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マジックソープ ベビーマイルド 236ml
マジックソープ ベビーマイルド 236ml (JUGEMレビュー »)

中年オトコが石鹸をオススメかよッ!!と言うなかれ。ワタシはコレをガロンボトルで買い込んでます。
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「ほんとにあった!呪いのビデオ 72」 もう、川居尚美さんのためのシリーズなんじゃ、、、

「ベランダ」
 小学生が自宅のベランダに鳥の巣を作って、野生の鳥が住み着くかどうか実験中。
 なにしろ観察実験なので、カメラを回してる。
 で、野生の鳥が住み着いて卵を生んだらしいので、小学生が慌てて巣の中を観察しようとすると、カメラが動いてベランダの外を写す。
 と、そこには謎の男の顔が、、、

 

 この顔が、なんというか、表情のある、リアルな生きている人間の顔で、明らかに何らかの意志を持ってこっちを見ている。
 前作に続いて、「不可解な現象の顔をハッキリ写す」今のスタッフのスタンスが、一発目から如実に出たなぁ、という感じ。

 

「伝説の自主映画」
 20年前にある大学の映画サークルが撮った映像。
 そういえば今のスタッフってなんか自主映画のノリがあるなぁ、、、
 一度撮影したものの、山の中で登場人物のひとりが隠れて、他の登場人物のキスシーンを覗いてるカットに、なんか不気味なものが写ってるんで、撮り直して差し替えたものの、差し替えの前の映像が発見されたっていうのね。
 まあ、それはいいんだけどさ、どうやって撮り直したかって言うと、当時監督が不気味なものが写ってる現場にもう一回行ったら、首吊り死体があったっていうのね。
 で、監督は、なんと、その首吊り死体を動かしてもう一回撮影したっていうんだけど、、、

 

 無利でしょ。

 

 首吊り死体触りたくないでしょ。
 

 首吊り死体っつったらアレだよ?首なんかビローンと伸びて〇〇○垂れ流しで舌が口から、、、いや、もういいか。
 そんなもんヨッコラショって抱えて枝からおろしてエッチラオッチラ運ぶくらいなら、場所ズラして撮ればいいじゃん。
 んなもんどうせ山の中だし。

 

 肝心の不気味なものも言われないと分からないレベル。よく気づいたなとしか言いようがない。

 

「曲がり角」
 ウェアラブルカメラを手に入れて、嬉しくなって舞い上がって自転車走行中に撮影しまくる投稿者。
 曲がり角を曲がると、突然「髪の長いオンナ」の姿が、、、
 慌てて急ブレーキをかけてオンナの無事を確認しようとすると、すでに姿はない。
 曲がり角には自販機が置いてあって、曲がる前にこのオンナの姿が見えないのはある意味当然なのだが、コマ送りで再生すると、 

 自販機の先の標識のポールを起点に姿を現しているのがわかる。
 このオンナは凄くリアルに存在していて、実在系の一種だな、と思うが、こういう「この世ならざるもの」にカメラの視点を意識した動きをされると、個人的にはちょっと萎える。

 

 最後にこのオンナはもう一度姿を現し、さっきは見えなかった顔をハッキリ見せる。
 例によってこのスタッフは顔の造形にただならぬこだわりを見せる。

 

「存在しない友達」
 廃墟モノ。
 廃墟を探検するにあたって、二人組みがそれぞれカメラを持ってスマホで連絡を撮りながら別々に行動する、と言うのが新しい。
 BがAに呼ばれてどんどん移動するが、指定された場所にAはいない。
「どこだよ〜」と後ろを振り向くとそこには「存在しない友達」が、、、  
 Aのカメラには当然、Bを呼ぶ声は入っていないのである。
 面白いアイデアと思うが、別に怖くはない。
 なんか工夫すれば怖くなったような気もするんだけど、、、

 

「シリーズ監視カメラ 野菜泥棒」
 野菜を育てているビニールハウスに仕掛けられた野菜泥棒用の監視カメラ。
 カメラが突如倒れると、やたらデカイ手足の長いオンナがユラユラ揺れている。

 中村義洋氏のナレーションによって近所に神社があり、このビニールハウスは霊道になっている、という説明があるが、だったらなぜこのオンナがただ突っ立ってユラユラ揺れているのか判らない。

 

 ほん呪伝統の「無意味にユラユラ揺れるオンナ」シリーズの一遍。
 さらに、霊「道」だっつってんのになぜ移動しないで突っ立っているのかも謎。

 

「おくりもの」
 夫の同僚磯崎さんの自宅で子供連れでパーティー(っつっても子供は親の家飲みにつきあわされてるだけだけど)中、夫の同僚が突然錯乱。
 手に包丁まで持って妻に詰め寄る。
 慌てて大人たちが止めるが、ここで一瞬、磯崎氏の顔が不気味な顔に変化している、、、

 

 ここでも「顔」だ。
 やはり今のスタッフは「顔」にたいして相当なこだわりがある。

 

 このあと磯崎氏がスタッフ(新人女性演出補寒川女子。通称サムちゃん。地味にカワイイ)に怪我を負わせたり、失踪したり、今度は娘の由美ちゃんの様子がおかしくなったり、夫婦それぞれに浮気の疑いがあったり、毎度おなじみの騒ぎがイロイロ起こります。

 重要なのは磯崎氏の後輩の女性が最近電車のホームから落ちて亡くなっていること、亡くなった女性には磯崎氏と仲のいい後輩女性に対するいじめ疑惑があったこと、そして「なぜか」全然別の投稿者から、その女性がホームに「落とされる」前後の映像が投稿されてくることくらいか。

 この投稿映像には磯崎氏と「キスしていた」と言われる女性、悦子さんが駅のホームで「磯崎氏と同じように」錯乱する様が写っていて、やっぱり途中で顔が変わり、その顔は磯崎氏の変わった顔と同じなのである。

 そしてホームで錯乱する悦子さんは盛んに「モッカイナレ!モッカイナレ!」と口にしていて、スタッフが磯崎氏が錯乱した映像を再度確認すると、磯崎氏も「モッカイナレ!」と繰り返していたのであった、、、
 というところで、次回送り、

 

 まあ、既視感満載ですわ。
 新味はまったくない。
 新人のサムちゃんくらい。
 いかにも福田陽平好みの地味で無口でなんかあっても文句言わずに淡々と働くちょっとかわいい女子っていう。
 そう、第一期福田陽平政権時代の中晶子女子をちょっと思わせるのね。
 中ちゃん、どーしてるのかねぇ、、、


 71巻の「かくれんぼ」のような、現体制の個性を感じさせる作品はなかったが、やはり、「顔」に関するこだわり感じさせるエピソードが多い。

 

 まさか、変化があまり感じられないのは、今のほん呪を支えているのは、実は川居尚美嬢だからだ、とでもいうのだろうか、、、

JUGEMテーマ:ノンフィクション

at 20:42, 空中禁煙者, 邦画

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「エル ELLE」 ミスター・グッドバーなんか探さない。

 冒頭、いきなりレイプシーンから始まる。
 この映画は、通常の映画のように、ラストのカタルシスに向けて徐々にボルテージを上げていく作りではないのだな、と思い知らされる。
 いきなりボルテージをボンッ!!と上げておいて、そのままベターっと面白い、日本で言えば相米慎二や園子温のような映画なのだ。

 

 そう。
 日本でこの映画を撮るとしたら園子温だろう。

 

 「Elle」には普通ならそれだけで一本の映画が撮れるようなテーマが二つも三つも投げ込まれている。

ー膺邑の父親は数十年前(40年位?)、ご近所さんを23人ぶち殺した有名大量殺人犯であり、主人公は未だにそのせいで差別を受けている。

 

⊆膺邑は映画の冒頭でレイプ被害にあう。

 

主人公は数十年来の親友にして会社でも右腕の女性の旦那と不倫をしている。

 

 どうです?
 どれ一つとってもそれだけで一本の映画になりそうでしょ?

 

 ところが、だ。
 コレらは全てある一つの事を表現するための背景に過ぎない。
 ある一つの事とは、主人公ミシェルの複雑かつ強靭な人間性だ。

 

 映画の中でミシェルに降りかかるすべての事象は、ただ、ミシェルの人間性を際立たせるために存在する。

 この映画はレイプ事件だの親族の殺人者だの不倫だのを通して、ミシェルの人間性を描いているのだ。

 

 事件ではなく、人間を描く、というのは、ある意味映画的というよりは文学的なあり方だ。
 しかしコレを一気にあまりにも映画的な映画に引き寄せているのが、ミッシャルを演じるイザベル・ユペールの圧倒的な、文字通り圧倒的な身体性であり、演技力であり、女優としての腰の座り方である。

 ワタクシ空中さんは当然ポール・バーホーベンの映画だと思って観始めたが、観終わってみればコレは完全にイザベル・ユペールの映画であった。

 

 多分、バーホーベンは自分の映画がイザベル・ユペールに乗っ取られていくのを見て、
「しめしめ、こりゃスゲエ映画になるぞ、、、」
とほくそ笑んでいたに違いない。
 それくらいスゴいです。

 

 ミシェルはレイプされても泣き叫んだり狂ったようにシャワーを浴びたりしない。
 淡々と割れた花瓶を片付け「寿司」のデリバリーを頼む。
 息子が訪ねてくる予定だったのに(レイプ事件のせいで)食事の準備をしておらず、デリバリーで済ますことにしたのだ。
 そして「ハマチ」を注文し、「ホリデー巻き」とはなんなのか、電話の相手に尋ねる。

 

 しかし彼女はレイプなんか大したことないと考えてるわけではない。
 スタンガンと斧を買い込み、しまいにゃ射撃の訓練を始める。
 完全に今度来たら殺すつもりなのだ。

 

 彼女が警察に頼らないのは、自分が8歳のときに起きた父親の殺人で、自分も「何らかの役割を果たしたのではないか」と疑われたことから、警察を一切信用していないのだ。

 やはりコレが彼女の原点なのかな、という気もする。

 

 そして家族でレストランで食事をしているとき、突然「レイプされた」と告白する。
 家族が慌てふためくと、
「ああ、やっぱり話すんじゃなかった。このハナシは終わり」
と一方的に打ち切ってしまう。
 普通の人間はレイプを深刻に受け止める、あるいはレイプ被害者は深刻に受け止めるはずと思っていることを忘れているのだ。

 

 こんな人物像を、魅力的に、美しく演じることができる人類が存在するとは、バーホーベンも想定外だっただろう。

 

 ワタクシ空中さんは、観ていてなんとなく1977年の傑作映画「ミスター・グッドバーを探して」を思い出していた。
 40年の時を隔てて同じように性に放埒な女性を描いているが、そのラストの違いは、この40年における女性の生き方に関する考え方の変遷を強烈に感じさせる。
 ミシェルはミスター・グッドバーなんて最初からいないことを知っている。
 だからわざわざ探さずに手近にいる男で済ませる。
 そして、暴力を振るうオトコには自らケリを付けるのだ。

JUGEMテーマ:映画

at 21:05, 空中禁煙者, 洋画

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「予兆 散歩する侵略者 劇場版」 ホラー版「散歩する侵略者」

 のっけから「黒沢清臭」がプンプンしていてワクワクする。
 こんなに濃密な黒沢清臭を嗅いだのは久しぶりな気がする。
 あの、僕たちの大好きな黒沢清が戻ってきたような気さえする。

 

 ココ何作か、有名な原作を映画化することでメジャーへの道を探っていたような印象のある黒沢清作品の中では、久々に「ああ、自分のテーマに出会ったんだな、、、」という印象。

 脚本が高橋洋というもの大きい。
 高橋洋が脚本を手がけた映画でつまらなかった試しがない(自ら監督した作品以外で)。
 やはり脚本家としての高橋洋は、日本映画界の最重要キーパーソンなのだろう(特撮マンとして日本映画の最重要キーパーソンだった樋口真嗣が監督に昇格した途端ダメダメなのとちょっと似ている)。

 

 もっとも本作にも原作はある。
 要は「散歩する侵略者」のスピンオフなのだ。
 しかし、一般にいうスピンオフよりは、アナザーストーリーに近い。
 「散歩する侵略者」と同じ世界観の中で、オリジナルなストーリーを展開している。
 「人間の精神を乗っ取る侵略者」「侵略者を導くガイド」「概念を盗む能力」などの「散歩する侵略者」にも出てきたアイデアを使って、別の場所で起きていた事件を描く。
 侵略者があの3人だけな訳ないもんね。
 きっと、他にもいっぱいいたんだろう。

 

 で、ですね。
 あんまり言いたくないけど、「散歩する侵略者」より全然面白いですぅ、、、

 メインアイデアは借り物だが、借り物を利用して黒沢清と高橋洋が紡いがストーリーの方が、全然良く出来てる。
 ヘタするとこっちのほうが元みたい。

 やはり主人公の夫を侵略者本人ではなく、「ガイド」にしたのが正解だったのだろう。
 コレによりおめでたい人間賛歌だった原作が、一気にホラーになった。

 

 主人公の夏帆ちゃんが、事態に気づく前にひとり、「概念」を奪われて異常をきたすキャラを配したのもさすが。
 ホラーの脚本ってこういうもんでしょ。
 原作とは、もう、アマチュアとプロ位の差がある(まあ、「散歩する侵略者」はホラーのつもりじゃないんだろうけど)。。

 

 陰鬱な空気感のなかで、坦々とした日常の連続に突然ヒドいことが起きていく黒沢演出にシビれる。
 カタストロフに向けて盛り上げていく演出法もあるが、「敢えて盛り上げない」のが黒沢清なのだ。
 コレは、名作「運命の訪問者」以来(ってオレが気づいたのがそこだってだけだけど)の、スイッチが切れたように倒れていく人間の描写も満載。
 ああ、オレは今黒沢清映画を観てる、、、

 

 夏帆ちゃんも、買い物しちゃあピョンピョン飛び跳ねてるだけのオンナかと思ったら、すっかり大人の演技派女優になってたんだねぇ、、、
 か弱そうな雰囲気の中に、映画全体を支える「強さ」を表現できている。
 ラストにちょっと銃を撃つシーンが有るのだが、舞台が同じ廃工場ということもあって、「運命の訪問者」の哀川翔かと思ったというくらい、いざとなると(愛する夫の危機に瀕すれば)強いオンナを演じきっている。

 

 あと、特筆すべきは「寄生獣」に続いて「人間のフリが出来ているつもりで全然出来てない宇宙人」の役を演じている東出昌大だろう。
 黒沢清も絶対「寄生獣」を観てこの役をオファーしたに違いない。
 「人間のフリが下手」な役で東出昌大意外考えられないくらいハマり役。
 この映画の「不気味さ」は東出昌大じゃなかったら半減していたのではないか。
 このヒト、ホントに人間なんだろうか。

 

 夏帆ちゃんの役が「特別」な人間であり、なぜ「特別」なのかの説明がないのは、この脚本の瑕ではあると思う。

 が、おそらくは侵略者は世界中に大量に来ているはずで、それぞれのガイドが悲惨な目にあっているであろうことが予想され、その中で、たまたま「特別」な女性に救われるガイドを描いているのだ(そのほうがドラマ性が有るから)と、思うことにする。

JUGEMテーマ:映画

at 19:50, 空中禁煙者, 邦画

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「西遊記2〜妖怪の逆襲〜」 いっそ続編じゃないことにして欲しかった、、、

 メインキャストが変更、と聞いて、あまり期待してはいなかったが、ココまでヒドいとは、、、という感じ。

 イヤ、ヒドいというかなんというか、あの、「はじまりのはじまり」の続編だと思わなければ、普通にツイ・ハーク監督が西遊記モノを撮ったっていうだけだったら、そこそこ観られる映画なのかなぁ、、、

 

 そう、メインキャストだけじゃなくて、監督もツイ・ハークに替わってます。
 かつて香港映画界のスピルバーグとまで言われてた巨匠も、後輩に仕事もらって糊口をしのいでいるのか、もしくはもう、いい加減やりたいことやり尽くしたから、後輩の後始末で暇つぶししてるのか、、、

 

 「妖怪の逆襲」(原題は「伏妖篇」)というくらいで、妖怪とのバトルが三回くらいあり、どれも妖怪のイメージとアクションは良いといえば良い。
 蜘蛛女や紅孩児の不思議なヴィジュアルは素晴らしいと思う。
 一転して白骨夫人が儚げな美少女のまま、というのも変化が付いていいんだけど、、、

 

 白骨夫人は「人魚姫」のリン・ユンで、やっぱりチャウ・シンチー作品の匂いも漂わせて入るんだけどなぁ、、、

 「北京より愛を込めて!?」以来我々を驚愕させてきたシンチー先生のムチャクチャなギャグセンスも、玄奘が妖怪退治のお礼にと比丘尼国の王に送られた300人の女官が全員ブス、っていうくらいかなぁ、、、

 

 ダメ。
 もう続かない。
 つまらないです。
 ハッキリ言って。

 

 もう、「はじまりのはじまり」の正式な続編であることを証明するためだけに出てくるような、回想シーンのスー・チーさんや、玄奘の師匠、更にはエンディングの「Gメン75」のテーマが、かえって悲しい。
 いっそ、続編としてじゃなく観たかった。
 それくらい前作と違いすぎる。
 ナニがあったんだ、、、

JUGEMテーマ:映画

at 21:14, 空中禁煙者, アジア

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「ソウル・ステーション/パンデミック」 韓国のアニメ事情と社会問題について

 という訳で、「新感染〜ファイナル・エクスプレス〜」の前日譚。

  監督のヨン・サンホはもともとアニメ作家で本作の実写化をオファーされたが、どうせなら新作をと考え、本作のラストから始まる「新感染〜ファイナル・エクスプレス〜」を作ったということらしい。

 

 本作を観てわかることは、ヨン・サンホ監督に、「アニメ作家である必然性」は無いな、ということ。
 本作もフツーに最初から実写で作られるべきモノであるが、おそらくは実写よりは低予算で作れる、と言う程度の理由でアニメなのだろう。

 

 なぜなら本作にはアニメとしての楽しさなど微塵も無いから。

 

 「アニメとしての楽しさ」というのは若いヒトには通じにくい概念だろう。
 あまりにも当たり前に全てがアニメとして存在していて、「何故アニメなのか」などという問いが頭に浮かぶ隙はないと思われる。

 コレはワタクシ空中さんは、そのアニメ黎明期に手塚治虫という、内部に様々なダイナミズムを抱え込んだ大天才にして巨人を擁する日本独自の現象だろうと思っていた。

 

 手塚治虫はディズニー的なアニメの楽しさに狂おしいばかりに憧れるあまり、とにかくアニメを量産しなければならないという使命のもと、低予算でアニメを「毎週毎週」制作し続けるというムチャクチャな潮流を定着させたヒトである。

 一方で映画においては、TVアニメの罪滅ぼしのようにアニメ本来のテーマである「メタモルフォーゼ」にこだわり続け、比較的良質なアニメを作っていたが、だいたいコカしていた。

 

 何故コカしていたかも重要なテーマであるが、あまりにもヨン・サンホと関係ないので、今回は割愛します。

 

 そう。
 アニメーションとはもともと「アニミズム」と同源の言葉であり、「霊魂のないモノに霊魂が宿る」ことなのだ。
 従って、ネズミや猫や人形や車が、あたかも霊魂があるかのように歌い、踊り、暴れまわり、泣くアメリカのアニメは、「アニメとしての楽しさ」を湛えている、ということになる。

 

 日本のアニメはその後手塚治虫的な低予算量産体制を独自に克服し、世界的な(ある意味根源的な)アニメの楽しさと全く別にとんでもないレベルに達したのだが、そのハナシも今回は割愛します。

 

 そんなわけで、「実写で撮る予算がないからアニメ」で撮るアニメ作家が評価されている、というのが韓国アニメ界の現状なのだな、と思うのであった。

 

 で、ですね、「アニメである必然性が無い」ことに目をつぶれば、本作も「新感染」同様よく出来てます。
 やはりメインは人間ドラマに置かれているが、ちゃんとパニック下における人間の反応をドラマ化できていて、巧いなぁと思う。

 

 特に感心するのは、ゾンビを使って、韓国の、他人に対する無関心、ホームレスから無職、売春するしか生きるすべがない少女に至る貧困層の問題を抉り出すことに成功していることだ。

 

 「新感染」はスター俳優を使った初の実写ということで、ある程度ヒットを狙った娯楽作品だったのだな、と分かる。
ゾンビ映画としては珍しく救いがあった「新感染」に比べ、本作にはほとほと救いがない。
 なにしろ恋人に売春を強要されてる少女がホームレスに紛れて逃げるハナシである。
 生き延びても生き延びられなくても行く手には絶望しか無い。
 監督の感じている絶望感がヒシヒシと伝わってくるではないか。
 ヨン・サンホ先生、ハッキリと社会派なのだ。

 

 で、ですね。
 「アニメ作家であること」が金の問題に過ぎなかった証拠に、ヨン・サンホ先生の次回作「サイコキネシス」も実写だそうです。
 さもありなん。

JUGEMテーマ:映画

at 21:21, 空中禁煙者, アジア

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