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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「ドラゴン×マッハ!」 緊密なシナリオの意味を履き違えてる。

 なんともミもフタもないタイトルを付けられたものだが、原題は「殺破狼2」となっている。

 エ?え?エ?「2」ってナニ?
 何かの続編なの?と思ったら、一応、「SPL 狼よ静かに死ね」の続編ということになっているらしい。

 

 なっているらしいが、ストーリー的にはなんの関連もない。
 かろうじて、サイモン・ヤムが同じ「チャン」と言うなの刑事で出て来るくらい。

 

 そして、「SPL 狼よ静かに死ね」のドニー・イェンとの一騎打ちでワタクシ空中さんのド肝を抜いたウー・ジンが今回は主役。

 

 出世したねーーー。前回はセリフもない殺し屋役だったのに、今回は潜入刑事役で堂々の主役。
 前回ワタクシ空中さんは「まだ役者というよりは武道家」などと失礼なこと書いているが、申し訳ありませんと言うしかない。

 

 しかしですね。
 タイトルで「マッハ」っつってる以上は、トニー・ジャーが出てるわけです。
 タイトルから言っても堂々のダブル主演です。


 なんとも緊密な脚本で、一瞬も気が抜けない。
 しかし気が抜けない一方で、緊密すぎてイデオットプロットに陥ってもいる。

 

 ウー・ジンは香港の人身売買組織に潜入している刑事だが、組織に馴染むために麻薬に手を出して苦しんでいる。
 しかもウー・ジンの情報によって取引の現場に乗り込んできた警察がウー・ジンを撃たなかった事で潜入デカであることがバレてしまい、タイで組織が商品(つまり人間)を一時保管してる場所に送られてしまう。
 コレがマックス・チャンが所長を務める刑務所なのだが、ココにトニー・ジャーが看守として働いているんである。
 つまり、トニー・ジャーが働くタイの刑務所にウー・ジンが送られてくる訳だ。

 

 ココまではまあ、いい。
 ココまではイデオットプロットでもなんでもない。

 

 しかし、トニー・ジャーの白血病の娘の骨髄移植ドナーリストの筆頭がウー・ジン、というのはいかかがなものか。
 さらに言うなら、(いろいろあって)命からがら脱出してきたウー・ジンとサイモン・ヤムとトニー・ジャーの先輩が病院が、トニー・ジャーの娘が入院している病院、というのもますますいかがなものか。

 

 このあと、トニー・ジャーの娘とウー・ジンがお互いのことを「ああ、このヒトが、、、」と認識し合うシーンが美しいだけに、このご都合主義っぷりは残念。

 登場人物たちの運命が錯綜するのが緊密なシナリオ、と思っているではないか。

 

とはいうものの、トニー・ジャーのアクションがふんだんに観れるだけで感謝すべきなのかもしれない。
今回は打撃技も関節技も使いこなすこれまでの集大成のようなアクションが見れます。

トニー・ジャー、出家までして心を入れ替えたかいあって、今度こそほんとうにピンゲーオ監督から独り立ちできるのかもしれない。

JUGEMテーマ:映画

at 03:36, 空中禁煙者, アジア

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「九龍猟奇殺人事件」 コレ、遺族は激怒するんじゃないの?と心配になる実話の映画化

 WOWOWで放映+ブルーレイ発売に合わせてミもフタもない邦題を付けられてしまったが、原題は「踏血尋梅」、英語タイトルは「Port of Call」である。
 「踏血」は劇中「鑑識」だか「検死」と字幕が入っていたようなきがするが、尋梅はなんだかわからない。「死体に聞け」ということだろうか。
 Port of Callは成句で「立ち寄り点」である。主人公の少女が中国本土から香港にやってきて、やがて黄泉の国へ旅立ってしまったことを指して、「香港は立ち寄り点に過ぎなかった」ということだろうか。

 

 とはいえ実際に起きた猟奇殺人事件が元になっているので、ミもフタもない邦題もしょうがないと言えばしょうがない。
 どの辺が猟奇的かというと、被害者の遺体をバラバラにして、捨てきれなかった肉を九龍城の肉屋に並べた、と言うのだ。
 「八仙飯店事件」の再来か!と香港中を震撼させたが、映画は「八仙飯店之人肉饅頭」のような猟奇趣味主体の映画にはなっていない(アレはアレで大好きですが)。

 

 撮影のクリストファー・ドイルによる美しい映像と、時間軸を徹底的にバラした構成により、どちらかと言うとアート寄りの映画になっている(ただし、犯人役のマイケル・ニンは写真で見る実際の犯人にクリソツでちょっと笑う。もしかすると香港人は恐怖するかもしれない)。

 

 離婚した母に連れられて本土から香港に出てきた16歳の少女。学校に馴染めずモデルを夢見て事務所に所属するが、スカウトに回されてしまい、やがて援助交際に手を染め始める。
 そんなときに客として出会った29歳のトラック運転手。
 少女の孤独と男の孤独が共鳴してしまい、、、
 と言うハナシ。

 

 おそらく、脚本・監督のフィリップ・ユンはこの事件の被害者と加害者の二人になんらかのロマンを見てしまったのだろう。キーワードは「孤独」だ。

 

 犯人は早々に自首しているので、犯人探しの興味はない。
 代わりに、事件の担当になった妻に逃げられてショボクレた刑事にアーロン・クォックを配して、丹念に二人に「孤独」を追う。
 いつもバリッとした二枚目のイメージのアーロン・クォックを白髪頭にデカメガネ、実用本位のダサいベストの疲れた刑事にして、上から目線になるのを避けている。
 つまり、彼もまた「孤独」なのだ。

 

 トンデモ無いグロ描写があったりして、バランスを取ってもいるが、映画全体としてみた時、「実話」の扱い方がコレで問題ないのか、という気もする。
 いくらなんでもセンチメンタリズムに振りすぎているのではないか。
 例えば、遺族はこの映画を見て激怒するのではないか。
 そういう意味では、日本では無理な映画だなぁ、、、という気もする。

 

 同時に、コレだと殺した理由は説明できても、その後の遺体損壊の理由が判らない。
 フィリップ・ユンが幻視したロマンを映画化するのはいいが、その後はグロい映像見せて「ハイ、コレでいいでしょ。グロいの見たかったんでしょ」と言う態度は、観客をナメているのではないか。

 

 しかし、アーロン・クォックの扱いといい、初監督作にして全てをぶっちぎってやりたいことをやったフィリップ・ユンの度胸には、今後を期待してしまうが。

JUGEMテーマ:映画

at 20:00, 空中禁煙者, アジア

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「ホワイト・バレット」 中島哲也風、ジョニー・トー

 多作な天才と言う人種がいる。

 

 すぐ思いつく代表例は手塚治虫先生だろう。
 もう神さまなんだから、描きたい作品を描きたいようにじっくり描けばいいと思うのだが、常に週刊誌で多数の連載を抱えて、「納税額No1漫画家」でいないと生きた心地がしなかったそうである。

 

 現代の日本映画界で言えば三池崇史だ。
 三池崇史は自覚的にはハッキリと「金のため(三池組の面々を食わせるため)」と思っているようだが、それだったらもっと一作一作を大事に溜めて作って、作品数は半分以下になっても大ヒット作を連発するという選択肢もあるはずである。その方が一作ごとの単価が上がり金は儲かるのではないか。
 しかしそうはならないのである。
 もう、寝る間もないほどドタバタと忙しくしていないと、生きている実感が感じられないのだろう。

 

 で、ジョニー・トーである。
 ジョニー・トーはなんでこんなに映画を撮りまくるんであろうか。
 手塚治虫や三池崇史のように、マグロが泳ぎ続けないと死ぬがごとく、狂ったように作り続けていないと死ぬのであろうか。

 どうも、天才ジョニー・トーとワタクシ空中さんのような凡人とでは、
「ナニをもってこのアイデアで一本の映画を作るに値すると思われるか」
の判断が完全に食い違ってしまったような気がする。

 

 例えばこの「ホワイト・バレット」の脚本は、フツーの映画監督が、
「この脚本で一本撮ろう!」
と思っても、到底許されるものではない。

 

 原題は「三人行(THREE)」と言うくらいで、3人の登場人物の苦悩を中心に描かれる。
 1人は若くして優秀な脳外科医であるヴィッキー・チャオ。「少林サッカー」では美少女と言う感じだったが、すっかり疲れた大人のキャリアウーマンである。
 彼女の優秀さは脳外科部長も認めているが、手術の結果が思わしくなかった患者から回診の際に罵倒を浴びせられ、訴えられそうになっている。

 

 二人目はその外科医のところに担ぎ込まれる、警察に頭部を銃撃された強盗殺人犯ウォレス・チョン。頭蓋骨内に銃弾が残ったままだが、上手く脳を傷つけずに留まったので、フツーに動いたり喋ったりできる(たまに痙攣の発作に襲われる)。

 

 3人目はそのウォレス・チョンを拷問(発砲を含む)するように部下に命じた警部ルイス・クー。発砲した本人は警察署に避難させているが、報復と拷問の事実がバレるのを恐れて、さらに証拠の捏造を命じたりする。

 

 映画はほぼ全てが病院内、しかもほとんどはICUと医局とナースステーションが一体になったような不思議な部屋を舞台に繰り広げられる。
 なぜそんな不思議な部屋があるかというと、最終的にココでこの映画のキモというべき銃撃戦を繰り広げるためである。
 この銃撃戦で三人の苦悩も何もかもケリを付けるつもりなので、全てが一室に集まっていないと困るのである。

 

 普通の脚本ならこの三人の苦悩をドラマの展開でどうにかすると思うが、ジョニー・トーはそんなことはしないのである。
 ラストでトンデモ無い銃撃戦があって、終わり。
 要するに銃撃戦がやりたいだけなのである。

 

 たしかにこの銃撃戦は見ごたえがある。
 要するに中島哲也監督の「温泉卓球」的なスローモーションとCGを多用して、壮絶な銃撃戦が始まってから数分後(10数分後?)に終わるまでを、延々とカメラが動き回ってワンカットで抑えているのだ。

 つまり、今回ジョニー・トーが映画一本作ってやりたかったのはこの延々とワンカットで続く銃撃戦なのだ。

 

「あ!10分位続く銃撃戦をワンカットでスローモーションとCG使って撮ろう!!」

と思いついてから、

「えーっと、、、10分位続くためにはいろんな登場人物が必要だな、、、
いろんなドラマを抱えた登場人物が一堂に会する場所といえば、、、
そうだ!!病院だ!!」

と言う感じで脚本を書き始めたのではないか。

 

 たった数分間の銃撃戦(の撮り方のアイデア)のために映画を一本作る。
 コレが許されるのがジョニー・トーの天才なのだが、同時にそれを許す香港映画界もちょっと羨ましいな、と思うのであった。

JUGEMテーマ:映画

at 01:35, 空中禁煙者, アジア

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「殺されたミンジュ」 今日もマ・ドンソクはヒトを殴る。

評価:
キム・ギドク,キム・ギドク,キム・ギドク,キム・ギドク
¥ 3,175

 開巻いきなり、少女が殺される。拉致されてアジトで、とかではなく、 ただ、路上で捕まって、アッサリ殺されてしまう。
 この冒頭から次の、恋人と別れたオトコが謎の集団に拉致されて拷問され、「5月9日」の自分の行状を書かされて開放されるまでのシークエンスの激しさ、テンポの良さには圧倒される。
「ああ、スゲぇ映画が始まったぞ、、、」
と言う期待に身を打ち震わせるに充分。

 

 そして映画は基本的には謎の集団にオトコが拉致されて拷問される、の繰り返しになり、そのフォーマットの中で、ある程度イロイロなことが判ってくる。
 次々に拉致されるオトコ達は実は冒頭で少女を殺した犯人グループであること。
 謎の集団は専門的な集団ではなく、実はリーダー(TVシリーズ「バッド・ガイズ」のマ・ドンソク)に雇われただけの一般市民の集まりであること。
 ここまでが設定の問題であり、仮に第一段階としておこう。

 

 第二段階として、双方のグループ個々のメンバーの事情が描かれる。
 犯人グループも犯罪者集団というよりは「上司の命令に従っただけ」の組織人(国家情報院の工作員と言ったところか)であり、それぞれ家庭を持っていて、自分の職業を家族に明かせず苦しんでいること。
 謎の集団はそれぞれが「抑圧された一般人」であり、日常では犯人グループ以上に苦しんでいる。DVオトコと暮らしていたり、客にいじめられるウェイターであったり、高圧的な社長のもとで働いていたり。

 

 ココでこの映画の恐ろしく前衛的な趣向が明らかになる。
 謎の集団の面々を抑圧するヒトビトの役は全部、最初に拉致拷問された犯人グループの1人、キム・ヨンミンが演じているのである。
 最初はコレが分からず、時間の経過が判らないせいもあり、開放された工作員がやがてDVオトコになってたまたま謎の集団の紅一点と暮らしているのかと思った。

 

 同時に映画の表現はどんどん象徴的になり、通常のサスペンス映画の枠組みを大きく離れている。
 イヤ、普通の映画であることを自己否定し始めると言うべきか。

 

 殺された少女の名はタイトルに有る通り、ミンジュであり、コレは韓国語で「民主」の意味だそうである。
 つまり、この映画は「(韓国の)民主主義は殺された」と訴えているのだ。

 謎の集団は少女を殺した理由を犯人グループの黒幕を拷問して白状させようとするが、最後までわからない。
 つまり、マクガフィンかと思いきや、さにあらず。
 少女が殺された理由は判らないが、民主主義が殺された理由は、実は映画の中で繰り返し描かれている。
 そしてそれはミンジュを殺した犯人グループのみならず、犯人グループを追い詰める謎の集団を通じても描かれているのだ。
 キム・ヨンミンが1人8役演じることで、単純な善悪の構図をくるりとひっくり返してしまう。

 謎の集団のリーダー、マ・ドンソクはおそらく韓国一、いやアジア一、もしかすると世界一ヒトを殴るのが似合う役者で、本作でも殴りまくっているが、映画の中でもヒトを殴る(かつて殴っていた)ことがテーマと結びついてくるあたり、ああ、やっぱりキム・ギドク監督もこのヒトは「ヒトを殴る」と言う行為のアイコン足りうると思っているのだなぁ、、、と言う感じ。

 

 全体的に脚本も撮影も、悪くいえば粗雑、良く言えば即興的な映画である。
 幾つかのアイデアや、個々のシーンの演出力は見事であり、キム・ギドク監督の映画作家としての底力を感じさせるが、言いたいことを伝えるのにこの手法でよかったのどうかの判断は難しい。
 この方が監督の怒りを叩きつける様な効果があるような気もするが、もっとじっくり描いて欲しかったような気もする。

 ある映画が良い映画であるかどうかの基準が、「その監督の他の映画(次回作)も観たくなるかどうか」だとすれば、ワタクシ空中さんは他の映画も観てみたくなりました。
 が、もうひとつの基準、「その映画を繰り返し何度も観たいか」で言えば、別に二度観たくはない。
  そんな映画でしょうか。

 :映画

at 01:17, 空中禁煙者, アジア

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「誘拐捜査」 誘拐実話シリーズ第三弾

 あ!中国映画にアンディ・ラウが出てる!と思ったら「香港から来た映画スター」の役だった。なるほど。

 

 この映画が、傑作が生まれることが多いとされる「誘拐映画」にあえて一石を投じる価値があるとすれば、まさに「誘拐されるのが映画スター」だという点にあるだろう。

 しかし舞台は中国北京のこととて、被害者が映画スターであることは、あまり捜査や事件の展開に影響を与えない。富や名声があまり影響力を持たない、という極めて共産主義的な理由なのか、むしろ情報と富の偏在という上手く行っていない共産主義に特有の事情なのか分からない。

 

 しかし、どこか意識の中で「映画スター=立派なヒト」という公式が成立しているのか、単に実在の被害者に考慮しているのか分からないが、誘拐されたアンディ・ラウは、終始椅子に縛り付けられていて身動きできない状況であるにかかわらず、ヒーローである。

 

 ともに誘拐された一般人を励ます。
 誘拐犯のリーダーが外出すると、下っ端を説得にかかる。
 しまいにゃ歌まで歌って大サービスである。

 

 この役は実際は呉若甫というヒトで、日本では全く知られていないが、中国では主演作がいくつもある大スターらしい。エンドクレジットのバックでこのヒトらしき人物がステージで歌っている模様も映るので、歌がうまいことも踏まえてアンディ・ラウに歌わせているのだろう。

 

 この映画で意外なのは、中国警察の意外な有能さだ。
 わずかな手がかりをもとにテキパキと手を打って、どんどん犯人に迫っていく。
 中国共産党のもとで警察がこんなに有能なわけはないと思うが、我々にうかがい知れない地殻変動が(いい意味で)始まっているのかもしれない。

 

 さて、アンディ・ラウ演じるヒロイックな被害者、意外なほど有能な中国警察、と揃えておいて、実はこの映画の主役はワン・チエンユエン演じる犯人グループのリーダーである(もちろんピリングのトップはアンディ・ラウだけど)。
 この、粗暴で、無慈悲で、それでいて陽性で、どこか屈折して、と言う複雑な人間性を表現したワン・チエンユエンなる役者さんのしたたかさは素晴らしいと思った。
 アンディ・ラウがほとんど動けない以上、このヒトの屈折した演技がなければ途中で退屈していたかもしれない。

 

 この役は比較的早めに(中国警察の有能さゆえに)捕まってしまい、あとは警察との条件闘争を繰り広げるのだが、自分の圧倒的に不利な状況に全く臆すること無く、取調官と丁々発止の駆け引きを続けた挙句、最後の望みは「恋人に会いたい」なんて、泣かせるではないか。

 

 何度も言うがこの映画は実在する映画スター呉若甫誘拐事件を元にしていて、つまりアンディ・ラウは呉若甫の役を演じている、ということになるのだが、この犯人グループのリーダーは、アンディ・ラウに向かって「『ゴッド・ギャンブラー』に出てたくせに」とか、刑事向かって「チョウ・ユンファかと思ってた」とか言いやがる(アンディ・ラウは「ゴッド・ギャンブラー」でチョウ・ユンファの弟子の役なのだ)。
 これ、どうもワン・チエンユエンのアドリブじゃないかと思うがどうだろう。

JUGEMテーマ:映画

at 20:35, 空中禁煙者, アジア

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「極秘捜査」 ある意味タイムリーな実話映画

 「極秘捜査」と言うタイトルで、たしかに主人公のコン刑事は警察上層部の意向に逆らって極秘捜査にこだわり続けるが、このハナシのキモはそこじゃない。

 韓国では有名な実話であるらしいこの誘拐事件は、事件の構造としては以外に単純であり、さほど目新しくも強烈でもない。。
 にも関わらず敢えて映画にする価値があると思われたのは、おそらくはひとりの占い師が絡んでくるからだろう。

 

 朴槿恵大統領弾劾のキッカケとなった「親友」なる人物が実は占い師であることもあり、韓国では占いと言う行為がどう受け取られているのか、我々日本人には興味深いところではあり、ある意味タイムリーな映画でもある。
 我々日本人には、一種のカルチャーショックを体験できる映画としても機能しているのだ。

 

 1978年、釜山。
 水産会社社長の娘、小学生のウンジュが誘拐される。犯人からの接触はないが、防犯カメラの映像や一緒に下校した友人の証言から誘拐は明らかだった。
 占い狂の社長の妹は義姉を連れて占い師をたずねるが、何人に訊いても「ウンジュは既に亡くなっている」と言われてしまう(コレも日本の常識で言うとどうかと思うが、、、)。
 そんな中、ソウルでエラい導師についての修行を終わらせて釜山に帰ってきたばかりのキム導師だけは「ウンジュは生きている」と断言する。
 しかし同時に「ウンジュを生きて救出するためには、釜山警察のコン刑事を捜査に加える必要がある」と言い出す。
 コン刑事は確かに過去に誘拐事件を解決したことがある腕利きだったが、今は収賄の疑いをかけられて機動隊に左遷されている。
 キム導師にすがるしかない社長夫妻はカネとコネを使ってコン刑事を捜査に加えようとするが、肝心のコン刑事は、「人質が死ねば責任を押し付けられる損な役回りだ」と協力を拒む。
 しかし、偶然にもウンジュの同級生だった長男の「ウンジュは金持ちじゃない子とも仲良くしてた」と言う言葉を聴いて、捜査に協力することを決意するのであった、、、

 

 当初は自分を厄介事に巻き込んだキム導師を恨み、「なんで占いなんてタワゴトに付き合わなきゃならないんだ!」と怒っていたコン刑事だったが、キム導師が犯人が初めて連絡してくる日、更には連絡してくる時間まで当てるのを目の当たりにし、徐々に見方が変わってくる。
 やがて犯人の身代金受け渡し要求場所がソウルに移るにつれ、ソウル警察、釜山警察との三つ巴の手柄争いの中、卑劣な釜山警察班長の罠に落ちて信用を失ったコン刑事は、キム導師の唱える見通しにすべてを掛けざるを得なくなる、、、

 

 制作陣が実際にどう思っているは判らないが、少なくとも映画の構造としては、観客が占いに対して肯定的な感情を持つように作られているわけだ。
 この点は、ご丁寧に「アメグラ」式の後日談まであり、さらに強調される。

 それはまるでロートル刑事が馴染めない新しい捜査手法であるかのようだ。例えばプロファイリングとかDNA鑑定とか。

 

 韓国のヒトたちと日本人ではこの映画に対する感情がまるで違うのだろうか。
 ワタクシ空中さんさはこの映画における占いの扱いについてどういうスタンスで望めばいいのかよく解らないまま映画が終わってしまった。
 そしてこの映画における占いの扱いについて迷っていると、この映画を楽しみそこねてしまう。
 刑事たちの捜査ドラマとしても、犯罪を巡る人間ドラマとしてもある程度レベルはクリアしているのだが、だからこそなおさら中途半端な印象になってしまう。

 

 コン刑事はご贔屓「チェイサー」のキム・ユンソク。相変わらず、どこか醒めていながらしつっこい人物像を好演。韓国映画はこういう枠にはめるキャスティングが多いのかもしれない。

 

 キム導師にユ・ヘジン。このヒトはネット上では吉本新喜劇の「ドリルされる方」に似ていると評判だが、ワタクシ空中さんは観ている間中、元ハローバイバイの金成に似ていることが気になってしょうがなかった。
判らないヒトは「プープー星人」でググってください。

JUGEMテーマ:映画

at 20:44, 空中禁煙者, アジア

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「西遊記〜はじまりのはじまり〜」 ほぼ、スー・チーさんの映画

 おそらくは、今の中国で人気No.1の役者、ホアン・ポーに孫悟空を演らせたい、という出発点だったのではないか。
 が、脚本が出来てみたら孫悟空の登場は後半になってしまった。
 で、ソレまでを繋ぐのに玄奘役のウェン・ジャンじゃ華がないので、賑やかしでスー・チーさんの役を作ってみたら、もう、スー・チーさんが可愛すぎて、結果、ほとんどスー・チーさんに持って行かれてしまった、という感じ。

 イヤほんと。スー・チーさんも、もう40近いはずだが、恋する乙女(別に若い役ではないが)を演じて信じられない可愛さ。
 シリアスな映画でシリアスな演技をしているのも、アクション映画でアクションをやっているも観たことがあるが、まさかコメディエンヌとしてこんなに巧いとは知らなかった。
 妖怪ハンターの役なので、アクションシーンもふんだんにある。
 もともとアクションが出来るという売りのヒトではないので、かなり吹き替えを使っているっぽいが、決めのポーズのカッコ良さなど、ホレボレする。
 カッコ良さと可愛さをひとつの役の中で軽々と同居させるスー・チーさん。スゴい女優さんになったなぁ、、、

 ホアン・ポーを孫悟空に、というのもよく判る。
 下品にして明朗、軽薄にして洒脱。
 コレは確かに得難いキャラクターだろう。

 ホアン・ポーの孫悟空がスー・チーさんに「豚の妖怪(つまり後の猪八戒)をおびき出すための踊り」を指南するシーンなど、二人に適当にアドリブでテストさせていたらあまりに面白かったので、そのまま使ってしまった、ということではあるまいか。
 なんとなく、バックにスタッフの声が入っちゃってるっぽいし、スー・チーさんの爆笑などとても演技とは思えない。
 このシーンは何回観ても面白い、チャウ・シンチー映画の中でも屈指の名シーンという感じ。

 役者さんの手柄ばかりでもない。
 映像的にも、さすがチャウ・シンチーと思わせるカットが満載です。
 川に落ちたおばちゃんと川の妖怪(つまり後の沙悟浄)が正面から対面してしまうカットの静謐な恐怖感など、大画面で子供が見たらトラウマになるのではないかというくらい怖い。
 「少林サッカー」のチャウ・シンチーの楽しい爆笑映画だと思って子供連れで観に行くと、トンデモ無い目に遭いかねない。

 ラストがくどいのはここ20年くらいの映画に共通の欠点。
 「はじまりのはじまり」っちゅうくらいで次があること前提なのだから、もうちょっとすっきり出来ないかなぁと思う。

 ところでこの続編にはホアン・ポもウェン・ジャンも出演しないそうだ(スー・チーさんは役割を終えているので仕方ないが)。
 天才はナニ考えてるのか判らん、、、
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at 01:18, 空中禁煙者, アジア

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「ドラッグ・ウォー 毒戦」 パクッたっていいんである(天才だから)

評価:
ワイ・ガーファイ,ヤウ・ナイホイ,リケール・チャン,ユ・スィ
¥ 4,100

  ジョニー・トーとは、「逸脱」の別名である。
 それはたとえば「PTU」などといったキッチリカッチリまとまった映画でも、「あまりにもキッチリカッチリまとめてしまったという方向への逸脱」が目的なのではないかと疑わせるくらい、常日頃から逸脱しまくっている。

 もちろん逸脱以外にもジョニー・トー監督の特徴はある。
 本作「毒戦」で言えば、気のいい「覚せい剤」密造職人と思われた「ろうあ」の兄弟が、一旦追い詰められると大量の銃器を操って、警察の特殊部隊とだろうが自分たちを裏切った密売人とだろうが激しい銃撃戦を繰り広げるとか。
 主人公の公安デカの部下にひとり絶世の美女がいるのだが、この女デカが美女であることに対するくすぐりは一切ない、とか。
 美女がひとり路上で撃たれてのたうち回っているのだが、極悪犯人が警察の注意を自分から逸らしてこの美女に向けさせるためにさらに一発この美女に撃ちこむ、とか。
 こういうハードボイルドな描写をヌケヌケとやってのけるのもまたジョニー・トーではあるのだが。

 では、今回の逸脱はどういうものなのか。どこに出ているのか。

 ジョニー・トー先生の逸脱ぶりは、今回、パクリまくり、と言う方向にでています。

 そもそも捕まえた密売人を寝返らせて潜入させる、と言うアイデアは、マット・ディロンとウィレム・デフォーの「インファナル・ディール 野蛮な正義」のパクリだろう。

 同じホテルに麻薬の売り手と買い手を集めて、主人公が売り手には買い手の、買い手には売り手のフリをして商談を進めてしまう、というのは「ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル」のパクリであって、コレは多分訴えられたら負けるレベル。

 さらにラストの銃撃戦は毎度おなじみ「HEAT」だろう。

 ヌケヌケと三つもパクッて堂々と自分にしか出来ない映画を作ってしまう。
 コレがジョニー・トー先生である。

 パクッたっていいんである。

 「じゃオマエはヒトの映画のパクリつなぎあわせてこんなおもしろ映画作れんのかよ」

 コレだ。
 もう、ヒトコトもない。
 恐れ入りました。

 もう、完全に凡人とは発想が違うのである。
 われわれ凡人はただ、天才の業績を追いかけるのみである。
JUGEMテーマ:映画

at 19:58, 空中禁煙者, アジア

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「殺人の告白」 Too MuchなK-ムービー

  氣志團の綾小路翔がDJオズマとしてデビューした頃、K−ポップの特徴を「Too Much感」と表現していた。普通ならそれだけで一曲作ってしまうようなアイデアが、二つも三つも詰め込まれていると言うのだ。
これは、そんな言葉を思い出させる「Too Much」なK−ムービー(今作った造語です)。

 17年前に時効になった連続殺人の犯人が名乗りでて、自伝を出版すればベストセラー、あまりの二枚目ぶりに熱狂的女性ファンが続出、一躍時代の寵児になったが、17年前、追跡中に犯人に口を切り裂かれた担当刑事は、この騒動をニガニガしい目で見ていた、、、
 と言うハナシ。

 取り敢えず、このアイデアは素晴らしい、と思った。一見、グダグダになりそうなこのプロットが、けっこうキレイに着地するのだ。
 「あ。ヤラレた、、、」という感じ。
 けっこうヒントは出していて、決してアンフェアではないのに、コロっとヤラれた。
 まあ、何度も書いてますが、ワタクシ空中さんは映画製作者の作戦には引っかかりやすいお手軽な脳ミソの持ち主なので、誰でも心地良くダマされるわけではない、と思いますが。

 告白者役のパク・シフの涼しげな二枚目ぶりも、刑事役のチェ・ジェヨンのしぶといデカ振りも良い。ドラマ部分の演出も、背後に絶望を湛えながらも(どうせ被害者は全員死んでいるのだ)緊迫感満ちていて見事。

 という訳で、これだけだったら「傑作!」と手放しで褒められるんだけどねぇ、、、

 なにが「Too Much」かというと、ところどころブチ込まれるアクションシーンがToo Muchです。
 もっとも、冒頭の、17年前にあと一歩のところでチェ・ジェヨンが犯人を取り逃がす追撃シーンの激しさには目を瞠った。
 このくらいならシリアスなドラマ部分に対するスパイスとして十分な出来である。

 問題は、中盤にある、被害者遺族が告白者を拉致しようとするシーンだろう。
 高速道路上で数台のクルマの上を行ったり来たりする遺族と犯人と警察三つ巴の戦いは、ジャッキー映画を超える激しさで、まあ、ここだけ意識してハッキリとスラップスティックコメディをやっている。
 17年前の連続殺人事件の被害者遺族たちは、犯人に対する復讐を果たすために、日頃から寄り集まって決意を新たにしている、という設定で、この遺族たちのシーンは全体的にコメディ風に作ってある。
 遺族たちをコメディ風に描く、と言うのもどうかと思うが、このシリアスなドラマに平然とコメディをブチ込んでくるToo Much感が、韓流というものなのだろう。ワタクシ空中さんは、正直言って違和感に困ったが。

 厳密に言うとおかしなところはある。殺人の時効は日本と同じく(当時)15年なのに、なぜ告白は17年後なのか、とか。コレはおそらくストーリー上の都合と犯人の事情がごっちゃになってしまっている。

 しかし、全体としてみると、圧倒的な「ヤラれた」感が味わえる(当社比)、サスペンス映画の佳品ではあります。
JUGEMテーマ:映画

at 20:41, 空中禁煙者, アジア

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「グランド・マスター」 アクションに興味が無いヒトが撮ったカンフー映画

 予備知識無しで「あ、またイップ・マンが題材の映画だ、、、」と思って観てしまった。「グランド・マスター」っちゅうくらいだから、もしかするとイップ・マン映画の決定版のツモリじゃなかろうか、なんて。なんか知らんけどなんとなくそう思った。

 が、オープニングクレジットを見て腰が砕けた。監督ウォン・カーウァイじゃん、、、
 ウォン・カーウァイと言えば、ワタクシ空中さんの苦手なオサレな恋愛映画のヒトではないか。カンフー映画が観れると思ったのに、、、(ワタクシ空中さんは「ら」抜き言葉を推進しています)。

 とは言うものの、実はこの映画にはカンフーシーンは結構ある。しかもそれぞれちゃんと長い。剰え、武術指導はユエン・ウーピンである。殺陣だってちゃんとしてる。
 にもかかわらず、面白くない。
 ゲンキンなものである。
 どんなにちゃんとしたカンフーアクションを演じても、監督がアクションに興味が無いと、ちゃんとつまらなくなる。

 そもそもこの映画、Wikipediaにまで「やがて最強の拳法家の地位を巡り、すさまじいクンフーの戦いが始まる。」などと書いてあるが、全然そういう映画ではない。
 じゃあナニをやっているかというと、詠春拳のイップ・マン(トニー・レオン)、八卦掌のゴン・ルオメイ(チャン・ツィイー)、八極拳の一線天(チャン・チェン)と言う三人の武道家の日中戦争による激動の時代を描いた歴史絵巻みたいな映画である。しかもゴン・ルオメイと一線天は仮名。
 まあ、一線天はそもそもレジスタンス内のコードネームだけど。

 さらに言えば、この三人の人生が深く絡み合うわけでもない。
 イップ・マンとゴン・ルオメイは「たった一度の手合わせで恋心を抱く」という、武術ものではよくある展開だが、イップ・マンと一線天の人生は全く関係がない。ゴン・ルオメイと一線天も互いに名も知らぬまま一瞬出会うだけ。
 要するに、なんで一線天の人生をこの映画にぶち込んできたのかよく解らない。
 恐らくモデルになった人物が香港で(中国でも?)人気があり、このヒトを描くと描かないじゃ映画の入りが全然違うとかそういう理由だろうが。

 要するに、最強の拳法家の地位を巡り、すさまじいクンフーの戦いが始まるんだろうなぁ、、、などと思って観ていると、ナニを観せられているのか判らないと言う事態になりかねない。

 とは言うものの、映像の美しさは特筆すべきだろう。
 特にチャン・ツィイー絡みのシーンは監督も気が入っているのか美しい。
 お互いの技を見せ合うためにイップ・マンと手合わせし、一瞬、顔と顔が触れそうなほど近づくカット一発で、観てる方は、「ああ、コリャ惚れるわな、、、」と思ってしまう。普通に考えて顔が近づいたからって惚れるわけはないんだが、コレが映画のマジックというものだろう。

 チャン・ツィイー演じるゴン・ルオメイが父親の仇と雨がそぼ降る長距離列車のホームで対決するシーンも、美しいしアイデアに満ちていてかろうじて興味を保てるといえば保てる。
 実際何故このシーンがアクションとしての迫力が無いのかは不思議でさえある。

 観るヒトによっては歴史絵巻もカンフーアクションも両方楽しめるオトクな映画な気もするが、ワタクシ空中さんは両方楽しめませんでした。チャン・ツィイーも乳出さないし。

 やっぱり観る前に監督の名前を確認するのは大事であることを再認識させられた映画でした。
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at 20:17, 空中禁煙者, アジア

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