドルを呼んでキャーキャー言わせ、場合によってはレポーターもお笑い芸人、司会はちょっと大物のお笑い芸人、などとなりそうだが、そーゆーニギヤカなことは一切せずに、ただ、淡々と、低い声の男性ナレーションのみを頼りに投稿映像を見せていく。
 もちろんアイドルやら芸人やら呼ぶ予算も、もう、全く無いのだろうが、この作品がオチャラケたところの全然無い、心霊現象というものにマジメに取り組んでいる作品である、ということを必死に印象付けようとしている。
 それは例えば記念すべき最初のエピソード(それはまさにこの映像が送られてきたためにこのビデオを制作することにした、と説明される)における、スタッフの取材態度にも現れている。

 この、電源の入ってないTVモニターに白い着物を着た女が映っている(エピソード名もズバリ「白い着物の女」)、という投稿映像に対して、スタッフはわざわざ投稿者の部屋に出向いて、白いシーツを体に巻いて、投稿映像のような角度、大きさでモニターにヒトが映り込むことは可能かどうか実験するのである。

 正直言ってワタクシ空中さんには全く無意味な実験にも思えるのだが、少なくとも「マジメに取り組んでいるマジメな作品なんですよ」との印象を与えるには有効だろう。
 実を言うとこのような検証実験が行われるのはシリーズ中このエピソードだけであり(ププ)、以後二度と行われることはないのだが、少なくともこの作品が(見かけ上)真面目な作品であるように、オチャラケたところのない作品であるように作る、と言うポリシーは以後十数年、50数巻に渡り守られ続ける。
 恐らくは以後十数年、50巻以上も続いたのはこのポリシーを守り続けたからであり、やはり中村義洋監督はシリーズ最大の功労者と言って良いのだろう。


 このシリーズはだいたい1巻60分に10本前後の投稿映像が紹介されるのだが、たまに1巻の中で前編中編後編と3本に渡ったり、中には後の巻にまで引き継がれる、「長編」と言っても良い作品がある。
 そしてワタクシ空中さんはこの長編作品こそが監督の個性が最も如実に現れる、「ほん呪」の醍醐味だと思っているのだが、例えばこの「白い着物の女」は、第一作目にして次の松江監督時代にまで引き継がれる大長編になっていく。
 中村義洋監督はこの「白い着物の女」を貞子や伽椰子のような新たなホラーヒロインにしたかったのではあるまいか。

 「白い着物の女」のコンセプトは、「ビデオを通じて移動する霊」だ。
 ビデオを通じて増殖するのではなく、あくまでも移動、と言うところがアイデアであったろう。
 つまり、「白い着物の女」は2巻以降「1巻を見た」ヒトの間で様々な目撃談が報告されるが、最初に出た家からはいなくなってしまうのだ。
 最初はコレはなるほどユニークな霊の在り方だな、と思ったが、よく考えると第1巻自体大量生産されているから増殖と同じだし、第1巻を観たヒトの家からどう移動していいいのか分からない、と言う問題を抱えていたせいか、長く引っ張った割りには尻つぼみではあった。

  中村監督時代に、Special版が一本あるが、コレをみるとSpecial版のコンセプトは元々「通常版で広がったハナシの後追い取材がメイン」であったのだろう。

 通常版の5巻は「学校編」ということになっていて、学校にまつわるエピソードを集めているのだが、その中に「校庭」と言うエピソードがあった。
 コレ自体は単に近所の学校の校庭で遊ぶ妻と幼児を撮影していたら、「おとうさん、、、」と言う声が入っていた、という捨てネタのようなエピソードだが、実はコレが後の大騒動のネタ振りに過ぎず、スタッフをも巻き込むその大騒動をSpecial版で描く、と言うように。

 この、「校庭」に写り込んでいる家屋は廃屋の筈なのに、動く人影が映っている、と主張するオトコの出現から、この、30年前に一家惨殺事件があったとされる廃屋に、別のエピソードで登場した霊媒師を名乗るオバハンを巻き込んでスタッフ総出で探検に行かざるを得なくなり、ラップ音は鳴り続けるわ、わけの判らん映像は映り込むわの深夜の廃屋で、件の惨殺事件の原因となったらしいオッサンと怒鳴り合う中村義洋監督、という超ハイテンションな映像は、やはり中村監督時代の到達点、と言うより未だにシリーズを通じて最も迫力のある映像となっている。

 恐らく、この大騒動を完成させたあと、中村監督は「もう、コレ以上のものはオレがやっても出来ないな、、、」と言う感慨があったのだろう。この大騒動の後始末としての6巻、「霊臭」と言う新手を考えて携えて作った7巻を経て、中村監督はシリーズの監督から降りる。


 この時代の特徴として、最近のシリーズと比べると、圧倒的に顔出しが多い、ということも挙げられるだろう。投稿映像の中でも、取材を受けた投稿者たちも、誰も顔を隠していない。
 最近の作品ではほとんど誰も彼も顔にモザイクを掛けたり、顔の下半分しか写さなかったりしているのと比べると、隔世の感がある。

 そして、これらの「顔出し」時代の作品が未だに絶版になっていない、と言うことは、最近の作品で隠すようになったのは、別にプライバシーや肖像権に配慮した結果ではない、ということが解る。

 何か別の理由があるのである。
 恐らくそれはリアリティの問題なのだろう。

 例えば、この時代で言えば3巻には、ワタクシ空中さんの大学時代の後輩が、ヌケヌケと投稿者として出演していやがる。ご丁寧に(仮名)も、例えば中村義洋、だったら中村橋義洋と言った具合に一文字付け加えただけである。彼は雑誌社勤務であり決して役者ではないのだが、雑誌の性質上ここのスタッフと顔見知りである可能性は高い。
 つまり、その辺にいた知り合いに頼んで出演してもらっているのだ。
 恐らく中村監督時代にはここまでこのシリーズが続く(つまりは売れる)と思っていなかったので、まあ、大丈夫だろうと思っていたシロートのヤラセ出演が、思わぬ件数で発覚したのではあるまいか。

 あるいは、上記の廃屋で中村監督と怒鳴り合うオッサン。
 あのオッサンは中村監督によって一家惨殺事件の原因はアンタだと名指しされてるわけで、普通に考えてそんなオッサンが顔出ししたままビデオの発売を許すわけがないだろう。
 つまり、よく考えたら顔出ししているせいで今の視聴者は、「なんだヤラセじゃん、、、」と気づいてしまう可能性があるのだ。

 かくしてプライバシー保護といった本来の目的とは全く逆の理由で、どんどん顔出しは減っていくのであった、、、

 ところで、どんなキッカケがあったのか解らないが、次の松江監督時代から、中村義洋氏はシリーズのナレーションを手がけ始める。
 中村氏の落ち着いた、ドスの効き過ぎない声でのナレーションは大いに好評を得て、未だに継続してナレーションを担当しているばかりか、VHSでリリースされていた初期作品をDVD化する際、他人に任せていた自分の監督時代のナレーションまで吹きこみ直す始末である。

 中村義洋氏はエラいと思う。
 氏のフィルモグラフィを見れば、イマドキの日本映画の監督しては、ハッキリ「売れっ子」と言ってもイイほどの活躍ぶりである。
 にもかかわらず、こんな(世間的に見れば)マイナーで怪しいシリーズのナレーションに時間を割き続けている。
 まさか、自らが立ち上げたシリーズの責任は最後まで取るつもりである、とでも言うのだろうか、、、
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at 15:16, 空中禁煙者, 邦画

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「ほんとにあった!呪いのビデオ」 テーマをノンフィクションにするかどうか、、、

 やっぱりいっぺんコレについて言及しとかんと、なんか卑怯だよななぁ、、、いや別に誰かから卑怯者呼ばわりされる訳じゃないけど、なんとなく、自分的に、、、
 みなさん、どうですか?
 レンタルビデオ屋さんに行くと、なんかワラワラ置いてあるでしょう?なんだか得体のしれない心霊モノのビデオ。
 パッケージからは再現ビデオなんだかドキュメンタリーなんだか投稿ものなんだかもよく解らない、内容はもちろん怪しい事柄を扱ってるんだけど、その存在意義すら怪しげな一群のビデオ達。
 アレ、みなさんどう思ってます?
 「くだらねえなぁ、、、どうせヤラセだろ?」
 「怖くて観れない、、、」
 「置いてある方見るだけで呪われるから見るんじゃありません!!」
 「怖いもの見たさでつい、、、」
 「大スキ!!」
 まあ、毀誉褒貶入り乱れていることは想像に難くありませんが、この「ほんとにあった!呪いのビデオ」シリーズは、そ〜言った一群のビデオ作品の中でも、最も長く続いており、業界では「金字塔」などとも言われる老舗でありますが、実はワタクシ空中さん、このシリーズが大好きです。
 正直言って、ほとんど全部観てます。
 で、ワタクシ空中さんが、一部の良識あるみなさんには眉を顰めて迎えられるであろうこのシリーズのどこにそんなに惹かれるのか、これから語り尽くそうというわけです。
 このシリーズは、ですね、一応、視聴者から送られてきた投稿映像を集めている、ということになっていて、ですね、再現VTR的なものはないことになってます。
 つまり、タテマエとしては全部ガチ。
 ヤラセ無し。
 
 まあ、ホントにヤラセ無しなのかどうかについて、ワタクシ空中さんとしては今は明確な言及は避けますが、ワタクシ空中さんがどう思っているかは追々明らかになっていくと思います。
 この手のビデオ作品は何しろ予算がないので、司会者がいて進行してスタジオの客がキャーキャー泣き叫ぶ、というようなテレビ番組のような構成にはなっていない。
 ただ、淡々とナレーションに乗せて投稿映像をリプレイやトリミングを交えて紹介してゆく。
 そして、通常リリース一作品につき投稿映像の一本か二本に、スタッフによる「取材」が入るのである。
 投稿映像のうち、「ハナシの広がりそうな」投稿を選んで、投稿者に詳しいハナシを聞き、映っている人物や舞台となった場所についての因縁話を訊き込んだり、実際にその場に行ってみたりするのである。
 実は空中さん、この、スタッフによる「取材」部分がすごく好きなのね
 ワタクシ空中さんの場合、個々の投稿映像はほとんどどうでもいいのね(後述するが、投稿映像にもたまにとんでもない傑作が存在することはする)。
 スタッフによる取材、と書いたが、この「スタッフ」が本当にスタッフなのか、と言う疑問は当然ある。
 通常、そういった取材行為は(マジメな報道系のプログラムでない限り)タレントさんによって行われる事が多いからだ。
 しかも仮に(あくまでも仮に、ですよ)この取材がフェイクだとしたら、スタッフが演技してる、ということになってしまうではないか。
 
 しかし、数人の例外を除いて、彼らはどうも本当にスタッフらしいのである。
 このシリーズは「演出補」と謎の役職で呼ばれるスタッフがいて(初期は「演出助手」と言う呼び方もしていた)、インタヴューや突撃取材は彼らの役目なのだが(実質的にこのシリーズの主役は彼らなのだ)、何人かは別の映像作品でスタッフとして名を連ねているなど、明らかに役者やタレントの類ではないのだ。
 従って、もし、このシリーズにフェイクがあるとすると、彼らはシロートのくせに演技しているコトになる。
 この微妙さがいいのよ。
 「映像作り」に関しては曲がりなりにもプロが集まって作ってるんだろうが、ドキュメンタリー部分のあるシロートっぽさが、なんだか自主映画を作ってるさまを見せられているようで、微笑ましいのだ。
 いや、微笑ましいという言い方は失礼にすぎるだろう。
 ハッキリ言って、楽しそうでちょっと羨ましいのだ。
 何しろ題材が題材なので、彼らはカメラの前で決して楽しそうな顔など見せてはいない。にもかかわらず、楽しそうに感じてしまう。
 イヤもうきっと楽しいに違いないのだ。
 楽しそうな顔してない分、無理に楽しそうにしてる感が全くなく、却ってリアルに楽しそうに感じるのだ。
 もちろん、あれらが全てフェイクではなくリアルだとしたら、楽しいどころではないんだが、、、
 という訳で、この、シロートに演技させて(イヤ演技と決まったわけじゃないけど)一体全体リアルにしたいのかしたくないのかよく解らない微妙な感じ、コレこそがこのシリーズ最大の魅力なのである。
 このシリーズ、既に50巻以上にも渡る(Special版等も入れれば60巻になんなんとする)長大なものになっている。
 今回一回だけで語りつくせるものでは到底無いのだ。
 幸い、監督別に何期かに分けられるので、これから数回にわたって、監督別の特徴に注目しつつ、このシリーズの魅力について語って行きたいと思います。
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