「ストレイヤーズ・クロニクル」 レプリカント・クロニクルじゃねーか、、、
だからさぁ、、、小説のリアリティと生身の人間が演じてる映画のリアリティは違うんだってば、、、
同じ超能力テーマの「SPEC」や「みんなエスパーだよ」がなんでコメディ仕立てなのか、考えてみて欲しいと思うのであった、、、
どっかで見たような設定の寄せ集めなのは、まあ、仕方がない。
原作小説ではそれなりにディティールを積み重ねたりして、寄せ集め感を消してたりするのだろう。
しかし、時間の限られた映画にすると、エッセンスだけになってしまい、それはつまり寄せ集めであることが浮き彫りになってしまう、ということでもある。
当然映画には映画なりに、ウソ臭い設定にリアリティを持たせる工夫が古来よりある程度確立されているのだが、瀬々監督はあまりそういうことに興味が無いようである。
結果として、嘘くさくて観てられない映画が出来上がるわけである。
とは言うものの、超能力のバラエティが「3秒後が見える能力」だの「超高速移動」だのである。
この設定をリアリティを持って描くのは相当大変だろうな、とは思う。
ではどうすればいいのかというと(※)、止めればいいのである。
他に映画にすべきものなんていくらでもある。
役者は誰もみな、こんなリアリティのない設定をバカにせず、真面目に取り組んでいるだけに不憫ではある。
主役の岡田将生クンも仲間に優しく、責任感のあるリーダー役をナイーブに演じているが、岡田くん演じる青年の苦悩と世界観が接合しない。「バカのくせにナニ真面目に悩んでんの?」と思ってしまう。
敵方のリーダー役染谷将太だけはさすがになんとかこのリアリティの無さに拮抗しようとあがいているが、それも虚しい。
この役の能力が一番リアリティがないのだ。んなもん最初から毒ガスだけ作りゃいいじゃん、と思うんだがどうだろう。
ラスト近く、黒島結菜ちゃんと、事件と関係のない大学生、本郷奏多が一瞬交流するシーンだけはリアリティがある。
結局そういうことなのだろう。
瀬々監督は別に超能力バトルをどう面白く見せるか、とか興味がない。
おそらく瀬々監督がこの原作に惹かれた理由は、「あらかじめ失われた青春の後」だろう。
「失われた青春の後」を唯一託された黒島結菜ちゃんは、メンバー全員の希望を受け止めきれないでいる(だから岡田将生クンのグループとも行動を共にしない)。
一方、単なる一般人である大学生本郷奏多は就職活動がうまく行かなくて悩んでいる。つまり、「青春の後」だ。
彼にとっては当然のこととして訪れる「青春の後」に悩む本郷奏多に、「青春の後」の貴重さを知る黒島結菜ちゃんは、「なんとかなりますよ」と言い残して去っていくのであった、、、
※たとえばさあ、黒島結菜ちゃんの能力はコウモリの遺伝子を組み込んで得た「レーダー」だって言うのよ。
だったら黒島結菜ちゃんが口からかなんか知らないけど「超音波」を発するカットが有れば、リアリティが増すんじゃないの?
まあ、この映画の場合、そういうことの積み重ねでどうにかなるレベルでもないんだけど、、、
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