「平成ガメラ」以降、樋口真嗣は日本映画の最重要カードだった。特撮・アクション映画成否の鍵は樋口真嗣を引っ張り込めるかどうかにかかっていると言っても過言ではない。
ところがこの樋口さん、監督に昇格してからの評判が恐ろしく悪いのね。もう、あまりの評判の悪さに恐ろしくて観ることもできない(従って「ローレライ」も「日本沈没」も観てないんですが)。
そんなところに日本映画の最重要コンテンツ、黒澤の最高傑作との呼び声も高い「隠し砦の三悪人」のリメイクである。な、なんちゅームチャを、、、とも思ったが、黒澤リメイクに関しては最近「椿三十郎」の先例もある。一応観とくか、、、と思い直して観てみたのだが、、、
実を言うと黒澤版「隠し砦の三悪人」は、今の目で観ると冗長な部分が多い映画でもある。そもそも一行が旅に出るまでがやたら長い、三船と藤田進の槍による決闘がもう、ムチャクチャ長い、等。他の黒澤のアクション作品、「用心棒」や「椿三十郎」が以上なまでに緊密な構成を誇るだけに、特に冗長に感じる。
にもかかわらず、この映画は観終わった後「やたらダイナミックな映画だったな、、、」との印象を残す。
黒澤版の脚本の執筆時、黒澤は数人の脚本家と旅館に篭もり、黒澤が絶体絶命なシチュエーションを考え出しては残りの数人が脱出方法を考える、と言うスタイルを取っていた、と言うのは有名なハナシだ。だがどうもこのハナシは恣意的なものを感じるエピソードではある。そんなもん、どんなに絶体絶命だって「三船がバッタバッタと薙ぎ倒す」で終わりではないか。
黒澤版「隠し砦」のダイナミズムは逃走劇のダイナミズムではないのだ。この映画の内包するダイナミズムを支えているのは、実は「雪姫の覚醒」である。雪姫を覚醒させる為に逃走劇が用意されているといっても過言ではない(勝手な事言ってるな〜、、、)。
黒澤版の雪姫を演じた上原美佐は撮影当時19歳、ほとんどズブの素人である。なにしろ出て来て早々甲高い声で怒鳴り散らしているだけ(しかも棒読み)で、「これから二時間以上この女優さんに付き合うのか、、、」と暗澹たる気持ちになる。
にもかかわらず、映画が終わる頃には堂々たるお姫様振りを発揮しているのだ。相変わらず棒読みで怒鳴ってるだけなのに。おそらくは順取りしたのだろうと思わせる、この女優の成長と役柄の成長をシンクロさせた演出には恐れ入る。
たんなるわがまま放題のじゃじゃ馬娘が、ラストではちゃんと誰からも慕われる主君になってる。旅の途上で下々の悲惨さを知り、同時に下々の命のきらめきに感動する。特に火祭りで一同に率先して踊りだしてしまうシーンの躍動感は素晴らしい。この瞬間、「ああ、じゃじゃ馬娘が主君になったのだな、、、」と思わせる。
えーっとですね、、、つまり、これらの事を踏まえてこそ、映画史上に残る爽快なセリフ「裏切り御免!」が生きてくるのよ。藤田進はなぜ裏切るのか。立派な主君らしい主君、雪姫に感動したからではないか。とりあえず「裏切りゴメン、、、」っつときゃいいってもんじゃない。
一応樋口もこれが「雪姫が主君になるハナシ」であることは気づいているらしく、最後の最後で出してくる。結局、雪姫は自分を待つ領民がいる事を知って主君であることを受け入れるかどうかの決断を迫られるのだ。
だけどさ、これ、領民達が慕ってるのはあくまで賢君であった先代であってさ、この時点で雪姫がどんなもんだか分かってない分けじゃん?ただ、先代の娘だから待ってただけで。でも、黒澤版の雪姫は、自分でちゃんと賢君であることを証明してる。だからこそ脱出に成功するんじゃん?
この時点でもう、「隠し砦」が本来持っているはずのダイナミズムはほとんど失われてる。
実を言うと最初登場してきた時の長澤まさみちゃんがカッコ良くて、思わず身を乗り出したのよ。こ、これはもしかするともしかするぞ、、、って。でも、もう、せっかく火祭りのシーンはあるのに、なんと、雪姫を躍らせないのよ。この時点でもう、オレは完全に投げた。踊らないばかりかメソメソ泣いているのである。結局、長澤雪姫は自ら覚醒することはない。一応、ここで用意されているのが、領民を取るか恋を取るかの決断なのね。どっちにしろ他人負かせなの。やっとお姫様のカッコした長澤まさみちゃんが、まあーお姫様に見えないことと相俟って、もう、どっちでもいいやって感じ。今更長澤まさみちゃんが上原美佐のお姫様みたいに白塗りするわけには行かないんで、不利と言えば不利なんだけど、もうちょっとどうにかならんもんか。
ただ、さすが絵コンテの樋口、黒澤版でも目を瞠る活劇だった真壁六郎太の馬上のチャンバラはなかなか凄い。コレ、ホントに阿部ちゃんにやらせてるの?それともお得意のCG?JUGEMテーマ:
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