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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「翔んで埼玉」 全埼玉が泣いた。

 もう、40年近くになろうとしている。
 タモリが「ダサいたま」という言葉をはやらせてから、幾星霜。埼玉県民は謂れの無い(有るんだけど)差別に苦しんでいたはずである。
 そんな、長きに亘る差別の歴史に遂に終止符を打つ時が来た。
 いよいよ埼玉県民の逆襲が始まる。
 
 コレはそんな映画です。
 
 まず、驚いたのは、今年45歳のGACKTが高校生を演じることが、途中から不自然でなくなってきたこと。
 二階堂ふみの高校生はまだいい。
 まだいいが、この映画での二階堂ふみは男子役である。
 最初は男装の女子かと思っていたが、どうやら二階堂ふみに男子高校生の役を演らせている。
 中年ロッカーと美人女優が「男子高校生(しかもカップル)」って大丈夫なん?と誰もが思うだろうが、ワタクシ空中さんのような魔夜峰央オールドファンは、途中から
「ああ、この二人(GACKTと二階堂ふみ)はバンコランとマライヒだな、気づく。
 その瞬間からGACKTの高校生が気にならなくなる。
 魔夜峰央マジックというべきか。
 
 さらにマライヒ役を二階堂ふみに無理やり演じさせることによって、ボーイズラブに嫌悪感を感じる層にもなんとか受け入れられるものにするという仕掛けも見事。コレは武内監督のマジックの手柄と言っていいだろう。 武内英樹監督は「テルマエ・ロマエ」でもいくつかこういうマジックを見せていた。
 いや、思えば「テルマエ・ロマエ」は日本人にローマ人を(ある程度)違和感なく演じさせるというとんでもないマジックを成し遂げていたっけ。
 
 映画は徹底的にサイタマ県民が徹底的に差別される世界を描くことで始まる。
 その、徹底的なデフォルメで笑わせるが、この映画の眼目は後半、差別されることに慣れ切ったサイタマ県民をGACKTがオルグするシーンだろう。
 そう、この映画は革命に関する映画なのだ。
 
 GACKTがこれまでいかにサイタマ県民が虐げられてきたか切々と語るシーンでは、サイタマ県民は多分泣くと思う。そして
 
 革 命 を 起 こ さ ざ る を 得 な く な る と 思 う 。
 
 我々都民は今後サイタマ県民による復讐におびえながら暮らさざるを得ないのだろう。
 南北戦争以来アメリカの白人が黒人による復讐におびえながら暮らしているように。
 
 この映画の主要部分、つまりGACKTと二階堂ふみがの革命のハナシは、実はとあるサイタマ県民の一家が車で移動中、NACK5から聞こえてくる「都市伝説」として語られる。
 サイタマ県民がサイタマ県民による革命の物語を都市伝説として聞いている、という構図である。
 この一家が小柳トム、麻生久美子の夫婦とその子供のぱるる。
 映画はこの一家の車移動と、「都市伝説」を交互に描く。
 やがて一家の長であり生粋のサイタマ県民である小柳トムは、ラジオから聞こえてくる「都市伝説」に感動し号泣し始めるのだが、その娘である以上やはり生粋のサイタマ県民であるはずのぱるるは(母親の麻生久美子は千葉県民の設定)、徹底して冷淡である。
 差別するほうもされるほうも徹底的にアホなことをやっている世界で、ぱるるだけは冷静にツッコミを入れ続けている。
 つまり、ぱるるだけが映画世界に対して「塩対応」なのである。
 
 コレも巧いと思った。
 まさにぱるるにぴったりの役ではないか。
 
 そして映画の前半、観客はあまりのバカバカしさにぱるるに感情移入するのだが、やがてぱるるの冷静さが不思議にすら思えてくる。
「オマエそれでもサイタマ県民か」
などと思ってしまう。

 実をいうとワタクシ空中さんはこの「現実部分」と「都市伝説部分」をどうやって接合させるのかな、と思って固唾を飲んで見守っていた。
 が、武内監督、残念ながらこの接合には失敗したようだ。
 
 都市伝説部分で埼玉千葉群馬東京を巻き込んで大騒ぎしているのに、仮にこれが現実だった場合、現実世界に知られていないわけがない。
 ラストカットでのGACKTと二階堂ふみは年取っていないのだから、昔のハナシという言い訳もできない。 ただ、野合させただけになってしまっている。
 
 作品世界に対して外側からツッコミを入れ続けるという工夫は一般映画として有効だと思うだけに、ここは残念。

JUGEMテーマ:映画

at 00:56, 空中禁煙者, 邦画

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「絶滅の人類史 なぜ『私たち』が生き延びたのか」 ルーシーとイブの間に

 松本零士氏はアニメで大金を得るようになってから、やや作風が変わってしまったが、それ以前は非常にこだわりの強い作風で、別の作品に同じテーマのエピソードを何度も繰り返し挿入するようなヒトだった。
 そんな松本零士氏がこだわっていたテーマの一つが、「ネアンデルタール」。
 ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の交雑によりホモ・サピエンスのDNAに眠るネアンデルタールのDNAが何かの拍子に目覚め、ネアンデルタール人としての自覚と記憶(松本氏の作品世界ではネアンデルタール人は先祖の記憶を全て継承していることになっている)を取り戻した学者が、自らの先祖を滅ぼしたホモ・サピエンスに復讐を企てる、というのが主なモチーフだった。
 彼の激しい復讐心は、先祖から受け継いだ「(ホモ・サピエンスに)男は殺され喰われ、女は犯され」た記憶による。
 つまり、このモチーフにおいては、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスに「暴力的に」滅ぼされたことになっている。
 
 毎度毎度無知を晒してますが、松本零士氏のこのモチーフの作品を読んだ時点で、ワタクシ空中さんは
 
「ホモ・サピエンス以外にも人類と呼ぶに値する種がいた」

ことには気が付いていた。
 しかしそこまで。
 
 あるじゃん?
 アウストラロピテクスとか。
 シナントロプス・ペキネンシスとか。
 ホモ・エレクトスとか。
 ああいうの。
 
 アレ、ワタクシ空中さんは、要するにお猿とホモ・サピエンスの共通の先祖からホモ・サピエンスに至る過程なんだと思ってた。
 あの、よく見る、コブシついて歩いてたお猿が徐々に立ち上がって最後サラリーマンになる、アレ。
 要はあの途中にのどこかにみんな収まるんだと思ってた、ネアンデルタール人以外は。

 しかし違うのである。
 本書によれば、ネアンデルタール人以外にも人類と呼ぶに値する種は20種以上もいたのである。
 しかしそのほとんどは絶滅し、ホモ・サピエンスだけが生き延びた。
 コレがタイトルの「絶滅の人類史」の意味である。
 ここでいう「人類」とは我々ホモ・サピエンスのみを指すのではなく、コレら滅びていったホモ・サピエンスとは別の「人類」のことなのである。
 
 我々現代人にとってはほぼ、人類=ホモ・サピエンスなのでこの辺はすごくこんがらかるが。
 
 ではなぜネアンデルタール人を含むホモ・サピエンス以外の人類は滅びていったのか、が本書のテーマであると言っていいだろう。
 松本零士氏の言うように、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスに殺戮されて絶滅したのだろうか。
 
 残念ながら、というか、幸か不幸か違います。
 詳しくは本書にあたって欲しいが、「殺戮しなくてもある種が他の種を滅ぼすことはある」ということだろうか。
 結局のところ、ホモ・サピエンスが滅ぼしたには違いないんだけど。
 別に殺戮しなくても他の種が滅びる要因になりうるよっていう。
 
 ところで、ですね。
 本書を読んでいてふと気づいたんですけど、本書を読んでいると、岸田秀先生的な、というか高野信夫的な「白人は黒人に差別されてヨーロッパに渡った黒人の白子である」的な言説って成り立たなくなるのかなぁ、、、という気がしてきた。
 
 別に差別されて追いやられなくても、原人の段階でどんどんヨーロッパにもアジアにも渡っているではないか。
 もちろんこんなことは本書を読まなくてもとっくに気づいていてしかるべきなのだが(「白人白子説」を支持するかどうかはまた全然別の問題)、ここに気づいて今後この説の信憑性に気を付けて読書しようと思えただけでも本書を手に取った価値はあったというものだろう。
 読書ってそういうものだと思います。
 
 あと、加藤隆先生には申し訳ないが、加藤先生の著作のあとに読んだせいか、本書のリーダビリティの高さは尋常じゃない。
 まあ、年齢的な問題もあるだろう。
 更科功先生はビートルズ世代であり、たとえ話がビートルズである(と言っても60近いお歳だが)。
 有名なアウストラロピテクスの化石が発見された際、発掘隊がテープレコーダーでビートルズの「Lucy In The Sky With Diamond」を聴いていたこと因み「ルーシー」と名付けられた、という故事に始まって、この学会にはビートルズファンが多いのかもしれない(ていうか、発掘隊はLSDでキマってたんじゃ、、、)。

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 21:40, 空中禁煙者, 書籍

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「旧約聖書の誕生」 モーセ五書はなぜ律法と呼ばれるのか。

 無知とは恐ろしい。
 旧約聖書はいつどのようにして出来たのだろう。
 なんとなくわかっていたつもりでいたが、ちっともわかってなかった。
 
 なんとなく、イスラエル定住後だろうな、というのは分かる。
 恐らく、出エジプト以前に「自分たちが一つの民族である」という自覚はなかっであろうから。
 そして旧約聖書の最初のほう、アダムとイブで始まる創成期から、モーゼによるエジプト脱出までは、19世紀くらいまではモーゼが書いたと思われていて、「モーセ五書」と呼ばれていたが、今では完全に否定されている。
 否定されていはいるものの、モーゼが亡くなった直後あたりから、まとめられ始めたのだろう、と思っていた。なんとなく。
 
 しかし、エジプトを脱出してカナンに定住し始めたのが紀元前12世紀頃、本書によればエズラによりモーセ五書がまとめられたのがバビロン虜囚が終わってイスラエルがペルシアの支配下に入った紀元前5世紀頃である。
 700年も何をしていたのだろうか。
 経典的なものが何もなくて信仰を守れるのだろうか。
 
 いや、700年間どうやって自分たちの信仰を守っていたかは、今はどうでもいい。
 問題は、なぜその時点でエズラは言い伝えを一冊の本としてまとめようと思ったのか、だ。
 
 基本的な認識。
 キリスト教の経典として新約聖書と旧約聖書の二種類がある。
 このうち旧約聖書は実はユダヤ教の経典でもあるが、当然、ユダヤ教サイドでは「旧約」などと呼んでいない。
 「なんでウチの経典が旧いねん!ウチらいまでもこれでもやっとんねん!!」
 てなもんである。
 じゃあ何と呼んでいるかというと、一応、「タナハ」という呼び名がある。
 この辺はすごくメンド臭いんで深入りはしないが、一応「トーラー(モーセ五書)」「ネイビーム(預言者)」「ケトゥビーム(諸書)」の三つを合わせて(三つを合わせると、キリスト教の旧約聖書とほぼ同じ内容になる)「タナハ」というらしい。
 まあ、われわれ異教徒としては、「ヘブライ語聖書」といえば大体ユダヤ教の経典だな、という認識でいいのではなかろうか。
 新約はギリシャ語で書かれているので、ヘブライ語で書かれているといえば、まあ、ユダヤ教から見た旧約聖書、タナハのことだな、とわかることになっている。
 
 で、ですね、なんとなく、トーラーだけでもヘブライ語聖書のことを指すような場合もあってメンド臭いわけですが、まあ、そこはどっちでもいい、問題は「トーラーってどういう意味?」ということなのよ。
 
 モーセ五書ならモーセ五書でいいじゃん、トーラーってナニ?ということですが、これが、なんと、日本語にすると「律法」である。
 コレはわたくし空中さんも昔から不思議だった。
 え?律法?律法ってどういうこと?律法っつったら法律じゃん?
 モーセ五書っつったらあれじゃん?
 アダムとイブから始まって、アブラハムが子供殺しかけたり、ノアが船に乗ったりロトの奥さんが塩になったりモーセが海割ったりするヤツじゃん?
 あれが何で法律なの?
 どうみても「物語」じゃん?
 物語をなんで法律って呼ぶの?
 
 驚いたことに本書にはその答えが書いてある。
 なぜ、物語を律法と呼ぶのか。
 呼ばざるを得なかったのか。
 その答えが書いてある。
 これは驚くべきことではないか。
 
 但し、コレについては作者自身「そう考えるのが自然ではないか」と書いているように、学会で定まった定説ではないようである。
 むしろ、作者の唱える新説なのかもしれない。
 しかし、一度聞かされてしまうと、それを否定する説を聞かされるまでは、それが真実になってしまう。
 というか、もう、そうとしか思えない。
 なるほどねぇ、、、思ってもみなかったけど、そう言われてみるとそうとしか思えないねぇ、、、
 
 あ。肝心の「答え」については本書をあたっていただきたいが、ヒントはある。
 これは秘密でも新説でも何でもない、新約聖書成立にも同じような事情があったではないか。
 それは、
 「新約聖書を作ったのは、ローマ帝国である」
 ということだ。
 
 本書は全体としては、旧約聖書の成立に合わせて古代イスラエル人たちの歴史をたどる、という構成になっている。
 なるほど旧約聖書はだいたい、ユダヤ人と神のかかわりの歴史書なので、
「ここココ、ここの時期にこういう必要があって旧約のこの部分が成立したのよ」
と言う構成はヤラレてみれば有効だなぁ、、、と思う。
 
 作者の加藤隆先生はもともと新約が専門だが、本書以降(2009年)旧約に関する著作も増えている。
 そして、ハッキリと「神学者」である。
 
 ワタクシ空中さんの中で、「神学者」と「宗教学者」は違う。
 「神学者」は多分研究しているその宗教の信者である。
 「宗教学者」は多分どの宗教の信者でもない。
 「宗教学者」が何かの宗教の信者だったらその説はあまり信用が置けない気がするが、「神学者」であればその限りではない。
 
 つまり、加藤隆先生はハッキリとキリスト教の信者であると思われる。
 またしても全く無知をさらして申し訳ないが、ワタクシ空中さんのような門外漢には、特定の宗教の信者がその宗教について批評的な見解を発表する、という行為に対してのスタンスがうまく取れない。
 もとより聖書に対して比較宗教学的な研究が進んだ現代では、福音派の一般信者のように聖書に書いてあることを頭から丸呑みするなどという研究は、学者としての立場が許さないだろう。
 しかし、本書のように曲がりなりにも「聖なる書」である旧約聖書にたいして「旧約聖書もつまりその時々の時代の要請に応じてその時々のヒトビトが成立せしめたものである」という研究をしていて、「信者」としての心の平衡がとれるんだろうか。
 この辺、同じ神学者の田川健三氏は割とスッキリ解決されていたようにも思うが、加藤先生がどうやって解決しているのかは分からない。
 まあ、当然研究者の皆さんの間ではとっくに解決されている問題なのだろうが、シロートとしてはこの辺はケッコー気になるのよ。
 しかし加藤先生はマジメな学者さんである。
 マジメな学者さんである、ということとリーダビリティの高い文章を書く、ということはイクォールではない。
 加藤先生の文章は決して晦渋ではないものの、ややリーダビリティが低く、
「アレ?この一説は何を説明するためにこの文章があるんだっけかな?」
とわからなくなることが度々あった。

 巻末で加藤先生は「聖書を分かりたければ最低限ヘブライ語とギリシャ語は勉強するように」などとおっしゃる。
 あくまでもマジメに聖書に取り組んでらっしゃるのであった。

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 05:02, 空中禁煙者, 書籍

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「スカイライン -奪還ー」 いい意味でフツーの映画になった。

 「スカイライン -征服-」の続編。
 前作の時点でワタクシ空中さんは続編のあり方をある程度予想しているが、まあ、見事に外れましたね。
 ていうかコレ、別の続編である必要なくね?

 

 そもそも前作はCGだけはやたら得意な奴ら(グレッグとコリンのストラウス兄弟)がそこそこ緊密な脚本とギリギリの役者でどうにかこうにか面白い映画になりました、というようなもんであった。
 しかし今回は監督を弟分(っていうかストラウス兄弟の会社の社員)のリアム・オドネルに譲ってみたら、前作のパニック・サバイバル映画とは打って変わって、なんと、エイリアン相手に人類が「肉弾戦」を繰り広げるアクション映画になってしまいましたとさ、というハナシ。
 弟分にヤりたいことヤラせるに当たり、一応ヒット作である前作のネームバリューを使わせてやった、というところか。

 

 で、ですね。
 結論として、ケッコウ面白かったですぅ、、、

 

 アクション映画になってしまった、っていうかアクション映画にすることが出来たのにはワケがある。
 前作が全然無名の役者ばっかりだったのに比して、今回は次世代アクションスター(もう54歳だけど)のフランク・グリロと、世界的に大ヒットしたインドネシアののストップアクション映画「ザ・レイド」シリーズのイコ・ウワイスとヤヤン・ルヒアンをブッキングできたのだ。
 特に「ザ・レイド」組の二人がいれば、まあ、「なんかメカメカしいエイリアンVS生身の人間」という無茶なアイデアもあり得るかな、と思ったのも無理はない。
 事前に人間同士で超絶アクションをちゃんと披露している手堅い展開のせいで、いざエイリアン相手に刃物で戦い始めても、「ま、まあ、アリかな、、、」という気持ちにさせる。

 なにしろアメリカで刑事だったフランク・グリロがエイリアンに誘拐された不良息子を「奪還」すべく宇宙船に潜入して、イロイロやってるうちに宇宙船不時着したから外に出てみたらそこは既にラオスでした、という安直な展開。
 もう、「ザ・レイド」組ありきの映画であることがミエミエ。

 

 しかも今回、父と子の交流だの男同士の友情だのエイリアンに改造されても揺るがない男女の愛だのアタマはいいけどヘンな奴だの、色んなものが過不足なく自然な流れで描かれていて、なかなかどうして飽きさせない盛り沢山な映画になっていて、それはつまり一言でいうと「ある意味フツーの映画」になっている。

 前作の「金はないけど技術と知恵だけでここまでヤッてやったぜ!!」という先鋭感と潔さは薄れ、「B級映画にあるべきものがしっかりとある」という、やや安っぽいテイストになりながらも「フツーの面白い映画」になったのだが、コレはコレで素晴らしいことだ。
 なにしろ「面白いB級映画に必要なもの」がなんだか解っているのだから。
 コレはかなりの手練じゃないと出来ませんよ。

 とりあえずリアム・オドネルくんは、特撮屋の分際でこれだけちゃんとした脚本・演出をこなしたのだから、今後の注目株かもしれない。

 

 で、スカイラインってナニ?3作目で判るの?(判んないんだろうなぁ、、、)

JUGEMテーマ:映画

at 20:45, 空中禁煙者, 洋画

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「カメラを止めるな!」 史上最も邦画界に愛された映画

 コレは恐れ入った。
 イロんな意味でまいりました。
 もちろん映画自体も素晴らしいのだが、この映画を取り巻く状況にちょっとヤラれた感が強い。

 

 御存知の通りこの映画は2018年の話題作であり、2018年の邦画を代表する映画と言ってもいいだろう。
 そんなものをこの2019年も押し詰まった12月に、ワタクシ空中さんはこの映画の実相にまったく気づくことなく鑑賞することができたのである。
 コレはスゴイことではないか(単にワタクシ空中さんのアンテナが低いだけだと言われればそれまでだが)。

 この映画は一般に宣伝・紹介されているジャンルとは全く違うジャンルの映画なのである。
 つまり、この映画を宣伝(は、まあある意味当然として)紹介するヒトたちは、これからこの映画を鑑賞するヒトたちが、ワタクシ空中さんのように、この映画について「間違った知識のママ」鑑賞できるように協力しているということだ。

 

 かつて、こんなに映画ファンに愛された映画があっただろうか。

 

 映画を鑑賞し始めて「38分後」。
 ワタクシ空中さんの頭上には大小さまざまな「?」が浮かんでいたに違いない。
 やがてそれらの「?」が消えた後、ワタクシ空中さんは完全に「虚を突かれた」。

 そして映画が終わったあと、正直ってワタクシ空中さんは少し感動していた。

 

 実を言うとワタクシ空中さんは映画を観て、「感動した」ことがない。
 世の中には映画といえば感動するために観るものだと思っているヒトもいて、別に映画観たって感動なんかしない、などと言おうものなら、
「じゃ、なんのために映画観るの?」
「ヒトの心がないの?」
「冷たいヒトなの?」
「冷血動物?」
「爬虫類?」
「ヘビ?」
などと散々な言われようだが、答えは簡単、「面白いから」観ているのである。
 別に感動しなくたって面白いものは面白いし、何より良くできた映画というものは、「映像の快感」みたいなものを持っているものだ。動画を見ていること自体が気持ちがいい瞬間というものは確かにある。
 宮崎駿が、自分の手でセルをパラパラめくりながら(1秒間に24コマめくる動きが手に染み付いているのだろう)、
「必ず気持ちのいい動きがあるはずだ」
といっていたアレだ。

 

 ところが、今回のように、完全に虚を突かれると、ワタクシ空中さんのような人間でも、いかにもヒトビトが感動しそうなテーマでてもなく感動してしまう、ということが解った。
 自分のことが少し解った、というだけでも観てよかった。

 

 そんなわけで、ワタクシ空中さんもこの映画について多くは語るまい、と思う。
 ま、町山智浩氏の「三谷幸喜みたいな映画を作ろうとしたら、三谷幸喜より面白くなってしまった」という評以上に的確な言葉を持たない(コレもいい加減ネタバレっぽいが)。

 

 願わくば、一人でも多くのヒトが虚を突かれませんことを。

JUGEMテーマ:映画

at 00:29, 空中禁煙者, 邦画

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