smtwtfs
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< July 2020 >>
profile
recommend
マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
映画検索
カスタム検索
  
 
にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
★の数が意味するところ
★★★★★
生涯のベスト10を塗り替える勢い
★★★★
ブルーレイがでたら買うかも
★★★
観といて損はなかったかも
★★
別に観なくてもよかったかも

金はいいから時間返せ
bk1
new entries
categories
archives
recent comment
  • 「スパイダーマンTM3」  え?え?TMってナニ?
    空中禁煙者 (01/23)
  • 「スパイダーマンTM3」  え?え?TMってナニ?
    nk (01/22)
  • 「必殺始末人」 トシちゃん渾身の殺陣が堪能できる
    空中禁煙者 (07/04)
  • 「必殺始末人」 トシちゃん渾身の殺陣が堪能できる
    台湾人 (07/03)
  • 「必殺始末人」 トシちゃん渾身の殺陣が堪能できる
    空中禁煙者 (07/02)
  • 「必殺始末人」 トシちゃん渾身の殺陣が堪能できる
    台湾人 (07/01)
  • 「ザ・ライト エクソシストの真実」 コレで実話って言われてもなぁ、、、
    空中禁煙者 (06/29)
  • 「ザ・ライト エクソシストの真実」 コレで実話って言われてもなぁ、、、
    通りすがり (06/28)
  • 「ゼロの焦点」 中島みゆきのエンディング・テーマがビックリするくらい浮いている
    通りすがり☆ミ (12/08)
  • 「必殺始末人」 トシちゃん渾身の殺陣が堪能できる
    空中禁煙者 (06/03)
recent trackback
links
mobile
qrcode
others
無料ブログ作成サービス JUGEM
search this site.

「復活の日」 祝!(なのか?)リヴァイヴァル上映決定!

 

 小松左京が本作を執筆したのは1964年、東京オリンピックの年である。そして、56年後、二度目の東京オリンピックの年に我々はこの作品を思い出さざるを得ない状況にいる。
何というめぐり合わせであろうか。

 思い起こせば11年前、我々は「日本沈没」を思い出していた。そして今、「復活の日」を思い出している。
 次は何を思い出すのだろう。
「さよならジュピター」だろうか。
「虚無回廊」だろうか。
 まさか、「首都消失」ということは、、、

 そして、小松左京の「復活の日」はすぐれてメッセージ小説である。
 それはストーリーから離れて、突然「ヘルシンキ大学文明史担当、ユージン・スミルノフ教授最後のラジオ講義」として語られる。
 小説全体も終わり近くなってから突然挿入されるこのラジオ講義こそが、本作を通じて小松左京が訴えたかったことなのだと思う。
 わざわざココにしか出てこないキャラを作ってまで伝えたかった小松左京のメッセージとは、、、

 純粋科学の否定

 コレである。

 「復活の日」とはコレを言うための小説なのである。
 核兵器開発に関わったアインシュタインやフォン・ブラウンを引き合いに出して、「科学は哲学とともに歩むべきである」というのである。科学者は純粋な真理への探究心のみではなく、哲学者の意見を聞きながら研究しろ、というのだ。
 本書を読んだときワタクシ空中さんはいっぱしのSFマニア気取りの学生だったが、「こんなに生硬な形でメッセージを叩きつけてくるのか、、、」と戦慄すら覚えた記憶がある。

 このメッセージに対して、
「はぁ?ナニ言ってるの?このオジさん、、、」
と思うのは今が2020年だからである。
 「政治の季節」であった1964年においてはこの思想がそれなりのリアリティを持ったのである。
 今を生きる我々にこの言葉が全く響いてこないのは、今の科学者が純粋な真理の探求などではなく、資本家とともに歩み、資本家の意見を聞きながらしか研究しないと思っているからではないか。哲学者とともに歩んでもらうためには、まず、資本家と引き離さなければならない。
 思えば、「純粋科学の否定」というのは、まず、純粋科学に対する信頼を前提にしていることに気付かされる。

 ところがだがしかし。
 映画版の「復活の日」にはこのメッセージは登場しない。
 まあ、ラジオで大学教授が哲学を語っているだけ、などというシーンを映画でやってもしょうがない。
 コレは映画的には正解だろう。
「え?じゃメッセージ性は?」
と言うなかれ。
 「復活の日」には、他にも小松左京が投げ込んだ豪速球が2球もあり、映画版は2球ともちゃんと振っている。そのうち1球は見事に打ち返してさえいるのだ。

 とはいうものの、ホワイトハウスの大統領執務室のシーンと、南極上陸を巡って二隻の潜水艦が対決するシーンは、映画ならではの迫力に満ちていて、深作欣二監督と脚本の高田宏治の手柄だろう。

 アメリカ政府首脳の中でただ二人生き残った大統領(グレン・フォード)と上院議員(ロバート・ボーン)が、二人とも間近に迫った自らの死を確信しながら最後の会話を交わしている。その、自然な会話の中で、
「アレ?南極探検隊は生きてんじゃね?」
と二人同時に気づいて顔を見合わせるシーンには、初見のときは鳥肌が立った。
 名優二人の芝居も相俟って、
「ヒトがなにか重要なことに気づく瞬間とはこういうものか、、、」
と思わせる。 

 かと思うと、新たに設立された南極連邦の首脳会議中に、突然近海を航行中のロシアの潜水艦から交信が入る。
 船内に感染者が蔓延していて、上陸させてほしい、というのだ。
 当然拒否する南極連邦ではあったが、ロシア潜水艦も命がかかっている(と思っている)から無理やり上陸しようとしてくる。
 そこに突然割って入る第二の潜水艦からの交信。
「必要なら撃沈しますが?」
というのだ。
 ココからこの三つ巴の交渉が決着をみるまでの緊迫感はさすが深作欣二という感じ。
 なんか潜水艦絡みはライブラリー映像を使ってるような気がしなくもないが、とにかく編集でどうにかできちゃく深作の面目躍如の名シーンだと思う。

 とりあえず映画版の美点を指摘しておいて(疫病の災禍と戦う日本の医療現場のシーンで誰もマスクをしていないのは流石に今の目で見ると違和感があるが)。
 小松左京の豪速球の件ですが。

 まあ、世界で唯一生き残った南極の住民たちで今後の世界を作っていかなきゃいけないわけですけどね、問題は、その男女比であります。
 小説版ではオトコ10,000人対オンナ15人。
 映画版では850対8。
 小説版と映画版でなんでこんなに住人の数が違うのかちっともわからないが(16年で南極観測の規模が大きく変わったんだろうか)、いずれにしてもとんでもない男女の不均衡である。
 彼らは地球最後の人類であり、人類の未来は彼らにかかっているのである。
 当然、ここに「子孫繁栄」、だの「恋愛感情」だの、あまつさえ「性欲処理」などという問題が発生してくるのである。

 地獄である。

 しかし小松先生はこの問題にあっさり回答を与えてしまう。
 なんと、女性隊員たちはくじ引きで順番に男性隊員たちの相手をし、妊娠することを義務付けられ、女性隊員たちも基地内の平和と人類存続のために意外にあっさりこの条件を受け入れるのである。

 この展開は16年後に作られた映画版でも(人口の差はあれ)踏襲される。
 コレ、今じゃ無理じゃね?
 お笑い芸人が「可愛い子が風俗に来る」ことを期待する発言をしただけで大炎上する今の日本でこんな設定が可能なのだろうか。
 それとも「人類存続のためならしょうがなくね?」と言うハナシになるのだろうか。
 今の私はこの小松左京の豪速球を見逃すことしかできない。

 そしてもうひとつ。
 実を言うとなにしろ56年前の小説、40年前の映画なので、さすがにもうオチを書いてもいいだろうと思っていたのだが、なんと、このコロナ禍にあわせてリヴァイヴァル上映されることが決まったと言う。
 一応、オチに関わる最後の豪速球は、次のページで。
 しっかし「リヴァイヴァル上映」って懐かしい言葉だなぁ、、、
 映画界としても何年ぶりだろうか。

続きを読む >>

at 20:41, 空中禁煙者, 邦画

comments(0), -, pookmark

「ほんとにあった!呪いのビデオ 82」 KANEDA氏初見切れ?

 

 本作のとあるエピソードを観ていて、ハタと気づいたことがある。
 「ほん呪」シリーズは「呪いのビデオ」っちゅうくらいで呪いが映像化されているわけだが、たいていの場合、呪いの主体として人間の姿が顕在化される。たまに、音声だけとか、人間以外のものが映像として姿を表すこともあるが、ほとんどの場合、人間の姿をして現れる(多少、あるいは大幅に変形している場合が多いが)。
 しかるに、「ほん呪」シリーズを観ていて、その、顕在化された人体(まあ、亡霊とか言っても良い)の、亡くなった時代性、というものを意識したことがない。
 多くの場合は、中村氏のナレーションで「数年前、、、」とか「○○年前、、、」とか、比較的最近のその場所、その投稿者(かその関係者)に関する由来が語られるが、調査しても(あるいは調査なしの場合もある)因縁がわからない場合は、語られない場合もある。
 その場合、顕在化した呪いの主体としての人物が、亡くなった時代によっては、ヘアスタイルやファッションにかなりの差が出るはずである。
 例えば1960年だと平成令和では、特に男性のファッションが、女性以上に変わっている。
 端的に言ってピッピーファッションの幽霊とかいてもイイような気がするが、そういう霊は、じゃなかった例は見たことがない気がする。
 例えば落ち武者の幽霊、などというものも世間ではよく聞くが、「ほん呪」ではそういう時代モノも現れたことがないような気がする。
 
 コレは実は「幽霊とは何なのか」に関わる重大な問題のような気がする。
 なぜヒトは幽霊を見るのか。
 それは、今生きている人間の「記憶」と関係があるのかもしれない。
 
「ナイトサファリ」
 文字通りサファリパークの夜のツアー。
 暗闇の動物たちを写していると、体の一部がない飼育員が立っている。
 そして、その一部は別の場所に写っている。
 猛獣(ガオー!)→飼育員(恐る恐る)→体の一部(バクッ!)、と言う連想が効くところが面白いといえば面白いが、正直、体の一部の方は何度目を凝らしても見えない。
 
「佇む者」
 KANEDA氏は筒井康隆のファンかもしれない。
 それはそれとしてコレはちょっと面白い。
 ヘルメットにカメラを付けてバイクで延々と走る映像。
 雨の町並みを疾走するバイクのライダー目線で捉えてる映像だけでなかなかの迫力なのだが、挙句の果てにバイクごと転倒してしまうという、なかなか見ごたえのあるアクション風味の映像となっている。
 現象としては一度交差点にいたオンナがしばらく走った後の交差点にも、、、バイクより走ってきた、とでも言うのだろうか、、、というもの。
 オンナは例によって黒髪長髪白装束の貞子スタイル。
 多分、ショートカットだとオンナだとわからないからだろう。
 
「初日の出」
 冒頭の「幽霊の時代スタイル」はこのエピソードを見て思いました。
 出てくる「この世ならざるもの」が長髪真ん中分けのオトコで、サングラスをしていないみうらじゅん氏みたいなのだ。
 コレはアッ!と思った。
 その手があったか!!
 しかし、中村氏のナレーションは「数年前、この山の麓で、、、」とワタクシ空中さんの予想を冷たく打ち砕くのであった、、、
 
「何を呼ぶ」
 KANEDA氏はエピソードタイトルの付け方が変。
 彼女と温泉旅行に行って卓球してたら卓球室の窓の外に、、、
 というハナシ。
 正直、このエピソードは窓の外の映像より、音声と、のちの調査で判明するネット上の情報がメイン。
 窓の外の映像ほとんど見えないし。
 正直、あんなもん普通に見てて気づくわけない。
 そしてタイトルの「何を」が示すとおり、誰が、誰を、どちらに呼んでいるのか、よくわからない。
 
「マジシャン」
 ストリート・マジシャン、というのは初めて見た。
 このエピソードも、映像自体より
「後ほどこのマジシャンに映像を見せると急に怯えだした、、、、」
という後日談頼み。
 なぜマジシャンに映像を見せようと思ったのか、なぜストーカーが病死したと知っているのか、いろいろと謎は残るが中村氏のナレーションベースで解決。
 
「切断」
 外国モノ。
 ヨーロッパのとある国。
 まあ、オンナが這いずってくるわけですが。
 ナレーションで「近くの踏切で電車と自動車が衝突する事故があり、自動車を運転していた女性が投げ出され、、、」伝えられるが、踏切は写っておらず、どれくらいの距離があるかわからない。
 どれくらいの距離をああやって移動してきたのだろう。
 なんでそんなに移動する必要が有るのだろう。
 
 あと、このヒトは半透明。
 「この世ならざるもの」に半透明タイプと不透明タイプがいる理由についてもそのうち考察してみたい。
 
「静止する身体」
 今回の長編。
 コレはまたシンプルすぎて変なタイトル。
 
 投稿者は友人が引っ越したのというので新居に訪ねる(ふたりとも20代後半の女性)。
 投稿者はカメラを廻しながら新居のココがどーでアソコがどーなどというハナシをしているが、撮られた映像を見ると、部屋の中を撮っていたカメラが、しばらく友人に戻ったとき、友人が「話し声はフツーに聞こえているにも関わらず」友人は椅子の上で死んだように背にもたれかかり、斜め下を向いている。
 話し声と映像がまるで合っていない。
 
 コレだけだとちょっと不思議は不思議だが、別に「呪い」ってほどのことは無くね?とも思う。
 しかし、この後投稿者は件の友人を伴って『ほん呪」製作委員会にやってきて、並んで座ってインタビューを受けるのだが、このときのサブカメラの映像で、やはり友人に同じ現象が起こっている。
 サブカメラの映像だけ、新居での映像のように、友人が斜めしたを向いて死んだように動かなくなっている。 このときの様子を、メインカメラとサブカメラの映像を並べて再生する映像はなかなか迫力がある。
 投稿者は全く同じ動きをしているのに、サブカメラの友人だけ全く動かないのだ。
 
 で、ですね。
 数日後、友人の方から「投稿者が怪我をした」と言う連絡が入るのだが、このとき、ですね、何故か、新人演出補、中田亮くんのアップから入るのね。
 突然、何故か中田くんがアップで写っていると、画面の外で電話がかかってくる。で、「あくまで」画面の外でおそらくはKANEDA氏が出て会話している。そしてKANEDA氏から中田くんに、投稿者が怪我した旨伝えられる。
 
 ナニコレ。
 このときなんで中田くんをアップで撮ってたの?
 
 だいたい、KANEDA氏は「電話」を撮りたがる傾向にある。
 前巻でも謎のヒゲデブライター氏や、霊能力者のおねいさんにハナシを聞いている最中に電話がかかってくる、と言う演出を繰り返していた。
 臨場感を狙っているのかもしれないが、あんまり繰り返すと嘘くさいからヤメたほうがイイのではないか。
 今回も全然なんのつもりだか解らないし。
 
 この後、怪我をした二人(友人の方も軽傷ながら怪我をしている)を呼んでハナシを聞いた結果、投稿者が「勤務先の大学でおかしな目にあったことが有る」と言い出す。
 
 イヤイヤ、友人側の問題かと思ったら、投稿者側の問題なのかよ。
 
 結果、大学までロケに行くのだが、何も起こらない。
 しかし、何故か大学側から監視カメラ映像を借りるとそこには、、、というハナシ。
 
 一方では友人が頑なに新居にスタッフを入れるのを拒否するといういかにも怪しい言動もあり、もう、どこにフォーカスを当てればいいのかわからなくなってくる。
 正直、コレ、今後面白くなるの?という不安を残しつつ、次巻以降に続くのであった。
 
 まさか、監視カメラ映像に写り込んだ短髪短パンに何やら腰に巻いたチャラい人物がKANEDA氏である、とでも言うのだろうか、、、

JUGEMテーマ:ノンフィクショ

at 00:27, 空中禁煙者, 邦画

comments(0), -, pookmark

「ほんとにあった!呪いのビデオ81」 新体制だからっていくらなんでも変わりすぎ!

 

 過去にも何度か指摘してきしているが、この「ほん呪」シリーズ、「構成、演出」が代替わりするたびに、大きく作風が変わってきた。
 問題は「大きく」のところだろう。
 「ああ、変わったな、、、」とハッキリ思うが、もちろん変わってないところもある。
 一方で「ほん呪」シリーズは20年間(!)驚くべき一貫性を保持してもいるのだ。
 
 ひとつには第一巻から続く中村義洋氏のナレーションであることは間違いない。
 実は中村氏の「構成、演出」時代が終わったとき、当たり前のように別のナレーターを立てたことがあったのだが、結局中村氏に戻し、別のナレーターの分を録り直した、というくらい「ほん呪」シリーズには無くてはならない存在になっている。
 多分、ナレーションが中村氏じゃなかったら、我々はそれを「ほん呪」とは認められないのではないか。
 
 そしてもう一つ。
 「ほん呪」シリーズを20年もたせてきた最大の要因とは。
 ワタクシ空中さんは、おそらく「不可解な現象」や視聴者に対する真摯な態度だろう、と思っている。
 コレまで80巻を超える「ほん呪」を視聴する中で、一度も「あ、コイツらオレらのナメて作ってんな、、、」と思ったことがない。
 コレはスゴイことだ。
 20年でスタッフも何度も入れ替わっているのに、なぜこの真摯な態度が持続できるのだろう。
 結局の所、第一巻からシリーズを見守ってきた中村義洋氏の功績なのだろうか。
 それとも、画面や音声に登場しないので目立つ存在ではないが、シリーズ当初から「製作総指揮」で名を連ねている張江肇氏と鈴木ワタル(まあ、株式会社ブロードウェイの経営陣)の睨みが効いているのだろうか。
 
 今回、ここ数年来「ほん呪」シリーズのアイコンであった川居直美嬢がシリーズを離れ、新しくKANEDA氏が「構成、演出」になっている。
 果たしてKANEDA氏は「ほん呪」伝統の真摯な姿勢を継承できているのであろうか。
 
「ブラックバイト」
「実家に帰省した際両親と焼き肉に行った様子を撮影しようと思った」と言う割には両親より焼き網や肉ばかりが撮っている投稿者。
 化けてでる方も、なんでそんな熱そうなところに出るかなぁ、と思う。
 
「覗く女」
 エレベーターもの。
 オトコ四人組が、そのうち一人の住むビルの8階にエレベーターで登る途中、5階で可愛い女の子が待っていた、と言い出して、わざわざ5階まで戻って見に行く。さらに、既に5階にいなかったと言って、わざわざ1階まで降りてまで捜しに行く。
 この辺のコイツらの行動原理がよくわからない。
 そこにいたとしてどうするつもりなのか。
 ほとんど犯罪者集団ではないか。
 確かにちょっと可愛いけど。
 
 ここで一回、注意書きが入る。
 委員会に送られてきた投稿映像のうち、いくつかに同じような事象が認められた、というのだ。
 ああ、過去にも何回かあった「調べてみると根は同じ」by平岡夢明In「残穢」のパターンだな、と思う。
 このパターンはシリーズ外でも「残穢」もちろん古くは「ノロイ」から、シリーズでも55巻は全編コレだったし、そもそも前巻80巻の長編「縁恨」もこのパターンだったではないか。
 
「YouTuber」
 女子二人組のYouTuberが街頭インタビューをしていると、後ろのガラスに白い布を被った人影が、、、
 正直、気づくわけがないレベル。
 ちなみに、この二人組みのYoutuberはぐぐると実在する。
 が、どうも「ほん呪」のこの回用に事前にアップしだけ疑惑が有るようである。
 
「オバケ」
 身も蓋もないタイトルだが、夜の公園で酔っ払った二人組が撮った映像に白い布を被った人影が、、、
 
「オバケ2」
 KIKAと名乗る地下アイドルの地下ライブ。プロデューサーが撮影した動画の客席後ろに白い布を被った人影が、、、
 
「ノイズ」
 「オバケ2」の地下ライブ。よく聴くと音声にも異常が、、、
 
 つまり、ここまで連続して「白い布を被った人影」が登場するのだ。
 そして次のエピソードには「白い布を被った人影」が登場しないが、実は次のエピソードが大きな鍵になる。
 
「シリーズ監視カメラ 301号室」
 投稿者はマンションの管理人。隣の部屋の住人から夜中にうるさい、とクレームが入るが、301号室には誰も住んでいない。
 管理人は4日に渡って部屋の中にカメラを仕掛けたが、毎日4時20分になると押し入れのふすまがガタガタ鳴り出すのであった、、、
 中村氏も「ふすまが揺れているのが確認できる」と言っているのだが、だったら昼間のうちにふすま外しとけばよくね?と思うがどうか。
 
「気づいて」
 このエピソードは今回の「企画」とは関連がない。
 湖畔に有るような広い公園に来たカップル。
 男性の方が何かが気になりだす。
 やがて何かに導かれるよう、或るモノを発見するのだが、彼女のほうが撮影していたビデオをあとから確認すると、、、と言うハナシ。
 男性がなにかに気づき始めた時の視線と、写り込んこでいたものの位置が合ってないのが気になる。
 
「物置小屋」
 このエピソードも繋がりは無し。
 祖母の家に泊まった際、物置小屋から動物の鳴き声が聞こえるので、撮影しながら様子を見に行く投稿者。
 最初は猫の声らしきものが聞こえているのだが、投稿者が中にはいるとおっさんの声っぽくなるのが怖い。
 最終的に川俣軍司(ググってください)みたいなおっさんに会える。
 この後どうなったん?と思わざるをエない。
 
「301号室2」
 このエピソードですべてが繋がる。
 「シリーズ監視カメラ 301号室」では関係ないと思われた301号室に全てが集結してくるあたりのミステリー的展開は正直、ハラハラする。
 さらにYoutuberの一人とKIKAの関連に委員会が気づくあたりも、猟奇とミステリーが相俟った迫力がある。
 
 ははー、さすがにコレは気合が入ってるな、、、と思ったが、ラストの一本、エンドクレジットが出た後の、Wikipediaでいうところの「警告系(心身に悪影響を及ぼす恐れがあるので自己責任で観てくださいとのナレーションのあとカウントダウンが出る奴)」は、「ほん呪」の世界を破壊しかねないほどの危険を孕んでいる。
 正直、ちょっとやりすぎではないか。
 
 実を言うと今回、他にも「やりすぎでは?」と思われる要素がある。
 久々に外部の人間を呼んで意見を聞く、ということをしているのだ。
 とにかくすべての現象をフェイクだと言い張る謎の「フリーライター」(ヒゲメガネの男性)と、とある登場人物の「正体」を見破る有能な霊能力者(女性・なぜかどちらもポッチャリ系)だ。
 このネットの時代、名前を出したらすぐググられてしまい、ヒットしなければ疑われるだろう。
 疑われないまでも、なぜ20年も「ほん呪」やって来た委員会が、ググってヒットもしないような人物の意見を聞かなければならないのか、と言う疑問が生じる。
 
 全体の印象として、ハッキリ、真摯なドキュメンタリーからエンターテインメントに振ってきたな、と言う印象がある。
 
 20年同じクオリティで続いている、ということは、マンネリ化しているということでもある。
 多分、プロデュース側にはマンネリを崩したい、という意思もあるのだろう。
 果たしてこの交代劇が成功するかどうかは今後を見守りたい。
 過去に何度も「もうダメだ、、、」と思わせて復活してきたではないか。
 
 まさか、このやりすぎエピソード、KIKAに関するストーリーが、投稿者に二人も行方不明者をだしたままコレで終わり、とでも言うのだろうか、、、

JUGEMテーマ:ノンフィクショ

at 01:22, 空中禁煙者, 邦画

comments(0), -, pookmark

「新選組始末記」 GW新選組映画シリーズ第二夜

 

 子母澤寛の「新選組始末記」が原作だが、新選組隊士の中でも謎が多く陰影の深い人物、山崎烝に焦点を当てたストーリーになっている。
 脚本は本作の監督、三隅研次と主演、市川雷蔵のトリオで多く仕事をした星川清司。
 
 結果としては市川雷蔵のスター映画なんだと思う。
 近藤勇に惚れ込んで新選組に入ったそれこそ「爽やかな」剣士が、理想と違うドロドロした権謀術数の世界に悩みながらもどうしようもなく武士の世界に落ち込んでいく、という、三隅・雷蔵コンビの「剣」三部作とも共通するテーマで、雷蔵が脚本を読んで藤巻潤から奪い取っただけのことは有る。
 
 しかし本作も1963年のお正月映画であり、ある程度オールスター映画だったりもする。
 近藤勇は城健三郎(つまり後の若山富三郎先生)。
 土方歳三は天知茂。
 芹沢鴨が田崎潤。
 
 お気づきでしょうか。
 まぁ〜〜〜濃いです。
 雷蔵意外のキャストが異常に濃いヒトばっかり集めてます。
 雷蔵は白皙の美青年なので、正直、周囲のおっさんたちに押されてる感がある。
 
 市川雷蔵は剣豪役が多いが、爽やかな二枚目ぶりと、そこを逆手に取ったニヒルな役柄が剣豪イメージに合っているだけで、殺陣はそんなに上手くない。
 しかるに共演者たちはどうだろう。
 揃いも揃ってドギツい剣豪役者ばかりではないか。
 特に若山先生とは池田屋のシーンで刀を並べて戦うが、まあ、後に「子連れ狼」シリーズでコンビを組む三隅研次と若山先生のド迫力の殺陣の前では、華麗な殺陣でごまかしてきた雷蔵はいかにも分が悪い。
 
 新選組を辞めて自分と暮らしてほしいと望む許嫁の女医(藤村志保)への思慕と、近藤への尊敬との間で揺れ動く雷蔵を楽しむ映画であり、剣豪ぶりを楽しむ映画にはなっていない、ということだ(一応剣の達人の役なんだけどね)。
 
 三船プロの「新選組」と違い、土方歳三役の天知茂はハマり役。
 この頃から眉間にシワを寄せたしかめっ面一辺倒だが、冷徹な土方歳三にはピッタリ。
 
 しかし、この映画最大の衝撃は、雷蔵演じる山崎が刺客に命を狙われた際、たまたま一緒にいた許嫁の藤村志保が、山崎が資格を撃退したのち、延々と叫び始めるシーンだろう。
 危うく命が助かった訳だし、許嫁の雷蔵がなんという危険な仕事をしているのだろうと言う思いで錯乱するのは分かるが、「美人女優が」という視点から見ると普通はNGなレベル。
 脚本に「錯乱して叫ぶ」と書いてあっても普通ここまでやらないだろう。
 後に「切り株映画の巨匠」などと言われるようになる三隅研次監督の狂気を垣間見た思い。
 JUGEMテーマ:映画

at 01:21, 空中禁煙者, 邦画

comments(0), -, pookmark

「新選組」 三船プロ渾身のお正月娯楽大作映画

 

 

 三船プロ作品で三船敏郎制作で三船敏郎主演。
 要するに三船が自分で近藤勇をやりたかったのだろう。
 1969年作品
 
 当時の三船プロは時代劇映画の中心だったので、キャストは異様に豪華。
 土方歳三が小林桂樹。
 芹沢鴨が三國連太郎。
 沖田総司が北大路欣也。
 山南敬助が中村梅之助(「信濃のコロンボ」の中村梅雀のお父さん)。
 もう、キリがない感じ。
 
 女優陣も近藤勇の奥さんに司葉子。
 愛人の花魁に池内淳子。
 その妹が星由里子。
 芹沢鴨の愛人がワタクシ空中さんのヰタ・セクスアリス、野川由美子(エ、エロい、、、)。
 とコレまたキリがない。
 当時の三船プロの勢力を思い知らされる。
 
 監督は娯楽派職人監督の巨匠、沢島忠。
 脚本は松浦健郎。
 殺陣が久世竜。
 
 コレまたある意味盤石な布陣といっていいだろう。
 
 しかし、逆に言うと作家性の感じられない布陣とも言える。
 オールスター映画で娯楽派の巨匠。
 調べてみたら1970年のお正月映画だった。さもありなん。
 
 こういう映画って、その当時のヒトたちはスターたちの競演に熱狂しただろうけど、今の目で見るとあんまり面白くないパターンが多いよね。
 
 近藤と土方がまだ多摩にいるシーンから近藤の死まで、122分で駆け足感も一切の乱れもなく描ききる手腕はさすが。手練の仕事だなと言う感じ。
 沢島監督はシーンのド頭に爆発シーンを持ってくるとか、なんとか画面に変化をつけて厭きさせない。
 有名な、勘定方が使途不明金の責任を取らされて切腹する際、故郷からの仕送りを待つシーン。
 すでに手遅れになった故郷からの飛脚が雪の中、「開けてください!」と門を叩くシーンの美しさには悲しみと相俟って心を打たれる。
 
 しかし、この映画が映画史に残ったり、何度も観たくなったりする映画かと言うと、それは違う気がする。
 お正月休みに大ヒットして、観客は皆満足するが、もう一回観に行こうとは思わない(って言うか普通のヒトは同じ映画二回観ようと思わないのかもしれないけど、、、)。

 それは「作家性」と言うもののせいだろう。
 ヒトは作家性を感じるともう一回観たくなったりするものなのだ。
 そういう意味ではワタクシ空中さんは今ひとつノリ切れない映画では有る。
 
 多分、当時としてはメチャクチャなオールスターぶりだと思うが、正直言って「金の取れる演技」をしているのは三国連太郎だけではないか。
 芹沢鴨という弱さと苦悩を体現して余りある。
 
 せっかくどうしてもやりたかった近藤勇だが、三船はただ深刻ぶっているだけ。
 本当に深刻なシーンと、つかの間妻子の待つ日野の家に戻った時の深刻さでは差をつけているつもりだろうが、なんかどうでもいい感じ。
 
 いつも冷酷非情な「鬼の副長」役の小林桂樹も、いくら演技派とはいえキャラと合わなすぎる。
 北大路欣也の沖田総司も、当時は若手スターで爽やかな印象だったのは分かるが、「剣に爽やかに生きたい」と言うセリフはどうかと思う。
 ちょっと意味がわからないです。
 
 しかしワタクシ空中さんの最大の不満は、結局、沢島忠監督が、アクションには興味があっても殺陣に興味がなさそうな演出だからかもしれない。
 せっかくの久世竜なので、恐らくはちゃんと殺陣をつけているのだろうが、それをちゃんと映像に定着させる、という意識が希薄。
 池田屋騒動も階段落ちないし。
 暗くてなんだかわからないし。
 こういうところは三船がちゃんと意見してほしかったなぁ、、、と思う空中さんであった、、、、

JUGEMテーマ:映画

at 02:52, 空中禁煙者, 邦画

comments(0), -, pookmark

「ほんとにあった!呪いのビデオ 80」川居直美嬢最後の謎解き

 トンネルにまつわる怪談は昔からよくある。
 トンネルの通過性がこの世界と別の世界を結びつけやすいのだ。

 そして、ビデオも実は二つの世界を結びつけるデバイスとして機能しやすい事に気づいた。
 ビデオも(当然写真もだが)撮られた時空と映し出された時空を結びつけている。
 だから肉眼以上にビデオや写真に「不可解な現象」が映るのかもしれない。
 今回はそんなことを考えさせらた。

 

「海辺」
 まあ、磯辺に女性が仰向けに沈んでいる。
 ポーズからしてほとんどミレーの「オフィーリア」なのだが、頭部のアップになると顔はムンクの「叫び」。

 

「トンネル」
 人通りの少ないトンネルは全て心霊スポットである。
 トンネルとは「あちら」と「こちら」を結ぶ通路であり、ついつい彼岸と此岸を結んでしまうのだろう。
 しかし本エピソードでは、彼岸と此岸どころか時間と空間も飛び越えてしまう。
 しかもわざわざオトコ二人で心霊スポットまで来たのに、トンネルの真ん中あたりで片方が片方に「オマエ、オレの彼女と浮気してね?」とゲキ詰めし始める、と言う謎展開。
 もう、途中から何を見せられているのか分からない。

 一体全体日本全国にこういう「山奥で車が通れないような誰が使ってるんだか分からないトンネル」がどれくらい有るんだろう。

「見知らぬ女の子」
 投稿者は4歳になる娘がいる女性。
 投稿者自身が4歳のとき、観光地で母親が撮影したビデオに、投稿者と遊ぶ「見知らぬ女の子」が写っている。
 ところがその「見知らぬ女の子」は投稿者の娘に面影が似ており、名前も一緒なのだが、、、

 コレまた時空を超えるハナシ。
 このまま行くと投稿者の娘はいつか姿を消す、というのが論理的帰結だと思うが、そこまでは言及されない。

 

「水面」
 公園の池でボートに乗るハナシ。
 怪現象の前にボートが「ガツン!」となにかあたって止まる描写がうまい。それだけ。

「熱唱」
 カラオケボックスで熱唱中にそこにいるはずのないヒトが写っているハナシ。
 もう、何回アップで見せられても、何が写っているのか分からない。

「シリーズ監視カメラ 散乱
 万引が見つかって逃走中に車に轢かれて死んだ少年の霊、というのは明らかに「万引き家族」の影響ではあるまいか。
 商品を服の中にしまい込んだ少年が店内で突然消えてしまい、残された商品だけが空中でパッと散乱する、という視覚効果が面白い。

「積乱雲」
 積乱雲を面白がって撮影してたカップル。彼女にカメラを向けると彼女の肩から、、、

 たまに人物を後ろから撮ったら背中に張り付いて手の先だけ前に出している霊、というのはどうだろう。斬新ではないか。

「続・縁恨」
 前作のラストでの予告の通り、前作で紹介された事象と同じ現象が起きている投稿が二つ紹介される。
 つまり、「誰かの体の一部が消失しているが、なぜかその知り合いの誰かが不幸な目に遭う」と言う現象。

 一見、なんの繋がりもなさそうに見えた3件の投稿の、つながりが徐々にあたった見えてくるあたりはミステリーの謎解きのようで面白い。

 そして、全ての背後に隠れていた真相。
 これだけのことを起こしている(分かっているだけでも二人亡くなってけが人も数人)現象の原因としては、ちょっと弱いかなぁとも思うが、それなりの悲しみを湛えてもいる。

 そして、この辺の中途半端さが、川居・福田体制の限界なのかなぁ、という気もする。

 今回は、「水面」や「積乱雲」のような超定番のパターンと、「トンネル」、「見知らぬ女の子」、「シリーズ監視カメラ 散乱」のような斬新なパターンの差が激しい。
 どちらがどちらかわからないが、それが、川居、福田の二人体制、ということなのかもしれない。

 まさか、川居女史はこれで全てやりきったのうぉんたんになった、とでも言うのだろうか、、、

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 03:03, 空中禁煙者, 邦画

comments(0), -, pookmark

「ほんとにあった!呪いのビデオ 79」ほん呪ファンは「Replay」を待つ

 何でもいいんだけどさ、ひとつのエピソードを見始めるじゃん?ほん呪の。
 まあ、それなりに緊張して見てますよ。絶対、なんか「この世ならざるもの」が映るわけだし。
で、観てると、ですね、まあ、7,8割(8,9割?)は、「いつ映るかな〜、、、」と思ってると、突然
「Replay」
って出ますね。
 で、「え?もう出た?どこどこ?」ってなりますね。
 ややもすると、この「え?もう?」の瞬間の衝撃が、ほん呪の醍醐味、などと思ってしまう体質になってしまった自分が怖かったりする。
 この巻はそんなことを思いました。

「新幹線」
 電車の窓の外がトンネルで暗くなると、外側から手がへばりついている。
 窓に接触している指の腹がプルプル震えているのがリアル。
 トンネル工事関する曰くが中村氏から語られる。
 事象といい、曰くといい、79巻目にしてここに戻ってくるか、、、と言うくらいオーソドックスですな。
 ちなみにコレは「Replay」で「え?もう?」とはならない。

「ボルダリング」
 で、続いては「え?どこ?」の極み。
 よく「影が写って無かった」というのが「この世ならざるもの」の特徴として語られるが、コレは「影しかない」パターン。
 ボルダリング中の少女(小学校中学年くらい?)を父親が撮影している。
 自分の娘を撮った映像が「心霊動画」で、さらにそれをほん呪に送る父親の心境はいかばかりか。
 ボルダリングしてる少女に目が行って、壁の影に気が付かないよなぁ、、、

「タイ旅行」
 海外モノは怖かった試しがない。
 タイの寺院跡を撮っていると、「体の一部を失った」人物が写っている。
 中村氏は「(失われた体の一部を探し求めて)彷徨う姿である、とでも言うのだろうか、、、」と言うが、彷徨うというより、呑気に壁の段差に座り込んでいる。
 このヒトも半透明なので「え?もう?」状態。

「インターホン」
 あんな半透明な奴で横を通り過ぎる投稿者の目にも映らないような奴が、インターホンのボタンを押す、と言う物理的な力を持ちうるのかな、と思う。
 コレは半透明であるにも関わらず、結構初見で分かる。
 インターホンを推している「半透明な奴」は若い女性だが、アップになると腕とか顔とか傷だらけに見えるところが上手い。

「中古のテレビ」
 懐かしいテレビデオ。
 「いや、もうアナログ波映らないだろ」と思ったが、三色ケーブルで外部と繋いでいる。
 電源を切った瞬間、暗くなった画面に何かが写っている、というのだが、テレビデオの中のVHSテープなのか、ブラウン管なのか、繋いで映している映像なのか、電源を切ってしばらく経つと消えるのか、なにがなんだかサッパリ分からない。

「治療室」
 治療室、というか診察室の横の処置室みたいなところで、本当に簡単な手術をしている。
 何を考えて自分の治療風景を撮影しようと思うのかちっとも分からないが、どうも本当の病院で本当の処置をしているように見える。
 う〜ん、それともアレくらいフェイクで撮影出来るかなぁ、、、
 手術が痛かったのか、自分の足を写していたのに一瞬天井を写したスキに現れる、というありがちな手法が興ざめ。

「鉄板」
 単純にお好み焼き、と言っているが、広島風お好み焼き。
 とっても美味しそう。
 あんまり鉄板がキレイなので思いついたのかな。って「思いついた」って言っちゃダメだけど。

「縁恨」
 タイトルに注意、ですな。
 普通は「怨恨」であって、「縁恨」という言葉はない。
 今回のエピソード用に委員会が考えた造語だろう。
 そして、このタイトルだけで、このエピソードが今の委員会の好みの「人間関係ドロドロ系」であることは予想されるのであった、、、

 三人組地下アイドルのPVのメイキング映像。
 演出中の監督の体の一部が消失しているカットがあり(何故か「タイ旅行」と同じ部位)、プロデューサーが心配して委員会に相談に来る。

 いつからほん呪製作委員会は心霊現象の相談場所になったのか。
 二昔前は織田無道とか宜保愛子とか、霊能者的なヒトとかに頼んでたような気がするが、、、
 っていうかほん呪製作委員会がなにか解決したことってあったかなぁ、、、

 件の体の一部が消失していた監督は、特に心配されたようなことはなかったのだが、実は監督と昔から付き合いのあったスタッフの一人が亡くなっている。
 ここでは

人体の一部が消失している映像が撮られる→何故かその知り合いが不幸に遭う

という図式を覚えておこう。

 

 その後件の監督が、亡くなったスタッフの開拓したヒトの縁を次々と奪っていた、と言う証言が出てきて、「縁喰い」などという耳慣れない言葉で表現されたりするが、このハナシは実はそんなに発展しません。

 

 そして、ラストで、川居嬢から
「全く関係のないヒトから同じような現象が複数投稿されている」
ということが発表されて、唐突に終わる。
 正直、この時点ではどうするつもりなのか全く分からない。

 まさか、次回川居体制のラストに向けてもったいぶっている、とでも言うのだろうか、、、

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 03:35, 空中禁煙者, 邦画

comments(0), -, pookmark

「人斬り」後の「女の情念」映画に至る以前の「オトコの情念」映画

「日本映画講義 時代劇編」の復習シリーズ第二弾。

映画史的には五社英雄によるフジテレビ制作劇場用映画シリーズ(「御用金」に続く)第二弾。

そしてワタクシ空中さん的には、「五社英雄のチャンバラ演出について考える」シリーズ第二弾でもある。
「世間では評判がいいらしい五社英雄のチャンバラ演出が、なぜ、ワタクシ空中さんには面白くなく感じるのか」

「人斬り」は一種の「剣豪映画」であって、「御用金」より大量にいわゆる剣豪が出てくる。したがってチャンバラもいっぱいある。五社英雄とチャンバラについて考えるにはうってつけなのである。

で、ですね。
やっぱダメでしたね。
映画としては面白いんだけど、チャンバラだけ取り出すと、全然面白くない。
もう、分かった。
オレと五社演出は合わない。
やっぱ五社英雄って「鬼龍院花子の生涯」のヒトじゃね?
女の情念じゃね?

冒頭から凄惨な惨殺シーンの連続である。
主役である、カツシン演じる岡田以蔵がまだ、ヒトを殺す前、師匠の武市半平太に「まず、見ていろ」、と命じられて同じ土佐勤王党の仲間が土佐藩の重鎮を三人がかりで惨殺するシーン。
あやめも分かたぬ土砂降りのなかで繰り広げられるこのシーンは、確かに迫力がある。恐ろしいと言っても良い。
でも、そういうもんじゃない。

結局、チャンバラって何なんだろう。

多分、五社英雄とワタクシ空中さんでは、「剣豪」という存在の解釈が違うのだろうと思う。
五社英雄にとって剣豪とは、「力が強くて素早いヒト」であるように思える。
要するに身体能力に優れたヒト、だ。

しかしワタクシ空中さんにとって剣豪とは、「剣の修行を積んだヒト」である。
剣の修行を積んだヒトとはつまり「○○流」や「△△流」の型というものが身についているヒトのことで、何らかの洗練の果に編み出された型というものは、自ずとある程度美しい筈、と言うのがワタクシ空中さんの考えなのである。

「日本映画講義 時代劇編」のテーマは、「様式美ばかりが強調された舞のような殺陣が黒澤によって破壊されて以降を扱う」だった。しかし、「様式美ばかりが強調された舞のような殺陣」を否定することは、「剣術」を否定することではなかった筈だ。

「用心棒」の冒頭、有名なジェリー藤尾の腕が「落ちる」シーン。
まさにこの瞬間、チャンバラ映画の歴史が変わったのであり、町山氏や春日氏のいう、様式美が破壊され、チャンバラというものがリアルなものへと変貌した瞬間なのだが、この、ジェリー藤尾の「腕落ち」に至る一連の殺陣の始まり、三船は刀を右手で「逆手」に抜いて振り上げる途中で順手に持ち変えた後、袈裟懸けに切りつけている。コレは現代にまで残る剣術「香取神道流」の型であり、殺陣師の久世竜が香取神道流の師範を呼んで三船を指導させたらしい。ちなみにこの「型」はちゃあんと両方(「用心棒」の当該シーンも香取神道流の型も)Youtubeで確認できる。便利な世の中になったものである。

正直言って三船の冒頭の居合が、伝統ある剣術の型に則っていることなど、あまりに自然で、あまりにも素早いこともあり、映画館で一回観ただけでは気づかないだろう。
でも、そうなのである。
そうでなければならない。
なぜなら、だからこそ美しく、だからこそ恐ろしいのだ(ちなみにワタクシ空中さんが大好きな若山富三郎先生も天真正伝自源流という居合術の有段者だそうです。

ちゃんとした剣術に即した動きから生まれる美しさと恐ろしさ。
コレこそが殺陣の面白さを支えているのであり、チャンバラが、ちゃんと剣術の修行をしたであろう武士たちの戦いである以上、剣術に倣った殺陣を見せることこそが「リアリティ」というものではないのか。剣術に倣った動き=様式美、では無いはずである。
と、言うのが、ワタクシ空中さんのチャンバラ活劇の面白さの解釈なのである。

しかるに、ですね。
五社英雄はここに興味ないよね。

「人斬り」の主人公岡田以蔵を演じるのは勝新太郎である。
カツシンはそういう「剣術に則った華麗な殺陣」が出来るヒトである。イヤ、出来るどころか、「座頭市」シリーズを見れば一目瞭然、当時の名人の一人だろう。

しかし、五社英雄監督はカツシンの名人芸を徹底的に封じて、五社英雄監督の考える「迫力のある殺陣」に拘り続ける。首にあたった刀を、相手の刀が押し返そうとする力に逆らって押し込む、といった、華麗さと無縁な、無骨な、力任せのヒト殺しを強調する。
そう、コレは刀による勝負ではなく、ヒト殺しである。
五社英雄監督には、剣術などというものは生っちょろく、要はヒト殺しじゃねーか、と言いたいかのようである。事実、とっても痛そう。

ただ、岡田以蔵のライバルにして親友、薩摩の人斬り、田中新兵衛をなんと、三島由紀夫が演じていて、流石にこの三島の存在感が五社英雄世界に楔を打ち込んではいる。

この時の三島由紀夫の演技は、以前の役者としての仕事(「からっ風野郎」と「憂国」)に比べて格段に上手くなったと評判だったらしいが、正直、巧いとも魅力的とも思わなかった。
しかし、問題の切腹シーン、の緊張感と動きの華麗さには腰が抜けた。
武市の罠にかけられ、殺人現場から自らの刀が発見されたと聞き、その刀をしげしげと見つめる田中新兵衛。 あっと思うまもなくその刀を抜いて取調べ中に切腹してしまうのだが、全く表情に表さないにもかかわらず、すでに言い逃れが聞かないこと、自らの迂闊さから罠にかけらた絶望を、華麗な動きだけで表現している(ちょっと大げさかな)。
こういう「異物」のせいで、映画全体の深みが増していて、あえて「異物」をそのままにした五社英雄は、懐の深い演出家だったのだな、と思わざるを得ない。

そうだ。
映画「人斬り」のハナシだった。

前作「御用金」のヒットを受けて、前作以上にキャストが豪華。豪華だけど、ごった煮感がすごい。
一応芝居のできる仲代達矢や山本圭、芝居よりも存在感と魅力の裕次郎、とんでもない異物としての三島由紀夫。
これらごった煮なかで、カツシンの巧さだけが際立っている。
カツシンだけが人斬り以蔵を生きている。
裕次郎や仲代はカツシンと組むと自分が損をすることに気づいていただろうか。
カツシンがいると、よほど全体の演技プランをコントロールしないと、カツシンを観るだけの映画になってしまう。
その辺、五社英雄は分かっていたのだろうか。
多分、ラッシュを観て、気づいてはいたが、そのまま「カツシンの映画」にしてしまったのだろう。
五社英雄監督と言えば、後の「女の情念」を描いた映画であり、全体として、コレは「愛してやまなかったオトコに裏切られたオトコの情念」を描いた映画だからだ。
幕末を現代(当時)の世相と重ね合わせた映画のように見せて、実は、愛する一人のオトコに死ぬまで振り回された悲しいオトコの情念を描いた映画だったなぁ、と言うのが、観終わって一番の感想でした、、、

ところで例によって日本版のDVDがなく、フランス製です。
日本用のプレーヤーでは観れないと思います。

JUGEMテーマ:映画

at 00:49, 空中禁煙者, 邦画

comments(0), -, pookmark

「御用金」 日本よりも海外で評価されているらしい

 「日本映画講義 時代劇編」のせいでチャンバラづいてる。
同書で扱われている映画監督中でやや苦手な五社英雄作品。
タイミングよく時代劇専門チャンネルでやっていたの観てみました。

五社英雄が苦手なのは、昔「雲霧仁左衛門」、「闇狩人」「十手舞」(W)などを観たときに、「ああ、このヒト、チャンバラが好きじゃないんだな、、、」と思ったから。
しかし、世の中では五社英雄はチャンバラ描写においてもそれなりに評価されているように思える。
なにしろ出発点からしてテレビ時代劇の「三匹の侍」である。
この時の殺陣にかんして、Wikipediaでは

>刀と刀がぶつかる金属音や、刀を振った時の風の音、人が斬られる時の肉が裂ける音が付けられた。
>映画のようなカメラワークやロケが望めないテレビ時代劇において迫力のある立ち回りを演出するため工夫されたこうした「効果音」の演出は、
>五社が初めて時代劇で編み出したものであった。

となっている。
う〜ん、、、
微妙、、、

コレは殺陣にまつわる「効果音」のハナシであって、殺陣の動きそのものではない。
イキナリ結論めいたことを言ってしまうと、おそらく、刀を使ったアクションには興味があり、そのリアリティや迫力を追求するのには熱心だったが、いわゆる殺陣の美しさや「チャンバラ」の面白さには興味がなかったのではなかろうか。
ココは微妙な違いだが、ワタクシ空中さんにとってはとても重要だったりする。

で、「御用金」ですが。

まず、ストーリーの面白さに感心する。
「御用金」というタイトルから、恐らくは幕府の御用金を盗もうとする側と守ろうとする側の戦いになるのではないか、という予想はあっという間に裏切られる。
ファーストシーンは、5年ぶりに奉公先から海辺の村に戻ってきた娘が、村が完全に無人になっていることを知る、という、はなはだ不穏なもの。
クドい位のカラスの使い方がイヤが上にも不安をかき立てるが、「御用金」となんの関係があるのかはサッパリ分からない。
「ああ、この映画の展開はは通り一遍のありがちなものじゃないぞ」
と思わせるに充分なオープニング。

原作のない映画オリジナルの脚本としては画期的、というか、映画というものがまだなにかのサブジャンルに堕ちる前、娯楽の王様だった時代の残滓を感じさせるではないか(ちょっと大げさかな、、、)。
ちなみにこのストーリーは町山氏の言う通りその後の角川映画「野性の証明」の元ネタだろう。
「野性の証明」はもともと森村誠一氏が角川春樹に請われて映画用に考えたストーリーで、「御用金」のほぼ10年後である。森村誠一氏はマジメな性格なので、もしかすると角川春樹の入れ知恵かな、という気もしないでもない(勝手なこと言ってますが)。

その後のストーリーでも大きな役割を果たす唯一の生き残りの村娘に浅丘ルリ子。
前にも書いたがワタクシ空中さんが物心ついた頃にはお浅丘ルリ子と言えば「やたら頬骨の出たキツそうなオバハン」になっていたが、昔のアキラ映画を見るとこの世のものとも思われないほど可愛さ、まさに人間界に迷い込んだ妖精かと思うほどの可憐さだが、この頃はちょうどその中間点、妖精からキツそうなオバハンへの過渡期であり、ちゃあんと「可憐なキツそうなオバハン」の役になっている。

その後の主人公の仲代達矢の登場シーンに至っても、御用金がどう絡んでくるのか全くわからない。
さらに言えばこの「剣豪が三味線を弾く女芸人と組んで大道芸をしている」という設定は、「必殺仕業人」の中村敦夫のモデルだろう。
イロイロなところに影響を与えている映画なのだな、と思う。
この三味線弾きの女の狂的なノリと、この女の裾を開いてむき出しの膝の上に載せた魚を居合で切ってみせる、という趣向が、いかにもエロとグロでならした五社英雄演出の面目躍如。

このあとも徐々に真相を小出しにしつつ、仲代達矢が江戸から鯖井藩(越前鯖井藩をモデルにした架空の藩)まで旅をする過程でイロイロ起こる展開が巧い。
五社英雄と田坂啓の脚本だがどっちのストーリーなんだろる、、、
普通こういうときは脚本が本業のヒトのオリジナルストーリーで監督は自分の作品用に脚色している場合が多いものだが、このあと五社英雄は原作付きの脚本が多くなるので、やはりストーリーは田坂啓なのだろう。

そして雪の鯖井(ロケ地は下北半島)に近づくにつれ、画面の美しさにも目を奪われる。
ラストの夜の岬で櫓がボンボン燃え盛るなかでの活劇など、炎の照明だけで撮っているのかと思わせる臨場感あふれる、それでいて陰影の深い映像など、なんだかそれだけでドキドキする。

で、肝心のチャンバラですが、、、
せっかくもうひとり剣豪役で萬屋錦ちゃんまで呼んでいるんだが、どうも殺陣の魅力に訴える演出に乏しい。
迫力のある活劇では有るんだが、チャンバラとしては面白くない。
コレが五社英雄なのだろう。

あとコレはあくまでワタクシ空中さんの感想だが、主役が仲代達矢と言うのが、映画としての魅力に乏しい。 なんかもう、辛気臭いだけで、その魅力で映画一本支える、というタイプじゃない気がする。

このハナシも何度も書いている気がするが、俳優さんには人気のあるマネーメイキングスターと演技のうまいアクターがいる。
マネーメイキングスターはクリント・イーストウッドやジャッキー・チェンの様に何を演ってもクリ様、何を演ってもジャッキー、が許されるが、アクターはいつもその役にふさわしい演技をしなければならない。
仲代達矢はアクターのくせに何を演っても仲代達矢、という気がする。

五社英雄はこのあと何本も時代劇を作るが、やがて宮尾登美子三部作のような「女の情念」を描く映画にシフトしていく。
やっぱりそっちが本領だったんだろうな、と思うワタクシ空中さんであった。

ところでこの映画、国内版のDVDがなく、Amazonにはアメリカ版しかない(その名も「GOYOKIN」)。

 リージョンコードが違うので、国内用のDVDプレーヤーでは再生できません
どうなってんの東宝さん。

JUGEMテーマ:映画

at 01:13, 空中禁煙者, 邦画

comments(0), -, pookmark

「翔んで埼玉」 全埼玉が泣いた。

 もう、40年近くになろうとしている。
 タモリが「ダサいたま」という言葉をはやらせてから、幾星霜。埼玉県民は謂れの無い(有るんだけど)差別に苦しんでいたはずである。
 そんな、長きに亘る差別の歴史に遂に終止符を打つ時が来た。
 いよいよ埼玉県民の逆襲が始まる。
 
 コレはそんな映画です。
 
 まず、驚いたのは、今年45歳のGACKTが高校生を演じることが、途中から不自然でなくなってきたこと。
 二階堂ふみの高校生はまだいい。
 まだいいが、この映画での二階堂ふみは男子役である。
 最初は男装の女子かと思っていたが、どうやら二階堂ふみに男子高校生の役を演らせている。
 中年ロッカーと美人女優が「男子高校生(しかもカップル)」って大丈夫なん?と誰もが思うだろうが、ワタクシ空中さんのような魔夜峰央オールドファンは、途中から
「ああ、この二人(GACKTと二階堂ふみ)はバンコランとマライヒだな、気づく。
 その瞬間からGACKTの高校生が気にならなくなる。
 魔夜峰央マジックというべきか。
 
 さらにマライヒ役を二階堂ふみに無理やり演じさせることによって、ボーイズラブに嫌悪感を感じる層にもなんとか受け入れられるものにするという仕掛けも見事。コレは武内監督のマジックの手柄と言っていいだろう。 武内英樹監督は「テルマエ・ロマエ」でもいくつかこういうマジックを見せていた。
 いや、思えば「テルマエ・ロマエ」は日本人にローマ人を(ある程度)違和感なく演じさせるというとんでもないマジックを成し遂げていたっけ。
 
 映画は徹底的にサイタマ県民が徹底的に差別される世界を描くことで始まる。
 その、徹底的なデフォルメで笑わせるが、この映画の眼目は後半、差別されることに慣れ切ったサイタマ県民をGACKTがオルグするシーンだろう。
 そう、この映画は革命に関する映画なのだ。
 
 GACKTがこれまでいかにサイタマ県民が虐げられてきたか切々と語るシーンでは、サイタマ県民は多分泣くと思う。そして
 
 革 命 を 起 こ さ ざ る を 得 な く な る と 思 う 。
 
 我々都民は今後サイタマ県民による復讐におびえながら暮らさざるを得ないのだろう。
 南北戦争以来アメリカの白人が黒人による復讐におびえながら暮らしているように。
 
 この映画の主要部分、つまりGACKTと二階堂ふみがの革命のハナシは、実はとあるサイタマ県民の一家が車で移動中、NACK5から聞こえてくる「都市伝説」として語られる。
 サイタマ県民がサイタマ県民による革命の物語を都市伝説として聞いている、という構図である。
 この一家が小柳トム、麻生久美子の夫婦とその子供のぱるる。
 映画はこの一家の車移動と、「都市伝説」を交互に描く。
 やがて一家の長であり生粋のサイタマ県民である小柳トムは、ラジオから聞こえてくる「都市伝説」に感動し号泣し始めるのだが、その娘である以上やはり生粋のサイタマ県民であるはずのぱるるは(母親の麻生久美子は千葉県民の設定)、徹底して冷淡である。
 差別するほうもされるほうも徹底的にアホなことをやっている世界で、ぱるるだけは冷静にツッコミを入れ続けている。
 つまり、ぱるるだけが映画世界に対して「塩対応」なのである。
 
 コレも巧いと思った。
 まさにぱるるにぴったりの役ではないか。
 
 そして映画の前半、観客はあまりのバカバカしさにぱるるに感情移入するのだが、やがてぱるるの冷静さが不思議にすら思えてくる。
「オマエそれでもサイタマ県民か」
などと思ってしまう。

 実をいうとワタクシ空中さんはこの「現実部分」と「都市伝説部分」をどうやって接合させるのかな、と思って固唾を飲んで見守っていた。
 が、武内監督、残念ながらこの接合には失敗したようだ。
 
 都市伝説部分で埼玉千葉群馬東京を巻き込んで大騒ぎしているのに、仮にこれが現実だった場合、現実世界に知られていないわけがない。
 ラストカットでのGACKTと二階堂ふみは年取っていないのだから、昔のハナシという言い訳もできない。 ただ、野合させただけになってしまっている。
 
 作品世界に対して外側からツッコミを入れ続けるという工夫は一般映画として有効だと思うだけに、ここは残念。

JUGEMテーマ:映画

at 00:56, 空中禁煙者, 邦画

comments(0), -, pookmark