「ハードコア」 観る前に酔い止めを飲もう。
えーっとですね。
今を去ること1947年に、ですね、「湖中の女」っていう映画が有ったのね。
これが、ですね、世界初の「全編一人称映画」ですよ。
カメラが主人公の目線になってて、主演のロバート・モンゴメリーは主人公が鏡を見たときくらいしか映らないわけ。
普通だったら「イヤ監督、主演って聞いてたのに、オレの出番少なくないっすか?」となるところだが、実は監督もロバート・モンゴメリーなんで問題なし、と。
で、「湖中の女」と言えばレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウものですよね。
この時期のいわゆるハードボイルド私立探偵小説は、創始者のダシール・ハメットのコンチネンタル・オプものから、チャンドラーのマーロウもの、ロス・マクドナルドのリュウ・アーチャーものに至るまで、基本的に一人称で書かれている。
「俺は、、、した」というアレである。
ね?
一人称小説だから一人称カメラ。
ロバート・モンゴメリーとしては、一人称小説ってこういうことじゃねーの?と言うつもりだったろう。
ところが、ですね。
このあと、例えばフィリップ・マーロウものも何度か映画化されているが、この手法を取り入れた作品はない。
ダシール・ハメットでもない。
ロス・マクドナルドでもない。
原作が一人称小説だろうがなんだろうが、どんな映画もこの手法を取り入れてはいない。
要はつまんなかったんでしょうね。
だって、「主人公が映ってない」んだもん。
ボギーが映ってない「マルタの鷹」を考えてみれば、面白いかどうか分かりそうなもんだ。
で、「ハードコア」ですよ。
70年ぶりの全編一人称映画です。
まあ、驚愕の映像体験ですよ。
70年前とは技術が違う。
カメラの大きさが違う。
二階から飛び降りるわ、爆発でふっとばされるわ、一体全体どうやって撮影してるのか、サッパリわからない。
ストーリーのノンストップぶりといい、アクション、破壊の激しさといい、観ている間それなりに面白い。
面白いけれど、やっぱりこの手法は定着しないだろうな、と思う。
70年ぶりの「完全一人称映画」と書いたが、実はほぼ同じ手法が20年くらい前にホラー映画で復活している。
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」以来のいわゆるPOVと言う奴だ。
もう、ホラー映画はほとんどこの手法に占領されていると言ってもいい。
一人称映画とPOVの違いは、一人称映画が一応主人公視点だろうがなんだろうが「完成されたカメラワークである」という前提なのに対し、POVは映画の中で登場人物の一人(つまりシロート)がカメラが持っているという前提が観客に対して明かされている、と言うことだが、それは今はそれほど重要じゃない。
じゃ何が重要かと言うと、「ホラー映画は主人公がカッコよくなくてもいい」と言うことだ。
コレに対してハードボイルドミステリーの主人公は(そしてアクション映画の主人公も)、カッコよさが絶対条件だということだ。
本作「ハードコア」でどんなに激しいアクションが繰り広げられようと、我々はその主人公の体技や表情がカッコいいかどうか分からない。
アクションの後どんな見えを切っているのか分からない。
コレでは観ている間面白くっても心に残るアクション映画にはなりようない。
ストーリーについてちょっと。
この映画はストーリーもそこそこ面白い。
ラストのどんでん返しはともかくとして、途中でチョコチョコ姿を変えて神出鬼没の「ジミー」と言うキャラクターの正体など、考えたなぁ、、、と言う感じ。
ただ、悪のラスボスがサイコキネシスが使える、と言うのが唐突過ぎて意味不明。
アレ、必要ある?
JUGEMテーマ:映画