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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「カウボーイ&エイリアン」 ア、アメリカ人って真面目ななぁ、、、

 日本国民のおよそ7割がタイトルを「カウボーイVSエイリアン」であると勘違いしているであろう、「カウボーイ&エイリアン」。まあ、内容はまさにカウボーイVSエイリアンで、何故「&」なのかはよく解らない。

 発想としては「AVN(エイリアンVSニンジャね)」と一緒だろう。どう考えてもB級だしどう考えてもくだらない。
 でも、「AVN」とは全然違う。もう、びっくりするくらい違う。間違いなくB級だし、くだらないっちゃくだらないんだけど、全然違う。
 くだらない事を、どうせくだらないんだからと適当にやってしまうか、くだらないことにも真剣に努力出来か、の国民性の違いが出たとしか言いようがない。
 イヤもう、ホント、モロに真剣にやってます。カウボーイVSエイリアンを。

 例えば西部劇全盛期に、一匹狼のアウトローと心正しい保安官と、その両者とも対立する街の権力者が、街を襲撃してくるインディアンと戦うために一致協力して友情を育む、なんて映画があっても不思議じゃないだろう。なんか探せば絶対あるような気がしてくる。
 コレをですね、今どきの事とて先住民を悪者にする訳にはいかないので、いっその事アパッチ族も味方につけてエイリアンと戦う、と。
 コレを西部劇全盛期と同じテンションでやってるわけ。

 一方で、ですね、エイリアンアブダクションものって有るじゃない?「X-File」とか「Taken」とか。アレだって別にアブダクション自体が眉唾ものだからって、フザケてやってないでしょ?笑いに逃げたりしてないでしょ?
 で、現代にアブダクションがあるんだから、別に西部開拓時代にも有ったんじゃね?と。だったら開拓記のアブダクション描いた映画があってもいいんじゃね?と。
 コレはコレで間然とするところのない論理だ。

 この2つを、まんま全力でやっている、と。
 まあ、実はどっちかって言うと西部劇よりなんだけど、もう、ホコリっぽい衣装といい、ホコリっぽいセットといい、完全に本イキの西部劇として成立してる。
 どれくらい本気かって言うとですね、一匹狼のアウトローが007で、嫌われ者の権力者がインディ・ジョーンズです。スピルバーグはインディ・ジョーンズ作るとき念頭にあったのは007だそうですが、こんなとことで夢の融合しちゃいましたね。
 まあ、ハリソン・フォードは例によって内心(こりゃ何の冗談だ?)と思いながらやってるんでしょうけどね。
 ダニエル・クレイグのキレの良いアクションはサスガです。

 真剣にフルテンションでやってりゃ必ず面白くなるかというとそうでもなかったりするのが辛いところだが、少なくとも「AVN」の本気じゃなさと比べてしまうと、なんか悲しくなってしまう。

 結局、くだらないことにも真剣になれる国民性にはかなわないのかなぁ。
 どう想像力を逞しくしてみても、今後この国で「エイリアンと忍者が戦う映画」が真剣に作られるような時代が来ると思えないんだよな、、、悲しいことに。
JUGEMテーマ:映画

at 20:57, 空中禁煙者, 洋画

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「ランナウェイズ」 紀信さん特別出演?

オレ「そういえばさ、『奥様は魔女』のタバサって、、、」
友人「知ってるよ。チチチチチチチ、チェリーボーム!だって言いたいんだろ?」
 
 ランナウェイズの全盛期はとうに過ぎた時点の事とて、この友人が「ランナウェイズ」と言う名前を思い出せなかったのか、思い出してはいたが敢えて歌ったのかは聞きそびれた。
 
 そのチェリーボムネーちゃん、シェリー・カリーの自伝を元にした、70年代に一世を風靡したガールズバンド、ランナウェイズの伝記映画。
 なんでタバサ時代のハナシがないんだよッ!!と思ったが、今調べてみると、どうもタバサ=シェリー&マリー・カリー姉妹説はガセらしい。ええーーー、、、アメリカは(日本で言うところの)労働基準法のせいで子供の労働時間が制限されていて、子役には双子を使ってとっかひっかえ撮影してる(ランナウェイズの下着ねーちゃんシェリー・カリーが実は双子だというのは有名だった)って説と共に完全に信じてたのに、、、ひょっとして子役に双子を使う説自体ガセなんだろうか。
 
 マリリン・マンソンなんかのグロ美しいPVで全世界に衝撃を与えた女流演出家フローリア・シズスモンディ監督作。
 ガールズバンドの伝記をどうやってグロ美しく撮るんだ、ひょっとしてとんでもないことになっているのではないかと期待させたが、意外や全然普通。グロは全く無いです。異能の音楽プロデューサー、キム・フォーリーの造形に若干垣間見れるかな、という気もするが、コレは多分事実こういうヒトなんだろう。
 
 どうもなんか普通だな、と言う印象が拭いきれない。音楽とか、孤独とか、軋轢とか、いろんな要素があるんだが、どれも平均的に描こうとして全部中途半端になっちゃったのではないか。
 
 原因の一つには、シェリー・カリーの自伝が元になっているにもかかわらず、映画のプロデューサーの一人に、バンド解散後ソロになって大成功したジョーン・ジェットが加わっていることがあるのではないか。
 ジョーン・ジェットが口出ししなければ、多分崩壊した家庭から逃げ出したい少女が、崩壊家庭に姉を残して一人世界に飛び出したものの、傷付き、夢破れて帰ってくるハナシとして、陰鬱ではあるが焦点の定まった強烈な映画になったのではないか。
 
 一方、じゃジョーン・ジェットが口出しした部分が良くないか、ジョーン・ジェットがこの映画をダメにしたのかというとそうでもないところが難しい。
 シェリーが初めてバンドの練習場に姿を表した日に、シェリーのイメージからプロデューサーのキム・フォーリーとジョーン・ジェットが即興の掛け合いで「チェリーボム」を作ってしまうシーンは凄く映画的でワクワクする。
キム「そうだな、、、ハロー、ダディ?」
ジョーン「(ギターで曲をつけながら)ハロー、マム?」
キム・ジョーン「チチチチチチチ、チェリーボム!」
なんてね。
 また、「アタシの人生を取り戻したいの」と去っていくシェリーに、「コレ(バンドのことね)がアタシの人生なのよ」とつぶやくジョーンにはグッと来る。
 
 結局どの要素もそれなりにいいんだけど、どこも焦点足りえず散漫になっちゃったって事かなぁ。
 もう一人、シェリーと鋭く対立するギタリスト、リタ・フォードも10代の少女としては驚異的なテクニックの持ち主で、バンドの方向性に対しても一家言持っていたはずだが、コレは演奏シーンのめっちゃカッコイイギターソロで表現されるのみ。このギターソロを聞いた瞬間、観客は「え?え?マジで?」と思う筈なのだが、思っただけでスルーされちゃうのね。
 やっぱり素材が良すぎて絞り込めないのかなぁ、、、
 
 シェリー・カリーに天才子役ダコタ・ファニングちゃん。ついこないだまで小学校低学年みたいな印象だったのに、すっかりハスッパなチャンネーになっててクリビツテンギョウ。この分では芦田愛菜ちゃんも来年辺り高校生くらいになっているのではないか。
 
 ジョーン・ジェット役も最近人気の女優さんらしいが、似すぎ。
 もう、本物と区別がつかない。
 資料的に見ると、結成前からジョーンがリーダーだったのだな、と言うことが分かる。バンドのイノベーターにしてまとめ役。結局、ジョーン・ジェットのロックに対する情熱が、全てを支えていたのだろう。
 もちろんジョーン・ジェットが映画のプロデューサーなせいである程度偏った描き方になっている(実はキム・フォーリーの傀儡に過ぎない)可能性もあるが、後の大成功を知っているだけにジョーン・ジェットのロックに対する切迫感が映画全体を貫いている。
 
 つまりこの映画は(映画成立の事情を反映して)、シェリー・カリーの孤独感とジョーン・ジェットの切迫感と言う二つの軸の間で揺れている映画なのだろう。その二つをかろうじてつないでいるのが、キム・フォーリーの才能とヤマッ気である、と。
 
 ところで最初のバンド内の軋轢の原因になる日本人カメラマンによる、グラビア撮影で「いいよーいいよー」って言ってるカメラマンって、篠山紀信さんなんですかね。
JUGEMテーマ:映画

at 11:56, 空中禁煙者, 洋画

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「イップ・マン 葉問」 久々に香港映画らしい安易さではある

 歴史の転回点で政治と戦争に翻弄される武術の達人の浮き沈みを描いた前作に比べ、「ロッキー4」をやっている。
 中国本土を脱出して香港に落ち着いたイップ・マンを描いているので、前作のようなダイナミックな展開は望むべくもないのだろうが、それでもなんとか「ある地点」まで描いて一本の映画にしなければならないので、ロッキーフォーマットを持ってきたということか。なんかスケールダウンしちゃったなぁ、、、という感じ。

 それにどうもこのシリーズの武術指導(サモ・ハン・キンポー)が気に入らないのだ。動きがソフトなのは詠春拳の特徴であろうから仕方ないのだろうが、打撃が細かな連打中心なのがいかにも迫力不足。ドニー・イェンはもっと観る者の心胆寒からしむるハードな打撃が出来る筈。どうせそんなに史実に忠実じゃないんだから、べつにええやんけ。もっと一撃必殺!という感じが欲しい。それともサモハンの趣味なのかなぁ、、、

 ドニー・イェンがナルシズムを押し殺して思慮深い温和な人物に徹しているのは相変わらず。
 ラスト近くであっと驚いたんだが、奥さんの方が背が高いのだ。リン・ホンさんがモデル出身(ていうかこの時点ではまだモデル)で背が高いからしょうが無いのか、史実なのかわからないが、ちょっとあのナルシストの権化のようなドニー・イェンでは考えられない。

 前作のラストでは日本人空手家と試合をしたイップ・マン師であったが、今回のクライマックスで試合をするのはイギリス人のボクサー。
 ちゃんとリングを作って試合をするのだが、この異種格闘技戦で事前にルールを詰めるシーンがないのはどうしたことか。まがりなりにもキックのあるカンフーとボクシングで戦うことをボクサーが了承すると言うのが分からん。イギリス人、度量広いじゃん。しかもサモハンなんか負けちゃうのである。なんかカンフーと言うよりボクシングの偉大さを称揚する映画になりかねない。

 まあ、色々あってこの映画はラストで前作からの、というかそもそもイップ・マン師を映画にしようと思い立つきっかけとなったであろう、ある課題をクリアする。
 少年ブルース・リーの入門だ。
 この役の子がもう、そっくりで、生意気そうな態度なんか上手く真似ていて大笑い。
 結局、前作でやり残したコレがやりたかっただけなんだろうな、、、JUGEMテーマ:映画

at 21:17, 空中禁煙者, アジア

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「螻蛄」 シリーズの転回点かも

 疫病神シリーズを読んでいると、RPGのような冒険譚を読んでいるような気になることがある。
 時には従者(二宮)を連れた剣士(桑原)がトロールの村を蹴散らしに行くハナシのようであり、時には魔法使い(桑原)にそそのかされた人間のオトコ(二宮)がドラゴンの巣穴の奥に眠るお宝を手に入れに赴くハナシのようでもある。
 恐らくは疫病神シリーズがときに本当に魔界に行く(北朝鮮とか)ハナシであるからであり、疫病神コンビが活躍するヤクザと金の亡者どもが蠢くリアルな日本が、我々一般市民の目からは魔界のようであるからだろう。
 
 それは我々の住む(と、一見思っている)世界とは価値観が逆転した世界だ。
 警官や聖職者など、我々が高潔だと持ってる人種ほど薄汚い金の亡者であり、市井の名も無く倹しい暮らしをしてるヒト程清らかだ。
 何しろ、本書で一番美しい心の持ち主は、貧乏長屋で暮らすオカマのネイルアーティスト、麻衣ちゃんだ。
 
 今回疫病神コンビが赴く魔界は、東京。
 
 二蝶会に流れてきた二千万円の空手形の金の回収に手を上げた桑原は、手形の振り出し元のお寺の檀家に二宮がいると知るや、またしても二宮を巻き込んで巨大宗教団体の東京支部を背景にした大規模な詐欺に首を突っ込んで金をかすめ取ろうと奔走する。
 
 相変わらず面白いことは面白いが、そろそろ苦しくなってきているなぁ、、、と言う感じも一作毎に強くなってくる。
 端的に言って、桑原が何故そうまでして二宮を連れ回そうとするのか、解らなくなってくる。
 今回はハナシのきっかけこそ手形の振り出し元の檀家である二宮が必要だが、東京に出張っていくあたりでほとんど意味がない。
 好意的に解釈すれば、桑原は二蝶会でも一匹狼でロクな舎弟がいないので二宮を連れて回らざるを得ない、とも思えるが、そもそも誰も連れなくても桑原一人で済むのではないか。
 
 おそらく、そこには黒川氏も気づいているのだろう。シリーズ最大の試練を経て、今作のラストで桑原と二宮の関係はなんとなく変化を見せている。
 二人とも、シリーズ当初どころか、今作の始まりとも別人のようである。
 
 黒川氏、この二人の関係を次作でどうするつもりであろう。
 何事もなかったようにリセットするして始めるのか。
 それともいっそ今作で終わりにしてしまうのか。
 まあ、楽しみでしょうがないには違いないんですけど。
JUGEMテーマ:小説全般

at 18:01, 空中禁煙者, 書籍

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「パラノーマル・アクティビティ 第2章/TOKYO NIGHT」 ラストで急にJホラーになります

 「パラノーマル・アクティビティ」の正式な続編、と言うことになっているが、多分、金払ってタイトル使用料を買っただけ。公開順で言うと→第2章→となるが、この第2章と本国で作られたの間で既にストーリー上の齟齬が発生していて、2のスタッフが第2章を観てない(少なくとも気にしてない)のがミエミエ。
 オーレン・ベリ監督、たった135万でなんぼほど稼ぐつもりなのか。

 が、ですね。
 意外なことにシリーズ最恐。

 ストーリー的には同棲カップルをOLの姉と浪人中の弟に変えただけで、ほぼ一緒。
 呪怨の伽耶子がアメリカに出張したのと逆に、アメリカ旅行中に姉がパラノーマル・アクティビティを連れて帰ってきちゃうハナシ。

 ほとんど一緒でホラー演出としては1よりむしろおとなしめなのだが、何故か怖い。
 多分、日本人で日本のハナシだからなのかなぁ。
 
 本家とは違い、青山倫子さんなどという、やや名の売れた女優さんを使っているが、凄く芝居がリアル。青山倫子さんは「逃亡者おりん」だの「サラリーマン金太郎」だの、やや芝居がかった演技(というのも変な表現だが)しか見たことなかったが、なかなかどうしてこの年頃のフツーのおねーさんを演じ切っていて、異様にリアル(ただ一箇所ヒトの言ったことをオウム返しに聞き返す聞き方がまるで「おりん」で吹き出してしまったが)。お気づきかもしれませんが、ワタクシ、青山倫子さんの大ファンです。

 前作と上手く繋げた脚本も(この時点では)上手いのだが、ひとつだけ、お祓いに来た神主さんと怪異がやんだり始まったりするタイミングの関連には不満を持った。
 あそこは怪異が再び始まった日に神主さんが○○○事にしないとダメでしょ。

 一方、青山倫子さんはアメリカ旅行中に交通事故に会い、両足を複雑骨折して帰ってくる設定で、全篇車椅子ぐらし。なんでそんなメンド臭い設定にするのかなーと思っていたら、コレが実はいかにもJホラーっぽい仕掛けなのであった。コレにはやられた。

 例によって手持ちカメラの映像なので、青山倫子さんの圧倒的な美しさを堪能、という訳にはいかないが、アメリカ発祥のモキュメンタリーホラーとJホラーを上手く融合させた佳作だと思います。
 ただ、ラストのカットは余計だ。
JUGEMテーマ:映画

at 18:42, 空中禁煙者, 邦画

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「英国王のスピーチ」 実話で感動的ならあと何でもいいのか

 レンタルビデオ屋さんに行くと「アクション」とか「SF」とか「ホラー」とか「コメディ」とかと並んで、「ドラマ」とか「人間ドラマ」とか、下手すると「ヒューマン」なんて棚がある。
 なんだそれは、と思う。
 ドラマっつったらアクションだってSFだってドラマじゃねーか、と。ましてや人間、とかヒューマンとか、どういうことだよ、ありとあらゆる映画の主人公はほぼ人間だよ(SFやファンタジーには、極まれにそうじゃないのがあるが)と、思うのである。
 とは言うものの、アカデミー賞を獲ったりするような映画は、此処にカテゴライズされることが多いのも、また事実ではある。

 そんな訳で、アカデミー作品賞を獲った人間ドラマ「英国王のスピーチ」であります。

 一方、当ブログの読者(いません)はお気づきかもしれないが、当ブログでは、このジャンルの映画はほとんど扱われてなかったりする。当ブログのは、どちらかと言うとわかりやすい娯楽作品が扱われることが多く、「感動」を売りにしたりするような映画は少なかったリするのね。

 で、ですね、そういう立ち位置から観ると、ですね、この映画、致命的な欠陥があるんだけど、、、
 いや、アカデミー賞作品賞受賞作にイチャモン付けて申し訳ないんだけどさ。

 この映画、スタッフといいキャストといい、いわゆる「コスチューム・プレイ」(コスプレじゃないよ。華麗な衣装を着て演ずる歴史劇をこう呼ぶのよ)が得意なヒトを集めていて、そう意味では見事な出来。
 ジョージ6世の奥さん(今のエリザベス女王のお母さんね)役のヘレナ・ボナム・カーターなんてさ、オレからするとフランケンシュタインのモンスターの花嫁だの、猿の惑星のエテ公だの、それこそ人間じゃない役ばっかりのヒト、みたいなイメージなんだが、もともとはコスチューム・プレイの得意な生粋のイギリス女なのね。

 霧のロンドン!と言いたくなるような路上で霧にむせぶ二人の男の遠景、とか、ウェストミンスター寺院の廊下の高〜い天井近くから遠く捉えた一人歩く言語聴覚士の孤独、とかさ、美しい映像と、オーストラリア人言語聴覚士(意味不明)ライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ。ホントにオーストラリア人)の複雑な、それでいてあくまでも善良な人物造形とかで、とりあえず面白く観せられてしまう。

 観せられてしまうんだけど、コレ、ラスト近くに、当然、すべての観客が予想してたであろう、一つの展開点が有るわけね。
 で、この展開点に至る過程が、もう、全然納得行かないの。

 え?
 イキナリ?
 突然?
 突然ココでこうなっちゃうの?なんで?

 ミステリーで言えば、探偵が決定的根拠を見つけないで曖昧なママ犯人名指ししちゃったらたまたま当たってた、みたいなもんだ。

 実を言うと、ジョージ6世がローグの正体を聞かされて動揺したあと、どうやってその事実と折り合いをつけたのかもよく分からない。
 更に遡れば、ジョージ6世がローグに傾倒するきっかけになった録音。あの録音の結果は画期的な事実だと思うが、それ以降それに関連する実験なり療法なりが出てこないのも、なんか納得行かない。

 こういう映画を好むヒトって(アカデミー賞選考するヒトも)、ラストでとにかく力技で強引に感動さえさせちゃえば、そういうところはどうでもいいんだろうか。

 映画全体の冒頭をマイクのどアップで始める、とか、映像は凝ってるだけに、なんか釈然としない思いが残るのであった。
JUGEMテーマ:映画

at 21:40, 空中禁煙者, 洋画

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「パラノーマル・アクティビティ2」 ホラー映画は難しい

 可哀想に前作のオーレン・ベリ監督(脚本制作)は2作目を撮らせて貰えず、一応プロの監督と脚本家を雇って取った続編。
 確かに全体的に観やすく、解りやすくなってます。
 ただ、その分前作が持ってた訳のわからない恐怖は大分薄れた感じ。

 冒頭で空き巣騒ぎ(登場人物が気が付かないだけで、当然これも超常現象)があり、防犯のプロが家中に死角ができない様にカメラを設置したせいで、ほぼ固定カメラばっかりの映像なので、前作のように「酔う」ということはない。
 一応高校生の娘(美少女)がカメラ好きで、四六時中ホームビデオで撮影しているが、固定カメラの映像の中に時折手持ちカメラが混ざる程度、という印象。
 アレ?そのせいで恐怖感が減ってるのかなぁ、、、

 脚本もよく練られてる。前作のように「馬鹿かコイツは、、、」って奴はいないし、前作に上手く繋げてる。
 前作のカップルの彼女の方の妹の嫁ぎ先が舞台なのね。この妹に男の子が生まれて、、、って言うのが前作に繋がる怪異の始まり(本当の始まりは1930年代にあるらしい)って言うのが上手い。
 旦那が死別した前妻との間に作った高校生の娘(美少女)がいるのだが、コレが定番どうり拗ねてなくて、継母と姉妹のような関係を作り、赤ん坊も可愛がってるって言うのが良い。ココでこじれちゃうとちょっと別のハナシになっちゃうからね。

 そんな訳で前作に比べ数段よく出来てる気がするんだけど、ほぼ、怖くないです。
 難しいねぇ、、、
JUGEMテーマ:映画

at 19:11, 空中禁煙者, 洋画

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「逆説の日本史 14 近世爛熟編」 逆説シリーズの面目躍如

 この14巻はその逆説ぶりにおいて全シリーズ中の白眉ではないか、と言うくらい著しく逆説ってます。

 第一章は赤穂事件について。いわゆる忠臣蔵ですが、イキナリ逆説全開。
 ココでの井沢氏の主張は「現在の赤穂事件認識は歴史学会も含めてフィクションである忠臣蔵に毒されたデタラメである」と言うモノ。
 具体的に言うと、

・吉良上野介が悪人であり浅野に意地悪をしたとする資料はフィクション以外に存在しない。
・浅野内匠頭は叔父に乱心の末殺人事件を起こしたヒトがおり、本人も「つかえ」と呼ばれる精神病の持病があった。
・従って、吉良のいじめに耐えかねた浅野が刃傷に及んだと言うのは後世の創作にすぎず、実際は少しも悪くない吉良に精神病を発病した浅野が斬りつけたに過ぎない。
・当然大石内蔵助らによる討ち入りにも正当性はない(それなりの意味はあるが)。

と言うモノ。どうです、逆説の日本史の本領発揮でしょう?
 四十七士による討ち入りにどんな意味があったかは本書をあたっていただくとして、現時点でレビューすることがちょっと卑怯かなぁ、、、と思うのは、実はオレが読んだのは文庫版であって、当然単行本化されたのはだいぶ前であり、更に雑誌に連載されたのはもっと前だということだ。
 その間に、この説に関する反論は噴出しており、いくつかはネットでも読める。
 
 曰く、吉良上野介が嫌味な悪人であったことを示す史料はいくらでも有る。
 曰く、井沢は松の廊下の構造を理解していない。

 どちらが正しいのかはオレには判らないが、このシリーズはそういうことを念頭において読むべきものなのだ。
 ただ、素人なりにひとつだけ指摘しおけば、井沢氏は浅野内匠頭を統合失調症、と決めつけているが、浅野内匠頭の行動が、なんとなく、オレの理解する統合失調症患者の行動と、合致しないような気がするのね。
 自分の上司を殺そうとして実際の行動に移すほどの統合失調症の患者が、普通、前日まで何事も無く仕事している、などということが有りうるだろうか。しかも失敗した後はあっさり捕まって、罪を認めて翌日には唯々諾々と切腹までしている。辞世の句まで詠んでいるのだ。統合失調症ってこういうもの?なんとなく、井沢氏の都合に合わせて統合失調症になったり治ったりしてる解釈のようでもある。

 第二章はいわゆる「犬公方」綱吉について。
 綱吉については、オレの世代の学校教師は、ほとんど知恵遅れ扱いしていたような記憶がある(教師はもっと酷い言葉を使っていた)。この綱吉を、井沢氏は歴代将軍きっての名君、とぶち上げる。
 が、コレについては、オレにとってほぼ納得の行くものだと思った。
 なるほど、綱吉は名君です。
 ただ、返す刀で「綱吉定身長説」はいかがなものか。綱吉は身長が124cmしかなかったというのだ。
 根拠は将軍家の菩提寺、大樹寺に収められた歴代将軍の位牌。
 歴代将軍の霊廟が江戸の寛永寺と増上寺に有るのは有名だが、実はもうひとつ三河にある大樹寺も将軍家の菩提寺であり、歴代将軍の位牌は大樹寺に収められている。この大樹寺の位牌には昔から、「格将軍の身長に合わせて作ってある」有るとの言い伝えがあったのだが、近年、増上寺の遺骨改葬時に計った将軍5人の遺骨の身長と位牌の高さは差は5cm以内であり、ほぼ、伝説は裏付けられた形なのだ。
 そして、綱吉の位牌は124cmしか無い。

 ある意味わかりやすいハナシだが、このハナシにもすぐ解るアナはある。実はもうひとつ極端に低い位牌があり、家継の135cmである。井沢氏はこの家継の位牌について「家継は満6歳で死んだので仕方ない」とあっさり片付けているが、そうか?満6歳だとすると逆にデカすぎるのではないか?
 ちなみに平成22年の満6歳の平均身長は116.7cmである。綱吉と家継以外の位牌は149cmから160cmのほぼ10cm以内にあり、この時代(と言っても300年あるが)の徳川家成年男子が155cmだとすると、135cmと言うのはいかにもデカい。今の日本人成年男子の平均身長は170cm超えているはずだから、今の感覚では150cmの6歳児、と言う感じか。
 残念ながらこの「位牌の高さ」問題には、実際の身長以外の何らかのファクターが絡んでると思わざるを得ない。

 まあ、だからといってこの「逆説シリーズ」の価値が落ちるとは思ってない。
 あくまで逆説を楽しむものなのだ。
 そういう意味では、充分に逆説を堪能できる一冊です。
JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 19:55, 空中禁煙者, 書籍

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「ミスター・ノーバディ」 驚異的なテクニックで離れ業を可能にした傑作

 
 1人のオトコの様々な選択によって枝分かれする様々な人生を、平行世界を行ったり来たりするように描く映画。平行世界と時間的な移動をどう解釈するかで様々な解釈が生まれるであろう映画でもある。
 一般に、118歳になった主人公がインタビューに答える錯綜した内容を映画にしている、と言う解釈が主流のようでもある。
 が、例によってオレはまた独自の解釈を持っていたりもする。
 オレの解釈によれば、この映画の中で真の人生は、主人公が映画の冒頭で自動車事故で死んでしまう人生、エリースと結婚し、34歳で死んでしまう人生だけであり、この映画は死の直前にパノラマ視現象のように「どこで間違ってオレは死んでしまうのか」をシミュレーションした内容の映像化である。
 さらに言えばこの映画のテーマは、映画のオープニング(この映画は今どき珍しくオープニングクレジットがある)で「ハトの迷信行動」が紹介されることからも、「いやオマエが不幸だったり幸福だったりするのはオマエの選択の結果じゃないから」ということだと思う。オマエは幸福を求めて色々選択したつもりかも知れないが、その結果が幸福になるか不幸になるかは誰にもわからない。オマエはまるで自分の行動と給餌に因果関係があると思い込んで無意味な行動を取り続けるハトのようだよ、と。
 コレが一応、オレの解釈である。
 
 でも、そんな事は全部どうでもいい。
 
 この映画は一人のオトコの様々な人生を、縦横無尽に移動して一気に描ききると言う離れ業に「成功」した映画なのだ。10以上にもなる分岐を行ったり来たりしながら微塵も乱れない演出力は、全盛期のマクティアナンすら凌ぐ。なにしろ主人公とその妻三人(!)は、それぞれ子供時代、高校時代、青年時代と3人ずついるのに、いまどの人生のどのへんのハナシか、全く混乱しないのだ。
 さらに部屋の外で立ったまま抱き合った男女がそのまま転げ込むといつの間にかベッドの中にいる、といった夢のようなジャンプカットの多用、どこをとっても美しい風景、ある人生から別の人生へ移るときの流れるような場面転換、と、まさに映画のマジックに満ちみちている。
 おまけにどれをとっても一本の映画になりそうな人生の数々、子役、高校時代を含めた若い役者たちの精妙な演技(特に主人公の「本命」アンナの高校時代の可愛さ!)、映画を観ている間じゅう鼻面とって引っ張りまわされるのが快感であるような、まさに夢のような時間を過ごせる映画なのだ。
 ジャコ・ヴァン・ドルマル監督はコレが初見だが、イヤハヤまあなんとも凄い才能の持ち主がいたものです。
 一体全体どうすればこんな事が可能なのか、想像するだに目がくらむような才能なのよ。
 
 とは言うものの、じゃあオレがこの映画を何度も何度も繰り返しみるかというと、そうでもないような気がする。
 この映画に仕掛けられた主な分岐は二つ、離婚した両親のどちらについていくか、と、三人の幼馴染のうち誰と結婚するか。
 要はこの観点から見ると、この映画のテーマは家族と愛なのね。
 ヲイヲイ、オマエの人生で大事な事って愛だけかよ、と。
 まさにそれがテーマなんだろうが。
 人生、愛だよ、と。
 
 もしこの映画が、冒頭でギャングに殺されて、「アレ?オレの人生どこで間違ったのかな?」などとハードボイルドな人生をコレだけの巧さ面白さでシミュレーションする映画だったら、オレは★5つ付けて、生涯のベスト1にしてたかも知れない。
JUGEMテーマ:映画

at 20:10, 空中禁煙者, 洋画

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