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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「ハードコア」 観る前に酔い止めを飲もう。

 えーっとですね。
 今を去ること1947年に、ですね、「湖中の女」っていう映画が有ったのね。

 

 これが、ですね、世界初の「全編一人称映画」ですよ。
 カメラが主人公の目線になってて、主演のロバート・モンゴメリーは主人公が鏡を見たときくらいしか映らないわけ。
 普通だったら「イヤ監督、主演って聞いてたのに、オレの出番少なくないっすか?」となるところだが、実は監督もロバート・モンゴメリーなんで問題なし、と。

 

 で、「湖中の女」と言えばレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウものですよね。
 この時期のいわゆるハードボイルド私立探偵小説は、創始者のダシール・ハメットのコンチネンタル・オプものから、チャンドラーのマーロウもの、ロス・マクドナルドのリュウ・アーチャーものに至るまで、基本的に一人称で書かれている。
「俺は、、、した」というアレである。

 

 ね?
 一人称小説だから一人称カメラ。
 ロバート・モンゴメリーとしては、一人称小説ってこういうことじゃねーの?と言うつもりだったろう。

 

 ところが、ですね。
 このあと、例えばフィリップ・マーロウものも何度か映画化されているが、この手法を取り入れた作品はない。
 ダシール・ハメットでもない。
 ロス・マクドナルドでもない。
 原作が一人称小説だろうがなんだろうが、どんな映画もこの手法を取り入れてはいない。

 

 要はつまんなかったんでしょうね。
 だって、「主人公が映ってない」んだもん。
 ボギーが映ってない「マルタの鷹」を考えてみれば、面白いかどうか分かりそうなもんだ。

 

 で、「ハードコア」ですよ。
 70年ぶりの全編一人称映画です。

 まあ、驚愕の映像体験ですよ。
 70年前とは技術が違う。
 カメラの大きさが違う。

 二階から飛び降りるわ、爆発でふっとばされるわ、一体全体どうやって撮影してるのか、サッパリわからない。

 ストーリーのノンストップぶりといい、アクション、破壊の激しさといい、観ている間それなりに面白い。
 面白いけれど、やっぱりこの手法は定着しないだろうな、と思う。

 

 70年ぶりの「完全一人称映画」と書いたが、実はほぼ同じ手法が20年くらい前にホラー映画で復活している。
 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」以来のいわゆるPOVと言う奴だ。
 もう、ホラー映画はほとんどこの手法に占領されていると言ってもいい。

 一人称映画とPOVの違いは、一人称映画が一応主人公視点だろうがなんだろうが「完成されたカメラワークである」という前提なのに対し、POVは映画の中で登場人物の一人(つまりシロート)がカメラが持っているという前提が観客に対して明かされている、と言うことだが、それは今はそれほど重要じゃない。

 

 じゃ何が重要かと言うと、「ホラー映画は主人公がカッコよくなくてもいい」と言うことだ。
 コレに対してハードボイルドミステリーの主人公は(そしてアクション映画の主人公も)、カッコよさが絶対条件だということだ。

 

 本作「ハードコア」でどんなに激しいアクションが繰り広げられようと、我々はその主人公の体技や表情がカッコいいかどうか分からない。
 アクションの後どんな見えを切っているのか分からない。
 コレでは観ている間面白くっても心に残るアクション映画にはなりようない。

 

 ストーリーについてちょっと。
 この映画はストーリーもそこそこ面白い。
 ラストのどんでん返しはともかくとして、途中でチョコチョコ姿を変えて神出鬼没の「ジミー」と言うキャラクターの正体など、考えたなぁ、、、と言う感じ。
 ただ、悪のラスボスがサイコキネシスが使える、と言うのが唐突過ぎて意味不明。
 アレ、必要ある?

JUGEMテーマ:映画

at 21:48, 空中禁煙者, 洋画

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「エクス・マキナ」 ほぼ、ソノヤ・ミズノの映画

 世界最大の検索エンジン運営会社に勤めるケイレブは、社内の懸賞に当選して、「誰も会ったことのないカリスマ社長の自宅に一週間招かれる」と言う栄光に浴する。

 

 そんなもんどこが嬉しいのかと思うだろうが、なにしろ「大統領でも会えない」と言われるほどの、天才、カリスマ、大富豪なのだ。

喜び勇んで「ヘリコプターで2時間以上社長の敷地の中」を飛んで大邸宅にたどり着いたケイレブだったが、実は懸賞のハナシはウソで、社長は最初から優秀で若く独身の男性社員であるケイレブを、ある目的のために呼び寄せたのだった。

 

 ある目的とは「チューリングテスト」。
 

 機械をを人間と対話させて、人間が機械と見破るかどうかで、機械がAIになったかどうか見破る、というテストだが、社長が用意したAI、エヴァは顔こそ人間だが、顔面以外は機械丸出しで、人間とは間違えようがない。
 そこで、若い女性型のAIであるエヴァと、ケイレブの間に恋愛感情が芽生えるかどうかで、チューリングテストにしよう、というハナシ。

 

 ね。
 コレは上手いよね。
 ちゃんとリアル目のSFにもなってるし、恋愛映画としても成立する。

 

 で、ここから衝撃のラストまで、脚本はすごくよく出来てると思う。

 AIを巡る哲学的な会話から、社長がAIを作りながら「何故」検索エンジンの会社をやっているかについての衝撃的な事実の開示まで、さすが手練の脚本家だなと思わせる。

 

 しかしですね。
 この映画、ひとつ致命的な誤算があるよね。

 

 社長がハウスメイドとして使ってるエヴァの一つ前のAIであるキョウコの存在である。
 この、キョウコ役のソノヤ・ミズノが美しすぎる。

 

 エヴァ役のアリシア・ヴィキャンデルも、顔面だけ人間であとは機械部分が丸見えの段階では美しいが、皮肉なことに皮膚と髪と服をまとって人間らしい格好になると、「なんかショボいな、、、」という印象。

 

 それに対してソノヤ・ミズノは終始完璧な美しさ。
 さらに、ちょっとだけダンスを踊るシーンが有るのだが、このダンスがまた素晴らしすぎ。
 30秒ほどのシーンだが、最初の2秒で、

「あ!このヒトのダンススゴい!!」
とわかってしまう。

 

 ダンスとはつまり芸術である。
 眼の前で堂々と芸術を創作している奴がいるのに、チューリングテストとはなんとバカな話だろう。
 人間以外の誰に芸術を作れるというのだ。

 

 調べてみると、ソノヤ・ミズノはなんとロイヤル・バレエ学校出身のダンサーであった。
 そらスゴいはずだわ。

 

 せっかくソノヤ・ミズノが出てくれたのだから、ダンスも撮っとこうくらいのつもりで入れたのかもしれないが、ほとんど映画全体をぶち壊す誤算であった。

 

 せめて人間に化けたアリシア・ヴィキャンデルがソノヤ・ミズノを上回る美しさだったら、、、と思わざるを得ない。

JUGEMテーマ:映画

at 01:44, 空中禁煙者, 洋画

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「メッセージ」 「タコ入りばかうけ」が世界を変える

 まず、よくこんなハナシをVFX満載の大予算SF映画にしたな、と思うのである。

 それともイマドキCGのおかげでこの程度はたいした予算をかけずに出来るのであろうか。

 

 原作は有名な短編SF小説だが、コレは非常に形而上学的なハナシであり、小説自体の構成もはなはだメタフィクショナル、というか文章自体がSFのアイデアを表現しているような厄介なハナシなのだ。
 そんなものを映像化してどうするのか、と思う。

 

 全体的に落ち着いた、ある意味暗い、と言ってもいいペースの映画であり、決して原作をバカにする、というか原作のいいところだけパクっちゃえばいいや、というナメた映画化ではないことは十分伝わる。

 

 さらに言えば、ヘプタポッド(宇宙人をこの映画ではこう呼ぶのね)の「文字」を映像化してそれらしく見えているのは、素晴らしいことだと思う。

 決して「原作乗っかり企画」ではなく(そもそも原作自体SFファン以外にはほとんど知られていないだろう)、プロデューサーだか監督だか脚本家の誰かが、

 

「コレは映画にしてもイケる!」

 

という、勝算というか確信があって、映画化しているのだな、という意気込みは伝わる。

 

 多分、この映画の評価は、前半から頻出している主人公と娘との関わりを描くシーンを、大胆と感じるか、訳がわからないと感じるかで、この映画の評価は分かれるのだろう。

 

 ところで、ですね。
 ワタクシ空中さんはこの映画を見て、原作小説の長さと映画化、という問題にもう一度考えさせられましたね。

 通常、(映画サイドから見た場合)長編小説よりも短編小説のほうが、映画化に適している、と思われている。

 長編小説を映画化すると、どうしてもダイジェスト的にならざるを得なく、それよりは短編を脚本家なり監督なりが膨らませたほうが傑作映画になる可能性が高い、というのだ。

 

 しかしこの論理は、もう何十年も短編小説を読むヒトが減り続けており、原作小説のネームバリューを当て込んで映画化しようとすると、どうしても長編小説に頼らざるを得ない、という現象により、ほぼ、無効になっているようでもある。 

 しかし本作の原作は短編であり、その意味では「映画化の原作は短編小説有利」の法則に則っているようにも思える。

 

 しかし本作は、図らずも「短編有利の法則」が、意外にもSFにはあてはまらない場合があることを露呈してしまっているようでもある。

 

 SFの必要条件の一つに、「ストーリーの始まりと終わりでは世界の(人類の)あり様が変わっている」というものがある。
 長編SFでは世界のあり様が徐々に変っていく様か、変わった後の有り様か、その両方が描かれている。
 コレに対して、世界のあり様が変わる瞬間を描いているのが短編SFであると、大雑把に言えば、言える。

 

 本作の原作はまさに「世界のあり様が変わる瞬間」を描いていて、その後に来る大混乱は示唆するにとどめられている。

 

 しかし。
 翻って長編映画で「瞬間を描く」だけ、と言うのは難しい。「世界のあり様」が変わった後の大混乱をも描いた映画と同じ金を払った観客は、物足りなさを感じるかもしれない。

 本作はそこから逃れるために、若干、その後の世界を描いているが、そのせいで逆に「世界のあり様」の変化が、中途半端になってしまっている。
 世界はもっと大混乱に陥るはずなのだ。

 

 それは、「あなたの人生」が変わるだけ「の物語」ではすまないだろう。

JUGEMテーマ:映画

at 23:30, 空中禁煙者, 洋画

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「ラ・ラ・ランド」 彼女が「パリへ行く」と言い出したらご用心

 冒頭、オープニングのワンカット目でとんでもない長回しにド肝を抜かれる。

 

 しかもミュージカル。
 しかもハイウェイの上。

 

 ハイウェイの上で、反対車線まで巻き込んで歌って踊るヒトビトとそれを捉えるカメラ。
 技術的にも大変だろうが、一体全体どうすればこんなシーンが頭の中で構成できるのか、想像もつかない。

 

 その後も、丸ワイプの多用や、脚本においてもハイウェイの渋滞やカフェでの会話などオープニングとエンディングが繋がる構成等、この映画が全盛期のハリウッド・ミュージカルを超絶テクニックを駆使して再現しようという試みであることが、画面の隅々から横溢している。

 

 ちょっとワクワクするよね。
 ひょっとして、夢のような時間が過ごせるのかな、と、ふと思ったりもする。

 

 で、ですね、、、


 まあ、主演はライアン・ゴズリングとエマ・ストーンですわ。
 まあ、売れてますわ。
 まあ、美男美女で、演技も定評ありますわ。

 ですけどね。
 ですけど、ですよ。
 ミュージカルの主演としてはどうなん?っていうハナシが、ココでにわかにアタマをもたげてこざるを得ないわけですよ。

 

 まあ、ミュージカル映画として観た場合の全編のハイライト、例の駐車場のシーンね。
 ポスターやパッケージのメインヴィジュアルにもなってるアレですけどね。
 まあ、なんていうのか知らないけど、ミュージカルのダンスでよく出てくる両手を広げてジャンプしながらターンするアレね。
 もう、ライアン・ゴズリングのアレで、吹き出しましたね。
 イヤイヤイヤイヤイヤイヤ、やっとこさっとこじゃん、っていう、、、
 もっと華麗にキメてよ、っていう、、、

 

 まあ、歌もたいして褒められたもんじゃないしさ。
 エマ・ストーンのラスト近くの決意表明のソロだけは
「ああ、マトモに歌えることは歌えるんだな、、、」
と思ったけどさ、、、

 

 一方で、ライアン・ゴズリングがピアノを弾くシーンで、本当に弾いているように見えるのは驚異的なことだ。
 一応公式には「三ヶ月特訓して全てのパートを実際に弾いている」ということになっているが、実際に弾いているかどうかはたいした問題じゃない。
 「実際に弾いているように見える」だけで充分スゴいのだ。

 

 ピアノでコレが出来るんだったらさぁ、ダンスも歌ももうちょっと特訓してよ、っていうね、、、

 

 正直、ピアノなんてどうでも良くね?吹き替えで良くね?
 ヒトはピアノを弾いている指を見ていてもたいして楽しくない。
 しかし、上手なダンスを見たり歌を聞いたりするのはそれだけで楽しいのだ。
 ミュージカルってそういうことでしょ?
 ピアノ練習してる暇あったらダンス練習してよって思う。

 

 ラストのライアン・ゴズリングの前髪などハラリと垂らした顔のアップだけで全てを語るカットなど観ると、どうしてもライアン・ゴズリングでやりたかったというのも分からないでもない。
 この映画に見合う歌と踊りが出来るイケメンや美女など、ブロードウェイに行けばいくらでもいるような気がするが、それではストーリーの説得力というものが出ないのだろう。

 

 フレッド・アステアもジーン・ケリーもいない、ジンジャー・ロジャースもレスリー・キャロンもいない現代では、いい役者をある程度鍛えてヤラせる、というのが、デイミアン・チャゼル監督の結論なのだろう。

 

 ところでこの映画の切ないラストは、ネット上では「秒速5センチメートル」に似ていると言う説が猖獗を極めているが、ワタクシ空中さんは、「横道世之介」に似ているな、と思った(「秒速5センチメートル」を観ていないせいもあるが)。

 

 ラスト直前、二人はラブラブなので、カノジョが「パリへ行く」と言い出しても、カレはさほどショックを受けない。二人の絆は堅いので、何の心配もない。よろこんでパリへ送り出す。
 ココから数年後のラストへ至る展開は「横道世之介」とそっくりだ。

 

 カノジョの行き先がパリであること。
 その後の展開の理由が提示されないこと。

 「横道世之介」とまるで同じではないか。
 パリにはオンナを狂わせるなにかがあるようだ。

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at 21:13, 空中禁煙者, 洋画

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「キングコング 髑髏島の巨神」 秘境探検映画の終焉

 実を言うと以前ピーター・ジャクソンの「キングコング」を観て、ちょっと感動してしまった事があるワタクシ空中さんではありましたが、今回はそんな心配はありません。

 コレは、我々の知っている、巨猿がニューヨークに連れてこられて見世物にされて、美女をさらってエンパイアステートビルに登る、あのキングコングではない。
 そもそもコングは髑髏島を出ないのだ。

 

 「ローグ・ワン」の監督、ギャレス・エドワーズの前作、(何度目かの)ハリウッド版「ゴジラ」に出ていたケン・ワタナベは「MONARCH」という訳のわからない組織に属していたが、本作のジョン・グッドマンもMONARCHのヒトである。
 つまり、シリーズ物なのだ。

 本来のキングコングのテーマも捨てて、摩天楼を登るエテ公、という魅力的な絵も捨てて、何をやっているかというと、まあ、プロレスです。

 エテ公とヘリコプターのプロレス。
 エテ公とわけの分からん後ろ足のないトカゲとのプロレス。

 要はこの映画はコレだけです。

 

 で、コレがつまらないかというと、けっこう面白かったのね。
 プロレスとして面白い。

 

 モーションキャプチャーを使ったコングの動きが、もう、ダイナミック。
1 975年のラウレンティス版(ジョン・ギラーミン版とも言う)「キングコング」で、「ロボットコングが動く!」とか言ってて操り人形以下の動きが5カットくらいしかなかったの比べると、隔世の感がある(そりゃそうだ、およそ半世紀前だもの)。

 

 例えばさ、ジャンプしたコングが振り下ろした拳でヘリを叩き落とすシーンでさ、モーションアクターがただ、拳を振り下ろしただけじゃダメなわけじゃん?
 インパクトの瞬間、振り下ろすスピードが一瞬落ちてるはずじゃん?
 そのへんまで含めてやってる感がある。

 

 横からスタッフがモーションアクターになんかヘリ的なものを放り投げてるんだろうか。
 なにを放り投げてるんだろうか。
 プラモのヘリだろうか。
 わざわざそのために組み立てたんだろうか。
 ・・・どうでもいい。

 

 あとコレは昔から不思議なんだが、時間的には充分あるはずなのに、どうしてもうちょっと秘境探検モノ的なワクワク感が出ないんだろう。
 昔の怪獣映画はもっと短い上映時間で秘境探検モノのワクワク感が醸し出せていたようなきがする。
 コレが「世界が狭くなった」ということだろうか。
 この世界から秘境が無くなったということだろうか。

 

 この1973年が舞台の映画にしてからが、髑髏島は衛星画像で発見されるのである。

 なんとなく、現代において怪獣映画が不可能になってしまった事を予感させる一本ではある。

 

 DVDのジャケットも、必死で「懐かしい秘境探検怪獣映画」感を出そうとしているが。

 秘密機関「MONARCH」を題材にしたこのシリーズ、次はいよいよ「ゴジラ対キングコング」だそうだが、大丈夫なんだろうかと思わざるを得ない。

 

 つか大昔の東宝映画じゃん!!

JUGEMテーマ:映画

at 21:02, 空中禁煙者, 洋画

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「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」 ラストでダースベイダーが全部持って行きます。

 この作品を観ると、スター・ウォーズ本編が、

 

・フォースをめぐる云々
・スカイウォーカー家の血統をめぐる云々

 

の二点によって、冒険活劇としてはかなりいびつな構造になっていることに気付かされる。

 

 第一作「新たなる希望」こそ古今の冒険活劇のエッセンスを集めた様な作りだったが、二作目の「帝国の逆襲」を観た我々は、実はコレが血統をめぐるストーリーであることに驚かされ、さらに前作にもチラリと出てきてはいた「フォース」が思いの外重要なファクター、いや、むしろ主要なテーマである事を思い知らされた(そして不思議な事だが、その「帝国の逆襲」こそが今のところ全シリーズの中で一番面白い)。

 

 そして、以後のシリーズは徹底的にスカイウォーカー家の血統とフォース(とそれを使いこなすジェダイ)のハナシとして展開していくのだった。

 

 そんな中、本作はスカイウォーカー家の血統からもフォースからも自由であり(ある程度影は落としているが)、シンプルな、正しい冒険活劇になっている。

 

 コレはあくまでも不良娘が親の仇と銀河の平和のために、たいして仲良くもない仲間と共に命がけで悪の帝国と戦うハナシなのである。

 

 ミッションとしては「デススター設計図の奪取」であるが、一応主人公の不良娘にはこのミッションを遂行する必然性があるのが、ストーリーをドライブするエンジンになってはいる。

 

 こういうハナシは手練の監督に任せると「帝国の逆襲」のような傑作になるのだが、2014年のハリウッド版(レジェンダリー版と言うべきか)「GODZILLA」のギャレス・エドワーズ監督は、まだまだ「手練」と呼ぶには遠い。

 

 が、ところどころアッと驚く手腕を見せて熱くさせることも確か。

 

 どういうわけかチャンバラに光るところがあり、途中にあるドニー・イェンによる剣戟が素晴らしいのはドニー・イェンの実力もあり当然としても、ラストのダースベイダーのライトセーバーによる制圧劇は、シリーズ屈指の強さ恐ろしさ。フォースの使い手がこんなに怖いのはシリーズでも初めてではなかろうか。

 

 って結局フォース出てきてるやないかいッ!!

JUGEMテーマ:映画

at 21:29, 空中禁煙者, 洋画

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「パッセンジャー」 スター(映画) イン スターシップ

 キャッチコピーは

「乗客5000人 目的地まで120年 90年も早く 2人だけが目覚めた 理由は1つーー。」

 

 セックスしたいからです。

 

 とは言うもののコレはけっこう重いテーマのSFである。
 主人公は何度も生と死に関する選択を強いられる(筈である)。

 

 例えば。

 

 5,000人の乗客は目的地到達の4ヶ月前に目覚めて準備をする予定だが、1ヶ月を30日間として、4×30×5,000でのべ600,000日分の食料が用意されている計算になる。
 ところが二人であと60年船内で生きるとしたら、60×365×2で48,300日分の食料を消費してしまう。
 コレを5,000人で割ると、、、

 アレ?8.76日分かぁ、、、節約すればなんとかなるかな、、、
 着いていきなり自給自足出来ないだろうから、予備の食料積んでるだろうし、、、

 

 イヤイヤイヤイヤイヤイヤ、まだ負けてへんで、、、

 た、例えばですね、この2人がすぐに子供を作ったとして、子供が適齢期になった時にどうするのか。
 他の住人が目覚めるにはまだ70年近くある。
 誰か起こすのか。
 それとも男女が揃うまで生み続けて近親相姦させるのか。
 それとも自分が息子(娘)と近親相姦するのか。
 それともそもそも子供は作らないで、二人だけで老いて死ぬことにするのか。
 それはそれで重要な生と死に関する選択だろう。

 

 この映画、どうも最初の脚本では、そういう問題は全部キレイにクリアされていたらしい。
 ある意味スパルタンではあるが、非常にSF的な方法でちゃんと解決されていたのだ。

 しかし出来上がった作品では、全然そうなってない。
 むしろ曖昧にして逃げている。
S F的には非常によろしくない態度と言わざるをえない。

 

 しかしですね、コレ、多分そういうことが目的の映画じゃないだろうな、、、

 コレは実はハッキリとジェニファー・ローレンスちゃんとそのファンのためのスター映画なのだ。
 相手役のクリス・プラットのファンも見込めるし。
 少なくともこの2人の魅力が堪能できる作りになっていることは否定できない。

 

 美男美女が無機的だが美しい世界(巨大宇宙船の斬新な外見と曲線を多用した内部は素晴らしい)で繰り広げる愛と憎悪と絆の物語、として観れば非常に良く出来てる(ような気がする)。

 

 ただ、ラストカットの曖昧さだけは「ちょっと逃げすぎじゃね?」と思う空中さんであった。

JUGEMテーマ:映画

at 04:23, 空中禁煙者, 洋画

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「ヴィジット」 予算が減らされてPOVになってもちゃんと怖い。

 シャマラン監督、過去2作で大予算映画を大コケさせたせいで、全く予算が使えなくなっているのかもしれない。
 低予算と言えばホラー、低予算ホラーと言えばPOVと言うわけで、POVのホラーに挑戦してます。つ-か、せざるを得なかったのかもしれない。

 

 しかし腐ってもシャマラン。コレはやられましたね。
 シャマラン監督といえば、
丁寧な演出でジャンル映画をひっくり返す
ですが、今回も堂々とやってます。
「POVによる低予算ホラー」
を見事にひっくり返してます。

 

 15年前に駆け落ちして以来、一度も両親と連絡を取っていないキャスリン。
 彼女は既にオトコには逃げられていたが、二人の子供を懸命に育てて「普通のシングルマザー」になっていた。
 そんなある日、彼女のフェイスブックを見た両親から連絡があり、せめて孫二人だけでも会いたいから、休み中に一週間泊まりに来させろと言う。
 自分が新しい恋人とリゾートデートするチャンスと見たキャスリンは15歳のベッカと13歳のタイラーの姉弟を送り出すが、初めてあったお爺ちゃんとお婆ちゃん、なんだか少しヘンなんですけど、、、と言うハナシ。

 

 相変わらずうまいなぁと思うのは、例えば、二人が列車に乗って旅をしていると、姉のベッカがカメラを持って撮影しているのを見て(ベッカは映画監督を目指しているらしく、いつもカメラを手に撮影をしている。そうじゃないとPOVにならないし)、車掌が
「ワタシはムカシ演劇をしていたんだよ」
とかいって延々なんかの芝居のセリフを披露するシーンだ。
 このシーンだけならどうということもないが、このあと、姉弟が祖父母宅についてから、重要なヒントを二人に与える人物がいるのだが、この人物がまたしてもベッカがカメラを構えているのを見て、
「映画かい?僕は昔演劇をやっていたんだ」
とほざいて延々なんかのセリフを披露しだすのだ。
 この、「昔演劇やってた」カブせによって、観客は(姉弟も)重要なヒントを見逃してしまう。
 観客は
「ああ、コイツはシャマラン監督の『天丼』のために出てきたんだな、、、」
と思ってしまうのだ。

 

 そうやって慎重に張られた伏線の果てに来る種明かしの瞬間、ワタクシ空中さんは例によって全く予想がついておらず、思わず「アアア!!」と声を出してしまいました。相変わらず作者の仕掛けた罠にハマりやすくてスイマセン。
 これ、予想が付くヒトいるのかなぁ、、、
 いるんだろうなぁ、、、

 

 シャマラン監督は「シックス・センス」でジョエル・ハーレイ・オスメントくんという逸材を見出したが、今回の弟役、エド・オクセンボールドくんもトンデモ無い逸材の予感がする。
 姉が映画監督志望なら弟はラッパー志望であり、劇中何度か中途半端なラップを披露するが、そのヌケヌケとした度胸はただ事ではない。
 ラスト近くに見せるブチ切れたアクションシーンと共に、子供のくせにたいした役者度胸である。
 願わくば、オスメントくんのような末路を辿らないことを、、、

 

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at 20:27, 空中禁煙者, 洋画

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「ジュラシック・ワールド」 「ジュラシック・パーク」-SF+アクション

 シリーズ映画というものは三部作で一巡しちゃって、4作目あたりで最初に戻りたくなるものなかもしれない。
 ほとんどリメイクと言ってもいいくらい1作目の「ジュラシック・パーク」と同じである。

 

 そんな訳で、逆に1作目との違いを思い出していくと、この映画のことが判るかもしれない。

 

 一作目は一応マイクル・クライトン原作のマジメなSFであり、「純粋科学の否定」とか、「自然をナメるな」とかシリアスなメッセージが横溢してたりしていたし、作品全体を覆うテーマは当時流行りだったカオス理論だったりする。

 

 なにしろ主人公(古生物学者、サム・ニール)もヒロイン(古植物学者、ローラ・ダーン)も科学者である。
 ハイテク=悪、過去から学ぶ科学=善という図式が、なんとなく、ある。

 

 4作目ともなるとそういうシリアスな部分はすっかり抜け落ちて(ちょっとはある)、よりエンターテインメントとして純化されている様である。
 なにしろ主人公は元軍人(クリス・プラット)で、ヒロインはパークの管理責任者(ブライス・ダラス・ハワード)だ。
 ブライス・ダラス・ハワードは一応科学者という設定なのだが、劇中科学者らしいことはまるでせず、管理者として汲々としている。

 

 エンターテインメントとして純化された分、サスペンス描写やアクションが増えている、
 暴走したハイブリッド恐竜と討伐部隊の対決の緊迫感(と絶望感)など、一作目にはなかった要素だろう。

 

 もうひとつ、一作目と比して明らかな美点がある。

 いくつかギャグが効いている箇所があるのだ。

「手を握り合ってね」といわれ弟だけが手を出す、とか、管制室の若い二人の恋模様とか、なんか妙に生臭いというか、人間臭い笑いどころがあって、ちゃんと効いている。

 コレはスピルバーグ演出ではあまり見られないことだ。
 コリン・トレヴォロウ監督の功績なのだろう。

 スピルバーグ監督、自作のリメイク(のような続編)の演出を他人に任せたせいで、はからずも自らの欠点をさらけ出してしまったのかもしれない。

 

 ラストの暴走ハイブリッド恐竜への対処法など、よく考えられていて視覚的迫力も充分(ちゃんと伏線が引いてあるのも感心した)、監督二作目とは信じられないくらい良く出来てる。「スター・ウォーズ エピソード9」の監督に決まっていたのに降りてしまったのはちょっと残念。

 このシリーズの最大の魅力は、やはり「動く恐竜」にあると思う。CGと判っていても、生き生きと動く恐竜たちの映像には、未だにちょっとドキドキする。
 特に人間と一緒に写り込んでいるとドキドキ感が増すのだが、その辺の見せ方にもうちょっと工夫というかしつこさが欲しかった恨みもある。
やはり「空間の演出」は難しいのだろうな、と思うが、モササウルスのド迫力にだけは、正直ちょっとチビリました。

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at 23:51, 空中禁煙者, 洋画

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「レジェンド 狂気の美学」 実話によるトム・ハーディ地獄。

 「真田十勇士」が中村勘九郎のための映画だとすると、コレはトム・ハーディのための映画。
 しかし舞台作品の映画化じゃない分、コチラの方が好感が持てる。
 なにしろトム・ハーディは一人二役だ。中村勘九郎だろうとトム・ハーディだろうと、舞台で一人二役は難しいだろう。

 

 1960年台のロンドンに実在した一卵性双生児のギャング、クレイ兄弟を描いた実話。
 兄のレジーは凶暴なところもあるが商売に理解があり切れ者で洒落者。
 一方、弟のロンは常に精神安定剤を飲ませないとナニをするかわからない統合失調症一歩手前の不安定なオトコであり、平然とゲイであることをカミングアウトし、兄に輪をかけて凶暴で冷酷という、手のつけられない厄介者であった。

 この両者をトム・ハーディが演じるわけである。特に兄よりデブなロンを演じるにあたってほっぺに綿は詰めるわなかなかの気合いの入りよう。

 

 なにしろギャング映画なので、それなりに突然の激しい暴力とか、カタギの彼女のギャング家業を諦めるように要求されたりとか、このジャンルにあるべきものはちゃんとある。
 ロンドンのイーストエンド(よくわからないが、兵庫県で言えば尼ヶ崎みたいな感じかな?)の風景も当時のファッションも良く描きこんで、下町からのし上がろうとするギャングのを描いた映画として過不足無い。

 

 しかしこの映画の狙いはそこにはない。
 あくまで「アタマのおかしい厄介者の弟を抱え込んだヤリ手ギャングの苦悩」がこの映画のテーマだ。
 そしてそのために、双子なのに正反対な兄弟を1人で演じ分ける、コレがトム・ハーディがこの映画を作った理由だろう。

 

 兄のレジーだけ観ていると普通のギャングの成り上がりストーリーだが、いちいち弟のロンがぶち壊しに来る。
 精神に不安定なものを抱えるロンはロンで悩みがあり、行動に自分なりの理由はあり、兄のジャマをするつもりはないのだが、裏目裏目に出てしまい、いよいよ兄を怒らせ、さらに追い詰められていく。

 「狂気の美学」と言う日本語のサブタイトルはなかなか巧い。

 あくまで「狂気」とその付き合い方を描いた映画なのだ。

 

 象徴的なシーンがある。
 レジーはアメリカのギャングと組んでロンドンにカジノを作っているが、ある日、アメリカンギャングの現地代理人に「ロンを消せないか」と言われてしまう。
 ドン・マイケル・コルレオーネは、ファミリーのためなら大好きな兄貴も殺していいたっけな、、、と、ふと思う。

 実際にレジーがロンを切れたかどうかは、本編でご確認ください。

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at 19:54, 空中禁煙者, 洋画

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