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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「ほんとにあった!呪いのビデオ 69」 川居さんイジりも大概にしないと辞められちゃうよ、、、

「火葬場」
 だからわざわざ深夜の火葬場(しかも廃墟)に行くなっていうのに、、、

 

 投稿者たちが火葬場を探検中に「別の場所で肝試し中」(バカばっかりなんかコイツの仲間内)から電話がかかってくる、というフックがあるが、たいして利いてない。

 

 で、結局予想どおりのところから、ほぼ予想通りのモノが出てきます。
 撮影者と対象物の間をふさぐ位置に立っていた人物がどくと映り込む、というカメラワークが気になる。
 普通にカメラ振ったら映り込む、でええんちゃうの?
 なんか「鶴田法男風カメラワーク」を誤解してる幽霊がいるような気がする。

「消える」
 だからきちんと分別されていなかったからって、フツーの主婦がゴミ袋開けてわざわざHI-8のビデオテープ再生すんなよ(よく再生できたな)、、、
 んでもって多少変なもんが映ってたからってほん呪製作委員会に送ってくんなよ、、、

 

 とは言うものの、菊池カントク得意の「ヤヴァい系」の映像ではある。

 

 家族四人がちゃぶ台を囲んで正座してキチンと座っている。
 最初はマジメくさって誰も口をきかないが、やがて四人ともゲラゲラ笑い出す(何がおかしくて笑っているのかは全く分からない)。
 そして、笑いながら、ひとり、またひとりと消えていなくなる。
 誰かがいなくなっても残った者はかまわず笑っている。

 

 テープが出されたあたりでは、昔空襲が有っただの老夫婦が立ち退かなかっただの、グダグダ取材を入れているが一切無意味だからヤメレばいいのに。

「砂浜」
 砂浜の砂の上に次々現れる「子供の足跡」が、ホントに砂の上に刻まれているように見えないばかりか、形もヘン。
 それだけ。

 

「シリーズ監視カメラ マンション」
 監視カメラを観る立場にあった投稿者と、映っている少女が幼なじみ、という関係性が、うまく接合しない。
 階段→階上の外廊下、と、徐々に登ってきてる感は良いと思うので、そこを掘り下げればよかったのに、、、

 

「雛人形」
 投稿者の先輩が夫婦(!)で防空壕を探検(よせばいいのに、、、)すると、奥に10段飾りくらいの豪華な雛人形があり、そのお内裏様とお雛様には「首がなかった」。
 その後夫婦は不幸な目に会い、委員会が現地に調査に赴くと、雛飾りはすでになくなっていた、、、

 これだけでいいと思うんだけどな。

 

 なんで余計な「不可解なもの」が映り込んでいないと気がすまないのだろうか。
 まあ、目を見開いて大口開けて覗き込んでくる顔はちょっと面白かったけど。

 

「指輪」
 側溝に指輪を落としてしまったので、側溝の中に自撮り棒でスマホを突っ込んで撮影するハナシ。
 側溝の中の映像より、蓋にある手を入れる用の切掛けから覗く目がリアルで良い。
 コレは多分ほんとにヒトが入ってる。

 

 今回の中ではコレが一番良い。

 

「禁忌」
 今回も、菊池カントクの「探検趣味」が大々的に展開されてはいるが、、、

 要は「ムサカリ絵馬」用写真の撮影を頼まれたカメラマンから、依頼人の名前と住所を聞くわけね。
 で、突撃するわけ。

 まあ、この突撃シーンはどんなヤヴァいシーンが観られるかと期待したんだけどなぁ、、、
 アレで十分ヤヴァい、と判断したんだろうねぇ、、、

 

 突撃するにあたって、くだんの依頼人、平塚家(仮名)の次男の同級生だった、という人物を見つけて、このヒトに協力を頼むのね。
 昔の同級生として平塚家(仮名)に訪ねていって欲しい、その際にスタッフも同級生と言う体で同行させて欲しい、と。
 で、誰が同行するか、の会議。

 

阿草「僕と熊倉くんは一回見られちゃってるんで、、、」
菊池「じゃあ川居さんかぁ」
阿草「え?ん?同級生ですよね?(熊倉に)いくつだっけ?」
熊倉「27です」
阿草「27ですよね、、、、、、、、、、、、、、、、」
川居「(阿草を睨む)」
菊池「無理?」
川居「(阿草を睨む)」
阿草「いえ、あの、、、、、、、、、、、、、、」
川居「(阿草を睨む)」

 

 まあ、笑いどころもないとね。

 結局、最近表に出なかった森澤を引っ張り出して事なきを得ます。

 

 このハナシは結局どういうことだったのかちっとも明かされないんだが、結局、こういうことでしょ?

 

 平塚家には二人の男子がいたが、長男は幼くしてなくなってしまう。
 その後次男は成長して結婚するが、今度は夫婦ふたりして交通事故で亡くなってしまう。
 その後、子供をふたりとも亡くし、精神のバランスを崩した母親は、「長男が隙間から覗いている」と言う妄想にかられる。

 

 つまり、幼くして亡くなった長男の霊魂は、それまで別になんとも思っていなかったが、弟が奥さん連れで冥界にやってきたため、羨ましくなってしまったのだろう。
 そこで、母親にせめて「ムカサリ絵馬」の製作を頼むのである。

 

 まあ、結局、発端となった女性の撮影を依頼に来た「生きているのか死んでいるのか分からないオトコ」の正体は解らないが、長男の死霊、としか解釈しようがないだろう。

 

 「冥婚」だの「ムカサリ絵馬」だの魅力的なネタを繰り出してきた割には尻切れトンボ感が異常。

 

 「禁忌」が着地しそこねたせいで、全体としてハナハダ不調と言わざるを得ない。
 ここ数作にあった「ヤヴァい系の映像」が無いのがイタい。

 まさか、本作で一番ヤヴァいのは川居女史の年増いじりだ、とでも言うのだろうか、、、

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 21:32, 空中禁煙者, 邦画

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「虎影」 SUSHI TYHOONの残党×清野菜名ちゃん(となればよかったんだけど、、、)。

 今となっては懐かしい気すらする「SUSHI TYHOON」一味だった西村喜廣カントク作。「ヘルドライバー」の頃よりはダイブまともになっているが、マジのアクションとかギャグとかグロとかのバランスが取れず、てんでに混在しちゃってる印象なのは相変わらず。

 

 かつて「最強の忍者」と言われながら今は抜忍となって妻子と平和に暮らす虎影。
 しかしかつてのお頭が
「この任務をこなせるのは虎影だけ!」
とか言い出したからさあ大変、と言うハナシ。

 

 西村喜廣カントクというヒトは、グロいイメージを考え出す才能はすごいと思う。
 今回も「目無し」や津田寛治のメイク、「壺女」などのイメージは素晴らしい。
 しかしアクションは大してキレてないし、ギャグに至ってはことごとく外している。
 やっぱり特殊メーキャップや「残酷効果」(西村カントクの造語)に徹して、監督業には手を出さないほうがいいような、、、

 

 今回も何がイカンと言って、工藤工がちっとも「最強の忍者」に見えないトコロがイカん。
 虎影の奥さんにして同じく抜忍である「月影」役の芳賀優里亜ちゃんのほうがよっぽど堂々とアクションしてる。仮面ライダー以来ある程度「アタシはアクション女優よ!」と言う自覚があるのだろう。
 しかも「最強」と言いながら、敵役(と言っても「エースのジョー」的なポジション)の鬼卍(三元雅芸)と鬼十字(清野菜名)のコンビにアッサリ負けてしまい、なんか腰砕けである。
 一方ココでも「真のアクション女優」である清野菜名ちゃんを活かしきっていない。
 もう、何を考えているのかわからない、というか、そもそも「痛快忍者活劇」的なものを作ろうという気はないんだろうな、という気がする。

 

 なんか、自分のビザールな感性を披露するために、カネの集めやすい「忍者」(本作は「伊賀の里 忍者映画祭」の記念映画なのである)とか言うフォーマットを利用してるつもりなんだろう。

 で、初盤からちょくちょくネタは振っていたのがだ、ラストは「この後『仮面の忍者 赤影』になりますよ」と言って終わる。
 イヤイヤイヤ。
 白影はオンナじゃねーし。
 それにあの仮面、超強力な磁力を帯びてたんじゃねーの?
 この後ずっとあれ顔につけてたら顔に金属が集まってきて不便じゃねーの?

 

 伊賀野市の皆さん、次はぜひとも千葉誠治監督に出資してあげてください。

JUGEMテーマ:映画

at 20:24, 空中禁煙者, 邦画

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「日本で一番悪い奴ら」 痛快警官ピカレスク・ロマン(実在モデルあり)

 「凶悪」の成功で、「あ、オレって実録モノじゃん!」と思ったであろう白石和彌監督の3作目。

 とは言うものの、同じ犯罪実録モノでも、一応だいぶ雰囲気は変えてきている。
 「凶悪」がサイコホラーだとしたら、「日本で一番悪い奴ら」はピカレスク・ロマンなのだ。
 映画が世の中に与える影響として良いことか悪いことは別にして、この映画の中盤までは、確かに悪漢が世の中を出し抜いて成功していく痛快さがある。イヤイヤイヤ、警官が世の中出し抜いてどうするよ!というツッコミも込みで。

 

 東直己氏の著作でも散々語られてきた北海道県県警における「日本警察史上最悪の不祥事」、稲葉事件を、張本人の稲葉圭昭自身が著した本が原作。

 

 綾野剛はワタクシ空中さん的には「新宿スワン」以来のハマリ役。やっぱり綾野剛には単純バカが似合う。

 柔道しか能のなかった若者が、先輩刑事に仕込まれて、ある意味「正義のため」と信じて悪事に手を染めていく。やがて金やオンナ、そして友情(コレ重要)に溺れ、正義と悪の区別がつかなくなっていく、、、

 就職当時の筋肉バカな感じから、チョーシに乗ってイケイケな感じ、さらには破滅感まで、一人のオトコの様々な局面を演じきって間然とするところがない綾野剛の振り切れっぷりは気持ちいいほど。

 

 演技陣では他にデニスの行雄ちゃんがトンデモ無いリアリティで中村獅童やピエール瀧を超えているのが目につく。ホント、得な外見だなぁ、、、

 

 ただ、演出面であまり映画的な興奮を感じるシーンが無かったのは残念。
 特に、道警への怒りを表現したいのか、官僚主義の弊害を描きたいのか、人間の持つ普遍的な愚かしさを描きたいのか、ハッキリしない(もちろんそのどれでもない可能性もある)。
 その辺の腰の座らなさと、綾野剛のハマり方のせいで、必然的にピカレスク・ロマンになってしまうのだと思うワタクシ空中さんであった。

JUGEMテーマ:映画

at 21:36, 空中禁煙者, 邦画

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「怒り」 この原作を映画化することの難しさから逃げている

 映画はまず、殺人事件の現場検証から始まる。

 

 そして唐突に、東京、千葉、沖縄の三カ所に現れた、3人の素性の知れないオトコ達と、その周辺ののヒトビトの人生を描き出す。

 

 テンションの高いエリートサラリーマンではあるが、ゲイであることを隠そうともしない妻夫木聡が引っ掛けた翳のある青年綾野剛。

 

 家出中に歌舞伎町の風俗店で働いてボロボロになっている娘、宮崎あおいを救い出した父親、渡辺謙のトコロで最近働き出した松山ケンイチ。

 

 身持ちが悪くオトコと問題を起こした母親と沖縄に逃げてきた広瀬すずが、家の近くの無人島で出会った森山未來。

 

 映画はこの三人の周辺を並行して描き、観客は

「ああ、この三人の中の1人が冒頭の殺人事件の犯人なんだな、、、」

と判っていく仕組みになっている。

 

 3人のウチの1人が犯人なら、残りの二人はなんなんだと言うことになるが、コレは

「犯人に間違われたヒト」

である。

 コレもまたひとつの殺人事件に狂わされた人生ということだろう。

 

 で、ですね、この3つのストーリーを平行して描く手腕に、ホトホト関心しましたね。
 ちょっと「クラウド アトラス」を思い出した。
 セリフや効果音のぶら下がりを多用して別の空間に飛ぶ。
 それぞれのストーリーのちょっとした共通項を媒介にして(帽子とか)ジャンプする。

 

 どれかひとつのカットでもひっこ抜くとガラガラと音を立てて崩れ落ちそうなほど精緻な構造物であるかのように、微塵も乱れること無く3つのストーリーを描ききった手腕には恐れ入った。

 

 役者の演技を引き出したという意味でもスゴい。
 渡辺謙のような超大物や、松山ケンイチ、森山未來といったクセ者俳優のみならず、広瀬すずやオキナワの少年のような新人まで、リアリティのない演技をしている奴が1人もいないのだ。

 宮崎あおいが出ると、だいたい宮崎あおいの巧さだけが目立ってあとは目立たなくなる気がするが、それすら感じさせない。

 

 巷間ブッキーの熱いゲイっぷりが話題になっているが、ブッキーは元々コレくらい出来るだろう。
 それより池脇千鶴の堂に入ったおばさんぶりと、ラストにワンシーンだけ出てくる高畑充希の繊細な芝居に舌を巻いた。

 

 と、さんざん持ち上げたので、安心して苦言を呈しますが、この映画はほぼ致命的と言ってもいい構造上の欠陥を抱えてるのね。
 世の中には読んで面白かったからと言って映画にしてはいけない小説もあるわけで、このハナシは優れた小説になったとしても映画にしてはいけない、っていうかほんらい映画にはならないハナシだと思う。

 

 日本の3ヶ所で繰り広げられる、良い話ではあるが比較的地味なハナシを観客が興味を持って観ていられるのは、3人のうち誰が犯人なのかと言う興味で引っ張られているからだろう。
 従って、この映画は構造的に誰が犯人であるかは最後まで伏せられていなくてはならないのだ。
 小説であればコレを隠すのは簡単だが、映画で役者演じるとなると、コレは格段に難しくなる。

 

 犯行シーンで犯人の顔をカメラワークでごまかしているのはいい。コレは映画として当然の手法だ。
 しかし整形手術後の防犯カメラ映像やモンタージュ写真になるともうイケない。

 

 ネタバレになるので3人の素性の知れないオトコを演じる役者を記号化してA,B,Cとすると、防犯カメラ映像はA、モンタージュ写真はBの役者を使っていて、犯人は実はCが演じるオトコなのである。
 つまり映像を使って観客をミスリードしている。
 コレはダメなのではないか。

 

 細かいことを言うと、防犯カメラの映像はAの周辺の人物が、モンタージュはBの周辺の人物がそれぞれテレビを通して知る、と言うカタチで提示される。

 コレはつまり犯人はA(B)なのではないか、不安に思っている人物の目にはA(B)に見えるものだ、という演出のようにも思える。

 もし、Aが防犯カメラの映像を演じる時、監督に「なぜ犯人じゃない僕がこのシーンを演じるんですか?」と訊いたとしたら、そんなようなことを言ってそうな気がする。

 

 しかしそれならそれで、A、B、C三人でそれぞれ防犯カメラのシーンを撮っておいて、それぞれの周辺の人物がA、B、Cによる防犯カメラ映像を見る、という演出もありえたのでないか。

 当然、モンタージュ写真も同じことをすればいい(つかコレ、ネタバレになってね?)。

 

 さらに言えば、この映画は犯人の内面を描くことが許されない。犯罪者にふさわしい内実など描いてしまえばすぐに誰が犯人がわかってしまうからだ。
 しかるにこの映画のタイトルは「怒り」であり、犯行現場には「怒」の文字が血文字で残されていた。
 犯人の怒りが重要なテーマであることは明らかなのだが、何にそんなに怒っているかは、「構造的に」描くことが許されない。
 コレを「吉田修一の『怒り』」の映画化、として発表するのはマズイのではないか。

 

 李相日監督の作品に関しては、前作「許されざる者」に関しても「コレは映画にしちゃダメなんじゃ、、、」と思った。
イーストウッド作品にしても、吉田修一作品にしても、観て(読んで)感動したから映画にしていいというものではない。或いは無理そうなものを敢えて映画化するなら相当な工夫が必要なはずである。

 

 描写力がトンデモ無いレベルに達しているのにとても残念。「悪人」の成功で錬成な判断力を失っているのでは無いことを望みます。

JUGEMテーマ:映画

at 01:32, 空中禁煙者, 邦画

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「真田十勇士」 「舞台は役者のモノ」理論を映画にまで敷衍しちゃダメ

 くどいようだが、堤幸彦というのは、「悪ふざけをカネの取れる芸にまで高めたヒト」であって、逆に言うとそれ以外は出来ない(やってもロクなもんにならない)ヒトでもある。
 実際にはイロイロやっているが、正直言ってどれもロクなもんじゃない。

 従って、売れているからと言って堤カントクにまかせておけば痛快時代劇になるほど世の中甘くないのである。

 

 一応アクション「コメディ」でもあるので、オープニングから観るものをして
「アレ?オレ間違ってアニメ映画見始めちゃったかな?」
と不安になるほど延々とアニメ映像を見せて絶妙のタイミングで
「本作はアニメ作品ではありません」
とテロップを出すなど、それなりに超弩級の悪フザケをブッ込んでもいるのだが、やはり、まず、痛快時代劇であることが先にたつので、いかにも中途半端なものにならざるを得ない。

 

 提カントク主導の提作品がまず「芸としての悪フザケ」を提示するためにあるとすれば、中途半端なこの映画はなんのためにあるのかというと、おそらくは、
「中村勘九郎が父親と同じように歌舞伎に囚われない『軽み(かろみ)』を身につけている」
事を証明するためにあるとしか思えない。
 スタッフ・キャスト一同そんな事に付き合わされてご苦労様としか言いようがないが、金払って観せられた方もなかなかツラい。。

 

 こういうことはワリと舞台でありそうな気がする。
 舞台のほうが予算規模が少ないし。
 興行価値全体の比率の中で役者が占める割合多そうだし。
 いわゆる「映画は監督のモノ、ドラマは脚本家のモノ、舞台は役者のモノ」理論である。
 舞台を観に来るのは中村勘九郎のファンだらけとお言うこともありうるが、映画じゃそうは行かないのよ。それとも全国何百ヶ所の映画館を同時に一日何回も埋めるほど自分のファンがいると思ってるんだろうか。

 

 舞台を映画化する際はくれぐれも気をつけていただきたいというハナシであった。

JUGEMテーマ:映画

at 20:14, 空中禁煙者, 邦画

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「ほんとあった!呪いのビデオ 68」 すでに安定の禍々しさで菊池宣秀カントクの本領発揮。

 世間では(と言ってもネット界隈ですが)、菊池宣秀カントクの評価は低い。
 まぁ〜〜、低い。
 びっくりするくらい低い。
 しかし、実はワタクシ空中さんは、少なくとも60巻以降の「探検好き」などの強烈な個性を発揮しだしてからの菊池作品はけっこう楽しみだったりする。
 それは取りも直さず、長編ものが好きで短編はあんまり感心するものがない、ということなのだが、世間的にはどうも特に長編作品の評判が悪いようで、、、

 

「置き傘」
 どう考えても忘れ物の傘であって「置き傘」というのはオカシイ。

 ファーストフードの店員が、雨が振りそうなので店にあった傘を持って帰ったトコロ、案の定雨が降り出したので差してみたら、、、と言うハナシ。
 死んだヒトの霊が何かに宿るにしても、忘れていった傘に、というのはどうなのだろう。
 従来の「呪い」の概念を大きく逸脱していて、リアリティがない。

 

「花束」
 母親が公園で遊ぶ娘を撮影していたら、娘がいつの間にか花束を持っている。
「その花束どうしたの?」
と聞くと、なんと道端に「供えてあった」花瓶から持ってきたという。
 供えてあった現場には何十年も前、傷痍軍人さんが暮らしていた家(棲み着いていた廃墟?)があったというのだが、、、

 何十年経っても花を供えていたヒトがいたのだろうか。
 姿を現す傷痍軍人さんの目的もよく解らない。

 

「ホテル」
 廃墟モノ。
 しかも廃ホテル。
 廃病院と廃ホテルには100%何かが出るんだと思う。

 被写体(撮影者の友人)が歩く廊下に直交する廊下から上半身だけ出して寝転がっている、と言うのが斬新。
 いったいそこでなにがあったの?

 

「クリスマス」
 26年前のクリスマスに、少年だった投稿者の家のパーティー(まあ、投稿者と弟と母親だけですが)を映した映像。
 投稿者の弟とよく遊んでいた、継母に虐待されて餓死した少女とその母親らしき姿が、わざわざ他所の家に姿を現す。
 弟と仲の良かった少女はともかく、母親らしきオンナは誰なのか。
 まさか餓死させた継母ではないだろう。少女の父親が再婚した理由はわからないが、実の母親も亡くなっているということなのだろう。
 なんとなく、亡くなっている少女の実母は投稿者の弟のことは知らないような気がする。
 いずれにしろ、いきなりそんなもんにクリスマスパーティーに来られても困る。トンだ逆恨みである。継母のところに出ればいいのに。

 

「シリーズ監視カメラ 灯台」
 ノイズもの。
 各エピソードの最後に「(ノイズもの)」と記して置いてくれればトバして観れるのに。

 

「洗車機」
 ヒトが乗ったまま通過する洗車機の中の映像。
 後部座席の子供を映す何回目かのカットに、不可解なモノが写っている。
 中村氏は「四つん這いの少女」と言うが、後部座席に座った子供を見つめる目といい、小動物に襲いかかろうとするネコ科の生き物のようである。
 事故車らしいが、なぜ洗車機の中なのか、なぜ四つん這いなのか、全然解らない。

 

「禁忌 中編」
 あー、もう、メンド臭いな。
 一応前回のまとめ。

 

‥蟾銅圓陵Э揚幡女史(どちらも20代後半女性)の部屋での女子会の映像に、徐々にふすまを開けて覗く「不可解なもの」が写っていた。
△修谿瞥菷幡女史はスキマを怖がるようになり、部屋中のスキマに目張りをして引き籠るようになる。
スタッフは八幡女史に会いに行き、その際近所での聞き込みで、八幡女史の部屋の様子を伺う、「生きているのか死んでいるの分からない雰囲気の男性」がいたことを知る。
と幡女史周辺の聞き込みで、女史の大学時代の先輩(男)が、知り合いのカメラマンに「20代後半の清楚で処女っぽいオンナの写真はないか」と訊かれ、本人に無断で女子の写真とプロフィールを渡していた(し、シドい先輩、、、)。
ゥ薀好箸波幡女子が自殺未遂を起こした旨の報告。

 

 こんなもんか。
 で、今回は、ですね、途中「後ろで聞こえる謎のオンナの声が似ている」などとしごく薄弱な理由で中国方面に飛んで、「冥婚」などという、概念が提示されますが、コレはおそらく今回のメインネタである、「ムカサリ絵馬」にジャンプするためのカタパルトでしょう。
 要するにい能个討た写真はムカサリ絵馬に使うためのものではないか、と。

 

 ムカサリ絵馬とは東北地方に残る風習で、未婚のまま亡くなったモノの霊を慰めるために、死者と結婚相手の婚礼衣装を着せた絵馬を奉納する、と言うものだが、最近は(!)写真が使われる事が多い、と。

 

 つまり、冥婚→アジア全般、ムカサリ絵馬→日本(東北)と言う図式だが、冥婚の時点で、

 

 死者同士を結婚させたい。
 ↓
 そう都合よく同時期に亡くなるヒトがいない。
 ↓
 死体を勝手に調達してきちゃう。
 ↓
 メンド臭いからいっそ死体を、、、

 

と言う流れが提示されており、コレはどうも、ヤヴァイ話になりそうだぞ、、、と思わせるに十分な展開なのである。

 製作委員会はムカサリ絵馬に詳しい民俗学者に電話で話を聞き(このシーンはナレーションレベルに落とさず、民俗学者のハナシを延々と電話で聞く川居尚美嬢のアップが楽しめるサービスカットになってます)、民俗学者の知り合いに、ムカサリ絵馬の実態を撮影したビデオを送ってもらう約束をする。

  で、このビデオが収録されているわけですが、、、

 

 コレはダメでしょ。
 絶対ダメなレベル。
 コレはよく言って自殺幇助、普通に考えて殺人の現場が写っているビデオである。
 ナレーションでは「この女性は1年後に発狂して死んだ」とか言ってるけど、なんかの言い訳にすぎない。

 

 もう、八幡女史関連の本筋なんてどうでもいい。
 このビデオの最後にチラッと出てくる「不可解な出来事」なんて心底どうでもいい(例によって無い方がいい)。
 とっととこのビデオを追いかけろと言いたい。

 

 おそらく、菊池カントクはある時期から「怖い」をあきらめ、「ヤヴァイ」にシフトしたのだろう。
 私見では61巻でボケ担当演出補増本に人形の腑分けを命じたあたりから、菊池カントクの言動はもとより、「ほん呪」全体の傾向が「怖く」なくなり、なにか「ヤヴァイ」「禍々しい」モノへと変質して来たようなきがする。

 当然、本来「ほん呪」で追求すべき、「心霊映像」を求める視聴者(こちらが正しい態度なのだが)からはそっぽを向かれる、と言う結果になっている。

 

 実際、ワタクシ空中さんの目から観ても、「不可解なもの」の部分が蛇足であり、無い方がいいものが多くなっているのだ。

 しかしワタクシ空中さんは菊池カントクのこの方向性をある程度評価する。
 どうもネットでの評価を見るとワタクシ空中さんだけのような気もするが、なんとかヤヴァい、禍々しいモノを見つけては作品にして欲しいと思う。
 いや、いっそ「ほん呪」は諦めて、そっち方面の新シリーズに移行すべき、という気もするが、それをやると多分失敗するんだろうなぁ、、、

 

 まさか、「27〜Twenty Seven〜」で語られた菊池カントクの壮絶な過去が現在の作風に影響している、とでも言うのだろうか、、、

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at 19:54, 空中禁煙者, 邦画

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「シン・ゴジラ」 虚構は現実を駆逐する。

 古来より、怪獣映画の主人公をどこに置くかというのは、製作者たちのアタマを悩ませてきた問題ではある。

 例えば。

 

1.主人公である以上、ヒーローっぽい職業で無くてはならない。
2.怪獣をめぐる騒動を最初から最後まで目撃できる立場で無くてはならない。
3.多少はロマンスなんかも期待できる立ち位置であって欲しい。

 

などの条件を満たすべきである、と考えられてきたが、実はコレはかなり難しいのだ。

 

 ウルトラシリーズのように怪獣の襲来が日常的である世界では、怪獣対策の専門家、と言う職業を措定し、そこに主人公を置いてしまえば上記1.〜3.の条件を簡単に満たせるが、単発作品である映画では、「怪獣対策の専門家がいる世界」をいきなり措定するのはなかなか難しい。釈由美子の奴とかあったけど、まあ、子供向けか、怪獣映画ヲタ向けにならざるを得ない。

 

 しかるに本作はどうであろうか。
 こともあろうに主人公は「当選二期目の若手国会議員」である。
 ナンだそれは。
 上記の3条件を、ことごとく、徹底的に無視してかかっている。

 

 コレはつまりコレまでの60年余に及び培われてきた怪獣映画の文脈をアッサリと破棄するということであろう。

 いや、庵野氏はもっと大胆に、自らを「未だかつて一度も怪獣映画を観たことがない人間」「怪獣映画が存在しない世界で初めて怪獣映画を作ろうとしている人間」として措定し、その上でもう一度「怪獣映画とは何か」を構想する、と言う思考実験をしているのだ。

 

 本作は、そのような意味で、ゴジラ第一作のオマージュたり得ているのだろう。
 ゴジラ第一作の製作者たちも、当然「怪獣映画が存在しない世界で、初めて怪獣映画を作ろうと」したヒト達な訳だ。

 

 実を言うと、「未だかつて一度も怪獣映画を観がコトがない人間」がゴジラ映画を作る、と言う試みは、過去にも一度ある。
 北村龍平の「ゴジラ・ファイナル・ウォーズ」だ。
 コレは現実に北村龍平自身が「怪獣映画を一度も観たことがない」と言う事実によって実現されている。
 しかし、「怪獣映画を一度も観たことがない人間」が、なんとか観たこともない怪獣映画になんとか寄せようとする、と言うなんとも中途半端な結果になってしまい、やはり、ムチャなコンセプトを実現するためには、本人の自覚が大事なのだな、と思わせる。

 

 本作は一応、庵野秀明脚本・総監督、樋口真嗣監督、ということになっているが、実際に受ける印象では、庵野秀明氏が通常の怪獣映画における監督、樋口真嗣氏は特技監督という位置づけだったのではないかと思わせる。

 映画の冒頭から、とにかく大量の情報を伝えるために登場人物全員がやたら早口に喋りまくって演技もクソもない、というコンセプチュアルな演出は、いかにも庵野秀明の自信を伺わせるではないか。

 

 ただ、同じ樋口真嗣氏の演出になる「進撃の巨人」に続いて登場の、石原さとみのすっ頓狂な芝居だけが、樋口真嗣らしさを感じさせる。

 

 主人公を危機管理意識の高い国会議員にして、彼を「巨大不明生物特設災害対策本部(略して『巨災対』)」を組織させる、というのは、庵野秀明氏の思考実験の結果得られた最大限「リアル」な設定なのだろう。
 前半のリアルな設定と展開は、登場人物全員が無意味かつ無機的に早口、という演出さえ飲み込んでしまえば、素晴らしい。
 時折差し込まれる3.11の幻影とともに、観るものを「破滅の予感」に打ち震わせる。

 

 そう、この映画は、通常の怪獣映画のような「蕩尽の快感」より、「破滅の恐怖」に振れていると言う意味でも、オリジナルゴジラに近い。

 しかし、破滅して終わり、というわけにも行かないのも、映画の宿命である。
 主人公もせっかく「巨災対」を作ったし、やっぱ対策しなきゃならないのだ。
 まあ、ココから映画は急にリアルさを失い始めるのは仕方のないところか。

 

 アイデア満載のゴジラ対策も、素晴らしいものもあれば、ほぼ、笑っちゃうものもある。
 高層ビルを使ったアイデアは、素晴らしいと思った。ちょっと村上龍の「半島を出よ」を思い出す。
 しかし、電車を使ったアイデアは、「オマエ『○○線○○』言いたいだけちゃうんか」というようなもんである。

 

 なにしろ「現実対虚構」である。
 現実が負けて徐々に虚構に侵食されていく様を描いた映画として、間然とするところがないと思うのでありました。

JUGEMテーマ:映画

at 01:11, 空中禁煙者, 邦画

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「クリーピー 偽りの隣人」 隣人や 昭和も遠くに なりにけり

 黒沢清は「メジャーな原作を(ちょっと黒沢清風の味付けをして)手堅く映像化する監督」になってしまったんだろうか。
 西島秀俊と香川照之のコンビというのも
「ホラホラ、あの『ダブル・フェイス』の、『MOZU』のコンビですよ」
とでもいいたげなプロデューサーの顔が目に浮かぶし、なんとなく、黒沢清が自分で「撮りたいっ」と思って撮ることにした企画じゃない臭が漂う。

 

 元刑事で犯罪心理学を教える大学教授(というのもどうかと思うが)西島秀俊が、大学の同僚に言われて興味を持ち調べていた「一家三人失踪」事件(娘が1人残っている)に、刑事時代の部下(東出昌大)も興味を持っていた。
 大学の同僚、元の部下と三人でその事件を調べていると、
「アレ?コレって最近ウチの近所で起きてるトラブルと似てね?」

と言うハナシ。

 

 この、「アレ?コレって、、、」の部分は、過去の事件の謎さ加減もあってスゴく面白い。
 最初は誰も気がつかないが、観客には一目瞭然、以前の事件の家の並びが、西島秀俊の現在の立地とそっくりなところとか、ゾクゾクする(よく見つけたなぁ、、、)。
 そして、元部下の東出昌大が、いつの間にか行方不明になっていたことを知らされるあたりまでは、「ア、コレ、傑作、、、」と思ったのだが、、、

 

残念ながら、後半ドンドンドンドンドンドングダグダになっていきます。
 前半からチラチラその存在を示唆されていた、地下室の全容が明らかになったあたりで、もう、残念極まりない脱力感を味わう事になる。

 イヤイヤイヤイヤイヤ、いつこんな広大な防音装置付きの地下室作ったのよ。
 コレ、一回上モノ取っ払って工事しなきゃダメでしょ。
 それとも元々地下室のある家を狙ってるの?
 前の家にも地下室はあったの?

 

 あと香川照之が使ってるクスリはなんなの?シャブなの?ヘロインなの?
 香川照之はどうやって手に入れてるの?
 過去に香川照之に支配されてきたヒトビトは、クスリの虜になっただけなの?それとも香川照之になんらかのカリスマ性があるの?

 

 全く納得行かない。

 

 あと、ココは肝心なところだと思うが、西島秀俊の妻(竹内結子)が、西島秀俊に何らかの不満を持っている描写を入れておいてくれないと、あんなに香川照之を気味悪がっていた竹内結子が、アッサリ軍門に下っていることがあまりにも唐突である。

 

 これら全てを納得させられる演技を香川照之がしていればいいのだが、今、この手のファナティックな役をヤラせればダントツに巧い香川照之で無理なら、やっぱり誰でも無理なんだと思う。

 

 アレほど周到に事を進めてきた香川照之がラストに取る行動も唐突にアホすぎるし、もう、ある時点からこの映画は完全に崩壊しているのだ。

 

 ずいぶん昔のハナシだが、崔洋一監督は金子修介監督の「ガメラ2 レギオン襲来」を評して
「日本人の外国人恐怖はよく描けてる」
と言っていた。
 このでんでいえば、「クリーピー 偽りの隣人」は現代人の隣人恐怖を描いているのだろう。

 

 親の代から隣人同士、味噌醤油の貸し借りをしていた時代は既に遠く、現代では戸建て住宅でも隣がナニをしているのか全く分からないし、分かりたくもない。出来れば全く没交渉に過ごしたいが、そんなときこそ「今こそ地域コミュニティの復活を」などと叫ぶ奴がいたりして、もう、鬱陶しくてしょうがないのである。
 この映画でも問題の香川照之の家を挟んだもう一軒隣の主は、引っ越しの挨拶に行っても近所付き合いを明白に拒んでくる。そしてこの家はこの映画の中で特に問題のある家ではないのだ。

 

 つまりはそういうことだろう。
 別にちっとも関係を持ちたくはないが、好むと好まざるとにかかわらず、関係を持たざるを得なくなる(こともある)隣人と言う存在自体が、現代人にとって恐怖の的なのだ。

 その辺を描こうとしたのだとすれば、香川照之の「理不尽な設定の不気味さ」も、理解出来そうな気もする。

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at 01:27, 空中禁煙者, 邦画

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「誘拐報道」 役者が実話を乗り越える瞬間

 ここのところ、日韓の誘拐映画を観たので、日本の誘拐映画の決定版を観たくなり鑑賞。

 

 1983年作品。
 監督は「女囚さそり」シリーズの演出が先鋭的すぎて干されていた伊藤俊也。本作一発で状況を逆転。一躍好きな映画が撮れるようになったという。

 

 原作は読売新聞大阪本社社会部編のドキュメンタリーであり、つまりバリバリの実話。
 1980年に起こった事件を1982年にまとめて出版、1年後に映画化されている。
 ワタクシ空中さんは原作を未読だが、「誘拐報道」と言うタイトルからしても、おそらくは読売新聞大阪支社の面々が主体のハナシであろう。

 

 しかし伊藤俊也の狙いはそこにはない。
 原作を使わせてもらった義理があるので、いちおう読売新聞大阪支社の活躍は描かれている(しかもかなり良いように)。

 

 が、それは半分にすぎない。
 残りの半分の時間をかけて、伊藤俊也はじっくりと犯人とその家族を描いている。

 

 犯人に萩原健一。
 事情を知らず右往左往する妻に小柳ルミ子。
 娘に当時7歳の高橋かおり(コレがデビュー作)。
 母親に「日本のおばあちゃん」賀原夏子。

 

 小柳ルミ子の美しさ、清廉さにはやはり目を瞠る。ルミ子の事務所やレコード会社の反対を押し切って伊藤俊也が口説き落としただけのことはある。
 実際に同じ演技をさせて比べられるわけではないので、虚しい比較になってしまうのだが、なるほどこの役は小柳ルミ子以外あり得ないな、と思わせる。

 

 そしてショーケンである。
 一般に、この映画のショーケンは「鬼気迫る」という表現をされることが多いようである。
 「誘拐報道」×「萩原健一」×「鬼気迫る」は1セットであるかのように。

しかし、ラスト近く、公衆電話(昔はそういうモノがあったのよ、、、)から被害者宅に最後の脅迫電話をかける演技などは、既に「鬼気迫る」と言う表現が生易しく感じるほどの迫力である。
 人質も殺せず、カネも受け取れず、すっかり追い詰められてしまった誘拐犯の狂気が噴出してしまっているようだ。
 やはりこのヒトは、「鬼気迫る」とか「役が憑依する」とかいうありきたりな言い回しでは表現できない、余人が誰も到達したことのない特殊な集中の仕方をたった独りで発見したヒトなのだな、と思う。

 

 伊藤俊也は、印象的なスローモーション、息の詰まるような長回しと、登場人物の心理を暗示する背景を使って、この二人を丁寧に追う。
 最初にショーケンが姿を現すシーンでは、海辺を走る道路のカーブに建てられた公衆電話(この頃は脅迫電話と言えば公衆電話からするものだったのよ)に籠もるショーケンを、荒れる冬の海をバックに撮っていて、誘拐犯の、荒れ果てた、不安な心象風景が、観るものの心をもゾワゾワと不安にさせる。 
 見事だと思う。

 

 読売新聞社側のキャストがまた謎なくらい豪華なのだが、なにしろ犯人夫婦が印象的すぎて影が薄い。
 被害者宅に一番近い新聞配達所が取材の出先機関になる、など興味深い描写もあることはあるのだが。
 この出先機関のボスが三波伸介で、被害者宅に詰める刑事のボスが伊東四朗。戸塚睦夫は既に亡くなっていたが、三波伸介もコレが遺作。全然元気なんだけどねぇ、、、生前に一本シリアスな映画の代表作も残せて良かったな、と思う。
 伊東四朗もラスト近くでトンデモ無い苦悩を抱え込むどシリアスな演技をしていて、後の役者としての成功を予見させる(もう、成功してたかな、、、)。

 

 逆に言うと(ナニが逆だ、、、)、この映画は同じ事件を、犯人側からと、読売新聞側から描いた、2本の映画を、2時間14分で描ききっているのである。
 最近の数字をタイトルにした映画とかが、2本使って1本分も描ききらないのと比べると、何やら悲しくなってきたりもするのであった。

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at 20:55, 空中禁煙者, 邦画

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「ほんとにあった!呪いのビデオ 67」 シリーズ最凶の禍々しい動画登場、、、

 気がつくと菊池カントク時代も長いねぇ、、、
 あと、なんとなく一本が長いエピソードが増えて、1巻に収められる本数が減ったり、1巻の長さが長くなったりしている気がする。
 やっぱり長編にこそ菊池カントクの本領が発揮されるからかなぁ、、、

 

「ロッククライミング」
 恋人の女性が岩場でロッククライミングしようとしているところを撮っていると、上から人体がドサドサ降ってくる。
 音がちょっと衝撃的だが、降ってきたはずの人体が消えている地面を映す前に、一回空を撮って視線を切るのが残念。

 

「奇怪な過去」
 52巻にあった「奇怪な未来」と言うエピソードの後日談という、トリッキーな作品。
 「奇怪な未来」は2011年に撮ったホームビデオに、突然2015年に投稿者自身がこれから首吊り自殺するの映像が紛れ込んでいる(ちゃんとビデオに日付が入っている)、と言うもの。
 52巻発売時点でまだ2013年であり、ちゃんと憶えていたスタッフは、ビデオに入っていた日付、2015年7月16日の一ヶ月前から投稿者と連絡を撮ろうとしていたのである。

 

 律儀というか几帳面というか、、、
 投稿者の柴崎氏とは連絡が取れなかったものの、いとこの女性と連絡が取れる。いとこ女史のハナシによると、現在柴崎氏は失踪中であり、失踪前には何故か必死で「託児所で起きた事件」について調べていたと言う。
 さらに柴崎氏の姉のハナシも聞くと、柴崎氏自身が幼少期に託児所で事故にあったことがあり、それ以来柴崎氏は不思議な「おばあさん」が見えるようになったという、、、

 

 ここで例によって委員会によってなんとも大胆な推論が繰り広げられるのだが、、、
 まあ、お得意の「ファイナル・デスティネーション」ネタのバリエーションである。

 しかしそんなことはどうでもいい。
 問題は、この後公開される「託児所の事故について調べていた柴崎氏の部屋から発見された謎のVHSビデオ」の内容である。

 

 コレがスゴい。
 なんだコレは。
 なんかとてつもなく禍々しいモノを見せられてしまった、と言う感じ。

 

 映像は2カットあり、ひとつは託児所の階段を上から撮ったカット(何故託児所の階段と解るかというと、一番上にフック付きの柵が付いている)。
 もうひとつは託児所の内部の風景。
 この2つを二回ほど切り返していて、正直言って作り物感は否めないのだが、、、(誰が編集したんだよッ!!)

 

 階段のカットは、霧のような人影が徐々に階段から上がってくる、と言うもの。
 コレは大したことない。
 問題は、託児所の内部を映したカットだ。

 ベビーベッドが2つほどある託児所の内部。子供が二人映っていて、ひとりはベビーベッドに寄りかかっていて、もうひとりは寝転がっている。

 で、ですね。この二人がもう、微動だにしないのね。
 正直言ってこの時点で既に死んでいるようにも見える。
 もっと正直に言うと、どちらかと言うと人形のようにも見える。
 さらに言わせて貰うなら、ベビーベッドのあるような託児所であるならば、そこにいるのは「乳幼児」と言われるような年齢の子供と思われるが、この二人(ほとんど「2体」と書きたくなってしまうのだが)は、せいぜい小学校高学年、下手すると中学生くらいに見える。

 

 つまり、そこに映し出されているのは、「中学生くらいの遺体だか人形だかが放置してある託児所の風景」といったようなものである。

 そして2カットのバックには延々とわけの分からない、女性の声による鼻歌のようなモノが流れていて、コレがまたとてつもなく不気味である。

 

 もう一度言う。
 なんだコレは。
 一体全体何のつもりなのか。
 もう、訳が分からないのだ。

 例えば、金儲けのために誰かが「じゃあ、不可解なことが起こる託児所の風景でも撮るかな、、、」とか言ってこの映像を撮ったとしたら、そいつは気が狂ってると思う。とてもまともな神経で撮れるシロモノではない。

 

 実を言うとこの後この託児所の映像の中にも「不可解な」事象が起こるのだが、んなもんどーーーーでもいい。この「託児所の風景」自体が持つ不気味なインパクトに比べればクソみたいなもんだ。

 

 ほん呪史上トップの禍々しさを誇る映像だと確信する。

 

「合唱」
 前のエピソードがインパクトありすぎてどーでもいいのだが。
 小学生が合唱していて、一曲終わって礼をすると、ひとりだけ礼をしていないしてない少女がいる。
 一応この少女の正体らしきものが語られる。

 

「シリーズ監視カメラ 扉」
 コレはちょっと笑う。
 とある倉庫を開けっ放しにする奴がいるので、経営者がカメラを仕掛ける。
 深夜の荷物の出し入れが映るが、やがてひとりが倉庫の扉をちゃんと閉めないで帰ってしまう。閉めようとするのだが閉まらないのだ。
 目には見えないくせに物理的な力を示す霊の一例。

 

「人形焼」
 あんこの入ったお菓子のハナシではない。

 

 海辺で焚き火を始めるが、すぐに燃やすものがなくなってしまい、なんと、仲間のひとりが付近に住み着いていた女性ホームレスの持ち物を持ってきて燃やし始める(この時点で鬼畜だと思う)。
 服とか燃やしてるうちはまだいいが、ぬいぐるみを燃やした途端に、、、と言うハナシ。
 つまり、女性ホームレスは亡くなっているということだろう。

 

「テーブルゲーム」
 何故、タイトルが「麻雀」じゃイカんのか。

 

「禁忌」
 夏の三ヶ月連続リリース用の長編の第一回。

 

 保険会社のOLが自宅で女子会を開いていると、ふすまが映るたびに開いていき、、、と言うハナシ。

 この部屋の住人、八幡女史が会社を休んで引きこもりがちになってしまったので、委員会は撮影者=投稿者と八幡女史を訪ねると、窓という窓をダンボールでふさぎ、あらゆるスキマをガムテープで目張りしていた。
 最終的に八幡女史は自殺未遂を起こしてしまうのだが、この八幡女史まわりだけを見ると、ごくありがちにして何処かで見たような展開で、とても三ヶ月もつとは思えない。

 

 しかし、取材するうちに、事件は八幡女史本人の知らないところで動いていたのであった、、、

 八幡女史を取材してわかったこと。

‘韻献▲僉璽箸里ばちゃんの証言:八幡女史は婚約者を名乗る「生きてのか死んでるのかわからないようなオトコ(シドい言われよう、、、)」に見張られていた。おばちゃんはストーカー被害を心配していた。

大学の先輩の証言:知り合いのカメラマンに「処女っぽい外見のモデル」を探していると言われ、本人に無断で八幡女史の写真とプロフィールを渡した(シ、シドい、、、この先輩、堂々と顔出ししてるけど、犯罪じゃないやろか)。

 

 この二つが今後効いてきて、三ヶ月もたせられるネタになるんだろうなぁ、、、と言う感じ。
 あと、演出補の阿草と言うオトコが、演出補時代の菊池カントクや、一時期の森澤のような「快刀乱麻を断つ演出補」役割を演じていて、今後の活躍が期待できる。

 

 今回はもう、「奇怪な過去」のインパクトに尽きる。
 この映像の出処こそ徹底的に調査すべきだと思う。
 それくらいヤヴァいです。
 菊池カントクお得意の探検ごっこもないし。

 イヤ、調査すべきじゃないかな、、、
 正直、あの映像には二度とかかわらない方がいいような気もする。
 ワタクシ空中さんも二度と見る勇気はない。

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at 01:16, 空中禁煙者, 邦画

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