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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「老人と宇宙」 爆笑スペースオペラ哲学風味

 もともとは作者がブログに乗せていた小説の書籍化だそうで、つまりシロートの書いた小説である。
 しかし、冒頭から登場人物たちの会話が爆笑に次ぐ爆笑で、アメリカンヒューモアの底力を見せつけられる。
 やはりシロートとはいえ只者ではないのだろう。

 

 「老人と宇宙」っちゅうくらいで主人公は老人なのだが、ココにこの作品最大の「SF」が仕掛けられている。

 

 この時代、CDF(ColonyDefenceForce、つまり宇宙軍)に入りたい地球人は、65歳になると入隊の意思を登録し、10年後、はれて入隊できる。
 なぜ10年待たされるかというと、その間に登録した人間の、クローンを作っているのである。
 そして、20代の見た目と宇宙戦に適した能力を与えたクローンに、古い体から「意識を転移する」のだ。

 

 この、「別の肉体に意識を転移させる」技術が本作最大のSF的テーマであり、この、扱いようによってはやや哲学的にもなれるテーマは、シリーズを通して繰り返される。

 

 なぜ75歳なのかというと、それくらいになれば人生に未練がなくなっているだろうという、単純な理由であるが、コレもまたよく考えると深いテーマではある。
 もともと全ての戦争において、肉体的には若いほうが有利だが、精神的には人生に未練がなくなっている方が(クニに恋人とか子供とか残してるとかがない)、勇猛果敢に戦えるのではないか、というのだ。
 言われてみればその通りで、普遍的な二律背反をSFならではの手法でひっくり返すことに成功したと言える。

 

 そんな哲学的なテーマなど含みつつハナシは進むわけですけどね、一方で、まあ、眼高手低というか、シロートらしいところも満載です。

 

 例えばですね、主人公を含め、主要登場人物のほとんどが(精神的には)老人なわけですが、まあ、老人が描けてないですね。
さすがに30代の青年には感じないように描いているが、まあ、40代くらいの感じ。

 

 逆に、若い肉体を得た老人どものハッチャケぶりから逆算して、「ああ、老人だったんだな、、、」と思う始末。
 多分、「何かをそれらしく描く」というような文学的営為には興味が無いんだろう。

 

 後半はふつうの「星間戦争モノ」になっていくが、主人公がちょっとした工夫から戦争の英雄になっていく過程を、ごまかさず描いているのは良い。
 こういうことはちゃんと出来るんだなぁと思う。
 アイデア一発勝負の単なるシロート芸では無いと思わせて、なんとなく頼もしいです。

 

 全体として、やはり日本のラノベに似ている。
 日本のラノベはそれなりに得意な成立事情があり、根本的には違うのだろうが、結果として似てくるのは、なんか理由があるんだろうか。

JUGEMテーマ:小説全般

at 20:39, 空中禁煙者, 書籍

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「聖書神話の解読―世界を知るための豊かな物語」 神話とは、象徴の積み重ねである説

 読んでいてふと思い出しのは、フィリップ・K・ディックの「ヴァリス」であった。
 例えば、
 「魚はイエス・キリストの象徴である」
 と主張する書物に出会ったのは、「ヴァリス」に続いて二回目である。
 違いは、本書においては、
「なぜ魚がイエス・キリストの象徴足り得るのか」
に関する記述があることだ。

 

 そして本書は、「ヴァリス」と同じく、「全てに象徴を見出してしまう男」のハナシのようでもある。
 タイトルは「神話の解読」となっているが、作者にとって神話とは、象徴の大系のようでもある。

 

 そしてもうひとつ、本書における注目すべき主張は、「福音書の記述(つまりイエスの生涯)は、旧約で予言されている」ということだろう。

 イエスの生涯における幾つかのエピソードは、旧約にその祖型を持つ。
 福音書の記述者達は当然、「イエスの生涯は旧約に於いて予言されていた!!」と言いたいわけで、作者は「福音書の記述達は『イエスの生涯は旧約に於いて予言されていた』と思わせようとしている」と言いたいわけである。
 しかし我々読者は、「本当に福音書の記述が『イエスの生涯が旧約に於いて予言されていた』と思わせたいと思っている」かどうかさえ解らない。
つまり我々読者は、

 

1.事実、イエスの生涯は旧約に於いて予言されていた。
2.福音書の記述者が権威付けのために予言されていたように書いている。
3.そもそも福音書の記述者は「予言されていた」などと思わせようとしておらず、「本書の作者が」そう思っているだけ。

 

の、どれだか分からない。

 なんとなく、作者が旧約の中からイエスの行動に似た箇所を見つけて、
「ハイ、コレも予見されてたー!!」
と言っているのではないか、と言う疑いが拭いきれない。

 

 ひとつには、今の我々から見て「イエスの行動を予言した箇所」が、散在していて、今ひとつ体系的に予言しているように見えないことがある。
 やはり新書という枠の中で旧約と新約の象徴性を一気に扱いながら、このような大きなテーマに説得力をもたせるのは難しいのだろう。

 作者にはできれば、イエスの生涯の予型性と言うテーマだけでじっくり一冊書いて、読者に信じさせて欲しいと思う。

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 02:05, 空中禁煙者, 書籍

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「殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―」 隠蔽者は、もう、そこらじゅうにいる

 日本の警察はなんでこんなに駄目になってしまったんだろう。
 

 ワタクシ空中さんが子供の頃は、警察関係者たちは胸を張って「日本の警察は日本一」と満天下に宣言していたもんだ。
 いま、そんなことを言う警察関係者は絶無だろう。
 捜査だの検挙だのより、天下り先を捜す(或いは自ら作る)のに忙しいから、警察としての能力が世界一かどうかなんて瑣末なことは気にしてられない。

 ある時期をさかいに、日本の司法は物的証拠第一主義を忘れ、戦前のような自白偏重主義へと回帰して行く。
 私見によれば、転回点は「グリコ・森永事件」だったように思う。
 グリコ・森永事件以降、日本企業は天下りを受け入れるのはしぶり始め、警察官僚たちは捜査どころじゃなくなっていく。


 本書はそんな日本警察の堕落の帰結点のひとつ(あくまでひとつに過ぎない)、「足利事件」が冤罪であることを暴いたジャーナリストによる「魂」の告発であり、警告である。
 警告は警察への警告ではない。北関東に暮らすヒトビトへの警告である。
 北関東で5人の幼女を拉致・殺害した犯人はまだ捕まっていない。

 

 著者、清水潔氏は市井のヒトビトの「小さな声」を拾い上げることにこだわる。
 裏を返せば「大きな声」である警察発表を信じないということでもある。
 清水氏は警察の大本営発表の場である記者クラブから事実上疎外されている。
 にもかかわらず、「小さな声」にこだわり続けて死刑囚の逆転無罪を勝ち取った。
 ペンは剣よりも強しとは正しくこういうことを言うのだろう。


 そして、清水潔氏が未だに少ない予算で周囲と戦いながら取材を続けなければならないという事実が、日本の司法のみならず、ジャーナリズムもほぼ死に体であることを物語っている。
 真のジャーナリストが清水氏の他に数人出てこないと、今の日本で真のジャーナリズムが、ひいては真の民主主義が育たないのだろう。

 

 と、言うわけで、ワタクシ空中さんは本書の内容をほぼ全面的に称揚する(飯塚事件に関する議論も含めて)。

 とここまで断っておいて、一言。

 

 清水潔氏が真のジャーナリストであり、ジャーナリズム最後の希望であることなど既に常識の部類であろう。
 それを認めた上で敢えて苦言を呈させていただきたい。

 ワタクシ空中さんはもともと「ジャーナリストの書いた本は苦手」と言っているが、本書でも同様のモノを感じた。
 やや感傷的にすぎる「少女の夢」に関する記述は、まあ、演出として良しとしよう。
 どうしても気になったのは「黒いファイル」の扱いである。

 

 清水氏が北関東連続幼女殺害事件を扱うと決めた時点でこの「黒いファイル」は清水氏のデスクに存在しているのである。
 そして清水氏はこの「黒いファイル」を元に一連の事件の真犯人に行き着く。
 本書では匿名ではあるが、私的にDNA鑑定までして真犯人を特定しているのだ。
 そして、この「黒いファイル」の正体については明かされない。
 あとがきで「ニュースソース秘匿のため」とウダウダ言い訳しているが、だったら「黒いファイル」の存在自体匂わさなければ良いだけではないか。
 参考人リストの中に気になる人物がいた、とかなんとかいくらでも嘘にならない書きようはあっただろう。
 なにもわざわざ「黒い」などと色付きで、カッコつきでもったいぶる必要はない。

 鬼気迫る取材ぶりにはただただ頭が下がる(というか日本のジャーナリズムの良心と言っていいだろう)が、書籍としての完成度という観点から見ると、ややフラストレーションの残る演出だったな、と思う。

 

 最後に本書で最も怖いシーン。
 それは、最高検察庁幹部が、清水氏と上司に近づいてくるシーンである。
 おためごかしに清水氏とその上司と共に銀座の懐石料理屋で一席設けるが、さんざん清水氏の取材結果に感心してみせた挙句、
「あの18−24って奴、やめてもらいてえんだよなぁ」
とのたまう。
 18-24とは清水氏が私的に入手した真犯人のDNA型である。

 検察庁最高幹部は、「ハナシのわかる偉い人」のフリをして近づき、結局清水氏の報道を遅らせる役割を担っていたのだ。

 

 もう、この国では検察すら信じられないのだ。

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 02:21, 空中禁煙者, 書籍

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「聖痕」 「美藝公」+朝ドラ

 冒頭のエピソードがあまりにも凄惨で、「コレはエラいことになったぞ、、、」と思った。
 冒頭からこの有様でココからあの、一切のモラルを笑いトバす筒井ワールドが延々と展開し始めたら、一体どうなってしまうのだろう、、、

 しかしそうはなりませんでした。
 考えてみれば朝刊連載でそんなムチャする筈がない。

 

 冒頭の凄惨さとは裏腹に、コレは筒井先生が若い頃からちょくちょく発現させていた「ユートピア志向」を突き詰めた作品だなぁと。。

 これまでの筒井作品に見られるユートピアは、パラレルワールドや遠未来に設定されていたが、本作は、今まさに我々が暮らすこの日本にユートピアを現出させることが可能か、という実験をしているように思われる。
 作中で展開される世界と現実世界の繋がりを強化するために、本作では筒井作品には珍しく、オイルショックに始まりバブル崩壊を経て東日本大震災に至る現実世界のトピックを盛んに取り入れている。

 もともと筒井先生は心なき者どもから「時代と寝ている」などと揶揄されるほど時代のトピックを取り上げてきたが、あるトピックを笑いのめすためにメインテーマとして扱うのではなく、時代の推移を表すために背景としてこれほど大々的に織り交ぜてくる、というのは記憶にあるかぎり初めてである。
 それほど筒井先生にとって本作品が「今、まさに我々が生きて暮らしているこの世界である」事が重要なのだろう。

 コレはつまり、あの名作「美藝公」へのアンサーソングということではなかろうか。

 「美藝公」のラストで登場人物たちは、ユートピアである「美藝公」世界から、ディストピアとしての我々の住む現実世界を夢想していた。
 本書ではそのディストピアに、局所的にユートピアが現出している。そしてそのユートピアを目にした登場人物のひとりは、(まるで「美藝公」のラストで登場人物が平行世界のディストピアを夢想したように)ラストでこの極小のユートピアが日本全体に(世界全体に?)広がることを夢想する。
 しかし、この世に「美藝公」がいないように、美食公もまた存在しない。

 

 全体的に、若いころの筒井作品に比べると、ご都合主義が多い。
 これもやはり藤枝静男氏から学んだ「老大家はナニをしても許される」ドグマの発現なのだろう。もう、リアルな展開とか、もう、いいじゃないか、と言っているようだ。

 

 しかし、リアルとリアリティは違う。
 つまり、リアルとの結びつきを敢えて強くした世界で、リアルではないストーリーが展開されるが、そこは筒井先生の文体とディティールの積み重ねと残酷なまに深い人間理解で、リアリティは充分なのだ。

 ラストから逆算すると「このエピソードは必要か?」と思われるエピソードもあるが、リアリティ溢れるユートピアで揺蕩っているのが楽しいので、気にならなくなってくる。
 この呼吸は時代を取り入れる描写ともあいまって、なんとなくNHKの朝ドラみたいだなぁ、、、とも思う。
 新聞連載小説は朝ドラに似てくるんだろうか。

 

 本書はまた、大量の(ワタクシ空中さんなんかでは利いたこともないような)古語を散りばめられていて、巻末に膨大な注釈が付いている。
 コレ、新聞連載時には毎日掲載分の末尾に注釈がついていたはずで、なんとなく、「ただでさえ少ない掲載スペースのを注釈で埋めてやる!!」と言うギャグだったような気もする。 

 しかしヒトの悪い筒井先生のことである。
 古語の幾つかは実際には存在しない筒井先生の造語で、筒井先生自身は「ありがたがってるありがたがってる、、、ケケケ」と笑ってらっしゃるようなきがするのだが、どうだろう。

JUGEMテーマ:小説全般

at 20:21, 空中禁煙者, 書籍

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「日本会議の研究」 あの時サヨクに殴られさえしなければ、、、

 最初に断っておくが、ワタクシ空中さんは本書を高く評価する。
 高く高く評価する。
 なにしろ本書は

^打楡権と日本会議の関係(と言うか癒着)を人材面、政策面から証明し、
日本会議の根幹をなす「三つのライン」の中心人物がそれぞれある特定の宗教団体の出身者であることを暴き、
さらにその「三つのライン」の代表者の背後にいる、普段表に出てこない黒幕まで暴いている

 

のである。
 それが前提だということを念頭に置いて、以下の拙文をお読みいただきたい。

 

 実は本書はその出版後、二つの騒動に巻き込まれる。
 ひとつは日本会議側による本書の出版差し止め騒動だ。
 しかしコレは提訴した側の意思に反して、著者側に有利に働いたようである。
 宣伝にもなるし、何より著者本人は「本丸を射たからだ」とむしろ快哉を叫んでいるようだ。

 

 しかしもうひとつの騒動は少し深刻だ。
 △痢崙団蠅僚ゞ誼賃痢廚箸呂屬辰舛磴院崟個垢硫函廚里海箸世、実は、著者の菅野完氏自身が、「生長の家」の開祖谷口雅春に心酔していると白状してしまったのだ。

 少し詳しく言うと、「生長の家」とは天皇絶対主義を唱える民族派の宗教であり、開祖の時代から積極的に政治運動に加担していた。しかし現在の三代目の教祖になって以来、一切の宗教的活動から手を引いてしまったのだ。
 おさまらないのは、「生長の家」の指示で既に抜け出せないほど政治運動にコミットしてしまっていた連中である。
 彼ら(の一部)は仕方なく「生長の家」と決別して、従来の方針を保ったまま政治運動に邁進して行き、やがて「日本会議」を名乗ることになる。
 つまり、日本会議の中核は、「生長の家」の方針変更によって飛び出てきた(のかはみ出されたのか判らないが)ヒトたちなのだ。

 

 別に方向性の違いで別れたのだから、相手がその後何をしようと関係なさそうなもんだが、なかなかそうも行かない事情がある。
 なにしろ日本会議の「三つのライン」のひとつは、「谷口雅春先生を学ぶ会」なのだ。
 コレは、「開祖谷口雅春を真に理解しているのは、『生長の家』ではなく我々である」と言っているのも同然だろう。
 そこへ持ってきて本書である。
 どうしても、コレは、同じ開祖を信奉するもの同士の、内ゲバなのではないか、という疑いが生じてしまう。

 

 もっとも著者の菅野完氏は現在の「生長の家」とも距離をおいているようである。「生長の家」が本書を評価している事実に対して「ありがた迷惑」などと言っている。
 谷口雅春を巡る「ひとり第三の勢力」なのかもしれない。

 

 そしてソコが、本書最大の欠点に繋がっているのかもしれない。
 本書はこれだけ執拗に日本会議のルーツを「生長の家」に求めておきながら、「生長の家」の教義については、ほぼ、スルーしている。
 「生長の家」がどうも民族派の宗教らしいぞ、ということは判るが、具体的にどういう教義を信奉していて、開祖谷口雅春がどういう人物だったのかはよく判らない。

 

 コレは、本書が出版された際、本書が置かれるであろう文脈にとって、谷口雅春氏の教えが不利になる、と言う判断ではないのか。
 今の安倍政権に嫌悪を感じるヒトビトに訴求しようとすると、著者の心酔する谷口雅春氏が、安倍晋三以上の嫌悪感を引き出してしまう、と言うアンビバレントに陥っているのだ。
 コレを解消するために、敢えて谷口雅春氏のとなえた教義についてボカしているように思える。

 

 さらに言えば、本書は構成上、日本会議を構成する「三つのライン」が生長の家をルーツに持つことを「突き止め」、この「三つのライン」のトップの顔ぶれを眺めているうちに、この「三つのライン」をひとつに纏める黒幕がいるのではないか、と気づく、という流れになっているが、恐らく、著者は本書の執筆前から、もっと言えば日本会議について調べ出す前から、黒幕の存在には気がついていたのあろう。
 突然、黒幕氏の講演を3回聞いたことがある、などと言い出すのである。

 

 つまり、本書の見かけ上の構成である、安倍政権→日本会議→三つのライン→生長の家の残党→黒幕と言う展開はあくまでも見かけ上のものであり、真相に近いのは、

 

「アレ?黒幕氏率いる生長の家の残党がいつの間にか日本会議とか名乗って安倍政権あやつってる、、、」

 

ということのように思える。


 これらが悪いことだとは言わない。
 むしろ、内ゲバとは言え、安倍政権の実相が明らかになることは良いことであると思っていることは、冒頭で断ったとおりだ。
 さらに言えば、最初から「谷口雅春の心酔者の書いた本」と知っていたら、読まなかっただろう。
 やはり、谷口雅春の心酔者であることを、構成上も隠したことは正解だったのだろう。

 

 そして本書最大の功績は、安倍ちゃんの憲法改正議論の最終目的を明らかにしたことだろう。
 安倍ちゃんは第一次内閣の頃から、「戦後スキームからの脱却」という、意図的に意味不明なフレーズを使って自らの政治目標を表現してきた。

 

 ワタクシ空中さんは「戦後」と敢えて区切っている以上、コレはサンフランシスコ講和条約の否定なのだろうな、と思っていたが、本書によるとそれどころの騒ぎではない。
 安倍ちゃんの背後にいる日本会議は、ハッキリと「明治憲法の復活」を謳っているのだ。
 つまり、民主主義を否定し、戦前と同じ天皇主権の帝国主義にもどす、と言っているのだ。
 果たして天皇ご自身がそんなことを望んでいるのかどうか全く考慮してないあたりも、戦前とそっくりだ。

 

 もうひとつ。

 ワタクシ空中さんさんも60年代70年代に学生運動なるものが存在していたことは知っているが、なんとなく、それは左翼学生のものだと思っていた。不勉強にも、「民族派学生運動」なるものが存在していたとは知らなかった。

 アバレる左翼学生を制圧しようとする、何やら学生服を着た短髪の学生がいた事は知っていたが、アレは単位だか就職先だかトルコ風呂(今のソープね)だかのエサに釣られた体育会系の学生かなんかだと思っていたのだ。

 しかし、本書によればアレは「民族派学生運動」の闘士であり、一応まがりなりにも思想的背景があったわけである(生長の家とか)。コレは失礼した。

 

 本書はまさに日本会議の原点を、日本会議の黒幕氏とその側近が、民族派闘争の最中にサヨク学生に殴られたことに求めている。

 罪なサヨク学生もいたものだ。

 

 本書を踏まえて次に必要なのは「生長の家の研究」、或いは「谷口雅春の研究」だと思うが、それを本書の著者に望むのは無理だろう。
それだけは残念。

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 01:24, 空中禁煙者, 書籍

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「異都発掘」 新宿にジャングルがあった頃、、、

 子供の頃、新宿でジャングルを見た。

 

 地下鉄東西線早稲田駅から学習院女子に抜ける道の左側だったろうか。
 「新宿」という語感から連想されるようなビル街では決して無いが、学校や、団地や、商店がならぶある意味ごく普通の「新宿」の風景の中に、突然ジャングルへの入り口がぽっかり口を開けている眺めは、不思議とか異様などという以前に、とてつもなく非現実的だった。

 

 鬱蒼と木々が茂っているとか(普通それは「森」と呼ばれる)、雑草が伸び放題などという生易しいシロモノではない、大きなナタで植物を払いながらではないと一歩も進めない、まさに、あの、言葉のイメージ通りの「ジャングル」であり、絶対、トワイライト・ゾーンへの入り口だと思った。
 しばらくそこに立ち止まっていれば、中から極楽鳥の鳴き声が聞こえてくるに違いとさえ思った。

 

 のちのち、新宿界隈にゆかりの有りそうなヒトに「新宿にジャングルあったよね」と訪ねると、「ああ、戸山ジャングルでしょ」とか、「あれ、整地されてキレイになったよ」などという答えが返ってくることが多く、あの体験がオレの幻覚ではなかったこと、けっこう多くの人に「ジャングル」と認識されていることが判った。

 

 それから幾星霜。
 ふと気になって「戸山 ジャングル」でググってみると、コレが出てこないのである。
 かろうじて住人が高齢化して手入れの行き届かなくなった戸山ハイツがジャングル化しているという記述と共に数枚の写真が出てくるが、ハッキリ言ってこんな生易しいものではない。

 

 いつの間にか新宿のジャングルの記憶はヒトビトの記憶から消えてしまったのだろうか。
 

 何やら不安になってしまい、新宿のジャングルの記憶を留める書物などないものか、と一生懸命ググった結果見つけたのが本書。
 なんだ、毎度おなじみ荒俣宏センセイではないですか。
 荒俣センセイのご著書のけっこう読んでいるつもりだったが、コレは抜けていた。
 それとも大昔に読んで忘れちゃってるんだろうか、、、

 

 初出は1986年。
 まあ、30年前です。

 そして、写真を豊富に収めた本書に掲載されている「新宿戸山に突如出現したジャングル」の写真は、まさにオレの記憶にある、あの戸山ジャングルである。
 しかし本文中にほとんど戸山ジャングルに関する記述はなく、本文の内容を嘲笑うかのように、「密林にに侵食される大都会」というキャプションがつけられている。

 

 本書は基本的には東京に残る様々な事物を、作られた当時のノリで追体験したり、あるいは荒俣センセイ特有の解釈で再構成、再解釈したりする内容になっている。

 正直言って、バブル期の書物なせいか、荒俣センセイのケレン味が強すぎて、今となっては読むのが辛い部分も多い。

 しかし、こういう失われいく風景を荒俣センセイのような知性がキチンと位置づけしたうえで残していく作業って必要だよなぁ、、、と思う。
 誰か継続的にやってくれないかしら、、、(もうやってる方いらしたらゴメンナサイ))。

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 19:43, 空中禁煙者, 書籍

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「ダーティホワイトボーイズ」 悪のプリンス、自嘲す。

 脱獄した悪のプリンスと、地味にしたたかなハイウェイ・パトロールが対決するハナシ。
 悪のプリンスの父親は、「極大射程」のボブ・リーの父親に殺された、とあって、ボブ・リーは全く出てこないが、一応ボブ・リー・サーガの一編なのであった。

 まず、「悪のプリンス」ラマー・パイの人物造形が素晴らしい。
 彼は賄賂から殺人に至る一切の犯罪行為に禁忌を持たない。必要とあれば協力者への裏切りだろうとなんだろうとヘーキでするが、一方で発達障害を持ついとこのオデールに対しては徹底的に庇護者として振る舞う。
 「突破者」宮崎学氏は「アウトローの特徴」として「徹底した身内びいき」をあげていたが、どうも洋の東西を問わないらしい。

 そしてまた彼は、驚くべき率直さの持ち主でもある。刑務所内で彼の庇護を求めて近づいてきた男に彼は言う。
「俺はただのケツ掘り屋だ」

 刑務所内で、コレも洋の東西を問わず男色行為が行われていることは常識の部類だが、登場人物ににここまでミもフタもない表現をさせる作家は珍しい。
 重要なのは彼は決して男色家ではなく(脱獄に成功した途端に女性としかセクスをしなくなる)、オトコしかいないから性欲処理の必要性のためだけにオトコとやっているのであり、その事実に対して自嘲的なスタンスから発言しているのことである。
 自嘲というのはある程度の自己分析能力がないと出来ない。
 悪のプリンス的なキャラクターを描く作家は多いが、悪のプリンスにここまで冷徹な自己分析と、それをあっさり表明してしまう率直さ(公正さと言ってもいい)を与えたのは、それなりに意味があるのだ。

 

 ラマー・パイはいわゆる知能犯ではない。ろくに学校も行っていない、度胸と腕力を頼みに生きてきた粗暴犯だ。しかし彼には冷徹な自己分析を可能にするある種の知性と意志の強さ、及び驚くべき率直さがある。
 これらを「俺はケツ掘り屋だ」のひとことで表現してしまっている。
 やはりスティーブン・ハンターは単に文章の書ける武器マニアではない。
 本当の「小説家」なのだ。

 

 ヒーロー役のパド・ビューティは一介の中年ハイウェイ・パトロール隊員である。
 警官ではあるが、刑事のような「捜査官」では無いのがミソ。
 脱獄直後のラマー・パイに出くわし、若い相棒を殺されたことで、ハイウェイ・パトロールの身ながらラマー・パイを追い続ける。

 そして、ラマー・パイにある種の美点があったのと対をなすように、パド・ビューティもある「悪徳」を抱えている。パドはこの抱え込んだ「悪徳」ゆえ、ラマー・パイを意地になって追い続けなければならないのだ。

 

 美点を持った悪人と罪を抱えた善人という対比は、このジャンルのフィクションの定番ではあるが、善と悪のバランスが難しい。

 個人が内包する善と悪の振り幅の点で、やはりこの小説の主人公は、ヒーロー役のパドではなく、ラマー・パイなのだ。

 

 全体としては激しいアクションを売りにした小説だが、意外に謎解きの要素もある。
 推理小説のように読者も謎解きを楽しめるようには書かれていないが、冒頭から描かれるラマー・パイのある執拗なこだわりの意味をパドが解明するあたりは、「アッ、そうか!」と驚かされる。
 これがラマー・パイの居所を突き止めるヒントになるのである。
 ハンター先生、なかなかどうして多彩な技を披露してくれる。

 決してジャンルに影響をあたえるような傑作ではなく、コレ一冊で考えればアクション小説特有のカタルシスを得るための時間潰しでしかないが(逆にカタルシスを得るための時間潰しを読みたい、と思えば最大級に優秀)、今後もほぼ永遠につづくようなスワガー・サーガの一冊と思えば読んで損はない。 
 いや、読むべき。

JUGEMテーマ:小説全般

at 20:21, 空中禁煙者, 書籍

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「一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教」 ムスリムのナンギな(;一_一)カリフ道

 こんなオレでも「そういえばイスラム国はどうなったんだろう、、、」などと思ったりもするのである。
 しかも、よく考えると「どうなったんだろう」以前に、イスラム国ってなんなんだろうという段階であることに気づいたりもするのである。
 日本でイスラム国といえば中田考氏である。
 なにしろ日本人で唯一イスラム国にコネがあるのである。
 
 そんなこんなで、取っ掛かりとして内田樹氏との対談を読んでみたのだが、、、

 中田氏は「カリフ制さえ再興されれば全てはうまくいく」と言っているように思えるが、これがもう、全然納得行かない。

 「カリフ制」という以上、「カリフ次第」ということになってしまうのではないか。そりゃカリフがいればイスラム世界は一つにまとまって、イスラム教徒の皆さんは「よかったよかった」ということに、一応はなるだろうが。

 新しいカリフが「異教徒は全員ブチ殺してイスラムだけの世界を作る」とか言い出したらどうするのか。
 ムスリムの血だってさんざん流れるだろう。
 ソレはソレでジハードだからいいのか。
 それともカリフ制自体に流血だの差別だのを防ぐシステムが「構造的に」組み込まれているのか。

 だいたい、今のイスラム世界で全ムスリムが認めるカリフを立てることが可能なのか。
 アリーの血筋以外から立てれば、当然シーア派は絶対に認めないだろう。
 スンナ派は一応、アリーの血筋「じゃないくてもいい」程度なので、アリーの血筋からカリフを立てれば一見問題ないような気もするが、もしアリーの血筋からカリフが出た場合、シーア派はスンナ派を平等に扱えるのか。

 どうもその辺に関する説明がないまま「皆のカワユイ(^o^)カリフ道」とか言われても、何がカワユイのか、どこが(^o^)なのか全然解らない。そりゃイスラム教徒に限って言えば(^o^)かも知れないが、その場合「皆の」とか言ってほしくない。
 カワユイとか言っときゃ日本のあんま脳ミソ無いような女子高生とかが騙されてイスラム教徒が増えるとか目論んでるとしか思えない。もっともカワユイで引っかかるのは80年台の女子高生のような気もするが。

 要するに、学者というより、徹底的にイスラム教徒の立場から発言しているのだろう。

 ソレはソレで潔い態度だと思うが。

 もう、そのへんが気になって、本書を呼んで一神教について何か新しい認識が啓けたかというと、全然啓けてません。
 多分、中田氏は全然悪くなくて、オレの理解が足りないだけなんだろう。オレの頭が悪いだけなんだろう。多分。
 もっと中田氏の著作を真剣にたくさん読めば、ああ、なるほどな、と思えるんだろう。
 でも、もうそんな気は全然無いです。
 一冊の本を出版するというのは、そういうことだと思う。
JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 01:45, 空中禁煙者, 書籍

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「天冥の標察/契こΕ蓮璽C」 残酷な小説家のテーゼ

 何度も書いているが、ワタクシ空中さんは、映画を観たり小説を読んだりしていて、仕掛けられた伏線に気づいて先が読める、と言うことがないので、本書も最後の最後まで読んでやっと、「あああ!ココで第一話『メニーメニーシープ』に繋がるのかぁ、、、」と感動してしまった。
 ホント、我ながら幸せな性分だと思う。

 このシリーズ話と話の間が何百年も開いていることが普通にあるが、肱鱈栽鱈始辰漏笋板樟楫劼っている。特に今回は前話のSF史上に残る大カタストロフから数秒後、主人公も同じなのでほとんど同じ話と言ってもいいのだが、テーマが大きく異なるので、やはり巻を分けた方がいいのだろう。
 今回は、「十五少年漂流記」をやっているのだ。

 シェルター用に作られていた地下都市で大災厄を生き残った数百人の子供たちがなんとかサバイバルする話。

 小川一水氏が真の小説家だなぁと思うのは、外部からの圧力や内部に悪人といったイデオットプロットを用意しなくても、ちゃんとギリギリのドラマが生まれる事だ。
 まあ、子供だから、、、という事もあるんだが。

 そして、まあこの子供たちに小川一水氏は次々と過酷な運命を与え続ける。
 ここまで来ると、もう、小説家も書いてて辛いだろうな、と思う。

 例えば、地下シェルターに残された子供たちは、世界を大災厄が襲って大勢の人間が死んだ(であろう)ことは知っている。自分たちの親兄弟も、友人たちも、殆ど死んだこととして覚悟をしている。
 しかし、全世界がどの程度の規模で滅んだのかは気づいていない。
 世界にはまだまだ大勢の「大人」が生き延びていて、いずれ助けに来ると思っている。
 しかし、いつまで頑張って生き延びていても、助けは来ないし、通信は回復しない。
 アレ?コレってひょっとして、、、

 という訳だが、コレなんかわざわざ描写しなくても、最初から自明のこととして描いてもいい筈なのだが、敢えてこの絶望をじっくりと描くのである。

 まっこと残酷にして無慈悲な人間だけが、真の小説家になれるのだろうな、などと思うのであった。
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「極大射程 下」 「三大原作のアブリッジが上手な映画」の一つの原作

 本書を読んでもう一つ気付くことは、映画版の「ザ・シューター/極大射程」の映画化に向けてのアブリッジが見事なものである、と言うことだ。
 映画化に向かないエピソードはバッサリ切って、一本の映画として過不足ないようにまとめた手腕は見事。
 原作のボブ・リーに比べ、やや軽い印象のあるマーク・ウォールバーグ主演にも合わせてある。
 原作ではモテモテの二枚目である新相棒のニック・メンフィスがカエルみたいなルックスになっちゃってるのは、多分、二枚目にするとマーク・ウォールバーグが負けるからだろう。

 さらにオレは映画版「ザ・シューター/極大射程」のエントリーで「観客が予想してない時に突然ブシュー。コレがすごく映画的なの。」などと書いているが、コレが実は原作の描写に忠実に演出した結果であることも判った。
 原作にちゃんと

「気をつけろよ、ポニー」といって、トミーが相棒に飛び散る血がかかるのを注意した。
「もう少しで―」
トミー・モントーヤの頭が破裂した。

 などと書いてあるのである。
 この文章の呼吸に忠実に演出したわけだ。

 ハリウッドでは珍しい「白人が主演の映画も撮る黒人監督」アントワーン・フークア、やっぱりタダモンじゃないねぇ、、、

 今のところこの映画は「プレステージ」、「八日目の蝉」と並んで、個人的な「三大原作のアブリッジが上手な映画」の一つと言っていいだろう。

 まあ、「プレステージ」と「八日目の蝉」は「二大原作より面白い映画」なのだが、その一角を担うほどではないが。
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