2013.06.28 Friday
「ほんとにあった!呪いのビデオ 16」 女性演出補が事件を回す:福田陽平監督時代
福田陽平監督時代。16巻から21巻まで。画像は16巻。
福田陽平時代を語るのは難しい。
福田監督自体は、比類なき構成力と充分な恐がらせテクを持っているのだが、何ブン、前任者坂本一雪監督に比べて派手さに欠けるし、坂本監督が延々とネタ振りして来た「黒狐編」の処理をせざるを得なくなったり、ちょっと不利なのだ。
福田監督登場の16巻のアタマに「引越し先で・・・」と言うエピソードがある。
一軒家を借りて友人と3人でシェアし始めたが、ある部屋に住む友人がおかしくなってきた。引っ越した時に写したビデオをよく見たら、その部屋を写したシーンで磨りガラスに首吊死体らしきものが、、、
と言うハナシ。
なんか「ハア?」と言う感じ。「あー、やっぱ監督変わったらダメなのかな、、、」と言う雰囲気がプンプンする。
が、だ。
この巻のラストの「続・死の予告」と言うエピソード。
これはそもそもほん呪委員会に送られてきた差出人不明のビデオなのだが、玄関内に仕掛けられたビデオに住人のオトコが延々と話しかける内容。やがてオトコは自殺を仄めかし始め、とうとう部屋の中で首を吊って死んでしまい、そのブラーンとした死体がビデオに映っているのだ。
死体が映っている、と言うのは「心霊モノ」としては反則じゃないのか、とも思うが、コレ、要するにこの死体が、「引越し先で・・・」の首吊死体なのね。「引越し先で・・・」の投稿者たちは、「死の予告」で死んじゃったヒトの家に引っ越してきちゃったわけ。
ラストのエピソードでブラーンとぶら下がった死体が、アタマのエピドードでブラーンとぶら下がってたのと同じだと気づいた時のショック。
コレはスゴい。
コレはスゴい。
一回こういうことをやられると、全てが罠なのではないかと疑わざるを得ない。
例えば福田監督時代に活躍した女性演出補、中晶子女子が、男性演出補もビビリ倒す「現場」にも全く無表情にガンガン踏み込んで行くキャラなのは、実は福田監督時代後半のエピソード「添付された呪い」で彼女がビビってメールを見れない事のインパクトを高めるためではないのか、とか。
前任者坂本監督からどういう申し送りがあったのか解らないが(どうも無かったのでは無いかと言う気もする)、これから自分が撮ろう(?)とする「黒狐編」のプランを前に、福田監督は考えたのに違いないのである。
「コレ、弱くね、、、」
仕方なく福田監督が考えたのは、せめて絵が持つようにと、ほん呪シリーズ史上最大の美女を演出補として活躍させることであった、、、
とかね。
この美貌の演出補、門間しのぶ女子が「黒狐編」用に連れて来られたのは多分間違いがない。ほぼ、黒狐編が完結する18巻にしか出てこないのだ。
よくみると17巻にも演出補として名前が出ているのだが、この時はニット帽を被ってインタビューする後ろ姿だけで顔は写らない。18巻で門間しのぶ女子が同じニット帽を被っているので、「ああ、アレが、、、」と気がつく程度、と言う念の入れようだ。
ホントに18巻だけだとあまりに露骨だからに違いない。
コレもまた福田監督の構成力のなせる技なのだと思う。
一方、怖がらせるテクニックだってナカナカのものなのだ。
日常の中に「不可解なもの」が映り込んでしまった時の定石のテクニックというものがある。
例えば映像の中のある人物が身をかがめると、その向こうに不可解なものが写り込んでいる。その人物が身を起こせば当然その不可解なものは隠れてしまうが、次に身をかがめた時、さっきまで不可解なものがいた場所にはすでに何もいなくなっているのである。
みなさんも一度は見たことがあるだろう。不可解なもの、この世ならざるものの神出鬼没ぶりを表現する、ホラー映画などでも使われる定石のテクニックだ。
みなさんも一度は見たことがあるだろう。不可解なもの、この世ならざるものの神出鬼没ぶりを表現する、ホラー映画などでも使われる定石のテクニックだ。
福田監督は、この、既に我々の中にも刷り込まれてしまっている定石のテクニックを逆手に取る。
ある人物が身をかがめるとその向こうに不可解なものが写り込んでいて、身を起こせば見えなくなる、までは一緒なのだ。我々はココで「ああ、どうせ次に身をかがめた時には消えてるんだろうな、、、」と思って観ている。
が、福田作品においては次に身をかがめた時、不可解なものは消えるどころかその人物のすぐ後ろにまで近づいてきているのである、、、ギャーーーーーーーxっつ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ある人物が身をかがめるとその向こうに不可解なものが写り込んでいて、身を起こせば見えなくなる、までは一緒なのだ。我々はココで「ああ、どうせ次に身をかがめた時には消えてるんだろうな、、、」と思って観ている。
が、福田作品においては次に身をかがめた時、不可解なものは消えるどころかその人物のすぐ後ろにまで近づいてきているのである、、、ギャーーーーーーーxっつ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
さらに20巻の「焼け残った怨霊」では実在系にも挑戦する。
暗がりの中、カメラはだいぶ前からその存在を捉えているのだが、暗くてよく解らないので、撮影者(投稿者)もそこにとんでもないものがあることすら気がついていない。
が、懐中電灯が偶然「それ」を捉えた時、「それ」はユラユラと浮かび上がり、コチラに向かってくるのであった、、、ギャーーーーーーーxっつ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
福田監督が露骨に実在系に挑戦したのはコレ一本だけだが、動き出すタイミングといい、動きの不気味さといい、まさに絶妙。
福田監督時代は、女性演出補の多さで語られることも多いが、本当に重要なのは、この時代から本格的に演出補が事件を回し始めることだと思う。
今までの演出補はただ取材をし、たまに一方的に霊障を受けたりもしていたが、事件自体に影響を与えることはなかった。
が、コトここに至って福田監督配下の演出補たちは、自ら事件に関与し始めるのである。
例えば黒狐編に於いて黒狐の呪殺の儀式を阻止しようとする門間しのぶ女史。
あるいは「誘拐」に於いて行方不明の女児に対する虐待の有無を、女児の父親に問いただし、キレられて追い回される近藤恵美女子。
彼女たちの存在が、この後演出補という存在をシリーズの主役に押し上げたのであり、やがて演出補自身の事件が扱われる、と言う事態にまでエスカレートさせたのは間違いない。
「黒狐編」がロクな霊現象も起きず、ただ知的障害を疑われる少年(青年?)に振り回されただけ、と言う印象のせいでやや不遇な扱いを受ける福田監督ではあったが、なかなかどうして恐怖度においてもドキュメンタリー部分の楽しさ(っつっちゃいけないんだろうけど)においても侮ることは出来ないのだ。
まさか、演出補たちが活躍しだすのは、20巻も続けてる内に投稿作品のレベルが下がってきたからだ、とでも言うのだろうか、、、JUGEMテーマ:ノンフィクション