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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「アーティスト」 で、誰がアーティストなの?

 そりゃアメ公は嬉しいだろうよ、外国人が全盛期のハリウッドをリスペクトして、と言うか「リスペクトしてますよ」って言いたくてこんな丁寧な映画作ったんだから。
 しかし当然のことながらそれをアメリカ人以外が心から楽しめるかどうかは別問題だ。
 まあ、アカデミー賞あげた方も貰った方もポンニチのことなんか気にしちゃいないだろうけど。

 イヤ、もちろん良く出来てるっちゃよく出来てるのよ。
 特に字幕(でいいのかしら?あのサイレント特有の文字だけになる画面)を最小限に抑えてほぼ、言葉による説明なしで、登場人物の感情の機微から細かい展開まで理解できるようになっている演出力には感心した。もちろん役者も上手いんだろうけど。ミシェル・アザナヴィシウス監督の爪の垢を煎じて山崎貴に飲ませたいね。

 が、それを持ってヌケヌケと「スター誕生」のプロットを丸パクリしてもいいって事にはならないと思うんだよな。イヤ、もちろん監督はコレが「スター誕生」のパクリであることが観客に判ることも判ってる。判るどころか、下手すりゃ「ホレホレ、みなさんのお好きな『スター誕生』ですよ?みなさんのお好きなものを古いけれどキレイなお皿に盛ってお出ししてますよ?」くらい思ってる。

 うるへー。余計なお世話じゃボケ。

 あと、ミュージカル映画が、トーキーに移行できなかった役者の救いになるのかどうかがよく解らない。ミュージカル映画ってセリフ言わなくていいの?ジーン・ケリーもフレッド・アステアもちゃんとセリフ喋ってたけどなぁ、、、
 セリフどころか歌まで歌わなくっちゃならなくて却って大変なんじゃなかろうか。
 実際にそういう例があったのかねぇ、、、

 昔の映画っぽくするためにオープニングにも主要キャストのクレジットが出るが、ジョン・グッドマンやジェームズ・クロムウェルら有名なハリウッド俳優に混じってマルコム・マクダウェルの名を発見。このクセモノをどう使うのかと期待して観ていたらチョイ役だった。ま、カメオ出演みたいなもんかな。

 フランス人がアメリカのギャング映画に憧れて真似してみたらフィルム・ノワールになっちゃった、みたいなのが本当の意味でのリスペクトというものだと思う。そのまんまやられても「ああ、懐かしいね、、、」以外の感想を持ちようがない。

 イギリス人がアメリカ黒人のリズム・アンド・ブルースを真似しようと思ったらローリング・ストーンズになっちゃったりレッド・ツェッペリンになっちゃったりするような、「白人の批評性」になんか名前を付けたい、付けてほしいと長年思ってるんだけど、それはまた別の機会に、、、
JUGEMテーマ:映画

at 18:35, 空中禁煙者, 洋画

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「テルマエ・ロマエ」 ホントに笑えるギャグがひとつしか無い

 例によって原作は読んでないんですが、コレ、どうなんですかね。原作ではこの余りにも恣意的なタイムスリップについて言い訳が用意されてるんでしょうか。

 ルシウスはなんで必ず古代ローマで抱え込んだ問題に対する答えが見つかるところにばっかりタイムスリップしてくる訳?しかも必ずそこには上戸彩ちゃんがいるし。
 別にタイムスリップのメカニズムを解説しろとは言わない。そんなコトされても理解できない。ただ、クレヨンしんちゃんですら、何故、彼がその時代その場所にタイムスリップしなければならなかったか、の言い訳はあったではないか。単なる登場人物の一人の確信に過ぎなかったが、それでもいいのよ。その一言が欲しいのよ(SFファンてメンド臭えなぁ、、、)。
 
 コメディだから?コメディならなんでも許されるわけ?
 オレは個人的にはその辺がコメディとコントの境目のひとつではないかと思ったりもする。

 そう。
 この映画、コメディなのね。
 で、ギャグは後述する理由でほとんど不発なんだが、一箇所だけ、ちょっと笑ってしまった箇所があった。

 阿部ちゃんは古代ローマ人ルシウス役だが、周りが古代ローマ人だらけの古代ローマでは日本語をしゃべっている。周りのガイジンも日本語を吹き替えられている。
 が、阿部ちゃんはタイムスリップして来た現代日本ではラテン語をしゃべるのである。当然、言葉は全然通じない。
 やがてルシウスと何度も出会う上戸彩ちゃんは、次のルシウスとの出会いのために、ラテン語を猛勉強してある程度喋れるようになるのである。そして(当然のように)ルシウスと再会した上戸彩ちゃんは現代日本においてラテン語で会話するのだが、次のシーンでひとつ問題が発生する。ルシウスと上戸彩は二人して古代ローマにタイムスリップしてしまうのだが、さて、今までラテン語で会話していた二人は古代ローマにおいて何語で会話するのか。
 ココでこの映画の監督だか脚本家だかはこっそりギャグを仕込んでくる。
 コレには笑った。
 しかもこのギャグは「映画のお約束」を成立させるために言い訳にもちゃあんとなっているのだ。
 
 コレよ、コレ。
 コレを欲しているのよ、オレは。
 この程度でいいのよ、言い訳なんて。

 ああ〜〜〜、コレが出来るのになんでタイムスリップについては出来ないかなぁ〜〜〜。

 阿部寛は、長身二枚目過ぎて普通の現代劇では嘘臭くなってしまい、本来ほとんど使い道がない。時代劇か、スラップスティックでまじめに演技すればするほど笑えると言う役でしか使えない役者なのだ。
 その辺がわかってる堤幸彦は阿部ちゃんを使って成功したが、この映画は失敗している。
 この程度の中途半端なコメディで阿部ちゃんを使っても全然生きないのね。「バブルへGO!!!」の二の舞を踏んでいる。もっとムチャクチャなギャグ映画にしないと、阿部ちゃんは生きないのだ。結局、コメディで、真面目な映画でやったら生きるコメディリリーフ、程度のことしかやってないので、真面目な映画以上に笑えなくなっている。
 だったらいっそ真面目な映画にするべきだったのだ。
 確かに「古代ローマ人を演じられる日本人」は阿部ちゃんしかいないのだから。

 一方、上戸彩ちゃんはすごくイイですぅ、、、
 いやぁ、コメディエンヌとしてコレほど成長していたとは、、、
 OL姿でバタバタ慌てる可愛さにも参ったが、方言丸出しで地元のジジイどもと触れ合う芝居の上手さ可愛さには舌を巻いた。
 一転、古代ローマに舞台を移してからのケナゲさも良い。
 せっかく結婚もしたんだからもうちょっとユルいトーガでエロさも出してもらいたいところだが、、、

 ところでこの映画、古代ローマのセットが目を瞠る豪華さ。もっともらしいオープニングと相俟って、ほとんど古代ローマをテーマにした大作ハリウッド映画を観ているよう。
 
 どうもコレ、イギリスの大予算テレビドラマ用に作ったセットをちゃっかり借りて撮ったらしい。
 コレはある意味プロデュースワークの勝利といっていいだろう。
 こういう映画屋らしい乗っかり精神は大いに評価されてしかるべきだと思う。JUGEMテーマ:映画

at 18:59, 空中禁煙者, 邦画

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「華竜の宮(下)」 震災文学の誕生

 コレはつまり一種の震災文学なのだろう。戦争の後には戦争文学があり、震災の後には震災文学が生まれる。真の災厄を体験したヒトにしか描き得ない絶望と冷徹な認識がココにはある。
 その冷酷な現実を前にして、それでも生きていこうとする人間、が本書のテーマなのだろう。絶望して、全てを失うことが解っていても一生懸命生きていく。もしかするとそれが亡くなったヒトへの礼儀なのかも知れない。

 途中、海上民の謎のリーダーや、海上民生まれなのに陸上民の尖兵として働くオトコ、などに視点を変えながら、結局は外交官に戻ってくる。あくまで「政治」の観点からこの大災厄を描こうとしている。それは、もしかすると被災者の「政治の不在」に対するいらだちでさえあるのかも知れない。

 外交官に戻ってくる、と言ったが、実は外交官のパートの語り手は外交官自身ではなく、「アシスタント知性」と呼ばれるAIだ。この時代の陸上民は脳内に補助脳を埋め込み、自分専用のAIと繋がっている。
 単に情報のやり取りをするだけでなく、補助脳を通じて感情や運動系を補助したりもするのだ。
 このアシスタント知性の語り口が絶妙。
 感情が芽生えているようないないような、子供の頃から一緒に育ってきた「人工の」知性を描いて「さもありなん」と思わせる。
 もしかすると、この大技から小技まで、さまざまなSF的アイデアを取り揃えた本書の中で、もっともセンス・オブ・ワンダーを感じさせるのは、この人口知性体の語り口かもしれない。

 大部の小説ではあるが、ほとんどの謎を放りっぱなしにして、「政治」を描くことに集中してしまったような印象もある。もっと「ワンダー」に満ちたSF的展開を期待していた向きには、不満かもしれない(実を言うとある程度オレもそう)。
 SF的欲求が、既に予告されている本書の続編「深紅の碑文」である程度満たされるのか、あるいは更に数作をかけて大きなサーガとして楽しむものなのか、判らないが、いずれにしろ、また読みたいSFのシリーズ物が増えたなぁ、オレもいい年だしいつまで付き合えるんだろうか、、、と感慨にふけらざるをえない。

 ところで「日本沈没 第二部」ってもう出てるんだっけ?
JUGEMテーマ:小説全般
 

at 22:32, 空中禁煙者, 書籍

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「華竜の宮」 意外にも政治小説

 う〜ん、予想と全然違いましたねぇ、、、
 あの「魚舟・獣舟」のめくるめくセンス・オブ・ワンダーの世界が繰り広げられるのかと思ったら、全然そういうハナシじゃなかった。「魚舟・獣舟」に出てきた海上民の世界は背景にすぎない感じ。
 ではナニをやっているのかというと、政治のハナシをやっている。
 
 そもそもストーリーは海上民を生み出すに至った大災厄の前から始まる。大災厄を予見してしまった科学者同士の会話。この辺の空気は(小松左京賞出身だからというわけではないだろうが)まさに「日本沈没」だ。そして「日本沈没」は20ページくらいでとっとと終わらせて、本書の場合世界中が沈没してしまうので、「世界沈没」のその後を描くという趣向。
 
 人類が、わずかに残った陸地と巨大フロート都市に暮らす陸上民と、遺伝子レベルで身体改造を施し海洋での生活に適応した海上民とに分かれて暮らす時代。主人公は主に両者の間のトラブルを解決する「外洋公館」なる役所に勤める外交官。
 主人公が外交官であり、彼の外交官としての職域をギリギリ超えない範囲での活動を描いているので、自然、「政治の現場」のハナシになり、それはまさに40年前に予告された「日本沈没 第二部」を彷彿とさせる。
 
 しかし、上巻の終わり近くで、雰囲気は「日本沈没」から一気に安部公房の「第四間氷期」になってしまう。人類は海上に逃げるだけでは済まされない、さらなる災厄に見舞われることが予言されるのだ。
 この、新たな災厄によって強いられる人類の対応策には我々の心胆を寒からしむるものがある。
 
 あまりにも苛烈な自然をどうすることも出来ない。生き延びるためには、自然に働きかけるのではなく、自らを変えるしか無い。この苛烈な対応策が、淡々と、当然のように受け入れられてしまうと言う事実が、「私は阪神大震災の被災者であり、家族を失っている」と言う上田早夕里氏の実感なのだろう。
JUGEMテーマ:小説全般

at 22:49, 空中禁煙者, 書籍

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「劇場版SPEC〜天〜」 悪フザケは芸に昇華しうるか。

 堤幸彦問題について考えたい。
 
 堤幸彦とはつまり、全国放送のテレビドラマにおける悪フザケを、一種の芸として認めさせることに成功したオトコ、だ。
 それは、とんねるずがバラエティにおける悪フザケを芸にまで高めたのに似ているが(堤幸彦が元々はバラエティの演出家出身であり、その出発点においてとんねるずの番組を担当していたことは、多分関係がある)、我々堤幸彦ファンは、その悪フザケによってテレビドラマの常識を打ち破るさまに、とんねるずがバラエティの常識を打ち破っていく以上のスリルを感じていたのだ。
 
 「ケイゾク」はまだフツーの刑事物として成立していたし、「IWGP」はしっかりした原作があったせいもあって、物語性やキャラクターと悪フザケが拮抗した傑作だったが、「TRICK」に至ると物語性と悪フザケとどっちがメインなのか曖昧になりつつあった。手品師と物学教授が超常現象のインチキを解明する、と言うフォーマット自体が、悪フザケを際だたせるためにあるような印象が、このあたりから生じていたのだ。
 
 で、この、「SPEC」は、ですね、とうとう物語のフォーマット自体が悪フザケ、というテレビドラマが全国放送で成立するか、という実験だったと思っている。
 当ブログの読者(居ません)なら解っていただけると思うが、オレはSFマニアでもあって、別にテレビドラマで超能力を扱う事自体が悪フザケだ、と言っているわけではない。言っているわけではないが、超能力者が起こした事件を公安の刑事が追う姿を悪フザケを交えながら描く、と言うフォーマットはやはり悪フザケと言われてもしかないだろう。
 似たようなフォーマットにFBI捜査官が超常現象を追う「X-file」があったが、アレが悪フザケと思われないようにいかにマジメに徹していたか思い出せば、「SPEC」がいかに悪フザケか解ろうというものだが。

 そして、我々はもちろんその悪フザケが大スキだったのだ。

 一方で、その悪フザケはテレビという、軽いメディアだからこそ許されるのであって、金を払った映画で悪フザケを観せられてはたまらない、と言う考え方もある。
 コレまで、堤幸彦の映画といえば、人気ドラマの劇場版でどう考えてもTVサイズでしか無い物を観せられるか、あるいは悪フザケを禁じられて全く精彩を欠いた、なぜ堤幸彦が手がけなければならないのか全くわからないものしか無い(話題作を割り振られることが多いのでそれなりのヒットはしているようだが)。

 そしてついに悪フザケの極地たる「SPEC」の映画版である。
 もともと「SPEC」はフォーマット自体が悪フザケである分、時に大まともな展開を見せて我々ファンの度肝を抜くこともあったドラマであった。
 主人公、当麻がなぜ左手を三角巾で吊るしたままなのか、レギュラー放送も終わって2年半後のスペシャル版でやっと明らかになるなどと言う展開など、「オマエまさか後付じゃねーだろーな、、、」などと疑わせて我々ファンを存分に楽しませてくれるのだ。
 今回も冒頭で広げた大風呂敷をラストカットで回収するなど、なかなかの大技を繰り出してくれる。
 が、それ以外は映画版と言えども相も変わらぬ、TV版から何のスケールアップも感じられない悪フザケの連続であり、むしろ昨年のスペシャル版の方が映画っぽい出来だったのではないかという程度のモンである。コレはむしろ「映画であること自体」を悪フザケにしてしまおうと言う試みなのではあるまいか。

 さて、癸・翔・天(つまり、起承転)と来て次はいよいよ結な訳だが、こうなるともう、次はどんな悪フザケが用意されているのか、ひょっとすると「完結編であること自体が悪フザケ」などということになっているのではないか、などと慄きつつ待ち焦がれてしまう堤ファンなのでありました、、、
JUGEMテーマ:映画

at 22:33, 空中禁煙者, 邦画

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