2008.12.30 Tuesday
「ミスト」 映画史上かつてない反則技の15分
いやコレはダメだろ。
「映画史上かつてない、衝撃のラスト15分」じゃねーよ。
そりゃコレやればなんだって衝撃のラストになるよ。
コレは「ずる」だろ。禁じ手だろ。
やっちゃいけないことをヌケヌケとやってる。
スティーブン・キングの原作は、ホラーとしては大したギミックもないが、普通小説の文体で恐怖にさらされた人々描破すると言う、キング作品のエッセンスのような中編だった。主人公は映画と同じく画家なのだが、「何かもっともらしい理由がなくても、それが『いい』というだけで描くに値することを学ぶのに、ずいぶん時間がかかった(大意)」などという文書は、いまだに心に残っている。ブンガクとまでは言わないが、日本でいうところの中間小説(もう言わないか。死語か)のようなホラーなのだ。
実を言うとそういう意味ではこの映画もよく出来てる。田舎のスーパーに立て籠もった数十人の、心の動きはよく捉えてる。さすが、「ショーシャンクの空に」の、「グリーンマイル」のフランク・ダラボン。
要するに、キングの原作は、問題の「衝撃のラスト」とやらの直前で終わっているのである。このラストでは映画にならない、というダラボンの判断は正しい。が、このラストはダメだ。キングは「思いついていたらオレもこのラストにした」と言ったそうだが、これは自分の原作をいつも(唯一)良質な映画に仕上げてくれるダラボンに対するおべっかだろう。キングがこんなラストを持ってくるわけがないのだ。
キングの目的はスーパー内部の人々の心の動きを描くことで、だからあそこで終わりにしたのだ。これだけ重いラストを付け加えるなら、それ以前がすべてこのラストに収束するためのものでなければならなくなる。つまり、それ以前はすべてこのラストに奉仕するためのものに。
このラストを付け加えたということはつまり、キングの原作を無にするようなものだろう。
いや、別に映画なんだらからそれでもいいんだけどさ、これ、商業映画としては圧倒的な反則でしょ。これやっちゃダメでしょ。反則技持ってきてせっかくのキングの原作無にしちゃダメでしょ。
「映画史上かつてない、衝撃のラスト15分」じゃねーよ。
そりゃコレやればなんだって衝撃のラストになるよ。
コレは「ずる」だろ。禁じ手だろ。
やっちゃいけないことをヌケヌケとやってる。
スティーブン・キングの原作は、ホラーとしては大したギミックもないが、普通小説の文体で恐怖にさらされた人々描破すると言う、キング作品のエッセンスのような中編だった。主人公は映画と同じく画家なのだが、「何かもっともらしい理由がなくても、それが『いい』というだけで描くに値することを学ぶのに、ずいぶん時間がかかった(大意)」などという文書は、いまだに心に残っている。ブンガクとまでは言わないが、日本でいうところの中間小説(もう言わないか。死語か)のようなホラーなのだ。
実を言うとそういう意味ではこの映画もよく出来てる。田舎のスーパーに立て籠もった数十人の、心の動きはよく捉えてる。さすが、「ショーシャンクの空に」の、「グリーンマイル」のフランク・ダラボン。
要するに、キングの原作は、問題の「衝撃のラスト」とやらの直前で終わっているのである。このラストでは映画にならない、というダラボンの判断は正しい。が、このラストはダメだ。キングは「思いついていたらオレもこのラストにした」と言ったそうだが、これは自分の原作をいつも(唯一)良質な映画に仕上げてくれるダラボンに対するおべっかだろう。キングがこんなラストを持ってくるわけがないのだ。
キングの目的はスーパー内部の人々の心の動きを描くことで、だからあそこで終わりにしたのだ。これだけ重いラストを付け加えるなら、それ以前がすべてこのラストに収束するためのものでなければならなくなる。つまり、それ以前はすべてこのラストに奉仕するためのものに。
このラストを付け加えたということはつまり、キングの原作を無にするようなものだろう。
いや、別に映画なんだらからそれでもいいんだけどさ、これ、商業映画としては圧倒的な反則でしょ。これやっちゃダメでしょ。反則技持ってきてせっかくのキングの原作無にしちゃダメでしょ。
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