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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「悪魔が殺せとささやいた」 悪魔とは人間の愚かさの由なり

 いわゆる総合誌(「文藝春秋」みたいな奴ね)成分7割、ゲスい実話雑誌(「実話ナックルズ」とか、、、)成分3割だった頃の「新潮45」に掲載された、多分に三面記事的で猟奇的な殺人事件のルポルタージュを集めたシリーズの5冊目。その後「新潮45」は編集長交代によってゲスい成分が薄まっているので、現在のところの最新刊であるコレが最終巻になるような気もする。


 実を言うと最初の「殺人者はそこにいる」に収められた「自殺実況テープ」のハナシが、もう、いい年したオッサンが夜中にうなされるほど怖いのだが、この巻もなかなか。
 このシリーズの一巻毎のタイトルが、その巻の内容に即して付けられているのかどうかは、判らない。
 が、今回の「悪魔が殺せと囁いた」はなんとなくそれっぽい。どうも精神疾患を抱えたヒトの犯罪が多いのだ(それも今回は女性が多い)。


 精神科へのいわゆる「通院歴」のあるヒト達の犯罪をどう捉えるか、というのは難しい問題だ。
 危険な性向で通院歴のある患者は完治するまで外に出すな的な議論に与するわけにはいかないが、恋人をカミソリで切り刻んで精神病院へ入院し、入院中に他の患者を切り刻んで精神病院たらい回しにされてたようなオンナが、誰も責任を取らずに一般社会で生活している、というのはやはり何か問題があると言わざるをえない。


 ことほど左様に犯罪というものはどこか割り切れないものが残るものだなぁ、とこのシリーズを読むと感じる。キーワードはいつも「プライド」と「性」と「愚かさ」であろうか。
 本当に金に困っての犯罪はほぼ出てこない。「プライド」と「性」が破綻したとき、そこに「愚かさ」が揃っていると、ヒトはヒトを殺すようである。


 先の剃刀オンナの他にもう一編異常な性向をもった犯罪者のハナシがあり、これはもう、性欲と言っていいかどうか判らないほど異常(老若男女を問わず、ヒトが窒息で苦しんでいる姿を見ると興奮すると言う)なのだが、どうも異常な性向の矯正に成功したと言う話を聞いたことがない。
 せめて愚かさくらいは何とかならないかと思うのだが、いい年こいた自分の愚かさを鑑みるに、コレもやっぱり無理なのか、、、
 ヒトが恨みを飲んで死んだら化けて出るよ、と言う日本古来の怨霊信仰は、このためにあるのかも知れないな、などと思うのであった。
JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 13:06, 空中禁煙者, 書籍

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「半端者」 若き「俺」の肖像

 映画化記念に書いてみた、シリーズ第一作の「前日談」だそうです。
 前日談と言っても事件そのものに繋がりがあるわけではなく、要するにススキノ便利屋としての自覚を持つ前、大学を中退しかけの「俺」を描いたてみた、と。
 ウルフガイシリーズで言えば、「若き狼の肖像」と同じ位置。多分、作者自身もアレを意識しているのではないか、などと勝手に決めつけてますが、ワタクシ空中さんはどうも平井和正より若いハードボイルド作家は全員ウルフガイシリーズを念頭に置いてるという思い込みがあるのだ。

 一冊かけて大きな事件を解決するわけではないので、ミステリーとしては成立してない。
 と言うかミステリーではない。
 ただ、半端な大学生の(多分4回生?)ひと夏の出来事を切り取っただけ。
 
 なにしろまだ大学生(一応)なので、ススキノの安寧秩序を守ろうとか、人助けをしようなどという自覚はないのだが、そこは何しろ持って生まれた性格がアレなので、身の回りに起こる種々起きる小さなトラブルに首を突っ込んでは痛い目をみたり、ひとり悦に入って顰蹙を買ったりする。
 基本的にはコレの繰り返しなのだが、ラストにはちょっとしたカタストロフが用意されていて、ほとんど死にかけたり号泣したりします。

 まだハードボイルドというほどの境地には至ってないし、ミステリーとしては成立してない。かと言って普通小説としても中途半端だし、なんとも評価し難いというか、恐らくはどんな文学史上でも評価されないのだろうが、後のシリーズのファンへのプレゼントとしては 満足行く出来。
 なにしろ桐原との出会いがココにあるのだ(高田とは既に親友)。最高の贈り物ですぅ、、、

 やっぱり「若き狼の肖像」だな、、、
JUGEMテーマ:小説全般

at 20:22, 空中禁煙者, 書籍

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「イエスという男」 田川建三という男

 著者の田川氏にとって本書は「イエスを『逆説的犯行者』として規定する」ためのものだが、ワタクシ空中さんのような、キリスト教徒でもない、聖書学者でもないものにとっては、まず、ナザレの男イエスをキリスト教から解放する試みであるように思える。
 
 我々はイエスの言動を、新約聖書に収められた四つの福音書によってしか知ることが適わない。そしてこの四つの福音書は、最初から一冊にまとめられることを前提に書かれたわけではなく、元々はそれぞれが独立したイエスの言行録として成立したため、相互に矛盾がある。ここまではキリスト教徒の皆さんには常識の部類だろう。矛盾がある事自体は新約聖書を読めば誰でもわかることだ。
 真面目なキリスト教徒皆さんが、この矛盾をどう思っているのかは分からないが、田川氏によればこの矛盾は要するに福音書記述者たち独自の(ある程度ユダヤ教の影響下にある)神学の反映であって、この時点で既にナザレの男の人生と、福音書をなした初期キリスト教との間には、大きな乖離が生じているのである。
 互いに矛盾する四福音書の中から、真にナザレの男の言動として認められるものを抽出し、それがどのような歴史的な場でなされたかを検証することにより、ナザレの男の言動の真意を探ると、そこに立ち現れてくるのは、キリスト教の伝えるような「神の子」としてのイエスではなく、「逆説的反抗者」としてのイエスであった、と言うのが主旨。
 この時点で我々シロートには目ウロコもんの衝撃の連続なのだが、イエスを「神の子」扱いするのは一種の褒め殺しであり、強烈すぎるイエスのメッセージを骨抜きにするための初期キリスト教徒達の策略である、などという説には戦慄を覚える。一体なんのために世界は2000年にわたり蹂躙されてきたのか。
 
 一方でシロートが読んでいてもすぐ気がつく問題点もある。
 
 ひとつは未だ実在の確認されない、いわゆる「Q資料」(注1)の存在を自明のこととし過ぎている感があること。
 何しろ当たり前のように「〜〜(Q資料)」などとQ資料を引用元とするような記述がある。コレはいくらなんでも気になる。
 
 もうひとつはもっと重要だ。
 
 ワタクシ空中さんは昔から、「富めるものが神の国の門を通るのは、駱駝が針の糸を通るより難しい」などと言った瞬間から、キリスト教とはすなわち共産主義の原型なのだろうと思っていた。共産主義がキリスト教の鬼っ子であるというべきか。お金持ちのキリスト教との皆さんは何故財産の一切を貧しいヒトに分け与えないのか、昔から不思議でしょうがなかった。イエス様はハッキリ「金持ちは神の国には入れない」と言っているではないか(ワタクシ空中さん自身はキリスト教徒でもましてや共産主義者でもないのでそんなことは御免被るが)。

 田川氏の抽出してくるナザレの男像は極めて共産主義的である。地主が朝から働いたものにも夕方から働いただけのものにも同じ賃金を渡すハナシなど、完全に共産主義的立場から解釈してる。もとより私もキリスト教は共産主義的だなと思っていたわけだが、ここまで共産主義的な路線に沿ったエピソードの取捨選択をされると、田川氏が共産主義者だから共産主義的なエピソードを集めてくるのか、ナザレの男が共産主義者だから田川氏も共産主義者になったのか、分からなくなってくる。
 
 ここで、「逆説的反抗者」という概念に戻ってみよう。
 本書によれば、イエスは自分がユダヤ教で期待されるところのキリストであると自覚をハッキリ持って活動していたわけではない。
 イエスはむしろ当時の民衆を(ローマ帝国による支配以上に)抑圧していた、民族主義ガチガチのユダヤ教支配に対して反抗するのが主目的であり、その際、パリサイ人(びと)や律法学者が仕掛けてくる問答に対して、まともに答える(相手の土俵に乗る)のではなく、逆説的言辞をもって混ぜっ返していた。偉そうにイスラエルの民の生活を縛ることばかりに熱心なら、まず自分が全てを捨てて洗礼者ヨハネのように生きてみろよ、と。出来やしないだろう、と皮肉に満ちた逆説で相手をやり込めるのだ。
 
 コレが「逆説的反抗者」の意味だが(当然、ワタクシ空中さんの解釈によってだいぶ簡略化されていますが)、コレがまた本書が皮肉に満ちている事を想起させる。
 皮肉な物言いが得意な共産主義者。
 田川氏がこの本で描破仕様としているイエスはまさに田川氏本人と重なるのだ。
 
 田川氏は自らを「神を信じないクリスチャン」と規定しているが、コレはイエスの信じていた神は信じないがイエス本人は信じるということだろう。してみると田川氏の言動がイエスに似てくるのは当然なのか、それとも田川氏に似てくるようにイエスを描いているのか、ここでもまた迷ってしまうのであった、、、
 
注1)
 四福音書がマルコ→ルカ・マタイ→ヨハネの順で成立したことは分かっている。このうち最初の三つは共通する部分が多いので「共観福音書」と呼ばれるが、特にルカとマタイはマルコを参考にして書かれている。
 一方、ルカとマタイに共通しているが、マルコには見られない部分が多々あり、恐らくルカとマタイはマルコ以外にもう一冊共通して参考にした文献があると考えられる。
 この文献をドイツ語の「資料」の頭文字を取って「Q資料」と呼ぶが、未だ実在を確認されたことはなく、他の書物に名前が出てくることもないため、実在を疑う学者もいる。
JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 01:17, 空中禁煙者, 書籍

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「ゼブラーマン・ゼブラシティの逆襲」 仲さんのPVと思えば傑作

 前作は何をどうすればどうにかなると思ったのかすら分からないまま終わっていしまったが、今回は何をどうすればどうにかなると思ったのかは最初からハッキリしてる。
 要するにこの時点ではまだ若干清純派の殻をかぶっていた仲里依紗ちゃんに、露出度の高いボンデージファッションで歌って踊らせりゃどうにかなるんじゃね?と思ったのは明らかで、その証拠にこの映画、他に何にも無い。
 前作の「白黒つけたぜ!!」に続く今回の決め台詞から言ってもこの映画がほとんどクドカンと三池監督の悪ふざけであることは明らかで、翔さんもよく付き合うなぁという感じ。
 実際問題翔さんはほとんどなんにもしていない印象すらあるが、当然、その分仲里依紗ちゃんが頑張らされてるわけで、ポスター等のヴィジュアルを見ると翔さんとダブル主演的な扱いではあるが、実質ほとんど主演であります。
 三池監督が「ハチワンダイバー」や「時をかける少女」の「ぽっちゃりビューティー」(マルC柴田ヨクサル)のどこを見てゼブラクイーンの役がイケルと思ったのか分からないが、実際おそらくは期待以上にハスッパな表情、挑発的な表情、「ア、アタシ悪いことなんて別になんとも思ってないから」演技で答えており、三池監督の彗眼には恐れ入る。
 例えばクドカンの考えた(というかテキトーに並べ立てた)ゼブラクイーン誕生秘話など、三池監督は「まあ、そのまんま、書いてあるまんま映像化してみましたけど、何か?」的な手法でこなしており、正直言ってこれでいいのか?と思わざるを得ない。
 これをもってこの映画のクドカンと三池監督が「前作より息もピッタリ」等と言っていいのかホントーに、要するに例によって忙しい奴が苦し紛れにでっち上げたホンを忙しい奴が苦し紛れにに映像化してみました、それでもいろんな事情があって翔さんは付き合ってくれるし、前作から宣伝も行き届いてるおかげで出たいっつってる新人もいるんです、的なシロモノを観せられているのではないか我々は、などと思いつつ仲里依紗ちゃんのボンデージファッションと柔らかそうなお肌の隙間すきまを狙ってくるカメラワークに釘付けになっているうちに映画は終わってしまうのであった、、、
JUGEMテーマ:映画
 

at 20:02, 空中禁煙者, 邦画

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「ゼブラーマン」 古い映画でスイマセン

 1本の名作より10本の佳作、10本の佳作より100本の駄作、と言うのが三池崇史監督の基本的なスタンスである。映画の111本も作りゃ名作が1本佳作が10本くらい混じってんじゃねーの?くらいの勢いで作っている。何故ならとにかく誰かを騙してでも金を出させて、常に映画を作っていないと、三池作品を支える三池組の面々を食わせていけない思っているからだ(コレが思いこみかどうかはワタクシ空中さんには分からない。監督や脚本家は印税契約できるが、大道具さんやタイムキーパーは1本いくらや、下手すりゃ日給なのかも知れない。だとすると三池監督の思いはとりあえず正しいのだろう)。
 必然的に三池監督は作品の評価や知名度とは無関係に、とにかく忙しいヒト、と言うことになっている。

 コレは今を去ること7年前、今より忙しかった三池監督が、当時一番忙しかった脚本家の宮藤官九郎と組んで、哀川”ダブル太陽”翔アニキを主演に、「翔さんの主演100本目とか銘打って人気のクドカン連れくりゃ誰か金出す奴いるだろ」的な企みで作られた映画である(に違いないと思っている)。

 最初の打ち合わせの時、三池監督が「今度はヒーロー物やりたいんだよね、、、」と言うので「ハイ、分かりました!」とヒーロー物の脚本を書いたものの、後にとある雑誌で三池監督のインタビューを読んだら「その場しのぎの口から出まかせでヒーロー物をやりたいと言った」と書いてあって腰が砕けた、というクドカンの証言がある。

 要するに全員とにかく動き出しさえすればなんとかなるだろうと思って動き出してはみたものの、上がってきた脚本はどうみても「いまどき子供向けのアニメだってもうちょっとひねってあるぞ、、、」と言うような中途半端に「ひねったつもり」のせいぜい子供騙しでしかなく、一体全体どこをどうすれば「なんとかなる」と思ったのか明確なビジョンもないままクランクアップしてしまったというような出来の映画であり、それでも翔兄キの「冴えない小学校教師」役の意外にも確かな演技と、鈴木京香の無駄なまでのエロさを頼りになんとか最後まで観たことは観たものの、「信じれば夢は叶う」などと言う三池崇史自身が最も鼻でせせら笑いそうなメッセージを叩きつけて来て、イヤ、笑わせるつもりならもっとギャグを決めてよ、唯一笑えるギャグって渡部篤郎に「渡部篤郎演技」をさせてるところだけじゃん、などと思いつつ映画は終わってしまうのであった、、、
JUGEMテーマ:映画

at 13:03, 空中禁煙者, 邦画

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「アンストッパブル」 実話+定番ネタ+トニデルコンビ

 コレは恐れいった。脱帽モノ。なんか正しい娯楽映画を観たなぁ、、、という感じ。
 トニー・スコットとデンゼル・ワシントンのコンビもずいぶん長いが、やっと後世に残るような映画を作れたか。
 
 ここにはトニー・スコット映画を観たときにいつも感じる派手なこけ脅し映像も、ケレン味たっぷりのカメラワークもない。ただ、娯楽映画として必要にして十分な映像があるだけ。もともと素材に自信があればこう言うことが可能なのか、誰かになんか言われて(お兄ちゃんのリドリー・スコットとか)過去の自分を反省した結果なのか分からないが、いわゆる「トニー・スコットっぽい映像」を捨てることによって本来の自分を取り戻したかのよう。

 だいたい、暴走列車モノってハズレが少ないんだけどね。ワタクシ空中さんの記憶にあるだけでも、「カサンドラ・クロス」とか「大陸横断超特急」とか「暴走特急」とか「暴走機関車」とか。
 って傑作ばっかりやんけ!!まあ、似たようなタイトルばっかりですが。
 トニー・スコット&デンゼル・ワシントンのコンビもこの傑作たちに連なれたわけで、慶賀に耐えない。

 正直言ってこの映画が映画史に残るような映画かどうかは分からない。もしかするとプログラム・ピクチャーなのかも知れない。有名な役者はデンゼル・ワシントンだけだし。
しかし「おもしろい映画を観たなぁ、、、」という感慨を抱かせる点において、ここ数年でも傑出しているのではないか。

 過去の暴走列車モノと比較して面白いのは、主人公達の活躍をテレビカメラが追っていて、全米が、ひいては主人公達の家族が固唾を飲んで見守っている点。
 鉄道会社上層部に情報が入ってくるのが遅く「テレビに教えられなきゃならんのか!!」とどっかで聞いたような(おそらくはどこの国でも起きている)件もちゃんと抑えてる。
 特に良いのは離婚調停中だった若造(デンゼルじゃない方)のヨメが、母親に言われてテレビを見ると、自分の暴力夫が街を救うために命がけの活躍をしているところをライブ中継で目の当たりするくだり。此処から先の展開は(ちょ、調子いいな、、、)とは思うものの、恥ずかしながら涙が滲みました。

 2001年に起きた実話が元になっているそうだが、実際にテレビ中継されてたのかねぇ、、、なんとなく、「アルマゲドン」以後って気もするが。
 一番脱線が危険視されてた大カーブの内側にあるビルで、避難しろっつってるのに屋上から見物してる野次馬がいるってハナシはいかにも実話っぽいなと思いました。
JUGEMテーマ:映画
 

at 19:20, 空中禁煙者, 洋画

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「必死剣鳥刺し」 トヨエツのハダカが剣豪のハダカじゃない

 「花のあと」のせいで時代劇づいてます。
 コレも「ラスト15分に壮絶な殺陣がある」との評判を聞きつけて慌てて観ました。
 「秘剣の全てが明らかになるラスト15分が 時代劇映画の歴史を変える!」だそうです。

 主要キャストが能を観ているシーンから始まるのだが、わざわざ能の専門家を呼んで撮っているにもかかわらず、「能」を撮り切れていないのが気になった。
 能が終わった途端にちょっと衝撃的なシーンがあって、コレを淡々と、しかし有無を言わさぬテンポで撮っているので、ちょっと「ほほう、、、」と身を乗り出す。

 映画は徹底的に淡々として進む。なぜ、主人公は主君の愛妾を殺したのか。なぜ打首にならないのか、時系列を上手にシャッフルして、少しずつ、明らかになってくる。
 普通はこのへんで主人公の剣豪ぶりを明らかにするシーンを入れとくもんだが(「用心棒」の腕切り、「椿三十郎」の破れ寺での立ち回り、「花のあと」の試合、みたいな)、それも無し。ひたすら「武士の生き様」を描くのみ。まるでラスト15分のインパクトを強くするために、それまでは抑えているようだ。トヨエツも池脇千鶴も抑えた演技で演出プランによく応えてる。

 そしてラストの大立ち回りがやってくるんだが、、、
 
 ま、まあ、吉川晃司との一騎打ちは良いとしよう。まあ、迫力ある。動きもよく誤魔化さないでよく捉えられてるし、間合いの探り合いがまるで会話しているように見える呼吸はちょっと面白い。
 でもそこまで。その後トヨエツが一太刀入れられてからは、もう、振り回してるだけじゃん。そりゃ壮絶っちゃ壮絶だけど、迫力も華麗さも何も無い、ただ悲惨なだけ。それがリアルだと言われればそれまでだが、少なくともチャンバラファンを唸らせるようなものではない。もうちょっと剣豪らしいやられ方を望みたい。

 そして、最後の最後、問題の「必死剣 鳥刺し」もなぁ、、、
 原作は読んでないんだけど、コレ、原作ではなんか納得いく説明あるの?なんで「鳥刺し」なのか、とか。
 確かに中盤に鳥刺しのシーンがあるんだが、あそこで「自らの気配を立つために、、、」とかなんとか説明がないとダメなんじゃないの?そこが無いとなんで「鳥」で「刺し」なのか、なぜ「必死剣」足りうるのか、が全然納得いかないんだけど。

 ストーリー的にも変。そもそも「お別家様」(まあ、藩主の年上の従兄弟だろう)の吉川晃司は、藩主の愛妾、蓮子が藩政に口を挟むことを心良く思ってないどころか、藩主と蓮子に面と向かって批判して藩主と著しく対立してたわけで、その蓮子を殺したトヨエツのことを知らないはずはないと思う。閉門中に会いに来て「良くやってくれた!」って褒め上げて両手を握ってブンブンするくらいで普通では無いのか。

 ましてや何故か藩主の近習に取り立てられたとあっては何かに気づいて然るべき、と思うが、志士ではあってもバカなのかも知れない。

 とは言うものの、吉川晃司の重厚な芝居は個人的にこの映画の収穫の一つ。「すかんぴんウォーク」の昔からキャリアが歌と役者の二本立てのヒトではあったが、正直言って何時まで経っても上手くならない歌はやめて(上手い下手以前の魅力があるんだろうとは思うが)、役者に専念したほうがいいと思う。

 スタッフ・キャスト共に不真面目に作ってるとは言わない。真面目に良い物を創ろうと頑張ってるんだろうが、所詮、「最近藤沢周平ものがウケるらしいから魔界転生の平山カントクで一本殺陣に力入れて作ったれ」などいう安直さが全ての欠点の原点にあるのだと思われる。
JUGEMテーマ:映画

at 22:00, 空中禁煙者, 邦画

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「サロゲート」 SF的アイデアは消費財に過ぎない、という考え方

 ジョナサン・モストウはCGに頼らなくても迫力のある絵を撮って、大したことないアイデアでも面白く観せる事ができる職人さん。自分のオリジナル脚本でもあまりテーマ性とか感じさせず、「面白きゃいい」式のヒトなのかな、と思わせる(作品数が少ないせいもあるかも知れないが。もっと色々撮れば作家性が出てくるのかも知れない)。

 ほぼ、すべての人間が自宅でロボットを操ることで暮らすようになった社会(分かりやすく言うとアバターですな)。感覚機能が付いているらしく、セックスもロボット同士で済ませてちゃんと気持ちいいらしい。
 一方、そんなロボット任せの風潮に納得できず、一部の人間は「ロボットお断り」の特別区に住んでいる。

 コレはまた充分に「ブレード・ランナー」や「2001年宇宙の旅」に迫る名作SFになる可能性を秘めたテーマなのだが、職人監督モストウはそのへん全く興味がなくて、今時珍しい1時間半を切るタイトな娯楽映画に仕上げてます。

 主人公夫婦の葛藤とかサロゲート発明者(「ブレード・ランナー」で言えばタイレル博士ですな)の苦悩とか、脚本上には掘り下げればとんでもないことになるネタが散ればめられているのだが、もう、アッサリと、サクサクっと片付けていく。

 主演のブルース・ウィリスとかその奥さん役の名前を知らない女優さん(失礼!)とか、結構シリアスな演技をしていて、もしかすると脚本読んで役を引き受けた段階では「ブレード・ランナー」超えるかも、、、と思っていたかも知れないと思わせる。

 まあ、金がなくて仕方が無いのか、プロデューサーに名作つくろうって野心がないのか、とりあえず職人監督に任せてスターひとり呼んで制作費が回収出来れば万々歳、という映画。

 アクションシーンがモストウらしいパワーが感じられるのがせめてもの救い。後はサロゲートと実態の差で笑わせる、くらいしか面白いところがないのは情けない。
JUGEMテーマ:映画

at 23:45, 空中禁煙者, 洋画

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「ミッドナイト・ミート・トレイン」 いくらなんでも掃除が大変なんじゃ、、、

 意外とまとも。
 クライブ・バーカー×北村龍平で「まとも」というのが褒め言葉に成り得るかどうかは微妙だが、日本映画界に置いておくと暴走が止まらなくなってあさっての方向へ飛んでいってしまう北村龍平も、ハリウッドシステムの中では大人しかったということか。


 ほとんどギャグのようなスプラッタ描写や(ちょんぎられた生首目線で自分の胴体を見る、とか)、ラストで主人公が死地に赴く際の身支度などに北村龍平臭がプンプン漂ってはいるが、むしろ都市伝説的なお伽話をニューヨークの日常に紛れ込ませることに成功していることに感心した。正直、北村龍平にこんなことができるのとは思わなかった。
 
 真夜中の地下鉄でヒトが消える謎に取り憑かれるカメラマンと、それを心配する恋人。やがて止めても無駄だと知った恋人は自らも謎の解明に乗り出す。
 定番の流れではあるが、きちんと登場人物たちの感情を追えているので、陳腐な感じがしない。
 北村龍平作品で普通の恋人同士の愛情が描かれるなんて初めてではなかろうか。


 全編を青白く統一してスプラッタの生々しさを減じる色彩設計など意外な芸の細かさを見せてみたり、怪しい解体屋(ヴィニー・ジョーンズ!)を追うカメラマンの調査ぶりをデテクティブ・ムービーのように積み重ねてみたり。
 ラスト直前まではなんだか文芸風味の不条理ムービーにもなりえそうな雰囲気なのよ。


 まあ、クライブ・バーカー原作なのでラストがこうならざるを得ないのは仕方がないが、何となく北村龍平の新しい可能性を感じさせる一本。


 逆に言うとラストが「アレ」でも格調高いホラーにできるかどうかが、一流とよく出来たB級の境目なのかも知れない。


 エンドクレジットでまた腰が抜けた。ブブブブブブブルック・シールズぅ?!どこに、、、あの淫乱の画商か、、、アレが「青い珊瑚礁」の、空中さんのヰタ・セクスアリス、ブルック・シールズとは、、、(オッサン臭い感慨でスイマセン、、、
JUGEMテーマ:映画
 

at 20:16, 空中禁煙者, 洋画

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「ザ・ロード」 鍵かかってる地下室はいつも天国か地獄

 オレは不勉強にして知らなかったが、もしかするとこの世のどこかで「暗い映画コンテスト」のようなものが行われていて、この映画の製作者たちはそこでグランプリを取る為にこの映画を作ったのかも知れない。
 そんな気にさせるほど、ほとんど笑っちゃうくらいに暗い映画。
 しかしキャストはヴィゴ・モーテンセン、シャーリーズ・セロン、ロバート・デュバル、ガイ・ピアースと、どちらかというとシリアスなイメージのヒトばかり。
 どうも大真面目にこのひたすら暗い映画を作っているらしい。
 引き摺られやすい性格のヒトはこの映画きっかけで欝を発病しかねない。心して観てください。
 
 なんだか判らない理由で壊滅状態の地球。エラい寒くなってしまって植物も育たず動物も滅多に見ない。無政府状態になったアメリカをただただ旅するオトコのハナシ。
 というわけで「ザ・ウォーカー」とほとんど同じ設定。
 違うのはデンゼル・ワシントンが運んでいたのはThe Bookだが、ヴィゴ・モーテンセンが運んでいるのは自分の息子である点と、「ザ・ウォーカー」に満ちていた希望が微塵もない点。
 ホント、コレに比べると「ザ・ウォーカー」なんてのん気な珍道中にさえ思えてくる。「ザ・ウォーカー」でも食人は示唆されていたが、こちらはもう、今生きている人間はほとんど食人で生き延びているらしい。ヒトを見たら食人してると思え。
 果たして親子はヒトを食わないで生きて行けるのか、というのが重要なテーマの一つとなっている。
 
 ただでさえ絶望的な世界で、さらに危機的状況のつるべ打ち。
 まだヒドイこと思いつくのかと恐れ入る。
 ヴィゴ・モーテンセンもデンゼル・ワシントンみたいに強くない。彼にあるのは慎重さだけ。
 慎重に危険を回避することだけでわが子を守り、生き延びてきた。
 だからこそ、危機的状況のサスペンスはただ事ではない。
 どうせ戦ったって勝てやしないのだ。逃げるしかない。
 従って出来るだけ危険には近づかないようにしなければならないのだが、一方で食料を得るためには危険を省みずいろんなところに鼻先突っ込んでみなきゃならない。
 もう、胃が痛くなる。子役のオトコの子のピュアな演技と可愛さがなかったら、途中で観るのをやめたかも知れない。
 
 そもそもなぜ世界がこうなっているのか、どうすればもとに戻るのか、全くわからないので、メッセージもクソもない(強いて言うなら「食人はやめようね」になってしまう)。制作陣がこの映画で描きたいのは、父子の愛だろう。ただ、父親の「この子を死なせてはならない。この子に間違った道に進んでほしくない」という思いだけが、ただただ突き刺さる。
 
 コレほど暗い映画を大真面目に豪華キャストで作る、アメリカ映画界の懐深さに脱帽。
JUGEMテーマ:映画

at 23:25, 空中禁煙者, 洋画

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