2009.10.31 Saturday
「アキレスと亀」 たけし芸術を見せるためのストーリー?
ここ数作のたけし映画の中ではかなり分かりやすいです。
全体がきれいに三つのパートに分かれている。少年期(仮にAパートと呼ぶ)、青年期(Bパート)、壮年(初老?)期(Cパート)の三つ。
このうちAパートが普通の映画としてすごく面白い。大金持ちの家に生まれ、何ものにも(教師にも)束縛されず好きな絵に取り組んでいたが、稼業の没落によって奈落に落ちる小学生マチス(絵画好きの父親に無茶な名前を付けられている)。ややセピアっぽい色調で、静かに語られる天国と地獄。すべてを受け入れるしかない少年と、俗っぽさや感情をむき出しにする大人たち。引き取ったマチスを厄介者扱いする鬼のような叔父夫婦の、奥さんがふと見せるやさしさが観る者の心に突き刺さる。
どう考えても既に中年の柳ユーレイ演じる青年期を経て、いよいよたけし演じる壮年期になるが、これはここ数作のたけし映画の雰囲気を湛える悪夢のようなコントになっている。
つまりBパートは、端正なAパートとコントのようなCパートをつなぐ、中間のような感触。
このうちAパートが普通の映画としてすごく面白い。大金持ちの家に生まれ、何ものにも(教師にも)束縛されず好きな絵に取り組んでいたが、稼業の没落によって奈落に落ちる小学生マチス(絵画好きの父親に無茶な名前を付けられている)。ややセピアっぽい色調で、静かに語られる天国と地獄。すべてを受け入れるしかない少年と、俗っぽさや感情をむき出しにする大人たち。引き取ったマチスを厄介者扱いする鬼のような叔父夫婦の、奥さんがふと見せるやさしさが観る者の心に突き刺さる。
どう考えても既に中年の柳ユーレイ演じる青年期を経て、いよいよたけし演じる壮年期になるが、これはここ数作のたけし映画の雰囲気を湛える悪夢のようなコントになっている。
つまりBパートは、端正なAパートとコントのようなCパートをつなぐ、中間のような感触。
これ、簡単に言っちゃうと、要するにたけしがやりたかったのはCパートのみであって、ここ数作「分かりにくい」と散々な評判のせいで怒り狂うプロデューサーを宥めるためにAパートBパートがあるってことでしょ?
で、そのCパートで何をやっているかというと、ですね、才能ないのに家族もなにも犠牲にして虚しい努力を続ける絵描きマチスに、必死でくっついていく奥さんのハナシなのね。これ、どう見ても樋口可南子が主演でしょ。才能無いのにアホな努力を続ける芸術家なんていくらでもいる。問題はなぜ樋口可南子がそこまで尽くすのか、だ。いや、それすら問題じゃない。真の問題は、この奥さんが「どこまで」この馬鹿に尽くすのか、なんだろう。だって、「アキレスと亀」だもんね。アキレスは亀に追いつけるのか、がテーマなんだ。
「HANABI」のようにたけしの手になる芸術作品が、全編に渡って出てくるが、それすらも実はどうでもいい(たけし本人にとってはどうでもよくなくて、ひょっとするとそっちが真の目的なのかもしれないが)。「芸術家と妻」というフォーマットが、このテーマを語るのに一番ふさわしいから、芸術家を出してきてるって構造になってる。あくまでテーマは、「夫婦愛」、あるいは「妻の愛」何だろう。
ところで、たけしはなんか勘違いしてね?「アキレスと亀」は別に「絶対に追いつけないもの」のメタファーじゃない。「アキレスと亀」が有名な「パラドックス」なのは、オレたちは実はアキレスが簡単に亀に追いつけることを知ってるから「パラドックス」なのだ。
アレ?やっぱりこれでいいのかな?たけしは「普通の夫婦はちゃんと追いついてるだろ」って思ってるってことかな?JUGEMテーマ:映画