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更新数稼ぎでたまには随筆風に、、、 スター・ウォーズと国家の部品数

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コメント:このBlu−ray版は観てないので評価はしません(DVD版は持ってる)。つかこの記事内容でこれを貼るのも卑怯な気が、、、

  例えば日本車とアメ車を比べてみる。日本車のほうが技術的に劣っていると思うヒトはいないだろう。むしろ大抵の場合日本車のほうが(全体としての魅力はともかく)技術的には優れていると評価されるだろう。
 スーパーコンピューターは世界一になったし、誰も日本が科学技術で遅れている国だとは思わない。

 

 だが航空機はどうだろう。日本の航空会社が買っているのはほとんどアメリカ製だ。
 宇宙ロケットは?アメリカは60年代に月にヒトを送っているのに、日本は未だに有人飛行すら出来ず、アメリカやロシアに金払って乗せてもらってる始末だ。
 科学技術で劣ってるわけじゃないのになんで日本は飛行機や宇宙ロケットでは遅れをとるんだろう。

 

 日本ロケット工学の父、糸川英夫博士は、コレを戦後日本が巨大システム設計技術を育てるのを怠ってきたからだと言っていた。
 戦前には巨大システムを設計する土壌が有ったのだという。例えば巨大戦艦とか。
 ところが戦後、GHQの意向だかそもそも日本国民が平和志向になったからだかなんだかわからないが、巨大システム設計技術は育っていない、と。
 平和志向になると巨大システム設計システムが失われる、というのもちょっとなんだか問題なしとしないが。
 自動車の部品数は2万〜3万程度だが、航空機となると部品数はその数十倍、宇宙ロケットとなると更に数十倍になる。
 つまり(今の)日本人は2〜3万程度の部品数のシステムを作るのなら大得意だが、その数倍、数十倍の部品数を必要とするシステムは、すっかり苦手になっている、ということらしい。
 戦後、とか、今の、荷は納得行かない気もして、要は日本人の国民性ちゃうんかいと思わないでもない。戦前に巨大空母が可能だったのは、戦争遂行という目的のために他の何か(と何かと何か)を犠牲にした結果ではないのか、とか。例えば乗員の安全と居住性、とかね。

 

 戦後の問題なのか国民性の問題なのかはともかくとして、この傾向は映画界にも当てはまるようでもある。
 日本映画界は、ついにハリウッド超大作のような巨大なプロジェクトを完遂させることができないではないか。
 
 日本映画界では昔から、「映画屋に1億円の予算を与えても、9千万円は呑んでしまい、結局予算1千万の映画と同じ規模の映画しかできない」と言われて来た。
 実はオレはコレは「娯楽に対して言い訳を必要とするか否か」と言う問題だと思っていた。日本人は娯楽を娯楽として貫徹できず、つい言い訳してしまうのである。やれ人間の真実を描いている、とか、観た人を元気づけたい、とか、素直に「面白いから」と言う理由で娯楽ができない。下手すりゃ「面白きゃいいのか?」などと言い出す奴まで現れる始末だ。こういうお国柄では「スター・ウォーズ」のような一切言い訳のない映画は生まれないだろう。

 

 「スター・ウォーズ」で思い出したが、子供の頃、オレが映画館で観てきたスター・ウォーズのストーリーを食卓で家族に説明していると、今は亡き父親が「でも最後は結局科学文明への批判になってるんだろ?」と言いやがった。父にとっては「SF=科学文明への批判」だったらしい。幼少のみぎりの空中さんが、そんなことはなく、何に対しての批判も含まれていない旨、説明すると、「それじゃなんの意味もないじゃないか」とのたまった。
 単なる娯楽にはなんの意味もないとする、典型的な日本人の発想なのかもしれない。
 まあ、SF=子供だましだと思ってないだけ、当時の大人としてはマシかもしれないが。

 

 しかしよく考えると、娯楽に言い訳が必要説では、超大作が作れないことをうまく説明できないところもある。要は小規模な映画でも言い訳は必要としてるもんね。
 やはり日本人にはハリウッド超大作のような巨大プロジェクトはハンドリングできないのだろうか。
 やれCGだ、やれモーションコントロールだ、やれエキストラだっつってるうちに、部品数は航空機に匹敵するのだろう。
 日本映画はいくらでも世界に通用する傑作を作れるが、それはある程度の規模に限られるのだろう。
 これは部品の絶対数の問題なので、相対的な問題ではない。
 黒澤の「隠し砦の三悪人」や「天国と地獄」は当時の超大作だったろうが、部品の数はまだ日本人にハンドリングできる範囲だったのだろう。

 

 ハナシは変わりますが日本の総理大臣ですよ。
 このブログは映画や書物にまつわるよしなしごとを書き連ねていくつもりなので、どんな党派にも与するつもりはないのですが、ここ、5代にわたって日本の総理大臣が全く任期を全うできていないのは、皆様もご承知かと思います。
 長く政権を担当してきた党による内閣が、3代続いて自滅したので、試しに政権交代までさせてみたら、コレも2代にわたって任期いっぱい務まりそうにありません。

 

 何だコレは、と。
 コレ、もうダメなんじゃねーの?と。
 恐らく、日本の総理大臣がハンドリングしなければならない案件の数が、日本人にハンドリングできる限界を終えているのではないか。
 戦後復興とか高度経済成長とか、かなり強烈な目的意識があったうちはまだいい。細かいことにはある程度目を潰れたから(いや良くはないが)。
 しかしこうも景気にも人権にもなにもかにも配慮しなければならない時代、日本という国家の部品数は、宇宙ロケットクラスに跳ね上がっているのだろう。
 この問題が解決しない限り、恐らくはどの政党が政権を担当してもダメだろう。どの総理も任期いっぱいもたないだろう。
 じゃあ、どうすればいいのと言うハナシだが、、、

 

 糸川博士の言うように戦後の問題なら、慌ててどうにか出来るようにするだろう。
 そうじゃないなら、多分、国家のあり方をもう一度考えなおさなきゃいけないんだと思うが、えっと、誰主導で考えなおせばいいんでしょうねぇ、、、

at 19:12, 空中禁煙者, 雑感

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映画ルーツ探しの旅 その

 サモ・ハン・キンポーの「スパルタンX」を観ていた時のことである。
 「面白い撮り方だなぁ、、、」と思ったカメラワークがあった。
 例えば、サモハンが誰かにとび蹴りをくらわそうとする時、カメラは助走するサモハンを追ってパンしているが、インパクトの瞬間、そのままカメラはとび蹴りをくって吹っ飛ぶ悪人を追って同じスピードでパンし続けるのである。「サモハン」を撮っていてそのまま続いて「悪人」を撮っている、と言うより、それはまるでサモハンが助走することによって生じた、ある「力」を撮っているようだ。人物でも風景でもない、通常カメラには映り得ない、ベクトルのような物を映し出すことに成功した、と言う感じ。
 必然的に、こうも思わざるを得ない。
 「コレははたしてサモハンが発明したカメラワークなのか」
と。

 香港映画は「力」をフィルムに定着させる為に、様々な発明をしてきた。
 事前に頭に粉や水がかかる描写をしておいて、蹴りが当たった瞬間、粉や水滴が飛び散る、とか。
 吹っ飛ばされた奴が落ちた先にあったイスやテーブルを落ちた衝撃で破壊する、とか。
 こういうたゆまぬ努力が香港映画を世界市場に押し出したのである。
 「ベクトルカメラワーク(今勝手に名付けました)」もこういう努力の一貫で、サモハンが発明したのだろうか。

 数年後、テレビでやっていたマーチン・スコセッシの「ハスラー2」を観ていて、ハタと膝を打ったのである。スコセッシ先生、「ベクカメ(今、勝手に略しました)」使いまくりです。
 何しろビリヤード映画なので、当然カンフーは出てこず、誰かが誰かを蹴り飛ばしたりはしない。サモハンがカンフー映画のカンフーシーンでやっていたことを、ビリヤード映画のビリヤードシーンでやっている。
 そう、最初はキューの動きを追っていたカメラが、インパクトの瞬間以降ボールを追い始めるのである。
 もう、この映画のビリヤードシーンはほとんどこのカメラワークで出来ている、といっても過言ではない。
 で、「ははぁ、サモハン、こっからパクッたな、、、」と思ったのもつかの間、調べてみると、なんと、「スパルタンX」は1984年、「ハスラー2」は1986年である。パクったとすればスコセッシだと言うことになる。
 スコセッシ先生はよほど「ベクカメ」が気に入ったらしく、「ケープ・フィアー」では、デ・ニーロが誰か(まあ、子役時代のジュリエット・ルイス)に拳銃をビュッっと向けると、その動きを追ってそのまま向けられたヒトまでカメラがパンする、などと言うことをやっていた。アハハ、撃ってもないのに。つまりここでは弾丸ではなく銃に込められたデ・ニーロの思いが、対象物まで飛んでいくのを捉えているのだ。「思念のベクトル」とでも言いましょうか。

 ここで最初の疑問に戻ってしまう。「ハスラー2」が最初でないのは判った。じゃあ、「スパルタンX」、あるいはサモハンが最初なのか、と。
 そんなこんなで、いつか2じゃない「ハスラー」を観てみないといけないなぁ、、、などと思っています。

 こうしてルーツ捜しの旅は続くのであった、、、
 誰か知ってたら教えてください。
JUGEMテーマ:映画

at 21:14, 空中禁煙者, 雑感

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そう言えば

 今日でこのブログを初めてちょうど一ヶ月ですねぇ、、、
 判った事がひとつ。
 「コメントはそう簡単にはつかない」

 まあ、現時点では某所に書いていたものを再録している段階なので、わりと新しいものをレビュー出来る様になったら期待しましょう。

at 19:50, 空中禁煙者, 雑感

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