「カメラを止めるな!」 史上最も邦画界に愛された映画
コレは恐れ入った。
イロんな意味でまいりました。
もちろん映画自体も素晴らしいのだが、この映画を取り巻く状況にちょっとヤラれた感が強い。
御存知の通りこの映画は2018年の話題作であり、2018年の邦画を代表する映画と言ってもいいだろう。
そんなものをこの2019年も押し詰まった12月に、ワタクシ空中さんはこの映画の実相にまったく気づくことなく鑑賞することができたのである。
コレはスゴイことではないか(単にワタクシ空中さんのアンテナが低いだけだと言われればそれまでだが)。
この映画は一般に宣伝・紹介されているジャンルとは全く違うジャンルの映画なのである。
つまり、この映画を宣伝(は、まあある意味当然として)紹介するヒトたちは、これからこの映画を鑑賞するヒトたちが、ワタクシ空中さんのように、この映画について「間違った知識のママ」鑑賞できるように協力しているということだ。
かつて、こんなに映画ファンに愛された映画があっただろうか。
映画を鑑賞し始めて「38分後」。
ワタクシ空中さんの頭上には大小さまざまな「?」が浮かんでいたに違いない。
やがてそれらの「?」が消えた後、ワタクシ空中さんは完全に「虚を突かれた」。
そして映画が終わったあと、正直ってワタクシ空中さんは少し感動していた。
実を言うとワタクシ空中さんは映画を観て、「感動した」ことがない。
世の中には映画といえば感動するために観るものだと思っているヒトもいて、別に映画観たって感動なんかしない、などと言おうものなら、
「じゃ、なんのために映画観るの?」
「ヒトの心がないの?」
「冷たいヒトなの?」
「冷血動物?」
「爬虫類?」
「ヘビ?」
などと散々な言われようだが、答えは簡単、「面白いから」観ているのである。
別に感動しなくたって面白いものは面白いし、何より良くできた映画というものは、「映像の快感」みたいなものを持っているものだ。動画を見ていること自体が気持ちがいい瞬間というものは確かにある。
宮崎駿が、自分の手でセルをパラパラめくりながら(1秒間に24コマめくる動きが手に染み付いているのだろう)、
「必ず気持ちのいい動きがあるはずだ」
といっていたアレだ。
ところが、今回のように、完全に虚を突かれると、ワタクシ空中さんのような人間でも、いかにもヒトビトが感動しそうなテーマでてもなく感動してしまう、ということが解った。
自分のことが少し解った、というだけでも観てよかった。
そんなわけで、ワタクシ空中さんもこの映画について多くは語るまい、と思う。
ま、町山智浩氏の「三谷幸喜みたいな映画を作ろうとしたら、三谷幸喜より面白くなってしまった」という評以上に的確な言葉を持たない(コレもいい加減ネタバレっぽいが)。
願わくば、一人でも多くのヒトが虚を突かれませんことを。
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