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「NOVA 6 書き下ろし日本SFコレクション」 サイファイ騒動に寄せて(怒涛の完結編)

評価:
宮部 みゆき,牧野 修,北野 勇作,斉藤 直子,蘇部 健一,樺山 三英,松崎 有理,高山 羽根子,船戸 一人,七佳 弁京
¥ 998


 そんな訳で「NOVA6」です。
 今回は「期せずして新人特集」だそうで、今時10人中5人新人さん、と聞いただけで「またSFでもなんでもないものを読まされるのか、、、」とビビってしまう空中さんではありましたが、よく見たら北野勇作・牧野修・宮部みゆきの三氏以外は新人さんかどうかも知りませんでした。

・斉藤直子「白い恋人たち」
 SF。紛れも無いSF。スペキュレイティブなSFとしてかなりのポテンシャルを秘めているにもかかわらず、意地でも落語で落とすあたりが個性といえば個性ですが、なんかもったいない気もします。

・七佳弁京「十五年の孤独」
 SF。しかもハードSF。ラストでダラダラしなければ傑作といってもいいのではないか。ラストはちょい手前でバッサリ終わるか、もうちょっとひねって欲しかった。あとやたらクラークにちなんだ固有名詞も恥ずかしい。

・蘇部健一「硝子の向こうの恋人」
 SF。しかもタイムトラベルSF。しかもロマンチックタイムトラベルSF。じゃあ40年前の「美亜へ贈る真珠」を超えたかって言うと超えてないわけで、日本SF40年の歴史を食いつぶす様な行為といえなくもないが、まあ、面白いんで仕方ない。

・松崎有理「超現実な彼女 代書屋ミクラの初仕事」
 非SF。このヒトの作品は、「アタシ、大学で研究職なの、理系女子なの、ウフフ」とか言いたいだけのような気がする。どうでもいいけど、新人作家がSFのアンソロジーにヌケヌケとこういう作品を寄せてくるっていうのはどうなのか。大森氏がイイといえばイイんだろうが、なんかSFというブランドを舐めているし、ひいてはSFファンであること自体を舐められたような気がする。

・高山羽根子「母のいる島」
 非SF。大森氏は「どこがSFだか分からない」と言っているが、別に分からなくはない、単にSFじゃないだけ。 「ヒットガールがたくさんいたら面白い」と思って書いたそうだが、単にヒットガールがたくさんいるハナシなだけで、別に面白くはないです。

・船戸一人「リビング・オブ・ザ・デッド」
 SF。紛れも無いSFであり、起きている事自体は特に難しいことは起きてませんが、残念ながら主要登場人物三人の抱える論理が、もう、ホントに、一行たりとも理解できませんでした。コレが「超メタ言語的な小説」ということかも知れません。

・樺山三英「庭、庭師、徒弟」
 非SFなうえに、これぞ「超メタ言語的な小説」と言う感じ。「ウィトゲンシュタイン解題」としてそこそこ面白く読めなくもないが、作者のペダンティズムを満たすための小説を読まされても困る、という感じ。

・北野勇作「とんがりとその周辺」
 紛れも無くSFですが、残念ながら「あたらしいたいようのしょ」という単語で頭の中が充満してしまい、面白さを読み取れませんでした。

・牧野修「僕がもう死んでいるってことは内緒だよ」
 「超メタ言語的な小説」であるにもかかわらず、SFであることによって、本当のリアルに突き抜けるという離れ業をやってのけている。たったコレだけの枚数で、3.11以後、リーマンショック以後(正確に言うと小泉改革以後か)の気分を(松本零士風に言うと)著しくえぐっている。
 
・宮部みゆき「保安官の明日」
 SF。宮部氏は前回の「聖痕」が面白くなかったのでちょっと身構えたが、なかなかどうして今回はプロパーのSF作家のようなSFぶり。一瞬、「う゛ぃれっじ」だの「しゃまらん」などという単語が脳内を駆け巡り始めたが、予想を上回る展開が嬉しい。最初は普通に始めておいて、チラッチラッとヒントを挟む手管はさすが。ラストの種明かしを会話で処理したのは残念ですが。

 ラストの2編で救われた感じだが、真ん中辺はもう、ホントに読むのが辛かった。
 「調弦領域」の津原泰水(コレばっか)「土の枕」のように、全くSFではないのに「ああ、この小説に出会えてよかった、、、大森さんありがとう」と思うことがないでもないが、大森氏もまさか代書屋だの島だの庭だのが「土の枕」級の傑作だとは思っていまい。「調弦領域」のように傑作選ではないのだから仕方が無いといえば仕方が無いのだが、いくらなんでも10作中3作があからさまにSFじゃない(しかも小説としても傑作だから仕方がないとは言い難い)というのはいかがなものか。
 そのうち全作あからさまにSFじゃないなどという巻が出るのではないかと不安になってしまう。
 なんとなく、サイファイ騒動の時に恫喝されたことがトラウマとなって、「超メタ言語的な小説」であればそれは意地でもSFである、と言った倒錯が起きているのではないかとさえ勘ぐりたくなる。

 前にも書いたが三ヶ月に一回出ているアンソロジーでそうそう傑作に出会えるわけはないので、今回も冒頭の3作とラスト2作で充分読んでよかったと思えるレベルではあるが、今後のことを考えると、次非SF度が増えていたら読むのやめるぞというレベルでもある。

 ココまで読んで多くのヒトは、「ジジイが最近の若いもんは分からん、、、って繰り言ホザイてるだけじゃ、、、」と思われていることと思いますが、充分承知の上です。
 今、SF界は(世界のナベアツ風に言えば)完全に盛り上がりかけていると言われているが、ほとんどは今現在のSF界のオピオンリーダーたる大森氏の功績だろう。
 その大森氏の編集方針が正しかったかどうか(オレの不安が間違っていたのどうか)は、おそらく13年後のSF界が答えてくれるだろう。

 願わくば、「NOVA7」は全てSFであらんことを(SFでありさえすれば「超メタ言語的な小説」はアリ)。JUGEMテーマ:小説全般 

at 16:25, 空中禁煙者, 書籍

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「NOVA6 書き下ろし日本SFコレクション」 サイファイ騒動に寄せて(前編)

 30代以上のSFファンは憶えているかも知れないが、ちょうど2000年前後、日本SF界に「サイファイ騒動」なるものが勃発した。
 サイファイ(「Sci-Fi」と綴る)という言葉はもともと1950年代にアメリカの有名SFファン(と言うのがいるのよ、SF界には)、フォレスト・J・アッカーマンと言うおっさんがSFの新しい呼称として提唱したものだったが、このおっさんが好きなのはSFと言ってもスペース・オペラだののSF的世界を舞台にした冒険活劇に過ぎないこともまた有名だったせいで、下手にSci-Fiを名乗るとシリアスな小説扱いされない危険があったために、ほとんど使われないまま(っていうかほぼバカにされて)、消えていった単語であった(ようにオレは認識していた)。
 
 ところが20世紀ももう、ホント押し詰まった頃、突然日本SF界に「今後オレの作品はサイファイと呼べ!」と言い出した作家がいた。
 梅原克文氏だ。
 
 このヒトはさらに遡ること数年前に「二重螺旋の悪魔」と「ソリトンの悪魔」と言うメッタヤタラに面白い作品を引っさげてSF界に殴りこんできた、驚異の新人であった。
 特に「ソリトンの悪魔」はハードSFとしても上出来にして、10ページに一回手に汗握るという、かなり難しいことを成し遂げた傑作であった。当時「あー凄いヒトが出てきたなぁ、、、」とワクワクしたものである。
 どれくらい凄いかというと、日本SF大賞こそ神林長平の「言壺」に譲ったものの、推理小説でもミステリーでも何でもないのに、日本推理作家協会賞に選考委員の小松左京がムリヤリ突っ込んだ、というくらい凄いのである。
 
 この梅原克文氏が「今後オレの作品はサイファイと呼べ!」と吠えたわけだ。
 当時の梅原氏の主張をオレなりに解釈すれば、当時(今もなんだけど)のSFには、「超メタ言語的な小説(注:後述)」と梅原氏の書くような大衆娯楽サイエンス・フィクションが混在している、と。もし大衆娯楽サイエンス・フィクションを期待して書籍を購入した読者がたまたま「超メタ言語的な小説」に当たって心底ガッカリすると、「SF」の二文字に対する警戒心が芽生え、二度とSF作品を手に取ろうと思わなくなってしまい、長じて大衆娯楽サイエンス・フィクションまで購買機会が失われてしまう。したがって、もし「超メタ言語的なSF」をSFと呼ぶのなら、今後オレの書くような大衆娯楽サイエンス・フィクションをSFと呼ぶな、サイファイと呼べ、と。この主張はもし今後オレの作品をSFとして扱うような書評があれば、営業妨害で訴える、と言うところまでエスカレートしてしまう。

 なんだかなぁ、、、と思ったものだ。
 そもそも文芸の問題(批評だって文芸活動の一環だ)を法廷で解決しようと言う態度が全く気に入らなかった。名乗りたければ自分で勝手に名乗ればいいのである。そして本当に大衆に読まれる面白い大衆娯楽サイエンス・フィクションを量産すればいいのである。そうすれば自ずとサイファイの呼称も大衆に膾炙するだろうし、大衆はこぞってサイファイのブランドを求めて本屋を彷徨するだろう。そうなって初めて梅原氏の勝ちではないか。それが言論に生きる作家という職業のあり方ではないか。
 
 さらに梅原氏による定義には「サイファイにおいては(超人類を出す場合)、超人類は悪役として描かれなければならない」などという項目があったりして、なんかエラく窮屈なのであった。「おんなじようなハナシばっかりになっちゃうんじゃ、、、」と思わざるを得ない。
 そんな事言ったら大衆娯楽サイエンス・フィクションでありつつ超人類を善玉として描いた小説が、作者や出版社自らサイファイと名乗ったらどうするつもりなのか。訴えるんだろうか。百歩譲って自作をSFと呼ぶなと言う権利はあるとしても(司法に委ねるかどうかはまた別問題)、他人の作品にサイファイと名乗るな、と主張する権利はない筈である。そもそもサイファイという名称自体梅原氏が作った言葉ではないのだから。

 一方、「超メタ言語的な小説」と言う呼称は梅原氏の造語である(自分でそう言っている)。
 言葉通りにもうちょっと平たく表現すると、「言語自体に言及するような言語であることを上回ってしまうような小説」ということになってしまい、一体全体どんな小説なのか想像もつかない。梅原氏自身の説明によると、「個々の文章や、個々の場面に現実味がなく、言葉と現実との一対一の対応関係を壊して、勝手に『言葉だけの宇宙』を作ってしまったようなタイプの小説」ということらしい。
 コレはオレの勝手な解釈だが、要は「設定・人物造形・ストーリーの全てにおいてリアリティのない(現実との接点の有無を問題にしない)小説」というようなことではないかと思うのよ。
 そしてその具体例として名指しされているのは、神林長平と大原まり子なのだ(読者諸兄においてはココでくれぐれも「ソリトンの悪魔」の退けて日本SF大賞を取ったのが神林長平氏だったことなどを思い出さないようにお願いしたい)。
 まさにこの二人こそはこの騒動に先立つこと3年前に勃発した「SFクズ論争」(と言うのがあったのよ)に於いても、「ここ20年の日本SFを支えてきた」と名指しされた二人だったのである。

 結局この騒動は肝心の梅原氏が騒動後に発表した伝奇小説「カムナビ」がロクでもない出来だった(らしい。ゴメンナサイ読んでません)事、その後梅原氏の作品自体が発表されなくなってしまったことで、あっけない終焉を迎える。現在「サイファイ」でぐぐっても、この騒動関連かサイファイと言うバンドくらいしかヒットしないと言う状況である。

 当時オレはこの騒動を眺めていて、「梅原さんどうしちゃったのかなぁ、、、」と思っていた。自らの作品を大衆向けの娯楽、と言い切る潔さは認めるが、彼が一貫して主張しているのは「商売上の都合」であって(自分でハッキリそう言っている)、仮にサイファイブランドに惹かれる読者を獲得したとしても、結局彼らを娯楽小説しか読まない大衆、とバカにしてることになるんじゃないか、娯楽性には厳しいが、結局彼らを舐めた小説を書く様になってしまうのではないか、とも思えるのである。

 と、いうのがかれこれ12年前の出来事であり、当時、梅原氏の主張に困惑したオレではあったが、昨今、なんとなく当時の梅原氏の苛立が解るようになってきてしまった(そうです。なんと、ココからが本題です)。
 実は、ココ数年、大森望編集による、「年間傑作選」やら「NOVA」シリーズやらで最先端の日本SFに触れると、なんだコレは、、、と思う作品が必ず何作か含まれている。
 なにコレ、、、SFだって言うから買ったのになんでこんなもの読まなきゃならないの、、、などと、まさに12年前に梅原氏が想定した読者そのまんまの反応をしてしまう自分に気づいたりする。

 当時、神林長平や大原まり子の諸作が「超メタ言語的な小説」と言われても全然ピンと来なかった(今も来ない)が、例えば今、(先週芥川賞を受賞した)大森氏のお気に入り、円城塔の諸作が「超メタ言語的な小説」と言われれば、まさにピッタリではあるまいか(思えば「リアル・フィクション」などという解り難い造語も、字義通りの「超メタ言語的な小説」にこそリアリティを感じる世代の台頭を表す言葉として、立ち上がってきたのかも知れない)。。
 してみると今のオレが円城塔に感じるような戸惑いを、梅原氏は神林長平や大原まり子に感じていたのかなぁ、、、という気が凄くして来たのである。

 さて、今回オレが何故「NOVA6」を読んで10年以上も前のSF界の内輪もめ(って言っただけで梅原氏は怒り出しそうだが)を思い出したかというと、まさにこの騒動の時、梅原氏に「これ以上SF扱いしたら訴える!」と恫喝された人物こそ、NOVAシリーズの編者、大森望氏そのヒトなのであーる!

 この項続きます。JUGEMテーマ:小説全般

at 16:45, 空中禁煙者, 書籍

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「デビル」 良く出来た新人の習作。シャマラン責任取れ。

 シャマランが書き溜めたアイデアを若手が映画化するレーベル「ナイト・クロニクル」の第一弾。要はシャマランが「オレ様が自ら手がけるほどの事ないな、、、」と思ってボツにしたアイデアがいっぱいあるってことだろう。

 冒頭の絵が素晴らしい。空撮で海から大都会(フィラデルフィアらしい)に寄っていくのだが、絵が上下逆さまなのだ。たったコレだけの工夫でとてつもない違和感。後々この上下逆さまの絵が伏線であったことがわかるのだが、「ああ、この監督はただもんじゃない、なんかやってくれるかも、、、」と期待させるに充分。

 ビルからの飛び降り自殺を調べてた刑事が、同じビルでエレベーター事故が発生してることを知る。故障してないエレベーターがなぜか止まって、中に男女5人が閉じ込められているが、中の状況をモニターで観察していた警備員から、「中の人間同士で諍いが始まったのでちょっと見てくれ」と言われる。

 中盤まで普通のサスペンスなのかオカルト物なのか判らない展開が良い。迷信深い警備員が「これは悪魔の仕業だ、、、」とか言い出すが、刑事は取り合わない。しかし、閉じ込められた奴が次々とロクでもない奴であることが判明し、一人づつ死んでいくのを見るに至って、とうとう刑事も迷信深い警備員に「オマエの故郷の迷信じゃコレ最後どうなるんだ、、、」と訊かざるを得なくなる。

 主役の刑事はテキパキと有能だし(ヒトがドンドン死んでんだからもっと偉い人が出てきてもいいような気はする)、警備員たちも無能じゃないし、閉じ込められた5人の反応と行動もまあ、納得の行くもの。
 ちゃんと練ってある脚本と、シャマラン仕込の丁寧な演出で、まあ、ラストまでツルツルと見せられてしまう。

 が、ラスト地味だよね。
 なんかもうちょっと爆発してくんないと、よく出来たTVムービーみたいな印象。

 それにラストまで観て初めて判るんだけど、これ、別に一人ひとり殺して行ってエレベーター内の人間ビビらす必要なくね?犯人側の意図としては一気に全滅でもいいような、、、

 「シャマランの原案がそうなってから」じゃなくて、その二点をどうにかしないと、単なる(有望な)新人の習作をシャマランのネームバリューで観せられただけになっちゃって、観ちゃったこっちの立場ってもんがない。
 ショージキ、次のナイト・クロニクル作品はよほど注意しないと手を出せませんな。JUGEMテーマ:映画

at 15:22, 空中禁煙者, 洋画

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「SUPER8/スーパーエイト」 「E.T.」フォーマットが余計

 (ナイツ塙の声で)
 「国民の皆さんにまず申し上げたいことは、この映画のタイトルが『スーパー8』だということであります!」

 40代以下の人はまずわからないだろうが、スーパー8と言うのはコダック社製の8mmフィルムの規格。日本には富士フィルム製の「シングル8」と言うスグレモノ(まあ、スーパー8のパクリなんだけど)があり、こちらが主流だったような気もするが、やや使い勝手が悪いものの(フィルムを巻き戻せないのでオーバーラップができない)発色の良いスーパー8を好むヒトも居た。家庭用ビデオカメラが普及する以前は、ホームムービーだろうと大学生の自主映画だろうと、これらを使って撮影されていたのであーる。

 ストーリーは「地球に不時着した宇宙人が地球人の子供との交流を経て宇宙に帰る」ハナシを映画にしろ、と言われて80年代にスピルバーグが撮ったら「E.T.」になって、30年後にJ・J・エイブラムスが撮ったら「スーパー8」になりました、というようなもんだが、正直、その辺はどうでもいい。宇宙人バナシはむしろ、列車事故は起きるわ街に軍が押し寄せてきてワヤクチャになるわの大騒ぎの中、それども映画を作り続ける(どころかこの騒動を利用したりする)14歳のガキンチョ映画作家どものバイタリティーの際立たせるためにしか無いような扱い。
 いやホント、14歳のガキンチョはしたたかでパワフルです。
 この雰囲気は「E.T.」よりも、むしろミシェル・ゴンドリーの「僕らのミライへ逆回転」に近いよね。

 8mm映画を作るガキンチョのハナシがやりたいんなら、もっとストレートにやればいいのに、、、と思うんだが、正直言って今のJ・J・エイブラムスの腕ではそれだけでは面白い映画にならないので、毎度おなじみ「E.T.」フォーマットを持ってきたようにしか見えない。制作にスピルバーグを引っ張り出せたんで誰も「パクリじゃん」とは言わないし。
 もう、見事に映画作りパートだけが面白くて、宇宙人絡みのパートがつまらないのね。殺人宇宙人が街に入り込んでんのに軍の対応がそんな牧歌的でどうすんだよって言う。

 ガキンチョ達と宇宙人の絡みもどうでもいいし。せっかく宇宙人が写ったフィルムがあるのにほとんど役に立ってねえし。秘密を守るために軍がガキンチョの2・3人拉致して、フィルムありかを吐かせる、位の展開にしないんなら、「密かに軍が輸送してた宇宙人が、、、」って設定にする必要ないと思うんだよな。

 必然的に映画作りに心血を注ぐガキンチョ共のシーンは少なくなっちゃうんだけどさ、コレが凄くいいです。特に、深夜終電が終わった駅でこっそり撮影してたら、何故か走ってきた列車を見て、「コレを写し込めば映画のクオリティが上がる!!」と叫ぶ、監督役のデブ君の設定がいい。いっぱしの映画屋気取り。抜群の才能とリーダーシップがあるにも関わらず、淡い恋には負ける(当然、主役が勝つ)せつなさも泣かせる。
 その淡い恋の相手は天才子役ダコタ・ファニングちゃんの妹、エル・ファニングちゃん。ガキンチョ映画のヒロインに抜擢されて、突然とんでもない演技力を見せてガキンチョ共を震撼させる、などという難しい芝居をして姉に劣らぬ天才ぶりを発揮します。
 彼女や主人公の母親がいない設定なのは、「E.T.」で父親がいなかったことへの裏返しに過ぎないだろとか、スピルバーグへのオマージュのつもりなのか、無駄な要素が多すぎる。そういうのやりたいんなら、せめて映画製作の途上で実現して欲しい。

 ビデオカメラに変えれば現代だろうと成立するハナシなんだけど、敢えて時代設定を1979年にしたのは、まさにその時14歳のJ・J・エイブラムスがスーパー8で映画を作ってたからであろうと同時に、ギリギリこの辺が、8mmフィルムがホームムービーの主役足り得た時代だったからではなかろうか。
 日本ではあと5・6年持ったような気がするが、このあと8mmフィルムはほぼビデオに取って代わられるのであった。
JUGEMテーマ:映画

at 11:34, 空中禁煙者, 洋画

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「マイ・バック・ページ」 川本三郎氏が実話で「関係者の言い訳ムービー」に参入

 「突入せよ!あさま山荘事件」や「クライマーズ・ハイ」と同じ印象。
 まだ生きている原作者が事件の当事者であるハナシは、必然的に言い訳臭くなってしまう。

 この映画で、オレにとって顔と名前が一致しない役者さんたちは、全員70年前後の雰囲気を出せていると思う。コレに対して顔と名前が一致する役者さん5人のうち二人、ブッキーとマツケンは、見事に70年代の雰囲気を出せてない。コレはオレがたまたまこの二人が現代に活躍してる役者さんであることを知っているせいで、今のイメージに引き摺られているのだとは思いたくない。この二人だけヘアスタイルが今風なのだ。ちょっと分け目を作るだけで格段に70年の雰囲気になるのになぁ、、、やっぱスターだからダメなんですかね、、、ちなみに残り三人のうち一人はオレが顔と名前が一致するにもかかわらず70年前後の雰囲気を出せている。あがた森魚だ。もう一人、三浦友和は分け目があるにも関わらず失敗してる。

 ある雑誌記者(まあ、若き日の川本三郎氏)が、左翼活動家にコミットしすぎた挙句、殺人事件を犯した活動家の事後重犯になってしまい、出版社を首になるハナシ。

 犯人役のマツケンはもともとこの世代では抜群にうまいし、記者役のブッキーも「悪人」では「実は上手いんだなぁ、、、」と思ったが、さすがにコレは荷が重かったかなぁ、、、と言う感じ。

 ブッキーは上司や同僚に声高にジャーアナリストの理想論を語るが、どうも迫力不足。もうちょっと人物造形とか演技プランをちゃんとやればブッキーなら出来そうな気がするだけにちょっと隔靴掻痒感が否めない。

 マツケンは、今、この役ができるのは多分マツケンしかいないのだろうと思うが、さしものマツケンをしてもこのオトコの二重性は表現できていない。そもそもこのオトコが

1.嘘や殺人も含めて本当に革命に寄与すると信じて行動している。
2.サイコパスといっても良い病的な嘘つきで、嘘も殺人もなんとも思ってない。
3.はやりの左翼活動に乗っかってオトコを上げるためにヒリヒリしたものを感じながら嘘を付いている。

のどれだか解らない。
 ストーリーの構成上、多分1.はないと思うが、2.だった場合、マツケンの演技は明らかに狂気不足。
 3.だった場合(オレは多分コレだと思ってる)、例えば「幻滅しました、、、」と言っているとき、本当に幻滅したのか、心のどこかにヒリヒリしたものを感じながら、「(オレ、今嘘つかなきゃ、、、)」と思いながら「幻滅しました、、、」と言っているのか、今のマツケンの演技力では区別出来なかったようだ。

 昔、故伊丹十三氏が、「日本の役者はサラリーマンの役が下手」と言っていた。サラリーマンというモノはいつも本当の自分と「サラリーマンとしての自分」を演技して使い分けているものであり、この、その辺のサラリーマンが普通にやっている二重性が、日本の役者には表現できない、と言うことだった。
 要はこういう事だろう。
 マツケンの演技力を持ってすれば、革命家だろうとサイコパスだろう詐欺師だろうと簡単に演じられるが、嘘で塗り固めた挙句、人生自体が嘘になってしまったオトコの二重性は荷が重かったのだろう。
 いや、もしかするとその辺は監督や脚本家ですら曖昧なママ撮影しているのかも知れない。

 そんな中、顔と名前が一致する最後の一人、忽那汐里ちゃんだけは、見た目は現代の美少女のままであるにもかかわらず、なにやら圧倒的な存在感で役に拮抗できている。
 大きな瞳でブッキーを見つめる眼差しは、確かに何事も真剣に受け止める70年代の少女を表現できているような気がした。

 全体に他の役者さんたちは70年代の雰囲気を出せているし、長回しを多用した役者の整理を捕まえようとする演出が、丁寧な印象を与えるだけに、主役二人のフラフラした感じが残念。

 と、思っていたのだが、終わり近くになって、なんとなく、何故ブッキーをキャスティングしたのか解ってきた。
 結局このブッキーは犯人から預かった犯行時の証拠を燃やしてしまい、証拠隠滅の罪に問われるのだが、ブッキーの指導者的立場にある先輩記者から「何故燃やしたんだ?」と訊かれて、「なんか気味が悪かったんですよ」と答えるのだ。

 んなわきゃーない。

 そもそも証拠を預かる前からブッキーはマツケンが嘘つきであることが解っているような描写がなされていて、最終的に「なんで信じちゃったんだろうな、、、」などとホザくのだが、実際には証拠を燃やした時点ではマツケンが革命戦士だと信じていて、彼を助けるために証拠を燃やしたに決まっている。
 この辺が、もう、イイ訳くさいというのだ。
 この腰の座らなさ、曖昧さをリアルなものにするためのブッキーなのではないか。
 そう思ってみると、ブッキーは見事に期待に答えている。全体の演出プランにあった芝居ができている。
 
 さらに。
 ラストカットでブッキーは驚くべき演技力を見せるのだ。まさに一世一代の大芝居だ。
 正直言ってオレはブッキーがここまでやるとは思わず、ぶったまげてしまった。
 会話の相手を画面から外して声だけにし、じっくりブッキーの芝居を見せるカメラワークといい、このカットでバッサリ終わる印象的な構成といい、このラストカットは歴史に残るかも知れない。実を言うとここにこの芝居を置いた意味がまた言い訳臭くて白々しいのだが、そういう思いがなかったら、観ていて泣いたかも知れない。アブナイアブナイ、、、

 忽那汐里ちゃんは週刊誌の表紙モデルの役。ラストカット前のナレーションで、彼女がメジャーになってドラマに数作出た後、「死んでしまう」と伝えられるが、モデル(この場合のモデルは表紙モデルじゃなくて実在する人物ね)となった少女は、どうも共演の男優と恋愛問題でモメて飛び込み自殺したらしい。この時共演していたのが、後に石原真理子や水沢アキにレイプまがいの関係を持ったことで有名になった森本レオ。
 こっちのハナシメインにしたほうが面白くなったかも、、、JUGEMテーマ:映画

at 18:53, 空中禁煙者, 邦画

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