「アイアムアヒーロー」 早急な続編を求む
映画が始まってから、延々と主人公のダメ人間ぶりを見せつけられる。
ハハァ、コレはダメ人間がゾンビ騒動でヲタヲタする様を描いたコメディか、くらァ〜い不条理文学の映像化のようなものを観せられるのだな、と覚悟せざるを得ない。
しかし、主人公が最初にゾンビと出会うシーンで、実はこの映画が、ガチでどシリアスなゾンビものであることを思い知らされるのであった、、、
この映画は日本映画界としてはほとんど初と言っていい、本格的なゾンビ映画なのだ。
そうなると次に問題になるのは、ダメ人間の復権成分と、ゾンビ成分がうまく融合するのか、ということだが、、、
正直言って上手く融合して相互に効果を高めあう、までは行ってないのだが、なんとか共存することには成功している。
共存できた大きな理由のひとつは、主役に大泉洋を持ってきたことだろう。
この、コメディもシリアスもシームレスにこなす、整った顔立ちであるにも関わらず、決して二枚目ではない特異な存在の仕方をする役者の、肉体と演技力が、かろうじて2つの要素がバラバラになってウソ臭い映画になることをくい止めている。
おそらく原作コミックが2つの要素を融合できているのは、「絵柄」というコミックが持つ最大の魔法(コレはコレ一発でなんでも可能にする真の魔法である)と、(人気さえ出れば)ほぼ無制限な「長さ」によるものと思われる。
映画版のキャストでいえば、ドランクドラゴン塚地やマキタスポーツを主役に持ってきて、2つの要素の相乗効果を出せれば、コミック版の真の狙いを達成出来たとしたいところだが、やはり2時間強の映画というメディアでは無理だろう。
大泉洋を持ってくることが映画版としては最善の策だったのかな、と思わざるを得ない。
男優で主役級は大泉洋1人だが、片瀬那奈、有村架純、長澤まさみ、と女優に主役級が3人もいる。
片瀬那奈はキレイなシーンがなくて割りを食っているが(芝居どころはある)、後の二人はそれぞれのキャリアのエポックメイキングな活躍ぶり。
有村架純ちゃんは設定の都合上、後半はほぼ存在するだけになってしまっているが、前半の可愛さは異常。
さすがにJKの分際で自分の死を淡々と受け入れる悲壮美は出し切れていないが、プクプクしたルックスが、
「置いていってもいいよ」
などと言う優しさにリアリティを持たせてしまう。
この役は2時間の映画としては途中で処理すべき役だと思うが、後半お荷物感満載でも残しているのは、おそらく続編への布石なのだろう。
代わりに後半活躍するのが長澤まさみちゃんだ。
最初、巨大アウトレットモールで主人公を救う女戦士として登場したとき、長澤まさみちゃんだとは気づかなかった。
JACあたりから連れてきたアクションの出来る女優さんだろうと思った。
中盤からさすがに「長澤まさみちゃんに似てるなぁ、、、」などと思い始めたが、それくらい普段とは違うシャープなメイクになっている。
タバコをプカァ〜っとふかす芝居といい、やや虚無的な女戦士の役が似合っていて、おそらくは何回目かの演技開眼と言ってもいいのではないか。
監督は監督は「GANTZ」や「図書館戦争」の佐藤信介。
特筆すべきコトは、この映画はまだ終わってないコミックを原作にして、ちゃんと終わった感を出せていることだ。
これは「進撃の巨人」や佐藤信介自身の「GANTZ」でも、日本映画界がことごとく大失敗している。
まあ、この映画の場合、「ゾンビ映画の伝統」に乗っかっている部分もある。
巨大モールのコミュニティが崩壊して主人公を含む少数が脱出に成功する、というのは、ジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」と一緒だ。
ゾンビ映画ファンは、ここで「ああ、一応終わったな、、、」と感じるものなのだ。
日本のコミックというものは、世界のトップを走り続けているが、映画はどうもそうなってない。
しかしこの映画のゾンビ描写はコミック作家の想像力というカタパルトを得て、日本初どころかおそらくは世界レベルかな、と思う。
ワタクシ空中さんは長らく日本映画がなんか別のメディアの表現のサブジャンルに墜ちていること嘆くものだが、この映画では上手い協力関係を築いたな、と思う
それくらい真剣に、ゾンビ映画をやっているのだ。
願わくば、有村架純ちゃんがあんまり大人になる前に続編が作られますことを。
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