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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「イングロリアス・バスターズ」 主役はブラピじゃありません

 前にも書いたがタランティーノはダラダラした会話が好き。ここに来てついに自らを「会話の映画作家」であると規定したようだ。
 
 ナチス占領下のフランス。ナチスに家族を皆殺しにされたユダヤ人少女ショシャナは3年後、パリで小さな映画館を営んでいた。一方その頃フランスにアパッチの血を引くアメリカ人中尉に率いられたバスターズと呼ばれる部隊が潜入、ナチスを次々に血祭りに上げ、ナチス将校達を震え上がらせていた、、、
 
 などというストーリーからハデなアクションの連続を期待するとスカされる。そう言うモノはほぼ、無い(ちょっとはあるけど)。代わりにあるのはスリルに満ちた「会話」なのだ。
 
 ユダヤ人をかくまうフランス人とナチスの会話。ナチスに化けて潜入したイギリス人将校とナチスの会話。家族を皆殺しにされたユダヤ人少女(の三年後)とナチス(皆殺しにした本人)の会話。レジスタンス女優とナチスの会話。
 会話はいつも騙し合いであり腹のさぐり合いだ。探り合った結果、惨劇が始まったり上手く切り抜けたりする。この映画は、ほぼ、この会話と会話の果ての緊張と緩和で成り立っている。
 驚くべきは今までのグダグダしたストーリーと直接関係のない会話と違って、ちゃんと展開に有機的に結びついた、しかも面白い会話になっている事だ。インディアンポーカーみたいな名前当てゲームから惨劇にいたる過程なんて本当に面白い。
 くだらないゲームの話から徐々に核心に迫る会話のうまさと、狭い部屋の中で切り返すカメラワークの鋭さが相まって、心憎いばかりの面白さ。
 タラ坊、上手になったねぇ、、、
 
 会話の片方はほとんどナチスな訳だが、その中でも大半を担当するのは「ユダヤ・ハンター」の異名を取るランダ大佐。クリストフ・ヴァルツなる役者さんが演じているのだが、このヒトの芝居がまた上手い。
 陽気なのにイヤミで、高慢で、鋭くて、自信家で、卑怯という複雑な人間像を喜々として演じきってる。一般にブラピが主演だと思われているが、出演時間の長さから言っても実質的な主役はこのヒト。
 
 そう言えば「家族を皆殺しにしたナチス将校に数年後遭遇し、声でそれと気付く女」って描写はオランダが舞台の「ブラックブック」にもあったなぁ、、、例によってタラ坊の映画は原典が取りざたされているが、案外このあたりもパクッたかも知れない。
 
 ところでイタリア人の振りをせざるを得なくなったブラピが一生懸命シャクレようとしてるのは、「知り合いのイタリア人(イタリア系)を思い出したらタランティーノだった」ってギャグなんだろうか。
JUGEMテーマ:映画

at 14:47, 空中禁煙者, 洋画

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「ディア・ドクター」 八千草薫(79)の上品な可愛さに脱帽

 映画を観ていると、たまに神の役割を振られている登場人物がいることに気づくことがある。この映画で言うと、香川照之演ずる医療機器の営業マンだ。
 彼だけは最初から全てを知っている。
 彼だけは全てを説明できる。
 でも何もしないでただ状況を見守っている。
 まさに神様ではないか。
 
 そんな神様が一度だけ説明をしようとするシーンがある。
 失踪した寒村の医者を捜す刑事二人組と喫茶店で話をする香川照之。
 刑事は問う。
 「彼はなんでこんなところで医者をしてたんでしょうねぇ。金のため?それとも愛ですか?」
 コレを聞いた香川は突然目を瞑り、ふぅーっと気を失って椅子ごと後ろに倒れてしまう。
 あわてて駆け寄り、香川が頭を打たないように手を差し伸べる刑事。
 しかし香川はすぐに目を開け、刑事に問い返すのだ。
 
 「今のは愛ですか?」
 
 このシーンには戦慄した。
 質問の後、気を失う香川のアップ。すぐにカメラをひいて倒れる香川と刑事二人の動き。香川の顔に切り返して「今のは愛ですか?」。
 タイミングと言いトリミングと言いカメラワークと言い演技と言い、全く容赦のない、完璧な演出なのだ。
 まるで黒澤のアクションシーンのようだ。
 ここは凄く重要なシーンでもある。
 「今のは愛ですか?」
 これはこの映画のテーマだろう。この映画のキャッチコピーは「その嘘は、罪ですか」だが、オレなら「今のは愛ですか?」にする。
 
 「今のは愛ですか?」(何回言うねん!)答えはノーだ。愛なんて大仰なもんじゃない。でも、困っている人を見たら、つい手を差し伸べたくなるだろう。いま、刑事さんが私を助けようと手を伸ばしたように。
 
 黒澤と言えばこの映画は「生きる」に似ているところもある。「今のは愛ですか?」(だから何回言うねん!!)が失踪した医師、鶴瓶のハナシのテーマだとすると、この映画にはもう一つテーマがあるのである。
 鶴瓶が診ていた老婦人、八千草薫のハナシは死を覚悟した人間が、残りの人生をどう生きるか、というハナシであって、まさに「生きる」と同じなのだ。
 
 何しろ八千草薫確か今年80歳になる老女であって、まだ60前の志村喬のようなアクティブなハナシにはならないのだが、この差が、黒澤と西川監督の差のような気もする。逆にいえばそこしか差が無いというか。西川監督に活劇のシナリオを渡して「これで撮れ」と言ったら、とんでもないものが出来るのかもしれない。
 
 正直言って全然好みの映画ではないで、オレは多分この映画を二度と観ないだろう。でも、この映画がとても良い映画で、西川美和がとんでもない手練れであることは分かる。
 そんな映画です。
JUGEMテーマ:映画

at 20:04, 空中禁煙者, 邦画

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「イリアム(下)」 多分、また四部作くらいになるのではないか、、、

 まあ、そんな大仰に引っ張る程の事はないんですが、、、
 結論から言ってですね、AパートとBパートは交錯しますが、Cパートは交錯しません(一部登場人物が被ったり、同じ名前が出てきたりはする)。AパートとBパートは完全に交錯して最後の数章は融合しちゃって、これとて大団円を迎えるわけではない。融合する事によって状況が大きく変化するが、なんと、クライマックス直前で終わり。これからって時に、、、
 
 ありとあらゆる謎が解決しないまま。
 ハイテク神々の正体は?そもそも何故こんな事やらせてるの?Cパートに出てくる「さまよえるユダヤ女」の正体は?重複する名前の正体は?
 なん〜〜〜〜にも詳らかにならん。
 知りたいヒトは次作「オリュンポス」を読んでね、と。
 
 まあ、それはそれで良いんだけどさ。
 こっちはそもそも究極のSFを読む快感に身を委ねたいだけなんだから(それはそれである程度の満足は得られる)。
 
 コレ、結局アレじゃね?
 要はダン・シモンズがホメロスの「イリアス」を再話したかったってだけじゃね?
 
 もともとダン・シモンズは文学的素養をやたらとひけらかしたがるヘキのあるヒトで、「ハイペリオン」からしてジョン・キーツとやらの詩が元になってるんだと(知らんわッ!!)。
 
 この「イリアム」もホメロスは当然の事としてもウェルズだのナボコフだの出るわ出るわ。文学談義をする機械知性の登場に至っては、ペダンティズムもここに極まれりと言った感がある。
 シモンズ先生、なかでも「イリアス」が好きらしく、どうもかの有名な英雄英傑たちを自分の好きなように動かしたい、と言うのがこの作品の動機のような気がしてしょうがない。
 かの英雄アキレスに、ヘクトルにオデュッセウスに、絶世の美女ヘレネに、自分の思い通りの活躍をさせる。確かに魅力的な気がする。
 しかもご丁寧に途中までは「イリアス」に忠実なのだ。「イリアス」通りに進んでいる世界を、自分の干渉によってねじ曲げ、自分の思うとおりの展開にする。
 シモンズ先生、まさにハイテク神々と同じ事をやっているわけだ。
 そりゃあ気持ちいいよね。
 なんかAパートだけ訳文もやたら大時代な語彙を使ってるし。原文もさぞメンド臭い表現をされてるんであらうな、、、と。
 
 あんまり気持ちよくてどんどん伸びちゃって、結局本屋における厚さに収まらなくなっちゃって、クライマックスと種明かしは全部次作送り、と。
 
 多分、「オリュンポス」でも多くの謎が残されたままなんだろうなぁ、、、
JUGEMテーマ:小説全般

at 17:51, 空中禁煙者, 書籍

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「イリアム(上)」 多分、キレイな大団円にはならないのであらうな、、、

 「ハイぺリオン」を読んでいるとき、「ああ、オレはいま究極のSFを読んでいるんだな、、、」と強烈に思った。尖鋭的に突き抜けたというよりは、それ以前のSFを集大成して洗練進化させたような作風。ベートーベン的と言うよりはバッハ的、と言えば分かりやすいか(かえって分かりにくいわッ!!)もう、「ハイぺリオン」(上)(下)「没落」(上)(下)「エンディミオン」(上)(下)「覚醒」(上)(下)の長きにわたって、もう、濃密なSF的世界に彷徨い、アイデアの本流に蕩う快感はSF者にとってはたまらない快感であった。
 これからはSF初心者に「何を読めばいいですか」と聞かれたら、ハイぺリオン4部作っつっときゃいいや、と思ったものである。
 
 そんなダン・シモンズの久々の本格SF超大作。またあの究極のSFを読む喜びに浸れるのかと、期待もいやがうえにも高まろうってもんです。
 全体が三つのパートに分かれている。
 
 Aパートはタイトル通りホメロス描くところの「イリアス」の世界。要するに英雄アキレスとかトロイの木馬とか、あの辺のハナシなんだけど、問題は語り手が「20世紀の大学でホメロスを教えてた学者」であること。彼は20世紀に死んだはずなのだが、紀元前の神話の世界に転生して、トロイア戦争が「ホメロスの著述通りに進行してるかどうか」観察する役目を仰せつかってる。誰に?神々に。
 トロイア戦争をめぐる話はもともと神話であり、戦争自体は人間の都合で始まり、人間同士が戦っているのだが、神々がガンガン干渉してくる(アキレスも半神半人だし)。ところがこの「イリアム」の神々は、「量子テレポーテーション」だの「ホログラムの馬」だの「エネルギー・ランス」だのを駆使するハイテクな存在なのである。
 
 Bパートは木星に住む機械知性体のハナシ。遠い昔に木星に送られた機械知性体が、木星の衛星ごとに独自の進化を続けてきたが、今でも木星全体な緩やかな連合を保っている。ところが最近火星で頻繁な量子テレポーテーションの兆候が認められ、このままでは太陽系全体に影響を及ぼしかねない。そこで衛星政府が話合って5体からなる調査団を送り込むことになった、と。
 で、この調査団のうちの2体の弥次喜多道中が繰り広げられる。この機械どもの知性がどれくらいかと言うと、2体ともシェークスピアが大好きで、プルーストについて議論するくらい(そのせいか、全編を通じてこの2体が一番人間臭い)。
 
 Cパートは未来の地球。ポスト・ヒューマンと呼ばれる謎の種族のお膳立てによって何不自由なく暮らす人間たち。100年の寿命を保証され(事故で死んでも再生してもらえる)、家事は「下僕」と呼ばれるロボットが一切やってくれて、ただ、遊んで暮らし、既に文字の読み方すら忘れてしまったが、、、
 ポスト・ヒューマンは遠い昔に軌道上のリングに引っ越してしまい既にその姿すら良く伝わってないが、ある日、すべてを受け入れ無気力に暮らす人間の中に「リングに上ってポスト・ヒューマンに会う」と言いだす奴が現れるが、ほかの人間一同、「ハァ?どうやって、、、」と言わざるを得ない。
 
 この三つが交互に語られる訳ですが、当ブログの読者の中でもSFに興味が薄い諸兄は、既にこの時点ですっかり脱落してることと思います。
 
 いったいぜんたい、「なぜそんなものを読まなければならないのか。」
 
 当然の疑問ですが、SFとはそういうものなのよ。
 なんの説明もなく矢継ぎ早に繰り出される訳の分からないSF的アイデアの奔流に身を任せる。コレがSFの醍醐味だ。まして究極のSFと来れば流れの激しさもひとしお。この「イリアム」もまたしかり、ハーラン・エリスン風に言えばアイデアで充満し、ガジェットで飽和してます。
 
 とは言うものの、さすがオレですらちょっと不安になった。コレ、ホントに最後まで読み続けられるんだろうか。何しろ上巻終わった段階で、三つのパートがちゃんと交錯するのかどうかも全く予断を許さないのだ(相互に関係があるらしい事は何となく分かる)。ちゃんと三つのパートとも全部説明し切れて大団円を迎えられるの?
 
 多分、そうはならないんだろうなぁ、、、
 
 果たして空中さんは最後まで読み終える事が出来るのか!下巻のレビューを刮目して待て!!
JUGEMテーマ:小説全般

at 12:36, 空中禁煙者, 書籍

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『井沢式「日本史入門」講座(4)』 アツ過ぎる井沢センセーを楽しめる本

 井沢元彦と言えば、つくる会への参加や憲法改正問題などで右派として知られるヒトではあるが、実はワタクシ空中さんは「逆説の日本史」シリーズは読み続けてます。
 少なくとも既成の歴史学への批判の書としては機能してるし、独自の視点から歴史を斬る歴史書としてもメチャクチャ面白いです。
 
 このシリーズはそんな「逆説の日本史」シリーズへの入門編として位置づけられているらしいが、「逆説」ほど緻密に編年体で事実を追ってない分、意外な事に井沢センセーの思想が「逆説」以上に直裁に叩き付けてあるような印象です。
 
 今回は藤原摂関政治のハナシから始まります。
 藤原摂関政治と言えば、中学で日本史を習い始めた頃、誰でも疑問に思う謎があるでしょう。
 「藤原氏はそんなに権勢を誇ったなら、なんで天皇家に取って代わろうとしなかったの?」
 結局藤原氏没落の端緒となったのは「天皇に嫁がせる娘不足」「やっと嫁がせてはみたものの、男子が生まれない」と言ったことであって、そんなあやふやな権力基盤なら、いっそ自分たちが王になってしまった方がよほど簡単ではないか、と、誰もが不思議に思った筈だ。

 実はワタクシ空中さんは、この謎には関しては若い頃に読んだ坂口安吾の説を信じていた。
 
 仮に天皇家に代わって王になったとしても、いずれ自分たちの政策に逆らう奴は出るだろう。それどころか、さらに藤原氏に成り代わろうとして戦いを挑んで来る奴さえいるかも知れない。
 それよりも、自分たちが裏で操った天皇に自分たちの思うとおりの政治をさせ、それにまず格でも数でも最大の貴族である藤原氏がビシッと従ってみせる。コレにより誰も逆らう事は出来なくなるのである、と。
 
 何となく、もっともらしい。ワタクシ空中さんは長年この説ですっかり納得していた。
 今でもこの説にある程度の真実味を認めるものである。
 
 井沢センセーも今回、この謎に、「何故彼らは天皇に取って代わろうとはしなかったのだろうか」と切り込みます。
 で、切り込んでおいて閑話休題、今度はお得意の怨霊信仰のハナシを始めるである。
 源氏物語から始まって、日本文学史が実は怨霊を鎮めるための鎮魂文学であったことを滔滔と語り始める。
 
 ハハァ、なるほど、と思ったのである。
 そう来たか、と。
 人間は怨みをのんで死んだ場合、高貴であればあるほど、力が強ければ強いほど、恐ろしい怨霊になるのである。
 コレは井沢センセー、藤原氏が天皇家を滅ぼさなかったのは、天皇が怨霊化するのが怖かったからだって説に持って行くつもりだな、と。
 
 ところが井沢センセー、文学史から始まって日本がいかに怨霊信仰に支配されているかを語っている内に、この巻は終わっちゃったりして。
 アハハ。藤原氏の謎はどうなったんだよッ!!
 
 自分の思想を語っている内に熱くなりすぎて本来のテーマがどっかに行ってしまう。
 そんなお茶目なまでにアツい井沢センセーが楽しめる、と言う意味でも面白い一冊です。
JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 21:00, 空中禁煙者, 書籍

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「ダイアナの選択」 結末で「ストナの法則」発動

 「しんぼる」のところでも書いたようにオレは松本信者なのだが、ずいぶん前に松本が「ガキつか」でこんなことを言っていた。
 
 佐藤製薬の風邪薬ストナのCMで、たしか沢口靖子が「風邪はストナにまかストナ」と言っていた(ホンッと古いハナシでホンッと申し訳ない)のだが、コレはダジャレとして成立していない、と言うのだ(ダジャレは本来「ヘタなシャレ」という意味なのだが、ココで「シャレとして成立していない」ではなんか意味が通じにくくなっているので、ココはダジャレで押し通すことにする)。
 「ストナ」は佐藤製薬が勝手に考えた名前であって、それがたまたま「任す+伝聞」のカタチと一致したからと言って、それをダジャレのように振る舞うのは卑怯である、と言う趣旨だった。
 誰もが知っているその辺の言葉二つを、無理矢理くっつけた時に感じるスムースさや無理くりさ加減が笑いを呼ぶのであって、片方に自分たちが勝手に作った言葉を持ってこられても、「ハァ?」としか言いようがない、と。
 
 別に佐藤製薬はCMで爆笑を呼ぼうと思っているわけではなく、単に商品名が記憶に残ればいいのだから、そこまで細かく言い立てなくてもいいじゃん、、、と言うようなものだが(そう言う意味では実に効果的なキャッチコピーだとも言える。わざわざ天下の松本が人気番組で言及したのだから)、笑いに厳しい松本のこととて、気になって仕方なかったのだろう。
 
 この映画、「ダイアナの選択」は、一般にラストのどんでん返しがウリと言うことになっている。
 だが、このラストは「風邪はストナにまかストナ」がダジャレではないのと同じ意味でどんでん返しではない。
 
 この映画の半分は嘘である。あり得ないのだ。
 あり得ないことを延々と繰り広げておいてラストで「ほらね、、、」とドヤ顔されても「ハァ?」としか言いようがないではないか。
 
 もちろん映画というのは全部嘘である。
 ヒトは映画を上手に嘘をつかれるために観るのである。
 しかしながらこの映画には嘘を成立させるための工夫が何もないのである。
 頼むから、神様でも宇宙人でも魔法使いでも特異体質でも何でも良いから、この嘘を成立させる為の工夫をしてくれ。
 
 
 普通より発色のよい画質で撮られた「水」や「植物」の象徴的なカットは美しい(多分、監督はこの辺を言い訳にするつもりだろう)し、女子高生の心の機微を描く手つきも上手なだけに残念。校内で銃撃が始まってからのスリルもなかなかなものなである。
 
 プロデューサーか誰かが「ちょっと待て、この脚本はもう一工夫必要じゃね?」って言ってあげてよ、、、
JUGEMテーマ:映画

at 13:25, 空中禁煙者, 洋画

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