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「イエス・キリストは実在したのか?」 答え:実在したけど、あんまり重要じゃない。

 邦題がくだらない。
 もちろん「ナザレのイエス」は実在する。そんなことは問題になっていない。
 邦題の力点は「キリスト」にかかっているのだろう。
 「ナザレのイエス」は「キリスト」、つまり救世主だったのか、と。
 救済者としてのイエスは実在したのか、と。

 

 原題は「Zealot ナザレのイエスの生涯とその時代」で、Zealotについては本書の記述も曖昧で良くわからない。
 普通「熱心党」と訳される事が多い「ゼロテ党」と言うのがイエスの時代のイスラエルにはいたが、著者は「イエスはゼロテ党ではなかった」と言っているのだ。
 熱心党ではなかったが熱心党と同じくらい熱心だった、くらいの意味だろうか。

 

 が。

 

 そんなことはどうでもいい。

 本書は、ワタクシ空中さんが長年キリスト教徒に抱いてきた疑問に対するヒントを与えてくれそうな、ある意味画期的な書籍であった。

 

 ではその、ワタクシ空中さんが長年キリスト教徒に抱いてきた疑問、とは何か。

 

 それは、

 なぜキリスト教徒はキリストの「教え」にちょっとも従わないのか。

ということだ。

 

 イエスは言っている。
 「もし、あなたが完全になりたいのなら、帰って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

「富めるものが神の国の門を通るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」(空中さん注:ラクダはアラム語の「網」の誤約説あり)

 

 コレらの言説をもとにして、イエスはつまり原始共産主義者だったと言うことも可能である。
 ヨハネ教団とはすなわち原始共産コミューンだったということも可能である。
 つまるところ、イエスの教えに最も忠実な人間とはマルクスであり、共産主義とはキリスト教の鬼っ子である、ということも可能である。

 

 いや、共産主義うんぬんのハナシは忘れてくれ。
 そこまで言わなくていい。

 

 しかし、コレらのイエスの言説からは、少なくとも、

 

1.イエスは貧しきものが好きである。
2.イエスは富めるものが嫌いである。

 

 この二つは明らかだろう。

 しかるに現代のキリスト教徒たちは、イッコーに貧しくなろうとはしない。
 帰って持ち物を売り払ったりしない。
 聖書に書いてあることはすべて真実である、とする福音主義者ですら、イッコーに私有財産を捨てようとはしない。
 むしろ自分たちの財産を守ってくれる奴に投票さえする。

 

 ナンだコレは。
 なぜイエスの教えを守らないのだ。
 全世界のキリスト教徒を標榜するヒトたちは、全財産をワタクシ空中さんにクレ、今スグ。

 

 理由は簡単だ。
 貧乏がイヤなのだ。
 贅沢がしたいのだ。

 

 神の国なんて、贅沢の楽しさに比べたら、大したことはないのだろう。
 しかし、できれば贅沢もして神の国にも行きたいから、キリスト教徒を標榜するのはやめないのだろう。

 彼らが富めるものであり続けてもキリスト教徒でありたがる理由はわかるが、わからないのは、

 

 なぜそれでいいと思っているのか。

 

 だ。

 

 そして、なぜそれでいいと思っているのか、のヒントを、本書を読んで得たのだ。

 もっとも、その理由が本書に書いてあるわけではない。あくまでもヒントを得た、というだけである。
 したがって、これから先に書くことは、ほぼワタクシ空中さんの勝手な妄想である。
 そんなわけで、以下の文章中のワタクシ空中さんの妄想と、本書に書かれていることを区別するために、本書に書かれていることは『』で括っておくことにする。

 

 えーっとですね。
 旧約聖書、というものがありますね。
 コレは、一応キリスト教の聖典ということになっているが、トーラーと呼ばれるほぼ同じものが、ユダヤ教の経典にもなっている。
 つまり、もともとユダヤ教の経典を、キリスト教徒が勝手に「旧い契約」とかいって、自分たちの聖典にもしているのである。

 

 で、ですね。

 この、旧約聖書に出てくる神様というのは、もう、「そこに住んでる異教徒を皆殺しにしてその地をイスラエルの民のものにせよ」とか言ってるわけです。
 ユダヤ教徒以外にはたまったもんじゃない。

 ところが、コレが一応普遍宗教であり、世界中のなにびとも信仰していいことになってるキリスト教の聖典にもなっているのは、まずいのではないか、と。

 

 コレに対するキリスト教側からの回答は、

「まあまあ、いいじゃないですか、アレはなにぶん、旧い契約なもんで、、、
新しい契約ではそんな事ないですよ?
でも、一応同じ神様なんで昔のことも抑えておこうかな、的な、、、」

 

 という感じだろう。

 

 この辺は、まあ、常識の部類だろう。
 キリスト教徒は日曜学校で旧約聖書を読むたびにこう思っているのだろう。

 

 そして、本書を読んでわかったのは、おそらく新約聖書の内部でもコレにた対立が起こっている、ということだ。
 その対立は、一応

 

福音書VSパウロの神学

 

 と単純化できるだろう。

 実は新約聖書は、『パウロの神学中心に編纂されている』。

 イエスの死後、初期キリスト教徒は、イエスの弟、『義人ヤコブ』を中心にエルサレムで活動していたが、ローマにいたパウロは、義人ヤコブ率いる初期キリスト教団と激しく対立していた。

 イエスの死後信徒となったパウロの神学は、生前のイエスと活動をともにしていた直弟子であるヤコブやペテロの神学から見れば『突拍子もない』ものであったからだ。

 なにしろ『パウロは生前のイエスに全く興味がない』。
 じゃあなにに興味があるのかというと、イエスが十字架刑にかかって亡くなったこと、及び死後、パウロの前に顕現したイエスの言葉のみである。

 

 ココで注意してほしいのは、イエスは死後、復活という形で直弟子や家族の前に顕現していて、コレは当然、複数の人間が目撃している(事になっている)。
 しかし、パウロの前に顕現したイエスは、あくまでパウロしか見ていない。
 にもかかわらず、パウロにとってはそれが全てなのだ。

 いや、だからこそというべきなのかもしれない。
 パウロにとってはあまり生前のイエスを重視されると立つ瀬がないではないか。ここはあくまで自らの前に顕現したイエスのみが重要であるとしなければ。

 

 そして、ここが何より重要なのだが、パウロが布教しようとしていた、イスラエル以外のヒトビト(つまり、ローマ帝国のヒトビト)にとっては、パウロの神学のほうが受け入れやすかった。
 生前のイエス及びその直弟子の段階では、イエスの神学はあくまでユダヤ人のためのものである。『イエスは異教徒の救済にはほとんど興味がなかった』。

 コレではイスラエル以外に住む非ユダヤ人には訴求しないではないか。
 ここはひとつ、なにがなんでもイエスはユダヤ人以外にも門戸を広げた、ということにしおかないと、ホラ、いろいろアレじゃん?みたいな。

 

そして、パウロとはまさに、この『義人ヤコブ』率いるガチガチのイスラエル人キリスト教徒と、ユダヤ人以外(主に当時の宗主であるローマ帝国のヒトビト)を結ぶのにふさわしい、「ヘレニスト」と呼ばれる層の出身であった。

 

 『ヘレニストとは、離散ユダヤ人がから生まれた、主要言語はギリシャ語を話すユダヤ人であった』

 

 コレが同時に「新約聖書」が「何故か」ギリシャ語で書かれていることの理由なのだ。
 新約聖書は最初からイエスと言語を共にしていたアラム語圏やヘブライ語圏のヒトビトのためには書かれていない。
 最初からギリシャ語を話すローマ人向けに書かれているのだ。
 イヤ、あえてギリシャ語を選ばなくても、パウロの神学に従った物語を書こうとすれば、ギリシャ語になるのが自然なのだ。

 

 ちなにみ、なぜ新約聖書がイエスが使っていたアラム語や、イスラエルの標準言語であるヘブライ語ではなく、ギリシャ語なのか、というのもワタクシ空中さんにとって長年の疑問であったが、コレも本書によって解決したわけだ。

 

 結局の所、実際のイエスの生涯と、新約聖書には、パウロというフィルターを通した断絶があるのだ。
 そして、この断絶があるからこそ、キリスト教は普遍宗教なり得たのだろう。

 したがって、現在の(新約聖書を拠り所とする)キリスト教徒は、イエスがナニを言っていたとしても、あまり重要視していないのだろう。

 

 問題は、パウロの神学であり、「イエスは原罪を背負って十字架にかけられた」という信念なのだ。

 

 当たり前の話だが、ワタクシ空中さんのような浅学非才が本書の価値を十全に理解したとは言わない。
 本書にはもっと面白いことが書いてあり、ワタクシ空中さんはその一部を勝手読みした結果を元に自分の疑問を晴らす役に立てたに過ぎない。
 多分、10年後にまた読んだら、また新たな疑問を晴らしてくれるのでは、と思わせる、良書だと思います。

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 21:00, 空中禁煙者, 書籍

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