2008.11.26 Wednesday
「椿三十郎」 クロサワ映画、の・ようなもの
そもそも黒澤の「椿三十郎」は「用心棒」の続編である。黒澤はもともと剣豪など出てこない藤沢周平原作の脚本を用意していたが、「用心棒」の評判があまりにもいいので東宝から是非続編を、と乞われ、三船三十郎組み込んだ脚本に書き直した、と言うのは有名なハナシだ。
従って、どうしても織田裕二で三十郎をやりたいのなら、まず、「用心棒」からやるべきなのだが、何故かそうはなってない。この時点でオレはちょっとカチンと来ていたのだが(別にオレが怒ることは無いんだが)、いざ観てみたら、何故「用心棒」抜きで「椿三十郎」なのか、ちゃんと判った。
「用心棒」と「椿三十郎」の違いはユーモアの有無だ。ギリギリと音が鳴るのではないかと思われるくらいハードな展開に徹した「用心棒」に比べ、「椿三十郎」はかなりユーモアが有る。原作がそうした物なのだろう。それでいて「用心棒」を上回る程のハードな立ち回りも有る。硬軟取り混ぜた傑作なのだ。
森田芳光は「自分がこの評価の定まった傑作に何かを付け加える事ができるとしたら、ユーモア部分だ」と思ったに違いない。「オレはユーモアなら黒澤より得意だ」と。
この戦略が図に当たった。
「展開もセリフも黒澤版と全く同じ」と言うルールの中、森田監督はちょっとしたディテールで精一杯遊んでみせる。そしてその遊びがことごとく決まっている。
城代の屋敷の女中が見せるちょっとした所作(コレは森田監督しか思いつかないだろう)。例の、捕らえられた大目付方の侍が城代方の若侍と一緒に大喜びしてしてしまい、スゴスゴと押入れに戻るシーンでカットが変わる直前に松山ケンジがみせるちょっとした肯き。ことごとく森田芳光のセンスが効いている。救出された城代の奥方と娘が、最初に椿屋敷の隣の家で映るシーンに至ってはオジサン大笑いしてしまいました。コレは黒澤=入江たか子では無理で、中村玉緒の天真爛漫なキャラを生かしきったと言うべきか、もともと森田監督はこういうすっとぼけた演出が得意なのだ。
何しろセリフが全く一緒なのだから(ホントはちょっと違うところも有る)、急にそんな爆笑コメディになる訳はないのだが、セリフのないところで自分の芸をみせつけた森田演出は見事としか言いようがない。
じゃあ、もうひとつの要素、ハードなチャンバラはどうなんだ、と。
ここでも森田監督は一生懸命工夫してる。
例えば役者のキャラに合わせて、織田三十郎は三船三十郎よりほんのちょっと弱く設定してある。どうせ織田クンに三船並みのチャンバラ見せろって言ったって無理なんだから。
捕まった若侍四人を救う為に敵のアジトを皆殺しにしてしまう、チャンバラ史上に残る凄絶なシーン。
無益な殺生をさせられた怒りと切った人数の多さでゼイゼイ言ってはいるが、三船三十郎は実は余裕である。実力的には何ほどのこともない、全く危なげない皆殺しっぷりなのだ。そのあまりの鬼神の如き強さに、助けられた若侍のほうがビビリあげていた。
コレに比べると織田三十郎は大分人間臭い。既に十分剣豪ぶりは見せ付けているのだが、ここでは流石に「やっとこさ、、、」と言う感じである。若侍たちもなんか申し訳なさそう。
問題のラスト、映画史上最も有名な対決シーンについては御自分の目でお確かめください。
そんな訳で、黒澤版を何度も観たオールドファンをもそれなりに喜ばせるしたたかさには、ちょっと感動しました。そして「椿三十郎」を初めて見るヒトは、緊密なシナリオに酔い痴れるんだろう。
あ、ちょっと待って。ひとつだけ不満があるのよ。
この映画、出演者ほぼ全員が(当然織田クンも含めて)、黒澤版のキャラを受け継ぎつつ、ちょっとだけ独自色を出す、と言うプランで演技してるんだが、たった一人だけこのプランにのってない奴がいる。
城代役の藤田まことだ。
現時点でこの「馬面ギャグ」が出来る年配の役者と言えば確かに藤田まことしかいないのだが、何故かこのヒトだけ自分の持ちキャラ「中村主水」で通しちゃってる。なんとなく、森田監督が「中村主水でお願いします」って言ったような気もするが、このシーンだけ凄い違和感。
なんなんだろうなぁ、、、
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